2009/11/21

(ぷちSS)「桐葉の笑顔」(FORTUNE ARTERIAL)(紅瀬 桐葉)



 紅瀬さんをはじめて見たのがいつなのかは覚えていないが、その時の衝撃は今でも覚え
ている。
 電流がびりっと流れた、なんて陳腐な表現は使いたくないけど、実際にそんなことがあ
るものなのだと妙に感心したものだ。
 それ以来、いつか彼女をモデルに絵を描いてみたいと思っていたが、実現することはな
かった。
 紅瀬さんとの接点はなかったし、話をするどころかすれ違うことさえ稀なのだ。
 数ヵ月後に卒業を控える6年生としては、自由に使える時間も残り少ない。
 そんな折、支倉君が紅瀬さんと付き合っている、という噂を耳にした。
 支倉という名前に聞き覚えがあったので記憶を辿ってみると、体育祭の時に声をかけて
来た彼だということを思い出した。
 私は、すぐに彼の姿を探した。
「紅瀬さんの絵を、描かせてもらえないかしら?」
「桐葉の絵、ですか」
「ええ」
「でも、なんで俺に言うんですか。直接桐葉に言えば……って、オーケーしてくれそうに
ないからですよね」
「察しがよくて助かるわ。私も筋が通っていないと思うのだけど、キミに頼むのが一番確
実だと思ったのよ。……どうかしら?」
 支倉君は少し考えると、にっこりと笑ってこう言ってくれた。
「わかりました。先輩には体育祭の時にお世話になったし、俺から桐葉に話してみます」
「本当! ありがとう、支倉君」



 修智館学院実習棟の中にある美術室。十一月も下旬となれば冷え冷えとしているものだ
が、今日はエアコンが稼動していてあたたかい。
 普通なら、学院が休みの日には閉ざされているはずのこの美術室に、なぜ暖房が入れら
れているのか。
 それは、今この美術室にいるのが修智館学院美術部の部長である、ということで答えに
なっていると思う。 
「かなりあたたまってきたわね……。これなら平気かしら」
『北風と太陽』の話ではないが、寒い北風よりもあたたかいぬくもりがあれば、少しは彼
女の心を溶かしてくれるかもしれないから。
「フリーズドライ、か。まったく誰が言い出したか知らないけど、ぴったりじゃないの」
 フリーズドライ。真空凍結乾燥技術のことで、食品などに使われている技術だ。
 ただ、食品と違って、彼女を溶かすことができる人がいなかったのだが、それも過去の
話である。
「まあ、今回は下準備がしっかりしているから大丈夫でしょうけどね」
 フリーズドライと言われている彼女、紅瀬桐葉を溶かしたのは生徒会役員の支倉孝平で
あり、その彼の協力を取り付けているのだから。



 時計の針が十時を指し示すと同時に、扉が開いた。
 長く美しい黒髪が鮮やかで、ストッキングに包まれた足はすらりとしていて、同性の私
の目から見ても思わず目を奪われてしまう少女、紅瀬桐葉が立っていた。
「よく来てくれたわね。それじゃあ、さっそく準備してもらってもいいかしら?」
「……ええ」
 紅瀬さんは氷のような冷たい表情で私を一瞥すると、静かに衣服を脱ぎ始めた。
 ブレザーのボタンを外すと、白いシャツがあらわになった。そのシャツもボタンが外さ
れると、豊かなバストを包んだブラジャーが姿を見せた。
「上はそこまででいいわ。次は、下もお願いできるかしら」
「わかったわ」
 スカートのホックを外し、ストッキングを少しずつ脱いでいく。
「これで……いいかしら」
「ありがとう。それじゃあポーズを取ってもらえる?」
 彼女がおずおずとポーズを取るのを見届けてから、私はゆっくりと筆に手を伸ばした。



「今日はありがとう。本当に幸せな一日だったわ」
 別れ際に紅瀬さんにそう言うと、彼女は目を丸くした。
「どうかした?」
「いえ……、私は孝平に言われたからここに来ただけだから、貴方に感謝される謂れはな
いわ」
 少しだけ頬を染めた紅瀬さんは、私から目線を外すとそう言った。
 フリーズドライと言われている彼女もこんな表情をするのか。そう思うと、私も自然に
微笑がこぼれた。
「違うのよ。実は、支倉君にあなたを呼んでもらうようにお願いしたのは私だもの」
「……貴方が?」
「そう。卒業前に一度でいいから、紅瀬さんの絵を描いてみたくて、それで支倉君にお願
いしたのよ。だから、私はあなたに感謝するし、謝らなくちゃいけないわ。無理を言って
来てもらってごめんなさい。そして、来てくれてどうもありがとう」
 私はもう一度紅瀬さんにお礼を言うと、深く頭を下げた。
「そう言うことだったのね……。『いいから何も言わずに俺の言うとおりにしてくれ』っ
て言うから、仕方なく来たんだけど。……まったく、孝平らしいわね」
 頭を上げると、紅瀬さんはおかしそうに微笑んでいた。まったく、こんな表情まで見せ
てもらえるのだから、感謝はいくらでもし足りないかもしれない。
「いいわ。でも、今度からは直接言ってもらえるかしら。気が向いたら、またモデルぐら
いなら引き受けるから」
「ありがとう。そう言ってもらえて本当に嬉しいわ! そうだ、今日はあなたの誕生日な
んですってね。もしよかったら、私の描いた絵を貰ってくれないかしら」
「……でも、せっかく描いた絵なのでしょう?」
「構わないわ。絵はまた描けばいいのだし、それに」
 私は心からの笑顔でこう言った。
「気が向いたら、またモデルをしてくれるのでしょう?」
「ふふっ、そうね」
 紅瀬さんは微笑んでくれた。
 フリーズドライと呼ばれていた彼女だが、いずれはそう呼ばれなくなるだろう。
 そんな確信を覚えるような、紅瀬さんの笑顔だった。



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