2002/12/24

初雪(水月)



 ざざーん、ざざーん。
 波の音が聞こえる。
 これは、夢だ。
 迷うことなく、そう思った。
 最近は全く見ることはなくなっていたが、夏の頃は毎日のように見ていたから。
 ざざーん、ざざーん。
 途切れることのない波の音。これが夢の中でさえなければたいした事はないのだが、
 夢の中である以上は僕にとっては大問題だ。
 なぜならこの後、僕は女の子を弓で射殺さなければならないのだから。
 抵抗しても、どれだけ抵抗しても逆らうことはできなかった。
 それに、彼女を射殺さないと僕は夢から目覚められないのだから。
 しかたない。
 夢だから。
 そんな言葉で片付けることもできた。けれど、どうしても後味の悪さというものはある。
 きりきりきり。
 ああ、僕の手が僕の意志を無視して、弓を引き絞る音が聞こえる。
 精一杯の抵抗を試みる。が、無常にも弓は引かれていく。
 この段階まで来てしまったら、もう手遅れだ。
 あとは、矢を握っている右手を離さないようにするしかない。
「・・・・・・・・・」
 少女が何か言った。けど、声が小さくて聞き取れない。
 波の音は途切れることなく、続いている。
「・・・・・・・・・」
 また何か言った。やっぱり聞こえない。
 くそっ、僕にはどうすることも出来ないのか?
 少女の表情は怯えているふうでもなければ、喜んでいるふうでもない。
 しいて言えば、悟っている、そんな表情だった。
 これから起こる出来事を受け止めている、そんな晴れやかな表情だった。
「・・・・・・さん」
 ?
「・・・矢さん、朝ですよ」
 誰かが僕を呼んでいる。起こそうとしている。そんなことをしてくれるのは今の僕には
ひとりしかいない。雪さんだ。
「透矢さん、透矢さん」
 ゆさゆさゆさ。
 僕をゆすって一生懸命起こそうとしてくれる雪さん。でも、目が覚めない。
 起こされている感覚はあるのに、どうして身体は起きてくれないんだろう。
 このまま右手を離して彼女を射れば、起きることは出来ると思う。でも、それだけはな
んとしても避けたかった。雪さんにひっぱたいてでもいいから、彼女を射る前に起こして
欲しかった。
 でも、雪さんがそんなことをするとは思えなかった。どうしようもない。
「もう・・・しょうがないですね」
 雪さんは僕をゆさぶるのをやめた。あきらめたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・特別ですよ?」
 僕の唇をやわらかい感触が包み込んだ。
 雪さんの匂いがしたような気がした。



「おはようございます。透矢さん。今日もいいお天気ですよ」
「・・・おはよう、雪さん」
 なんとか目覚めることができた。あのやわらかい感触のおかげかな。もしかして雪さん
��・・なんとなく想像はつくけど・・・。聞くのが恥ずかしい様な気がしたのでやめておく。
「ありがとう、雪・・・さ、ん?」
 お礼を言って雪さんのほうを見た僕は、固まってしまった。
 あれ?いつもと格好が違うような・・・。
「あの、雪さん?」
「雪の顔に何かついていますか?」
「そうじゃなくて、服、服」
「雪はサンタですから」
 そう。雪さんはサンタの格好をしていたのだ。赤いサンタ服に赤いサンタキャップ。
 まぎれもなくサンタさんだった。それに、スカートからでているふとももが・・・。
 なんとも目に毒だった。
「えーと? 雪さんはメイドさんだよね?」
 わかりきっていることだったけど、なんとなく質問してしまった。
「はい、雪は透矢さん専属のメイドです。でも今日はサンタでもあるんですよ」
 そう言いながら、雪さんはにこにこして何かを待っている様だった。
「・・・・・・似合ってるよ、その服」
「ありがとうございます! 実は急ごしらえで作ったのでちょっと不安だったんですよ。
でも喜んでいただけた様でうれしいです」
 そう言うと、雪さんは朝食の準備をするので部屋を出て行った。ご主人様も大変だ。
 でも、なんで今日はサンタの格好してるんだろう。そりゃ確かに今日はクリスマスでは
あるんだけど。だからってサンタの格好をするものなんだろうか。
 とにかく考えていてもしかたがないので、着替えて食堂に行くことにした。じっとして
ても寒いだけだから。それほどまでに部屋の温度は冷たかった。



 3時から僕の家でクリスマスパーティーをやるというので、午前中は準備に大忙しとなっ
た。
 雪さんはケーキ作りをしなければならなかったので、会場の飾り付けは僕の仕事だった。
 どうやら毎年クリスマスパーティーをやっているらしく、会場が僕の家っていうのも恒
例らしい。
 そりゃ花梨や庄一の家は神社だから合わないのはわかるけど、アリスとマリアちゃんが
住んでいる教会ならぴったりの場所なんじゃないだろうか。
 そう思ったけど、僕の家に来るのを楽しみにしているマリアちゃんの笑顔を見たら、ま
あいいか、と思えた。僕も現金なものだ。
 昼までに部屋の飾り付けをだいたいすませることができた。こんなことをしたのは久し
ぶりのような気がする。といっても記憶が元に戻っていない僕には以前のことはわからな
いんだけど。
「透矢さん、そろそろお昼ご飯にしましょうか」
「そうだね。お昼にしようか」
 一段落ついたので、昼食を取ることにした。
「お部屋の飾りつけはどうですか?」
 雪さんが申し訳なさそうに聞いてきた。なぜか今はメイド服を着ている。
「雪もお手伝いできればいいんですけど・・・」
「雪さんはクリスマスケーキを作るっていう大事な仕事があるんだから。飾り付けのほう
は僕にまかせてよ。それに、部屋の飾り付けはだいたい終わったから」
「そうなんですか?さすが透矢さんですね」
 雪さんは僕のことをいつも褒めてくれる。僕は特別すごいことだとは思わないんだけど、
やっぱり褒められて悪い気はしなかった。
「ごちそうさま。今日もおいしかったよ」
「ありがとうございます。はい、あったかいお茶をどうぞ」
 雪さんは急須からお茶を注いで、僕に渡してくれた。一口飲んでみる。熱すぎず、冷た
すぎず。僕にぴったりの温度だった。さすが雪さん。
「よし。それじゃもうひとがんばりしようかな。雪さん、ケーキのほうはどうなの?」
「はい。土台のほうは出来上がりました。後は飾り付けが残っています」
「何か僕にできることってあるかな」
「ありがとうございます。でも後の作業は雪だけでもできますので、透矢さんはお部屋の
ほうをお願いします」
「わかった。雪さん、がんばってね」
「はい。透矢さんもがんばってください」
 雪さんはとびっきりの笑顔を僕に向けてくれた。



 作業を再開して30分ほどが経った頃、玄関のチャイムが鳴った。
「雪さん、僕が出るよ」
 台所で奮闘中の雪さんに声をかけて、僕は玄関まで出た。
「はいはい。・・・マリアちゃん? ・・・それにアリスも」
「こんにちは、透矢さん。ちょっと早いけど来ちゃいました」
 マリアちゃんはにこにこしながらそう言った。
「こんにちは、マリアちゃん、アリス。せっかく早く来てくれたのに申し訳ないんだけど、
まだ飾りつけが途中なんだ。ごめんね」
「そんなことだろうと思ったわ」
「お姉ちゃん!」
「はいはい、だから手伝ってあげるわよ。そのために早く来たんだから」
「透矢さん、わたしたちお手伝いします」
 なんだかお客様に手伝わせるなんて申しわけなかったけど、せっかくの厚意を断るのも
悪いかなと思ったので手伝ってもらうことにした。
「それじゃふたりにはツリーの飾り付けをお願いするよ。飾りはダンボール箱に入ってる
から。何か困ったことがあったら言ってね」
「はい!わかりました。それじゃお姉ちゃん、がんばろうね」
「はいはい、わかったわよ」
 アリスもなんだかんだ言いながら、マリアちゃんには優しいんだよね。
 ふたりにまかせておけば安心だろう。



 そして30分後。ようやく部屋の飾り付けが終わった。ひとりでやったにしては上出来
な感じかな。
 とりあえず目標が達成できてよかった。マリアちゃんたちのほうはどうなってるかな。
 僕はツリーのところに行ってみることにした。
 するとそこには、マリアちゃん、アリス、そして雪さんの3人がツリーの飾り付けをし
ていた。
「あ、透矢さん。お部屋のほうの飾り付けは終わりましたか」
 僕に気づいた雪さんが声をかけてきた。
「うん。ついさっきね。雪さんがここにいるってことは、ケーキはもう完成したってこと
だね」
「はい。10分ぐらい前に終わりましたので、ここでマリアさんとアリスさんのお手伝い
をしていたんですよ」
 ツリーを見ると、もうあらかた飾り付けが済んでしまっていた。すごい。まさかこんな
に早くできてしまうなんて思わなかった。僕は部屋の飾り付けだけでもかなりの時間がか
かってしまったというのに。
 自分の情けなさを改めて感じつつ、僕も手伝いをすることにした。
 ・・・・・・・・・・・・。
「できた!」
 最後の星の飾りをツリーのてっぺんに付けたマリアちゃんの声が聞こえた。
 時計を見ると、2時30分を少しまわったところだった。なんとか間に合ったかな。よ
かったよかった。
「あなたひとりでやってたら、まだ終わってなかったでしょうね」
「う・・・」
アリスのさりげない一言が僕の胸に突き刺さった。
「お姉ちゃん!」
「だってほんとのことじゃない」
「そうだね。確かに終わらなかったと思う。ありがとうアリス、マリアちゃん、そして雪
さんも」
 僕は3人にお礼を言った。実際本当に終わってなかったと思うし、手伝ってもらえて本
当にうれしかったから。
「わ、私はマリアの付き添いなだけだから・・・」
「お役に立ててよかったです!」
「ふふ、ありがとうございます。透矢さんもご苦労様でした」
 出来上がったクリスマスツリーは午前中までの寂しげな装いとはうってかわって、きら
きらと輝いていた。



 雪さんが入れてくれたお茶を飲んでいると、花梨、和泉ちゃん、庄一、鈴蘭ちゃんが次
々に家に来た。
 牧野さんは体調が思わしくないらしく、昨日から入院しているとのことだった。ちょっ
と残念。
 みんながそろったのでクリスマスパーティーを始めることにした。といっても何か特別
なことをするわけじゃない。みんなでゲームとかして楽しく過ごそうという内輪の集まり
だ。プレゼントの交換とかの話もでたんだけど、欲しいものが当たらなかった人がかわい
そうだってことで中止になった。まあせっかくのクリスマスなんだし、みんなが幸せな気
持ちになれればいいかなと思う。
 かくして、大トランプ大会は始まった。トランプ1組ではアリスやマリアちゃんにはか
なわないので、5組のトランプを使用することとなった。大ババヌキ大会。先に上がった
者から雪さんの特製ケーキが食べられることとなった。
「それじゃあ、まず賞品のケーキを見てもらうことにしようか。雪さん、お願い」
「わかりました。それではみなさん、少々お待ちください」
 雪さんは部屋を出て行った。
「なあ、雪さんが作ったケーキってどんなやつだ?」
 庄一が興味深い感じで僕に聞いてきた。
「僕も知らないんだ。全部雪さんにおまかせだったから」
「そうか。まあ雪さんなら安心だな。コイツに比べたら・・・」
 庄一は花梨のほうを見ながらそう言った。
「むー、そりゃ雪にはかなわないと思うけど、私だってケーキぐらい作れますー。あ、何、
透矢その目は?」
「な、何も言ってないじゃないか」
「あ、嘘ついてる。幼なじみだからわかるわよ。まったく・・・」
 なんとなく嫌な展開になりそうだったので、鈴蘭ちゃんに話題を振った。
「す、鈴蘭ちゃんはケーキ好き?」
「うん、雪ちゃんの作ったケーキは好きー。花梨ちゃんのは嫌いー」
「なんですって! 鈴、あんたにケーキなんて食べさせたことないでしょ!」
「食べなくてもわかるもーん」
 鈴蘭ちゃんと花梨の追いかけっこが始まった。やれやれ。とはいえ、鈴蘭ちゃんに話題
を振った僕の責任なのだろうか。走り回っているふたりを見て、和泉ちゃんはくすくすと
笑っていた。
「みなさん、お待たせしました。クリスマスケーキをお持ちしました」
 雪さんがケーキを持って部屋に入ってきた。その瞬間、僕らはもちろん、追いかけっこ
をしていた花梨と鈴蘭ちゃんまでもが静止した。
 雪さんが持ってきたケーキはケーキ屋さんでもかなわないような素晴らしい出来栄えだっ
た。しかし、みんなが固まったのはケーキだけが原因ではなかった。
「ゆ、雪?その格好・・・」
「雪はサンタですから」
 花梨がおずおずと質問すると、朝と同じ答えを雪さんは返した。雪さんはサンタさんの
格好をしていた。
「さすが雪さん。俺の思ったとおりだ」
 庄一が満足げな表情でうなずいていた。もしや・・・。
「まさか庄一が雪さんに?」
「ああ。お前が喜ぶと思ってな。どうだ、バッチリだろう」
「そりゃうれしいけど・・・」
 僕はあきれて物がいえなかった。隣では花梨が「このエロ共は・・・」と軽蔑のまなざ
しを僕らに送っていた。
「わはー、雪ちゃんかわいいー」
「すごく似合ってますね。いいなあ・・・」
「透矢が喜ぶのは間違いないわね」
 みんな口々に感想を言っている。アリスの感想がちょっと引っかかるけど。
 和泉ちゃんはにこにこと笑っていた。



 大ババヌキ大会は、意外にも鈴蘭ちゃんが一番に勝ち抜いて雪さんのケーキを味わって
いた。続いて、雪さん、アリス、マリアちゃん、和泉ちゃんと勝ち抜いて、僕が雪さんの
ケーキを食べることができたのは6番目だった。
 庄一と花梨はお互いの足の引っ張り合いで、未だに熾烈な戦いを繰り広げている。勝負
は長引きそうだ。
 ふと気づくと、鈴蘭ちゃんと雪さんがいなかった。僕はふたりを探しに部屋を出た。
 熱気のこもった室内とは違って、廊下はかなり涼しかった。僕はなんとなく雪さんの部
屋のような気がして、そっちへと向かった。
 コンコン。
 ノックをしてからドアを開ける。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 前に見たときよりもぬいぐるみが増えている気がするのは、僕の気のせいなのだろうか?
 部屋には鈴蘭ちゃんがいた。そして、雪さんも・・・いた。ポテトの中に。
「あったかいうちにお召し上がりくださいね♪」
「えっ」
 雪さん、今なんて言った?
「ほらほらー、早く食べないと冷めちゃうよー」
 鈴蘭ちゃんが囃し立てる。どうなってるんだ?
「鈴蘭ちゃん? いったい今、何やってるの?」
 わけもわからず質問する僕に、鈴蘭ちゃんは答えてくれた。
「ポテトごっこだよー。前にもやってたでしょ。大好きなひとに食べてもらうゲームなん
だー」
 食べるって・・・。鈴蘭ちゃんの前では出来ないよ・・・って何を考えてるんだ僕は。
「と、とにかくふたりとも。向こうの部屋に行こうよ。そろそろ勝負も終わるころだと思
うから」
 僕は話題を転換した。
「ちぇーっ、ケチー」
 なんで鈴蘭ちゃんが文句を言うんだろう。
 雪さんは文句は言わなかったけど、ひどくガッカリした表情だった。なんだか悪いこと
をしたような気がした。
 部屋に戻ると、庄一が床に突っ伏していた。どうやら花梨が勝ったようだった。
 結局、庄一は雪さんのケーキをひとかけらしか食べることが出来なかった。
 こんなに美味しいケーキを食べられないとは・・・。ちょっと不憫だ。



 そんなこんなでクリスマスパーティーもお開きの時間になった。
 みんなが帰るのを見送ってから、僕は雪さんに声をかけた。
「雪さん。今日は本当にどうもありがとう。その服も僕のためにわざわざ作ってくれたん
だね」
「庄一さんに、透矢さんはこういうのがお好きだとお聞きしましたので。作った甲斐があ
りました」
 雪さんはにっこりと笑って、そう言ってくれた。変なイメージが定着していないだろう
か。庄一のヤツめ。
「お礼といっちゃ変だけど。雪さん何か僕にして欲しいことない?クリスマスなんだし、
プレゼントのかわりに何かしてあげたいんだ。雪さんのために」
「それでは・・・ぎゅってしてくれますか。さすがにこの格好は体が冷えちゃいました」
 確かにサンタルックは防寒機能はあまりよくなさそうだ。
「わかった。それじゃ」
 僕は雪さんを抱きしめた。雪さんの唇が冷たそうに見えた。
「雪さん。唇もあっためてあげる」
 そう言って、僕は雪さんの唇を自分の唇でふさいだ。
「んっ・・・」
 雪さんの吐息が鼻にかかる。しばらく、いやかなりの長い間、僕は雪さんを暖め続けた。
 唇を解放して雪さんを見ると、頬がほんのりと赤くなっていた。
「ふふ、今日2回目ですね」
「えっ?」
「あっ・・・」
 雪さんはまっかっかになった。今朝のアレはやっぱりそうだったらしい。
「雪さん。サンタは今日だけなんだよね」
「はい。明日からはメイドの雪ですよ」
「じゃあ・・・」
 僕はこっそり持っていたカメラを取り出す。
「写真撮ってもいいかな?雪さんの写真残しておきたくて」
 すると雪さんはわかりやすすぎるぐらいに、渋い顔になった。
「ごめんなさい。恥ずかしいですし、それに雪は・・・」
「写真、苦手なんだよね。ん、わかった。残念だけどあきらめるよ」
 予想はついたことなので、僕はカメラをしまった。
「すみません」
「雪さんがあやまることじゃないから、気にしないで」
 本当に申し訳なさそうに言う雪さんがかわいかった。
「じゃあ代わりに・・・3回目、いい?」
「・・・はい」
 雪さんは僕だけの特別な笑顔でそう言ってくれた。
 空からは今年初めての雪が舞い降りてきていた。



あとがき





 PCゲーム「水月」のSSです。
 前々からSS書いてみたいなと思っていまして、クリスマスだから、という理由で書い
てみました。
「水月」のSSにしたのは、ある方のイラストがキッカケでして。まあいっしょに更新さ
れているイラストを見ていただければわかるんじゃないかなと思います。
 自分としてはかなりのハイペースで書くことが出来ました。やっぱりキャラクターが
出来ていると書きやすい面がありますね。勉強になりました。
 それではまた次の作品で。



��002年12月24日 クリスマスの前日



2002/08/13

「ダイヤモンドダスト」



 初めてそれを見たのは、私が小学生になってから一回目の冬休みだった。
 その日、友達と遊ぶ約束をしていた私は、白いコートに白い手袋といういつものお気に
入りの服に、カイロをいくつか持って公園に向かった。いつもはカイロなんて持っていか
ないんだけど、その日はいつもよりかなり寒かったから、出かける前にお母さんが渡して
くれた。私は寒いのは苦手。だから寒い日は外には出かけない。生まれたときから夏は涼
しく、冬は寒いこの地方だけど、私はいつまでたってもこの「寒さ」というやつには慣れ
なかった。
 でもそんな私にも、あるときだけはどんなに寒くても外に出ることが出来た。それは雪
があるとき。雪が降ってたり積もってるとき。なんで外に出られるかは私にもわからない。
人に聞かれたときはこう答えるようにしている。
「雪、好きだから。すっごく」
 もしかして他にも理由や原因があるかもしれないけど、私にとってはどうでもよかった。
雪が好きだから。私にとって理由はそれだけで十分だった。
 公園に着いた。吐く息が白いのは寒いからだけじゃなくて、ちょっと走ってきたから。
見渡すと公園は早くも白いお化粧をしていた。空を見上げると、お化粧の源の雪がいっぱ
い降っていた。一粒一粒が結構大きいからしばらくすると公園は白一色となるだろう。私
は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところで友達を待つことにした。そのまま待っ
てるのも退屈だったので、お母さんからもらったカイロを一個取り出して、ごしごしとこ
すった。あったかい。やっぱり寒いときはカイロに限るね。なんか自然と顔がニコニコし
てくる。私は幸せな気分で友達を待っていた。その時の私は時計を持ってなかったから詳
しい時間はわからなかったけど、30分ぐらい経っただろうか。友達はまだ来ない。公園
は白一色になっていた。道路はさっきから誰も通らない。みんなどうしちゃったんだろう。
 しかたがないので、友達には悪いと思ったけど、先にひとりで遊ぶことにした。雪だる
まを作るにはまだちょっと雪が少なかった。だから私は雪うさぎを作った。何匹も。お弁
当に入ってるりんごのうさぎさんもいいけど、やっぱり雪うさぎのほうが私は好きだった。
りんごのうさぎさんは赤いけど、雪うさぎは真っ白だから。やっぱりうさぎさんは白くな
くっちゃ。私はそう思うんだけど、友達のほとんどはりんごのうさぎさんのほうが好きみ
たい。なんで?って聞いてみたら、
「だって、おいしいんだもん!」
だって。みんなわかってないよ。
 雪うさぎが10匹ぐらい出来た頃、ふと空を見上げると、雪はもうやんでいた。さっき
までのねずみ色の空がうそみたいになくなって、赤い夕焼け色の空になっていた。私はがっ
かりだった。友達が来なかったこともそうだし、真っ白な雪うさぎも夕焼けのせいで赤い
雪うさぎになっていたから。
「あーあ、せっかく作ったのに・・・」
 私はふう、とため息をついて、雪の上に大の字になって寝転がった。雪の冷たさが雪う
さぎ作りで火照った体には気持ちよかった。カイロはとっくの昔に役立たずになっていた。
しばらくそうやって空を眺めていた。
 さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。雪が降る気配はまったく
なかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていたときだった。なんだか目
の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。
 家に帰るとお母さんから、裕美子ちゃんから電話があったことを聞いた。裕美子ちゃんっ
てのは今日遊ぶ約束をしていた友達のことなんだけど、なんでもカゼひいたせいで今日来
れなかったみたい。一生懸命謝ってたことをお母さんが教えてくれた。そうだったんだ。
カゼならしかたないよ。それに、今話を聞くまで約束すっぽかされたこと完全に忘れてた
から。よし、お夕飯を食べたら裕美子ちゃんにお見舞いの電話しよう。それに、あのきら
きらしたもののことも教えてあげよう。
 夕飯は私の大好きなクリームシチューだった。あったかいクリームシチューをお腹いっ
ぱいになるまで食べて、大満足の私はゆっくりお茶を飲みながらテレビのニュースを見て
いた。ニュースは今日の出来事についての話題だった。・・・そっか、そうなんだ。ニュ
ースを見終わった私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん? 私、雪夜。カゼ大丈夫? ・・・そう、よかった。あのね、
今日すっごいもの見たんだよ! 裕美子ちゃんにも見せたかったよ。ダイヤモンドダストっ
て言うんだけど・・・」



 私は待っていた。時が過ぎるのを辛抱強く待っていた。大好きなことをしているときは
あんなにも早く過ぎていってしまうのに、どうしてつまんないことをしなきゃいけないと
きはこんなにもゆっくりなんだろう。私は机にうずくまったままじっとしていた。他にす
ることもないのでそうしていた。
 キーンコーンカーンコーン・・・。チャイムが鳴った。ようやく介抱されるときが来た。
退屈な試験という時間から。高校一年の二学期の期末試験の全日程が今の時間でようやく
終了した。私は大きく伸びをした。
「雪夜ちゃん、やっと終わったね~」
 裕美子ちゃんがいつものほんわか口調で話し掛けてきた。彼女は藤川裕美子ちゃん。私
の親友。小学生のときからずっといっしょのクラスで、ずっと仲良しだ。ほんわかな口調
といつもニコニコしている彼女が、実は学年トップの秀才だという事を聞くと大抵の人は
驚く。そして驚かなかったわずかな人も、彼女が陸上の長距離の大会で毎回表彰台に上っ
ている事を聞くと、絶対驚く。顔もかわいく、人にはやさしい。とにかく、そんなすごい
女の子なのだ、裕美子ちゃんは。
「おつかれさま、裕美子ちゃん。試験の出来はどんな感じ?」
「う~ん、まあまあかな。雪夜ちゃんは?」
「私は・・・今回ちょっとマズイかも♪」
 私、白河雪夜は自分ではかわいい方の部類に入ると思っているごく普通の高校一年生。
勉強は、この前の試験ではクラスでなんとかひとケタに入るぐらいの成績だ。自分ではとっ
ても普通の女の子だと思ってるんだけど、みんなに言わせると違うみたい。
「マズイって言ってる割には楽しそうな口調だね~?」
「だって試験終わったんだもんっ♪」
 そう、3日間もの長きに渡って行われた期末試験は、ついさっきのチャイムをもって終
了したのです。これを喜ばずに何を喜べというんでしょう。
「そうだね。やっと終わったんだもん。今から試験の結果を気にしててもしょうがないよ
ね~」
「そう、私たちの時間は限られてるの。ここのところ試験にだけ集中してたから、これか
らは有意義に時間を使わなくっちゃね!」
 これは私だけの考えではないようで、周りを見るとみんな試験が終わった喜びを感じて
いるようだった。帰りに何か食べにいこっか、俺のうちに遊びにこいよ、早く帰って寝よ
う、といった声があちこちから聞こえてきていた。
「裕美子ちゃん、今日これからの予定は?」
「予定?う~ん、別にないけど」
「だったら、おいしいものでも食べに行こうよ♪私おごるから」
 私は裕美子ちゃんを誘ってみた。試験中は二人ともまっすぐ家に帰って勉強してたから
久しぶりだ。それに相談したいこともあるし。
「なに?おごり?行く!俺も行く!!」
 突然私たちの会話に割り込んできたコイツ。秋森鷲一。私たちと同じクラス。小学三年
のときに私の家の近所に引っ越してきた。いわゆる幼なじみというやつである。運動神経
は人の二倍くらいあるが、頭の中身は人の二分の一しかないオバカサン。それでも私と同
じ高校に通っているのはなぜでしょう?
��、試験でカンニングに成功!
��、先生方に黄金色のお菓子を贈った。
��、この高校は無試験だった。
 こんな三択問題を出すと大抵の人は3番の答えを選ぶんだけど、それはハズレ。正解は
��の「スポーツ推薦で合格」なのだ。神様は平等だなあと思わざるをえない。誰にでも取
り柄ってあるものなんだなあってね。
「私はアンタを誘ったんじゃなくて、裕美子ちゃんを誘ったのよ。耳がおかしいんじゃな
いの? それとも耳じゃなくておかしいのは頭?」
「・・・いきなりすごい挨拶してくれんじゃねーか。えらくご機嫌ナナメだな。さては、
テストあんまりできなかったのか?」
 鷲一は私の言葉に一瞬固まったが、すぐにやり返してきた。知らない人が見ていたら険
悪な雰囲気だと思うだろうが、これぐらいは私たちにとってはいつものことなのだ。日常
茶飯事というやつである。
「仮に百歩譲ってそうだとしても、私はテストの出来の悪さでアンタに当たるような小さ
な人間じゃないわよ」
「なるほどね。小さいのは胸だけか」
「な、なんですって!」
 コイツ、言うに事欠いてなんて事を! 信じられない。今日という今日はガマンならな
いわ! 徹底的に口げんかしてやろうじゃないの!!
 そう思って、毒舌を振るおうとしたら、裕美子ちゃんが私をなだめてくれた。
「雪夜ちゃん、落ち着いて~。雪夜ちゃんの胸は綺麗な形でわたしは好きだよ~。だから、
元気出してね♪」
「・・・裕美子ちゃん、それ誉めてくれてるんだよね?」
「もちろんだよっ♪」
 裕美子ちゃんのおかげといえばいいのか、私の怒りはどこかへ行ってしまったみたい。
まったく、裕美子ちゃんにはかなわないなあ。
「秋森くん、今日は久しぶりに女の子だけで過ごしたいの。悪いけど、また今度ね。その
ときはわたしがおごるから~」
 裕美子ちゃんは鷲一にそう言ってから、私のほうをチラッと見てウインクした。
「しょうがねえなあ。じゃあ俺は帰る。また明日な、2人とも」
 鷲一はそう言って、すたすたと歩いていった。
 明日は試験明けなので学校はお休みなのだが、そんなとこに突っ込みを入れるほど私は
小さな人間ではないのだ。・・・小さくないもんっ!
「じゃあ、行こうよ。女の子だけで楽しくすごそっ」
「そうだね~♪」
 私たちは人気の少なくなってきた教室を後にした。



 私たちは喫茶店に来ていた。裕美子ちゃんは初めて来たらしく店内を珍しそうに見回し
ている。私は店の奥のほうの席に座った。いつもなら眺めのよい窓際の席を選ぶんだけど、
今日は違う。これから大事な話をするんだから。
「私ここ初めてだよ~。雪夜ちゃん、前にも来たことあるの?」
 裕美子ちゃんは席に座ってもまだ興味深そうにまわりを見ている。
「うん。一度だけね、来たことあるんだ。『百華屋』っていうんだ、このお店」
「ふ~ん、そうなんだ。でもなんで『百花屋』じゃないの?こんなにたくさんお花がかざっ
てあるのに」
 店内には造花も含めて、色とりどりの花が何種類も飾られていた。裕美子ちゃんはそれ
が気になっていたのだろう。
「それはね、マスターに聞いたんだ。それによるとね・・」
 私が解説しようとしたらお水が運ばれてきた。それを持ってきたのはなんと店員ではな
く、マスターだった。
「いらっしゃいませ、よく来てくれましたね、白河さん。そしてはじめまして、美しいお
嬢さん。ご注文はお決まりですか?」
 営業用のスマイルではなく、心の底からお客が来たことを喜んでいるような笑顔でマス
ターは私たちに話しかけてきた。
 マスターはすらっとした長身で、スリムな体型をしている。年齢は26歳。最初はアル
バイトでこの『百華屋』に入っただけだったらしいが、いつのまにかマスターになってい
たらしい。不思議な人だ。黙っていても女の子が何人か寄ってくるぐらいのハンサムだ。
ちょっとキザなセリフさえ除けば問題ない人だと思う。
「こんにちは、マスター。美しい白河雪夜、またやってまいりました~♪」
 私はそう言って、にこーと笑った。お金では買えない笑顔だ。
「あはは、いらっしゃい、美しい白河さん。そして、麗しいお嬢さん、よろしければお名
前を教えていただけませんか?」
 マスターったらなかなかいい度胸してるじゃない。どうしても私より裕美子ちゃんのほ
うが上だって強調したいのかしら。裕美子ちゃんはそんな私たちのやりとりを楽しそうに
見ていた。
「うふふ、2人とも仲がよろしいんですね。じゃあ、自己紹介しますね。わたしは藤川裕
美子です。雪夜ちゃんとは小さいころからずっと仲良しで、一番の親友なんですよ~。あ
とは・・・特に何もないふつうの女の子ですよ~」
 裕美子ちゃんはそう言って、にっこりと微笑んだ。ふつうの女の子にはこんな素敵な笑
顔はできないと思うけど。
「では僕も自己紹介を。僕はこの喫茶店『百華屋』のマスターです。以後、よろしくおね
がいします。困ったことがありましたら、なんでも言ってくださいね」
 マスターはそう言うと、私たちの注文を取ってキッチンへと向かった。どうやらマスタ
ー自ら作ってくれるみたい。あいかわらず、かわいい女の子にはサービスを惜しまないよ
うだ。
「雪夜ちゃん、マスターさんととっても仲がいいね~。まだ一度しか来たことないんだっ
たよね?」
「うん、そうだよ。私もびっくりしたよ。なんていうのかな、ずっと昔から知ってたよう
な、それに何でも話しやすい感じがするんだ。多分、それでだと思う」
「ふ~ん。私だったらそうはならないなあ。確かに雪夜ちゃんが言ってるような感じはわ
たしもするけど、会ってその日にっていうのは無理かな~。そういうところが雪夜ちゃん
のすごいところだと思うんだ、わたし」
 裕美子ちゃんはそう言ってから私の顔を見てにっこり笑った。私は自分では特に何かし
ているわけじゃないからほめられる理由はないんだけど、やっぱりほめられて悪い気はし
なかった。こういうところが裕美子ちゃんのすごいところなんだと私は思う。
「そうそう、雪夜ちゃん。さっきの話の続きだけど、この『百華屋』の名前の由来は何な
の?」
「そっか、まだ言ってなかったっけ。マスターが割り込んできたからすっかり忘れちゃっ
てたよ。あのね・・」
「お待たせしました。ケーキセット2つお持ちしました♪」
 私の説明を遮って、またしてもマスターが私たちの席にやってきた。なんだか意図的に
やってるとしか思えないんだけど。強烈な視線を送ってみる。
「あれ、どうかされましたか白河さん。その熱い視線は? もしや僕に恋しちゃいました
か?」
「いえいえいえ、そんなはずないじゃありませんか、おほほほほ」
 マスターのとぼけた問いに私はにこやかな笑顔で返した。泣く子も黙るかもしれない笑
顔だ。裕美子ちゃんはそんな私たちをにこにこと眺めている。
「何の話をされてたんですか、藤川さん」
 マスターは私の出した視線のパスには目もくれず、裕美子ちゃんに軽い会話のパスを出
した。
「えっとですね、このお店の名前の『百華屋』の由来を聞いてたんですよ~」
「そうでしたか。それなら僕が説明いたしましょう」
 マスターはそう言うと、私たちのテーブルの空いている席に座った。あなたの仕事はい
いんですか? そう言ってやろうと思ったけど、裕美子ちゃんが聞きたそうにしていたの
で止めた。店員さんは大変だなあ、こんなマスターだと。
「百貨店という言葉があります。文字通り、百貨をそろえているお店という意味です。デ
パートとかがそうです。要するにいろんな品物があるということです。たくさん品物があ
りますから、そこに行けば大抵のものはそろうので、とても便利です。僕もお店のメニュ
ーを今はまだ少ないですが、いずれはたくさんにしたいと思っています。だからこの「ひゃっ
か」という言葉を頂きました。もう一つは、見てもらえればお分かりになると思いますが、
花です。僕は花が大好きですので、この店にもたくさん飾ろうと思っています。造花があ
るのはその季節にしか咲かない花でも置いておけるからです。あと、掃除をする手間も省
けますし。この場合は「百花」になりますね。以上の理由から、どちらの漢字でもない「百
華」という言葉を考えました。これが『百華屋』の名前の由来です」
 マスターは説明し終えると満足したのか、ごゆっくりと言い残して仕事に戻っていった。
ほんとに説明だけしたかったみたい。
「なるほどね~。そういう理由だったんだ。わたしはてっきり花がいっぱいだからそうな
のかな~って思ったんだけど、もう一つ意味があったんだね~」
「そうなの。私も前に来たときに聞いたんだ。私のときは聞かされたんだけどね。マスタ
ーったら聞きもしないのに説明し始めるんだもの。びっくりだよ」
 私たちはようやくケーキセットに手を付けた。うん、甘くておいしい。あのマスター、
腕は確かなのよね。だから来たんだけど。
「あのね、裕美子ちゃん。これから話す事は誰にもしゃべらないでほしいの。約束してく
れる?」
「ふたりだけの秘密ってこと?」
 私は何も言わずに、裕美子ちゃんの目をじっと見つめた。
 しばらくすると、裕美子ちゃんはにっこり笑って、「いいよ」って言ってくれた。
「実はね、私、告白しようと思うの」
「えっ・・う、そ・・雪夜ちゃんが?」
 裕美子ちゃんは相当びっくりしている。無理もないかな。だって私は自分で言うのも変
だけど、恋に恋する女の子ってタイプとはまるで違うから。実際今までだってそんな気持
ちになったことなかったし。
 私は、こくり、とうなずいて話を続けた。
「委員会のときにね、いつも親切にしてくれる先輩がいたの。それまでは親切なひとだなっ
て思ってただけなんだけど。学園祭のときにね、たまたま私といっしょに遅番の作業をし
てたの。8時ぐらいまで作業してたんだけど終わらなかったの。そしたら先輩が、そろそ
ろ帰ろうかって。あんまり遅くなると夜道は危険だからって私を家まで送ってくれたの。
本当は作業の途中で帰るのはイヤだったんだけど、先輩も好意で言ってくれてるんだし断
るのも悪いかなって思った。それで私は次の日の朝、早起きして学園に行ったの。作業の
続きをするためにね。そしたら・・」
 ちょっと喉が渇いたので紅茶をひとくち。うん、おいし。
「雪夜ちゃん。そしたら?」
「うん、そしたらね、作業部屋に先輩が寝てたの! 机に突っ伏してぐーぐーと! 先輩
はなんと私を家まで送った後、学園まで戻って作業してたの。私の分まで。先輩を起こし
て聞いたらそう言った。なんで学園で寝てたか聞いたらなんていったと思う?」
「う~ん、家に帰るのが面倒だったから、かな」
「ぶー、不正解です。正解はね『君に起こしてもらいたかったから』だって! そのとき
の私はすんごいドキドキしてた。顔も多分真っ赤だったんじゃないかな。先輩も自分で言っ
てて恥ずかしかったみたい。ちょっと顔赤かったから」
「なるほどね~。その瞬間、恋する乙女の雪夜ちゃんになったわけだ」
「そういうわけですよ、おほほほほ」
 話しているうちになんだか幸せな気持ちになって、いつのまにか私のテンションは高く
なっていた。なんていうかお酒を飲んだときの気分にちょっと似てるかな。普段お酒飲ん
でるわけじゃないんだけどね。未成年ですから。
「先輩って事は三年生だよね。もうすぐ卒業。ゆえに告白するなら今しかない!と雪夜ちゃ
んは思ったんだね」
「うん。今からならまだ三大イベントにも間に合うし。私は決心しました!当たって砕け
ようと!!」
「・・砕けちゃだめだと思うけど」
 盛り上がっている私の耳には裕美子ちゃんのツッコミは届かなかった。
「あと、三大イベントって何のこと?」
「それはもちろん、クリスマス、お正月、バレンタインの三つよ。これをクリアしてこそ
真の恋人同士になると思わない?」
「そ、そうなんだ~。わたし、そんな風に考えたことなかったよ・・。ということは、今
度のクリスマスやお正月は雪夜ちゃんとはいっしょに過ごせないんだね・・。ちょっと寂
しいかも」
 裕美子ちゃんはそう言ってから本当に寂しそうな顔をした。うっ、なんだろう。かすか
に罪悪感を感じるような。そんな顔されたら私・・。
「・・でも、わたし、がまんするよ。雪夜ちゃん、がんばってね。わたし応援するよ!」
 両手をぎゅっと握って私を応援してくれる裕美子ちゃん。大好きです。
「・・ありがとう。がんばるよ、私!」



 次の日。私は公園のベンチに座っていた。目的は先輩に告白するため。試験最終日の昨
日の朝、私は先輩に手紙を渡していた。内容は「明日の午後2時、公園のベンチでお待ち
しております。白河雪夜」という、いたってシンプルなものだった。余分な言葉は必要な
かった。本当に伝えたいことは直接言いたかったから。
 先輩が手紙を受け取ったのは確かだと思う。古典的な手段だけど、先輩の靴箱の中に入
れておいた。物陰からこっそり見て、先輩が来て教室へ行くのを見届けてからすぐに靴箱
を確認しに行った。中には先輩の靴しかなかった。念のため、まわりの靴箱もチェックし
たし、捨てられていないかゴミ箱も確認した。手紙はなかった。先輩が持っていったと考
えて間違いないと思う。
 先ほどまでは太陽が雲間からほんの少しのぞいていたが、今では完全に雲に覆われてし
まった。時計を見る。午後1時45分。まだあと約束の時間まで15分ある。
 まわりを見てみる。時折、通りがかる人はいるけど、公園に用事のある人は私を除いて
いないようだ。みんな足早に歩き去っていく。今日はこの時期にしては寒いほうだからだ
ろうか。子供は風の子っていうけど、最近は外で遊ぶ子なんて滅多に見かけない。この公
園の遊具もずいぶんほったらかしにされてるようだ。私が遊んでたころは、まだ出来立て
の新品だったのに。あのころはいっぱい遊んだ記憶がある。雪の日は誰よりもたくさん遊
んでいたと思う。何でって聞かれても困るけど。
 またまた時計を見る。午後1時50分。だんだん寒くなってきているのは気のせいでは
ないだろう。空を見上げると、完全に太陽の存在は消え去ってしまっている。代わりに雲
はどんどん勢力を広げていっているようだ。寒いのは嫌なのに。
 じっとしていると寒くてたまらないので、ちょっと散歩。1周300メートルくらいの
公園を一回り。こつっこつっと私の足音だけが響く。気が付くと、通りがかる人もいなく
なっていた。人気のない公園はどこか寂しい。誰にも使われないブランコがきこきこと揺
れている。乗ってみようかと思ったけど、きっと冷たいに決まってる。やっぱりやめる。
 特に何も事件はなく(事件があっても困るけど)、散歩終了。そろそろ約束の時間だ。
私は先輩を待っていたベンチへと向かった。先輩が来てくれることを祈りながら。



 翌日、私は学園を休んだ。風邪をひいたらしい。ためしに測ってみた体温計は37度2
分。微熱といったところ。ただ、どうにも頭痛がひどいので休むことにした。期末試験も
終わったので、あとはクリスマスに向けての浮かれた学園生活。授業は半日で終わりだし、
��日ぐらい休んだからといって、たいしたことじゃない。それに、たとえ健康でも今の私
には、学園に行きたくない理由があったのだ・・。
 休みの連絡を学園に入れてから、私はもう一度寝直した。期末試験中は睡眠不足ぎみの
生活だったから、ちょうどよかった。身体は正直です。
 目を覚ましたのはお昼をちょっとまわったころだろうか。あれだけひどかった頭痛はすっ
かりなくなっていた。やっぱり病は気から、という言葉は正しいのかなと思う。気分も落
ち着いたみたい。さすがだよ、私。
 朝ご飯も食べていないので、さすがにおなかは空腹を訴えている。食欲がでてるってこ
とは回復してる証拠。テーブルの上には、いつもお母さんが用意してくれる朝食がラップ
をかけられて置いてあった。私はそれをレンジであっためてから、ゆっくり味わって食べ
た。うん、おいし。電子レンジは魔法の箱だよね、いったい誰が考えたのかな?
 朝昼兼用の食事を済ませた私は、お皿を洗った。いつもは洗い物なんてしてる時間がな
いから、水につけておくだけで夜にまとめて洗うんだけど、今日は時間がたっぷりあるか
ら。ぴかぴかお皿は気持ちいい。
 2時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。インターホンのところまで行って受話器を取る。
こんな時間に誰だろう?
「はい、どちら様ですか?」
「あ、藤川です。雪夜ちゃんだよね」
「裕美子ちゃん? ちょっと待っててね」
 私は玄関まで行ってドアを開いた。
「どうしたの、裕美子ちゃん。うん? アンタも一緒なの?」
 裕美子ちゃんの後ろには、鷲一が立っていた。鷲一は私のほうをちらっと見て、すぐ顔
を背けた。???
「雪夜ちゃんのお見舞いに来たんだよ。秋森くんが一緒なのはね、どうしても一緒に行き
たいって言うから一緒に来たんだよ~♪」
「デタラメ言うなーっ! 藤川がどうしてもって言うからしかたなく来てやったんだよ!
・・・それなのに、なんか元気そうじゃねえかよ。心配して損したぜ」
 え、こいつ心配してくれたの?私のことをこいつが?
「なんだよ、その目は。俺だって病人の心配ぐらいするぜ?・・・まあいいや。じゃあ俺
は帰る」
 そう言って鷲一は歩き出した。曲がり角まで歩いてから、こちらを振り返った。
「一つ教えてやるけど、そのカッコで外に出るのはどうかと思うぞー」
 私は自分の服装を見てみた。
「・・・きゃああああああーーーーーー!!!!」
 ご近所中にパジャマ姿の私の黄色い悲鳴が響き渡った。隣では、裕美子ちゃんが口元を
押さえて笑っていた。



 裕美子ちゃんが帰って、1人になった私は手紙を読もうか読むまいか悩んでいた。裕美
子ちゃんが渡してくれた手紙。差出人は・・・先輩だった。裕美子ちゃんに先輩が頼んだ
らしい、私に渡すようにと。
 約束を守ってくれなかった先輩に対する私の気持ちはどうなんだろう?私は先輩に対し
て怒っているのだろうか? 怒ってるとは言い切れなかった。むしろ、先輩が来なくてほっ
としてる気持ちもあるかもしれない。このままでいいやっていう気持ちの私も少なからず
ここにいた。
 たぶん、この手紙がなければ私は先輩と今までどおり普通に接していけただろうと思う。
でも、この手紙は約束を守らなかったことに対しての先輩の返事だ、と思う。そうでなきゃ、
わざわざ先輩が私に手紙を書くことなんてありえないから。ただの後輩の私に。
 私は長い間考えた。こんなに考えたことはいまだかつてないんじゃないかってぐらい考
えた。考え過ぎて頭がぼうっとしてきた。知恵熱?
 私は服を着替えた。白いコートに白い手袋といういつものお気に入りの服。外で手紙を
読もうと思ったから。頭を冷やせる外で。
 想像どおり外は寒かった。それもそのはず。見上げれば空からはちらほらと雪が降って
いた。だんだん白くなっていく道を歩いた。私の足は公園へ向かっていた。
 公園に着いた。いつのまにか雪は大粒になっていて、はやくも公園は白く塗りつぶされ
ようとしていた。私は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところまで行ってベンチ
に座った。通りには歩いてる人は誰もいなかった。
 私は先輩の手紙を読むことにした。ちょっと手紙を開く手が震えるのは寒さだけじゃな
いかもしれない。
 私は手紙に目を通した。・・・・・・・・・。もう一度目を通した。・・・・・・。最
後にもう一回だけ目を通した。・・・・・・・・・・。私は手紙を閉じた。



「はっ・・・」



「ははっ・・」



「あははははっ・・・」



「そりゃないよ・・・ははっ」
 私はなんというか笑うことしか出来なかった。なんだか色々考えていたことが、全て意
味なかったような。空回りだった。
 先輩の手紙には次のように書かれていた。
『白河へ
風邪ひいたらしいけど大丈夫か。
今日の約束はまたの機会にしよう。
お大事に 』
 先輩は『今日』が約束の日だと思っている。ということは、先輩は私の手紙を『昨日』
読んだってことになる。私は手紙には『明日の午後2時』としか書いてなかった。
 こんな些細なことで・・・そう思うと笑うしかなかった。
 白一色になっていた雪に私は寝転がった。笑いすぎて熱くなっていた体にはちょうど気
持ちよかった。雪はいつのまにかやんでいた。
 しばらくそうしていたが、さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。
雪が降る気配はまったくなかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていた
ときだった。なんだか目の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。



 あのときもそうだった。私が小さい頃、ひとりで遊んでいたとき。雪うさぎをたくさん
作ったとき。ひとりだった私。通りがかる人もいなくてひとりだったとき。
 ひとりぼっちの私をかわいそうに思って、それで見せてくれたのかなあ。
 何がしあわせで、何が不幸かわからないけど、とりあえずお礼を言っておくよ。



 ありがとう



 そう呟いて私は空を見上げた。ずっと見続けていた。



 家に帰った私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん?私、雪夜。あのね、今日すっごいもの見たんだよ!裕美子ちゃ
んにも見せたかったよ、ダイヤモンドダスト! ・・・えっ何それって?これはね、神様
の贈りものだよ!」







はじめてのあとがき





 みなさん、読んで頂いてありがとうございました。
 この作品を書き始めるに当たって、イメージした作品がふたつあります。
 「ちっちゃな雪使いシュガー」
 「Kanon」
 以上のふたつです。わかるひとにはわかるでしょう。
 書き始めのきっかけは今年(2002年)の1月頃だったでしょうか。テレビのニュースで
ダイヤモンドダストのことを見たからです。
 言葉の響きがよかったので何かこれをネタに書けないものかなと思いました。
 あんまりタイトルと内容に意味はないかもしれませんが。
 本来なら、もっとはやく書き上げるべきだったのですが、いつのまにやら夏になってしまい
ました。
 あと、執筆中に影響を受けた作品として、「水夏」があります。
 でも、白河雪夜の苗字は「水夏」から取ったわけではありませんので。それは偶然の一致で
す。だって書き始めた頃は僕は「水夏」やったことなかったんですから。
 わかるひとにしかわからないネタでごめんなさい。
 それでは次の作品で。みなさん、よい電波を・・・。



エアコンの効いた涼しい部屋にて
��外は暑くて・・・)



2002/04/14

『家』



 いつも不思議に思っていた。いったい誰がこの家に住んでいるんだろう。人が住んでい
る様子はまったくない。ぱっと見たところ、平屋の一戸建てで、庭があるごく普通の家だ。
ただし、庭の雑草が無ければだけど。そこは足を踏み入れればすぐわかる、泥棒泣かせの
雑草地帯となっていた。



「誰が住んでんだろ、この『家』」
「さあな。いっつも誰もいないけどな」
 僕が聞くと、ユウちゃんは首をひねりながら答えた。
「今日は土曜だから学校は昼までだろ。昼メシ食ったらこの『家』を調べてみようぜ」
 教室の前まで来ると、ユウちゃんは突然こんなことを言い出した。
 僕も1人でこの家に来るのはいやだけど、2人なら安心だろう。
「いいよ。じゃあ1時にしよう。1時に公園で待ち合わせね」
「おっけー。秘密道具持って来るの忘れんなよ」
 そう言うと、ユウちゃんは自分の教室へ入っていった。僕はその後ろ姿を眺めていた。
ユウちゃんの後ろ姿を見ていると、僕はとっても安心できる。かくれんぼのとき、ケンカ
のとき、オニごっこのとき…。



 ぼんやり考えていたら、いきなり頭をたたかれた。
「おっはよ。なにぼーっとしてんの?」
「アヤちゃん、何すんだよ」
 僕は頭を押さえながら、振り向きもせずに言った。僕にこんなことをするのは一人だけ
なのだ。
「あたしは、お・は・よ・うっていったんだけど」
「お・は・よ・う」
 そう言うと、アヤちゃんは満足げにうなずいた。
「はい、よろしい。あいさつされたら、あいさつを返すのが女の子とのおつきあいっても
んよ」
 それは違うだろ。
「何、その不満げな顔は。それで、どうしてぼーっとしてたの」
「ぼくが?いつ、どこで?」
「あなたが、いま、ここで」
「そうだったかなあ…」
 僕は首をひねった。そうするとアヤちゃんは、やれやれといった感じで教室に入っていっ
た。
 僕は自分では自覚がないが、ときどきぼーっとするらしい。
「それさえなければ、今ごろ女の子にモテモテよ」
アヤちゃんにはこう言われたことがある。よくわからない。べつにいいけどね…。
 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムが鳴ったので、僕はあわてて教室に入っていった。
 1時間目の休み時間。いやな理科の授業が終わってぐったりとしていると、アヤちゃんが
話しかけてきた。
「ねえ、今朝なんかあったの?」
「どーして?いつもどおりだと思うけど…」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「相変わらずぐったりしてるわね。あっそうか。1時間目はあんたの嫌いな理科だっけ」
「そう、そのとーり。せいかいでーす」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「しかしそんなにいやかなあ、理科って。実験とかあるからあたしは好きだけど」
「ぼくだってじっけんはきらいじゃないけどさー。ヤなもんはヤなんだよ。あーあ」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「まったくしょうがないわね。とにかく早く行きましょうよ。遅れるわよ」
「へ?……あっ、そうか! 次は体育でプールだっけ!」
「そうよ。わたくしのエレガントな水着姿が見たかったら、はやくしなさい。オーホッホッ
ホ」
 アヤちゃんは変なポーズで変な笑い方をしながら歩いていった。僕もすばやく水着を準備
して走り出した。別にアヤちゃんの水着が見たいわけじゃないけど。



「位置について、…よーい、スタート!」
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく……
 僕は息を止めたままどんどん進む。自慢じゃないが、僕は息継ぎさえしなければクラスで
一番のスピードがだせるのだ。他のやつは早くも息継ぎをして普通に泳ぎ始めている。まだ
��メートルぐらいなのに。根性のない奴らめ。
 ぶくぶく……
 10メートル経過。まだまだいけるぜ。きょうのおれは!
 ぶく…
 15メートル付近。さすがにつらくなり息継ぎ。同時にチラッと後ろを見ると、はるか後
方に他のやつらの水泳帽が見えた。ふっ、勝ったぜ。後は残りの10メートルを泳ぎきるだ
けだ。
 ざばっざばっざばっ………
 ぱしっ!
 僕は手を懸命に伸ばして、壁にタッチした。すぐさま後ろを振り返る。
 あれっ…だれもいない…
 プールサイドを見ると、僕以外の奴はすでに泳ぎ終わって、休んでいた。
「なんで?」
「なんでじゃないわよ。あんたが一番、ドベなだけよ」
 アヤちゃんが僕の疑問に答えた。僕は首をかしげながらプールからあがった。
「15メートルぐらいまでは不気味なほど速かったけどね。それからあとは、まるっきりダ
メね」
「何がダメ? 教えてよ。」
 僕は疑問があると、解決せずにはいられないのだ。そのためならどんなことだってしてや
る。
「お礼は?」
「へ?」
「へじゃないわよ。教えてあげたら、どんなお礼してくれるの?」
「僕にできることなら、なんでも。ただしひとつだけ」
 僕は間髪をいれずに答えた。ここで変な間を入れたら相手はいろいろ考えるから、すぐ答
えるほうが都合のいいことが多いのだ。(アヤちゃんに対してはだけど…)
「ふーん、イマイチしんじられないけど・・・ま、いいわ。約束ね」
「約束する」
「じゃあ教えてあげる。まず、最初にフォームが悪い。腕はまっすぐ伸ばすほうがいいんだ
けど、水をかくときぐらい曲げたほうがいいんじゃない? それから、息継ぎの時間が長い
わよ。何であんなに吸い込むのかな、何分ももぐるわけじゃないのに。そして足はなぜバタ
足じゃないのよ。普通は自然にバタ足を使うと思うけど」
 ほほう、聞けば聞くほど何でダメなのか納得できる。しかし僕は今までどうやって泳いで
たんだろ。
「あ、もう1個大切なこと忘れてた」
「何?どんな小さなことでもいいよ。教えて」
 ここまできたら全部言ってもらおう。そのほうがすっきりする。すると、アヤちゃんは僕
を指差し、
「それはね・・・・・・・・・顔よ!」
「なんでやねん!!」
 ぷにっ
 僕は間髪をいれずつっこんだ。ツッコミにはすばやさが必要だ。でもおかしいな、いつも
ならビシッて音なのに・・・。不思議に思い、アヤちゃんのほうを見ると、なんと僕の手が
アヤちゃんの胸を・・・
「な、何すんのよっ!!!このすけべっ!!!」
 どげしっ
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく・・・
 視界がゆがんで、たくさんの泡が僕の口から出て行った…。



 気が付いたら、僕は白いベッドに寝ていた。まわりはとても静かだった。時計の秒針が動
く音が聴こえる。
 状況を分析する。どうやら、アヤちゃんのすごいまわしゲリが僕に炸裂した・・・らしい。
腰がひどく痛い。その後、プールに落ちたようだ。鼻の奥がつーんとする。
 僕が腰をさすっていると、部屋の扉がガラッと開いて先生が入ってきた。
「あ、ようやく気が付いたみたいね。大丈夫かな?」
「ちょっと腰が・・・」
 ずきずきするんですけど。
「ああ、すごい蹴りをもらったみたいね。あなたを連れてきた男の子が言ってたわ。『あん
な蹴りを見たのは初めてだ。初めて女の子のハダカを見たときみたいに感動した』って」
 僕は苦笑するしかなかった。かっこ悪い以外の何者でもない。
「先生、まだ腰が痛いんです。シップか何かありませんか。」
「分かってる、ちゃんと用意してあるわよ。ただ、これを貼るには、あなたが水着を脱ぐ必
要があるんだけど・・・。」
 先生はそう言って、冷蔵庫からシップを取り出した。
「何で先に貼ってくれなかったんですか?」
 僕は素朴な疑問を口にした。寝てるときに貼ってもいいと思うけど。すると、先生は顔を
赤らめて言った。
「君は、わたしが寝てる男の人の服を勝手に脱がす女だと思うのかな」
「・・・思いませんけど、でもなんか違いません?」
「わたしにとっては重要な問題なの!」
 僕は、少し怒ったように言う先生からシップを受け取り、腰に貼った。冷たくて気持ちよ
かった。
「まあ、若いんだからすぐ元気になるわよ。まだ授業は半分ぐらい残ってるけど、ゆっくり
寝てなさい。先生には連絡しておくから」
 そう言うと、先生は保健室から出て行った。何でも今日はケガ人や病人が多いらしい。人
気アイドルはツライわね、なんて言ってた。僕はあえてその言葉にチェックを入れなかった。
それが男とゆうものだ。
 しかし、困ったことになった。このままではユウちゃんとの約束が守れない。とにかく立っ
てみよう。
 ぐきっ
「!!!!!」
 僕は声にならない悲鳴をあげた。無理をすれば立てないこともないと思うが、それにして
も痛い。すでに事故から30分は経過したはずだが、これでも回復しているのだろうか?
 僕は立つことをあきらめて、おとなしく寝ることにした。先生の言葉とシップの効力を信
じて・・・



 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムの音で目が覚めた。どうやら横になっているだけのつもりだったが、眠ってしまっ
たらしい。
 時計から察するに、今のチャイムは3時間目の終わりのチャイムのようだ。平日なら10
分の休み時間の後、4時間目が始まるんだけど、今日は土曜日なのでこれから掃除の時間だ。
 無理すれば起きられないこともないけど、ここは病人の特権ということで寝ていよう。誰
かに起こされたら今起きた振りをしよう。先生をいない事だし。
 そう思っていたら、扉の開く音と共に何人か入ってきた。どうやら保健室の掃除当番らし
い。寝たふりしなきゃ!
「あーあ。今日でようやくこの保健室の掃除とオサラバできるよ」
「あーあ。今日でようやくアンタのぼやきとオサラバできるわ」
 女の子が皮肉で返事した。毎日ぼやきを聞かされていたようだ。
「だってさ、このだだっ広い部屋はさ、普通の教室の2.5倍は広いよ。不公平だと思わな
いの?」
「しょうがないじゃない、くじびきで決まったんだから。そりゃあね、広いとは思うけど」
 ぶつぶつ文句を言いながら、掃除をしてるみたいだ。床をホウキで掃く音が段々近づいて
きた。
「それにさ、今日はアヤちゃんがいないし」ぶつぶつ。
「そういえばいないね、どうしたの?」
「アヤちゃんが先生に言ってるの聞いたんだ。『今日は保健室の方角はタロット占いでも風
水学的にもよくないとでていますので、教室の掃除を手伝います』てさ」ぶつぶつ。
「それで? 先生なんて言ったの」
「わかるでしょ。先生に占いの話をしたら100%信じるって」ぶつぶつ。
「ああ、先生の今の彼氏は占いで見つかったって言ってた。」
 なんでも、手相を占ってもらっていた所に、昔先生が憧れていた男が客として来たらしい。
偶然の再会に加えて、お互い占い好きという新事実が2人の距離を縮めた、というようなこ
とを朝のホームルームで言ってたのは、つい2週間前のことだ。さすがアヤちゃん、先生の
心理をついたいい作戦だ。
「まあ、先生のOKがあるからさ、しょうがないけどさ、でも…」ぶつぶつ。
「さっきからぶつぶつうるさいっ!! あんな事件の犯人なんだし、ここに近づきたくないの
も分かるでしょ。わたしだって顔合わせづらいと思うよ?すごかったもん、あのキック」
「そりゃ、あんなことしちゃあね、納得」
 それから、二人はさっさと掃除を終えて保健室を出て行った。ぶつぶつ言いながらだから、
掃除は適当だったようだ。僕が寝てるベッドまで来ていない。気づかれなかったのか、見て
見ぬふりをしたのかはよくわかんなかったけど。



 それから少し経って、またガラガラと扉の音がした。誰か来たみたいだ。寝たふり寝たふ
り。
 入ってきた人は、静かに歩いて、仕切りのカーテンを開けた。雰囲気から察するに先生だ
ろうか。
「寝てる…のか」
 その人は呟いた。それから近くに椅子に腰掛けたみたいだ。どうしよう、長居するつもり
なんだろうか? 起きたほうがいいのかな、寝てたほうがいいのかな。
「やっぱりあたしのせいかな・・」
 このセリフから、ここにいるのが誰だか分かった。アヤちゃんだ!寝たふりモード継続!!
「寝ててよかった。でも起きててくれたほうがもっとよかったかな…」
 アヤちゃんはひとり言を言っているようだ。ささやくような小さい声で。
「顔見た瞬間にあやまろうって決めてたのに。タイミング…悪かったみたい。」
 そう言うとアヤちゃんは立ち上がった。音と気配でなんとなくだけどわかる。
 足音が遠ざかってゆく。しばらくして水を汲んでいる音が聞こえてきた。何するつもりだ
ろ。
 僕は寝たふりを続けた。今起きていることを悟られちゃダメだ。ひとり言だから言える事っ
てあると思うし、なんか盗み聞きするみたいでイヤだけど、それでも聞いてみたい気持ちの
ほうが強かった。
 アヤちゃんは洗面器に水を入れて持ってきたみたいだ。タオルを水でしめらせて、僕の頭
にのせてくれた。ひんやりとして気持ちいい。
「悪かったとは…思わないけど。ちょっとやりすぎたかなって思ってるんだよ?」
 しばらくしてからアヤちゃんは呟いた。
「ケンカなんてしたくないから。すぐあやまろうって、思ったんだけど…。すぐここに来て
れば、それが出来たのかもしれないけど。あのときは…あたしもびっくりしちゃって、あの
後ずっと顔がまっかっかだったんだよ」
 アヤちゃんの気持ちが伝わってくる。うそのない本当の気持ち。面と向かって言われたら、
こんなふうには思えなかったかもしれない。だけど、今の寝たふりの僕にはすごくはっきり
と伝わった。うれしかった。じわーっと伝わってくる気持ち。あったかい、とってもしあわ
せな気持ちになれた。
「また、後でね…」
 そう言って、アヤちゃんは部屋を出て行った。僕はアヤちゃんが出て行くのを薄目で確認
してから、ようやく起き上がった。時計を見ると、もうすぐ昼の12時になろうとしていた。
ふと気づくと、腰の痛みはなくなっていた。



 戻ってきた保健の先生にお礼を言って、僕は教室に戻った。教室には担任の先生と、何人
かの生徒がいるだけだった。帰りの連絡会はもう終わったようだ。
「お、やっと戻ったか。どうだ、具合は?」
「ぐっすり寝たおかげでよくなりました」
 僕を見つけた先生が声をかけてきた。僕は事実のみを簡単に答えた。あの不思議な感覚は
説明してもわかんないと思うし、説明するとあの気持ちが薄れちゃいそうだったから。
「そうか、よかったな。…まあ若いうちはいろいろあるもんだ。自分は間違ってないと思う
こともあるだろう。事実そうだとしてもだ。そう考える前にちょっとだけ相手のことを考え
ることが大切だと先生は思う。わかるかな?」
 先生はやさしい目をしていた。先生もいろいろあったんだろうか。
「はい。…僕も、そう思います。でも先生もまだ若いですよね。それってもしかして体験談
ですか?」
 そう聞くと、先生はニヤリと笑い、
「…ま、な。」
 とだけ答えた。少し都合が悪いらしい。僕は深く追求するのをやめておいた。先生に敬意
を表して。
「じゃ、僕帰ります。先生さようなら。」
 先生に挨拶をして教室を出た。早くしないと昼御飯の時間がなくなっちゃうからだ。
「ああ、そうだ。伝言があったんだ。『悪いけど、先に帰るね』だそうだ。」
 先生が窓から顔だけを出してそう言った。
「どういうことですか?」
「言葉どおりの意味だが?」
 僕の問いに先生は、こいつ何言ってやがんだ、というような表情で答えた。僕も答えはお
よそ見当がついたが、あえて先生に聞いてみた。
「誰からの伝言ですか」
「教えない。教えたらつまんないだろ。それに・・・」
 先生はニヤリと笑い、こう言った。
「お前はわかってるんだろ。わかってるやつにわかってることを言うのはそいつに対して失
礼だからな。」
 僕は何も言わずただ、ニヤリと笑いその場を後にした。
 校舎から出ると、空は青一色の素晴らしくいい天気だった。僕は息を目いっぱい吸い込ん
で家に向かって走り出した。ちょうど12時のサイレンが鳴り始めていた。



 家に着いてからすぐ昼飯の準備をした。土曜の昼はラーメンと決まっているので時間がか
からなくていい。小さい頃からそうなので、すでにラーメン作りの腕前は大人顔負けである。
��ただし、インスタントラーメンのみ。カップラーメンは不可。腕のふるいようがないゆえ。)
 お湯を沸かしている間に、冷蔵庫からねぎを取り出し刻み始める。僕は長ねぎは嫌いなの
だが、ラーメンに入っているねぎは食べられるので、ラーメンのときはたっぷり食べるよう
にしている。
 ボウルに半分ぐらいになった所で、切るのをストップ。
 次に、お鍋に水を入れてお湯を沸かす。水は多めに入れておく。
 お湯が沸いたところで、ボウルのねぎを半分お湯に入れる。
 しばらくしてから、めんを入れる。めんがほぐれる間に、フライパンで残りのねぎを炒め
る。少量のゴマ油で炒めるのがポイント。
 めんがほぐれたら、スープの素を入れ煮込む。コトコト。
 最後に、10秒ぐらい最大火力で煮込む。どんぶりに盛り付け、炒めたねぎをのせて完成。
 僕特製、ゴマねぎラーメン。名前だけ聞くとゴマとねぎの入ったラーメンみたいだけど、
実際はねぎの入っただけのラーメンだけである。食べた人にだけタイトルが納得できる秘密
主義な奴である。
 僕は念入りに手を洗ってから割り箸を取った。やっぱりラーメンは割り箸で食すものだと
思う。
 まずはラーメンを一口。ちゅるるるっ。僕はスープではなく、めんから食べる派なのだ。
今日の出来は・・・まあまあだ。ねぎの香ばしい香りが食欲をそそる。ゴマ油のからみ具合
も中々の出来栄えである。
 僕は、ちゅるるるっ、ごくごく、ちゅるるるっ、ごくごく、と繰り返し、10分ほどで完
食した。満腹満腹。
 時計を見ると、12時30分ちょうどだった。約束の時間にはまだ早い。僕はどんぶりを
手早く洗って、部屋へ向かった。秘密道具を押入れの奥の奥から取り出す。これを忘れちゃ
始まらない。カバンにしっかりつめこんでこれで準備万端。
 まだ時間はあるので、腰の調子を完全にするため、少し横になることにした。目を閉じて
深呼吸する。あたたかい何かが腰を中心として体全体に広がっていった。体が軽くなって、
ふわーっと浮かんでいるような気分だった。



 その日は朝から暑い日で、テレビのニュースでは最高気温は35℃になると言っていた。
僕は『家』の前にいた。時間は昼の1時30分。僕は・・・1人で立っていた。やっぱり、
ユウちゃんは来ていない。当たり前かもしれない。きちんと約束したわけじゃないから。あ
の日から1週間が経っているのだから。



 あの日、僕は見事に寝てしまった。少しだけのつもりが気が付いたら2時を過ぎていた。
大慌てでカバンを持って公園までダッシュした。息を切らせて走った。
 公園には5分ぐらいで着いたけど、ユウちゃんの姿はそこにはなかった。
 砂場で遊んでいた子達がいたので、ユウちゃんのことを聞いたけど知らないみたいだった。
 僕は先に行っちゃったのかと思って、『家』まで行ってみた。だけどそこにもユウちゃん
はいなかった。かわりに、門のところに看板がかけられていた。関係者以外立入禁止。朝見
たときにはなかった看板だ。こんな看板があったらユウちゃんも入ってないだろう。
 そう考えて、他にユウちゃんが行きそうな所を探してみた。
 結果は・・・ダメだった。僕はどうしようもなかったので、最後にユウちゃんの家まで行っ
てみた。ユウちゃんの家には誰もいないようだった。呼び鈴を押しても音が寂しく鳴り響く
ばかりだった。
 僕は疲れきった体を引きずって家に帰った。ユウちゃんに会えなかった僕の足はひどく重
いような気がした。
 家の前には見覚えのある人影。・・・アヤちゃんだった。アヤちゃんは家の前をうろうろ
しながら様子をうかがっているようだった。近づいていくとアヤちゃんは僕に気づいて、気
まずそうな顔をした。
「どうしたの?」
「話が・・・あるの」
 そう言ってアヤちゃんはうつむいていた顔を上げた。今の今までいろいろ考えていたけど、
何かを吹っ切ったような顔だった。
 僕はアヤちゃんに部屋に上がってもらった。しっかり腰を落ち着けて聞こうと思ったから。
それだけアヤちゃんの顔が真剣だったから。
 ジュースに入れた氷が溶けきるぐらいの時間が経って、アヤちゃんはようやく口を開いた。
「・・・ごめんなさい。あたしが悪かったです。・・・本当にごめんなさい」
 僕はこんなにアヤちゃんがしおらしくしているのを見てびっくりした。と同時に、素直に
謝ってくれる気持ちがうれしかった。
「ありがとう。・・・僕も悪かった。何を言っても言い訳になるかもしれないけど、あれは
・・・わざとじゃないんだ。本当に、こっちこそごめん」
 僕は今の正直な気持ちを伝えた。どっちが悪いとかそういうのじゃない。簡単な言葉でい
えば、あれは不幸な事故だったってことになる。どっちも悪くないともいえるし、悪いとも
いえる。だけど、問題はそういうことじゃなくて、僕がアヤちゃんに悪いと思ったこと。ア
ヤちゃんが僕に悪いと思ったこと。そしてその気持ちをお互いが相手に伝えようと思ったこ
と。そのことが大事なんだと思う。
 僕が言ったことばを聞いて、アヤちゃんはにっこり笑った。いつもの笑顔で笑った。
「・・・こうやって、いつも素直だとうれしいんだけどな」
「・・・それはあたしのセリフなんじゃないの?」
 アヤちゃんはすっかりいつものアヤちゃんに戻っていた。もうちょっとぐらい、しおらし
いままでもいいと思うんだけど、な。



 あの日から僕はユウちゃんに会っていない。ユウちゃんの家はずっと留守にしている。連
絡の取り様がなかった。僕はユウちゃんを待ちつづけるつもりだ。1人で『家』を探検でき
ないわけじゃないけど。2人でという約束だったから、今度こそその約束を守りたい。
 そうして立っていると誰かが背中をつついた。
「こんにちは。何してんの?」
「・・・アヤちゃん、どうしたの?」
 僕はバカみたいに質問を返してしまった。案の定、
「あたしは、こ・ん・に・ち・はっていったんだけど」
 アヤちゃんはいつも通りに言ってきた。
「・・・こんにちは」
 いつものやり取りが繰り返される。僕もなかなか進歩しないもんだ。
「・・・約束だから」
 僕はアヤちゃんの質問に答えた。これしか答え様がなかったし、答える必要もなかったか
ら。
「そう。わかった。じゃあ、明日は・・・暇?」
「まあ、暇だけど」
 僕はその答えしか思いつかなかった。
「明日の2時にあたしの家に迎えに来て。一緒に図書館に行こう」
「え・・・」
「じゃ、約束したからね。忘れちゃだめだよ?」
 そういってアヤちゃんは歩いていった。あまりにも唐突で一方的だった。だけど、ちょっ
とうれしい。アヤちゃんが僕のことを思って言ってくれたのがわかったから。
 僕は約束を守ることの大切さを学んだ、ような気がした。ユウちゃんに会ったらきちんと
謝ろう。そうしよう。僕はアヤちゃんとの約束を心に刻んだ。忘れないように。
 空は雲ひとつなく、澄み切っていた。陽射しは強かったけど、ときどき吹いてくる涼しい
風が僕を包んでくれているようだった。