2008/01/20

(ぷちSS)「エリスちゃん、東奔西走」(Canvas2)(鳳仙 エリス)



「まったくもう、どうして上倉先生は部活に顔を出してくださらないんでしょう……」
 撫子学園美術部部長になってからというもの、麻巳は心休まる時がない。
 その呟きは、隣にいたエリスの耳にも聞こえていた。
「まかせてください、竹内部長!」
 勢いよく立ち上がって、麻巳に向かってエリスは宣言する。
「従妹の私が責任を持って、お兄ちゃんを連れてきますから」
「えっ……でも鳳仙さん、心当たりあるの?」
「だーいじょうぶですって。お兄ちゃんのことなら、未来の妻の私におまかせです♪」
 と言うと、エリスはダッシュで美術室を飛び出した。



「お兄ちゃんが行くところには、心当たりがあるんだから……」
 と呟きながら廊下をひた走り、目的地に辿りついたエリスは、勢いよく扉を開け放った。
「霧さん、お兄ちゃんを返してください!」
 エリスの声が体育館中に響き渡る。合唱部員も顔負けの声量だ。エリスの声に驚いて、
体育館は一瞬静かになったが、すぐに別の大きな声が聞こえてきた。
「こ、こらー! 人聞きの悪いこと言わないでよ、エリスちゃん!!」
 霧の声が静寂を打ち消して、体育館は元に戻った。
「だってー、お兄ちゃんが行くところって言ったら、まずは霧さんのところじゃないです
か~」
 恨みがましく霧を見つめるエリス。
「なんでそう思うのかしらね、まったく。とにかく、今日は浩……じゃなくて上倉先生は
来てないわよ、鳳仙さん」
 元に戻ったとは言っても、注目の的には変わりないわけで、霧は内心の動揺を抑えて、
エリスに答える。
「わかりました。どうもお騒がせしました、桔梗先生」
 さすがのエリスもマズイと思ったのだろう、霧と体育館の皆に深々と会釈すると、静か
に体育館を出て行った。
「……ったく、あいつはどこで油を売ってるんだか」
 静かに走り去っていくエリスを見つめながら、霧は小さく溜息をついた。



「体育館にいないってことは、美咲先輩のところかな?」
 エリスは軽快に階段を二段飛ばしで上っていく。運動部も真っ青の体力だ。
 屋上につながる扉を開けると、途端に太陽の光が差し込んできて、思わず手で目を覆う。
しばらくするとようやく明るさに慣れてきて、エリスの目に最初に映ったのは、涼やかに、
伸びやかに、心の底から楽しそうに歌っているひとりの少女の姿だった。
『撫子の歌姫』という二つ名で呼ばれている少女は、エリスに気付くとふわりと微笑んだ。
「どうしたんですか、鳳仙さん」
「あ……えっと、なんだったっけ? あ、そうそう、お兄ちゃんですけど、こちらに来ま
せんでしたか」
 菫に見とれていたエリスだったが、すぐに目的を思い出したようだ。
「上倉先生ですか、いえ、今日はこちらには来ていないと思いますけど」
「そうですか……、もうっ、どこに行ったんだろう」
 エリスは菫に会釈をすると、すぐに屋上を出て行った。
「しかたない先生ですね、上倉先生は」
 エリスの苦労を思うと、不謹慎ながら少し笑みがこぼれる菫だった。



「じゃあじゃあ、次は萩野先輩?」
 さすがのエリスも図書館に入るときは、騒々しくしないように気をつけて、扉を開いた。
 いつもは騒がしい可奈だが、仕事中は真剣な表情だ。そんな普段とは違う可奈に驚いた
エリスだが、自分の使命を思い出す。
「センセー? 今日は一度も見てないなあ~。ああ見えて、けっこうモテるからね~」
 のんきな返事の可奈だが、エリスはそれどころではない。
「ありがとうございました、萩野先輩! 失礼しますっ」
 ここが図書館だということも忘れて、エリスは大きな声で可奈に挨拶すると、次の瞬間
には走り出していた。
「あらら、行っちゃった……。ホント、罪な男だなー、センセーは」
 元気に走るエリスを羨ましく思いながら、可奈は締め切りが近い原稿を進めるのだった。



「もう~、いったいどこにいるんだろ」
 大きなことを言って出てきた手前、今さらおめおめと部室には戻れない。
「お兄ちゃんの……馬鹿」
 小さく悪態をつきながら廊下を走っていたエリスは、曲がり角から出てきた生徒に気が
つくのが遅れた。
 どすん
 相手が尻餅をつく音で、やっと気付くエリス。
「ごっ、ごめんなさい! 大丈夫……って朋子ちゃん?」
「もう~、どこ見て歩いてるのよ、エリスちゃん」
 倒れたのは親友の藤浪朋子で、エリスを見上げながら呆れたようにぼやいた。
「ごめんね、お兄ちゃんを探すことに気を取られてて……」
 朋子に手を貸しながら、事情を説明するエリス。すると、意外な情報が朋子の口から出
てきた。
「あいつなら、理事長先生と一緒に武道場に入っていくのが見えたけど」
「えっ、それほんと?」
「うん」
「ありがとっ、やっぱり持つべきものは親友だね!」
 ぎゅうっとエリスは朋子を抱きしめる。
「ちょ、ちょっとっ、エリスちゃん?」
 エリスらしい愛情表現だが、嬉しさ半分、恥ずかしさ半分で、朋子の顔は真っ赤になる。
「じゃあ、私、お兄ちゃんを捕まえにいくから。ほんとにありがとっ」
 元気に走っていくエリスを見ながら、朋子は呟いた。
「ほんとに、エリスちゃんはまっすぐなんだから」



 武道場に辿りついたエリスは、そっと中を覗く。すると、理事長代理の横顔を見つめて
いる浩樹の姿が目に入った。
「お兄ちゃん……みつけた」
 エリスは武道場に音も立てずに入ると、浩樹の頬を力いっぱいつねり挙げた。
「なんで、こんなところで油売ってるかな、お・に・い・ちゃ・ん?」
「ひたいひたい! はなへー!!」
 浩樹の叫びが武道場に響いた。



「ったく、いきなり力いっぱいつねりやがって……ちっとは話をさせろっての」
「だって……お兄ちゃんが理事長先生を見つめてるから」
 部活をサボったからじゃないのか、と浩樹は思ったが、わざわざ藪をつつくこともない
ので黙っておく。
「まあ、部室に行かなかったのは悪かったと思うが、俺だってただサボろうと思ってここ
に来たわけじゃないぞ」
「じ~……」
 疑いのまなざしで浩樹を見つめるエリス。そこへ、おだやかな声がかけられた。
「ほんとうですのよ、鳳仙さん」
 ふわり、と微笑む紗綾。
「上倉先生は、長刀部の練習風景を描いてみたい、ということで見学に来てくださったの
ですから」
「……どういうこと、お兄ちゃん?」
 本当は当日に話してびっくりさせるつもりだったんだがな、と前置きしてから、浩樹は
語りだした。
「いつも部室で静物画ばかりだろ。たまには違うモチーフを描いてみるのも、いい刺激に
なるはずだ。それで、いろいろな部活を見て回って、最終的に長刀部が一番いいかと思っ
てな。それで、見学させてもらっていたんだよ」
「そうだったんだ~♪」
「って、お前いきなり機嫌直ってるな……」
「だって、長刀部の皆さんを描かせてもらえるんでしょう? 私は長刀のことはよくわか
らないけど、型って言うんだっけ、すごくきれいだって思った。だから、この姿をキャン
バスに描くことができると思うと、嬉しくなっちゃって」
 きらきらと目を輝かせるエリス。
「ふふふ、ここまで褒めていただいては、私どもとしましても断るわけにはいきませんわ。
皆さん、よろしいですか?」
「はい!」
 紗綾の言葉に、長刀部の皆の声が答えた。



「ふう、エリスのおかげで助かったな」
「え、私は何もしてないよ?」
 美術部部室への帰り道、エリスは上機嫌だ。
「楽しみだな~、ねえ、いつにするの?」
「それは長刀部の都合にもよると思うけど、来週ぐらいがいいんじゃないか」
「そっか、じゃあ、お兄ちゃんはそれまでにケガを治しておいてね♪」
「? ケガってなんのことだ、エリス」
 と言いながら部室の扉を開けると、そこにはイーゼルを構えた麻巳がにこやかに微笑を
浮かべながら仁王立ちしていた。



 おわり



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