2008/10/04

「母と娘」(FORTUNE ARTERIAL)(悠木 陽菜)



業務報告~。
SS「母と娘」を追加しました。
「FORTUNE ARTERIAL」のヒロイン、悠木 陽菜のSSです。
上のリンクからでも下のリンクからでも、お好きなほうからどうぞです~。
上はいつものhtmlで、下ははてな仕様になります。





「母と娘」(FORTUNE ARTERIAL)(悠木 陽菜)



 八月もあと数日で終わろうというある日。
 陽菜は炎天下の中を学院に向かって歩いていた。
 買い物を終えての帰りなのだろう、肩にかけられたバッグはいろいろな
荷物でいっぱいになっている。
「これで、新学期になってもしばらくは安心かな。千堂さんに教えて
もらったアロマオイルも、ちゃんと買えたし」
 バッグの中には、ローズマリーのアロマオイルが入っている。
 記憶、集中を高める効果があるので、勉強の役に立つ……というのは、
表向きの理由だ。
「もう、大切なことは忘れたくないの……」
 戻ってきた記憶はあっても、一度喪失したという事実は記憶から消える
ことは無くて、それが陽菜の行動に、すごく小さくではあったが影響を
与えていた。



 修智館学院の正門が見えてきた。海岸通りからはそれほど時間がかかる
わけではないが、陽菜の額には、うっすらと汗がにじんでいる。
「部屋に戻ったら、シャワーを浴びたいな」
 女の子らしいセリフを呟きながら歩いていくと、正門の前に、見覚えの
ある人が立っていた。いや、あれは立っていると言うよりは身を隠している
つもりなのだろう、多分。
 門柱の影に身を隠しながら、学院の中を覗きこむようにしている。
 正門からでは、中の様子は全くわからないはずだが……。
 不思議に思った陽菜は声をかけることにした。
「こんにちは。千堂さんのお母さん」
 びくっと反応した伽耶が振り向く。
「……確か、瑛里華の友人、であったか」
 見知った顔だったからか、安堵の溜息をつく伽耶。
「はい。悠木、陽菜と言います」
 陽菜は笑顔で自己紹介をした。
「どうしたんですか、こんなところで」
 陽菜の率直な質問に、渋りながら伽耶が答えた内容を一言でまとめると、
「娘の瑛里華の様子を見に来た」らしい。
「勘違いするでないぞ。別に、最近あまり家に来ないから寂しいとか、
心配しているとかではないからな!」
 口調も荒々しく伽耶は言い放つが、それが照れ隠しであることは、
言葉の内容からも、紅くなった頬からも明らかだった。



「どうぞ、上がってください。すぐに冷たいものを用意しますから」
 正門の前で立ち話というのも悪くは無いが、あまり他の生徒に見られるのも
好ましくはないだろうと思った陽菜は、伽耶を白鳳寮の自室へと誘った。
 なかなか首を振らない伽耶だったが、陽菜の熱心な誘いに根負けしたのか、
おとなしくついて来た。
 まだ夏休み中なので、学生の数は少ない。もちろん、帰省していない生徒も
それなりに寮には残っているが、夏の太陽が照りつける往来を出歩く学生は
少数派だろう。
 その証拠に、寮の中では学生の姿がちらほら見える。だが、伽耶にとっては
見られたくないのは、自分の家族を中心とした一握りの人間だけだ。
 そう思った陽菜は、伽耶を自室へ招待したというわけだ。
 陽菜は荷物を手早く片付けて、冷蔵庫から冷やしてあるコップを取り出し、
お茶を注ぐ。
「ほほう、なかなかの手際ではないか」
「ありがとうございます。寮ではお料理ができないので、お手軽にできる
お茶会をみんなでやっているんですけど、そのおかげでしょうか」
 笑顔でコップを伽耶の前に置く陽菜。
「茶会か……、征一郎に聞いたことがあるな。瑛里華も参加しておるらしいが」
「はい。千堂さ……瑛里華さんに、白ちゃん、私の姉と孝平くん。それから
八幡平くんに私を含めた六人がメインメンバーですね。最近は時々、紅瀬さんも
参加してくれてます」
 桐葉は、必ずと言っていいほどかなでに無理矢理連れてこられているが、
本当に嫌そうではないから、この紹介でも問題はないだろう。
「そうか。……瑛里華は楽しくやっておるようだな」
 伽耶はわずかに微笑むと、目の前に置かれたお茶に手を伸ばした。



「でも、せっかくいらっしゃったんですし、瑛里華さんに会って行かれては?」
 雑談のタネがとぎれたところで、伽耶に提案してみる陽菜。
「いや……、無理に会う必要もなかろう。今日限りで別れるわけでもないの
だからな」
 口ではそう言う伽耶だったが、表情はどこか寂しげだ。
「でも……」
「他人のそなたには関係あるまい。これは、我ら『家族』の問題だ」
 ……。
 そう言われては返す言葉も無いだろうと伽耶は思った。だが。
「そうですね。確かに関係はないかもしれません。でも、『もしも』の
ことが起こったら、後悔するのは……千堂さんのお母さんなんですよ」
 思いがけず反論を言ってきた陽菜に驚いた伽耶は、陽菜の顔を見て、
さらに驚いた。
「……そなた、なぜ泣いておるのだ……」
 陽菜の目からは涙が零れ落ちていた。



 私の母は、私が小さい頃に亡くなりました―――。
 静かに語る陽菜に、伽耶は圧倒されていた。
 小さい頃に母を亡くした。
 その原因の一端が、病弱だった自分にあったのではないかという事。
 姉との喧嘩。そして仲直り。
 幼い頃に無くした記憶。当時、好きだった男の子の事を覚えていない自分。
「どれだけ大切にしていても、あっという間に無くなってしまうかも
しれないんです」
 今までの辛い経験があるからこそ、陽菜は大切な人と一緒にいたいと強く思う。



 陽菜の話を聞きながら、伽耶は考えていた。
 自分は今まで『吸血鬼』として、やりたい放題やってきた。
 子どもたちのためと言いながら、それは自分の欲を満たすためだけの行為で
しかなく、それに気づくこともできなかった。
 諌めてくれる人は自らの手で遠ざけ、退屈な毎日。
 しかし、些細な変化が大きな変化を生んで、誰のきまぐれか、『家族』と
してやり直す道が開かれた。
 ありがたい。幸せなことだ。だが、それを受け入れてしまっていいのか。
 今までの行いを、まずは償わなければならないのではないのか。
「あたしは、どうしたら、いいのだろうな……」



 伽耶の呟きに、陽菜は答えを返した。
「幸せに、なっていいんですよ」



 無くしたものでも、何かのきっかけで戻ってくることがある。
 無くした記憶は、大切な友人と共に戻ってきた。
 好きだった男の子は、転校生として戻ってきた。
 大事なのは、二度と無くさない事。



「桐葉も……そばにいてくれたな」
 遠ざけたはずの親友は、何も言わずにそばにいてくれた。
 嫌っていたはずの息子と娘も、『家族』になってくれた。
 大事なのは、間違いを繰り返さない事。



「お茶、おかわりいれますね?」
 沈黙を破ったのは、陽菜のひとこと。
「ああ、もらうとしようか」
 それに答える伽耶。
 ふたりは、顔を見合わせて笑った。



「しかし、このまま会いに行くというのも、芸が無いとは思わぬか?」
 瑛里華に会っていく事を決めた伽耶だったが、素直に会いに行くのは
気恥ずかしいらしいと見える。
 夏だというのに、いつもの派手な着物。本人は暑くないと言っているが、
実際はどうなのだろう。それに、人目を嫌でも引いてしまうのは事実である。
「そうだ、お姉ちゃんにお願いしてみます。きっと、瑛里華さんをびっくり
させてくれることを思いついてくれるはずですから」
 陽菜は、最愛の姉に電話をかけることにした。






 三十分後、陽菜と伽耶の二人は、監督生室の扉の前に立っていた。
「いいですか、千堂さんのお母さん」
「ちょ、ちょっと待て。気持ちを落ち着けねば……先ほどから、足元が
すーすーして、妙な気分なのだ」
 瑛里華たちには見せられないほど、緊張している伽耶。
「大丈夫です。よくお似合いですよ」
「そうか。陽菜がそう言うのであれば、そうなのだろう」
 深呼吸と陽菜の言葉が、伽耶にいつもの調子を取り戻させる。
「あー、それと、あたしのことは、伽耶と呼ぶがよい」
「……いいんですか?」
「構わぬ。千堂さんのお母さん、というのはどうもまどろっこしいしな」
 微笑みあった後、陽菜は扉の前で拳を握った。
「それでは、行きますよ、伽耶さん」
「ああ。任せたぞ、陽菜」



 こんこん
「はーい、ちょっとお待ちください」
 孝平の声が聞こえ、扉がゆっくりと開かれた。
「陽菜じゃないか。どうしたんだ?」
「うん、陣中見舞いってところかな。そうですよね?」
 後半の台詞は孝平に向けられたものではなく。声をかけられた当人は、
うむと頷くと、監督生室に足を踏み入れた。
「悠木さん? ……え、えええっ???」
 瑛里華は突然の闖入者に目を丸くしている。
「なんだ、親の顔を忘れたのか? 薄情な娘もいたものだな」
「かかか、母様!?」
「ふむ、どうやらちゃんと仕事をしているようだな。支倉と昼間から
睦み合っているのではないかと心配しておったのだが」
「そんなことするわけないでしょ!」
 瑛里華の大きな声が、監督生室に響いた。



「はい、千堂さん」
「あ、ありがと」
「孝平くんも」
「あ、ああ」
「伽耶さん、どうぞ」
「すまぬな。……うむ、やはり陽菜のいれたお茶は美味いな」
「ありがとうございます♪」
 ちょうど時計の針が三時になろうとしていたので、休憩しようという
ことになり、陽菜がお茶を淹れた。
「あの、質問してもいいかしら、母様」
 お茶をぐいっと一口飲むと、瑛里華がそう切り出した。
「なんだ?」
「いつの間に、その……悠木さんとそんなに仲良くなったのかしら」
 おずおずと問いかける瑛里華。
「二、三時間ほど前……だったか、陽菜?」
「そうですね、それぐらいです」
「ついさっきじゃないか……」
 思わず孝平は口に出す。
「時間は問題ではあるまい。大事なのは、得られた関係だぞ、支倉」
「は、はぁ……」
「それじゃあ、どうしてそんな格好をしているの、母様は」
「陽菜の姉のかなでが、学内を歩くならこの服装がいいと言ってな。学院の
制服を貸してくれたのだ。ちんまいわりに、なかなか気の利くやつだ」
 伽耶は着物から学院の制服に着替えていた。かなでの制服のサイズが
ちょうどぴったりだったことは、双方不満があったが、陽菜のフォローで
事なきを得ていたりする。
「悠木先輩の差し金か……」
「このスカートとやらはどうにもすーすーして仕方ないが、暑さを
しのげるという面においては、優れものだな」
 くるくると回る伽耶。翻るスカートからのぞく足が、孝平にはまぶしい。
「目のやり場を考えて欲しいなあ……」
 苦笑するしかない孝平だった。
「じゃあ、これが最後の質問だけど。その髪型は?」
「いや、あたしは元のままでもよいと言ったのだが、陽菜がぜひにと
言うのでな」
 伽耶の髪型は、陽菜の手によって、見事な三つ編みに編まれていた。
さらに、左右一本ずつの三つ編みは、耳の上で輪っかを作っている。
「なんだか、小さい頃に見たアニメのヒロインみたいね……」
 いくつか思い当たるふしはあったが、追求するものでもないだろうと、
瑛里華は忘れることにした。
「可愛くって、とっても似合ってますよ、伽耶さん。孝平くんも、
そう思うよね?」
 陽菜はきれいな髪を編むことが出来たので、いつもよりもにこにこしている。
「……そうですね。普段と違うので、新鮮でいいと思います」
 陽菜の問いかけに、冷や汗を流しながら答える孝平に、
「そ、そうか。支倉はこういうのが好みなのか……」
 なぜか、頬を染めている伽耶だった。



「それでは、そろそろ帰るとするか。邪魔をしたな」
 お茶を飲み干して、伽耶は立ち上がった。
「ううん、そんなことないわ。ありがとう母様。来てくれてうれしかった。
悠木さんも、ありがと」
「いえいえ。それじゃあ千堂さ……」
 急に言葉を止める陽菜。
「どうかした、悠木さん?」
「あのね……これから、千堂さんのこと、えりちゃんって呼んでもいいかな」
「え?」
「だって、お母さんが伽耶さんで、娘さんが千堂さんって言うのも、ね?」
「うーん、この年になって、えりちゃんはちょっと……」
 苦笑する瑛里華。
「じゃあ、えりりんのほうがいいかな」
「……あー、もうっ、わかったわ。えりちゃんでいいわよ。それでいい
でしょ、……陽菜」
「……うんっ!」
 喜びの涙を浮かべて、陽菜は頷いた。
「今は文化祭とやらの仕事で忙しいのだろうが、それが終わったらたまには
家に帰って来い。伊織のやつも連れてな」
 そう言い残して、伽耶は歩いていった。
「じゃあ、またね、えりちゃん。孝平くんも、お仕事がんばって」
 伽耶に続くように、陽菜も出て行った。伽耶の隣に追いつくと、陽菜は
伽耶と並ぶ。
「なんだか、親子みたいね」
 後ろ姿を見ながら、瑛里華が呟く。
「くやしいか?」
「そんなことないわ。……そうね、逆にうれしいわね、娘としては」
 孝平の問いに答える瑛里華の表情は、幸せそうに微笑んでいた。






 おわり



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