2003/04/22

「Happy Birthday!!」(君が望む永遠)



「いよいよ、明日なんだ……」
 明日は3月22日。私の誕生日。迎えるのは実に3年ぶりだったりする。
 3年前の8月27日。私は事故にあった。怪我自体は、それほどひどいものではなかっ
たらしい。
 だけど、私の意識は戻らなかった。3日経っても、1週間経っても、1年経っても・・・・・・。
 あの事故から3年経ったと気づいたときのことは、ほとんど覚えていない。
 ただ目の前が真っ白になったことだけ覚えている。白く白く、何も見えない、聞こえな
い世界に。
 その次に目覚めたときから、私の時間は流れ始めた。まるで、3年間の時間を取り戻す
みたいにすごいスピードで。
 私は大切な人を失っていた。はっきりとそう告げられたわけじゃなかったけど、みんな
の態度とかいろいろなもので気づいた。
 私はこのときに、心の底から「3年経った」ということを実感した。
 それから、いろいろあった。
 病院を退院するときに、香月先生から贈られた言葉を使えば、
「人生って、面白いでしょう」
 という言葉が最も的確な表現だと思う。
 私は大切な人を再び得た代わりに、最も大切な親友を失ったのだから。
 コンコン
 ドアをノックする音だ。
「姉さん、電話だよ。お兄ちゃ……じゃなくて、鳴海さんからー」
「うん。今いくー」
 妹の茜が孝之君から電話があったことを伝えてくれたので、私は部屋を出た。
「もしもし? 遙です。……」



 やわらかな朝の日差しが、目覚し時計の代わりに私を起こしてくれた。
 ん~っと伸びをしてから体を起こす。
 お天気でよかった。今日はいい日になるといいな。
 朝ご飯を食べた後、家を出た。正確には茜に追い出されたの。
「姉さん、いい? お昼までは絶対帰ってきちゃダメだからね。それまでどこかで時間つ
ぶしててね。絶対ぜ~ったい帰ってこないでよ!わかったら早く出る!3、2、1、はい!!」
「わわわっ、ちょっと茜~」
 茜に背中をぐいぐいと押されて、家の外へ出てしまった。いったい何をしようとしてる
んだろう。聞いても絶対教えてくれないんだよね、こういうときは。
 私はせっかくだからのんびり散歩することにした。たまにはいいよね。こんなにいいお
天気だもん。
 商店街のほうへ行ってみようかな。なんとなくそちらのほうへと行ってみることにした。
 いつもはあまりウインドーショッピングしないから、たまにすると新鮮な気がした。
 にこにこしながら歩いてるよね、絶対。なんとなくうれしくなってくるんだよね~。
 ふと気づくと、目の前には本屋さんがあった。私にとってはとても思い出深い本屋さん
だ。
 入ってみることにする。絵本コーナーへと向かう私。ちょっとドキドキしている。
 絵本コーナーの棚を上から下まで順番に見ていく。絵本に限らず、本って読んでみなけ
れば、その良さはわからないと思う。でも、ごくまれに運命の出会いのように、巡りあう
べくして出会う本っていうものもあると思う。
 私にとっては『マヤウルのおくりもの』がそうだった。あの本のおかげで孝之君と仲良
くなれたって思うから。
「あれ? 茜? こんなところで何やってるの?」
「え?」
 突然話し掛けられて振り向いてみると、知らない女の子がいた。
 メガネをかけていて、責任感いっぱいな感じの……例えるなら委員長やってそうな女の
子だ。
「あ、す、すみません!人違いでした」
「あ、気にしなくていいですよ。それより茜って……」
「あ……私の、友だちなんです。さっきあなたを見かけたときにその子だと思って…それ
で声をかけたんです。今はもう留学してるころだと思ってたから」
 ……間違いない。この子は私と妹の茜を間違えたんだ。でも、どうしてだろう?
「ひとつ聞いてもいいですか? 私とその友だちをどうして間違えたんですか? 見た目
は似てないと思うんですけど」
「……そうですね。確かに見た目は似てません。先ほどはちらっと見ただけだったから、
勘違いかなとも思ったんですけど。だけど、やっぱり似てます。どことなく雰囲気が似て
るんです。うまく言えないんですけど」
 彼女の答えが嬉しかった。私と茜は性格も違うし、趣味も違うから姉妹らしいところが
あまりないなあと思ってたんだけど、やっぱりどこか似てるところってあるんだなあ。
「あの、どうかしましたか? 私何かおかしなこと言いましたか?」
 あ、やだ。知らないうちに顔がほころんじゃってたみたい。ヘンな人だって思われちゃっ
たかなあ。
「いえいえ、そんなことないです。ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
「?? そうですか。それでは私はこれで失礼します」
 彼女はそう言ってお店から出て行った。
 意外なところで茜の知り合いと逢っちゃった。あとで聞いてみようかな。



 本屋さんを出た私は学園に行ってみることにした。私の母校、白陵柊に。
 坂道を登って行く。結構……辛い。通ってるときはこんなに疲れなかったと思うんだけ
どな。
 やっぱり、3年のブランクは大きいのかなあ。……3年、かあ。こうして見ると、周り
の景色とかはあまり変わってないと思うんだけど、やっぱり変わってるんだよね、いろい
ろなものが。
 よいしょ、よいしょ。
 ふ~到着。やっと門まで辿り着いたよ。なんだかついこないだのことだけど、懐かしい
感じもする。
 変な感じだね。
 グランドには野球部の人やラクロス部の人たちが練習していた。あれ? 白陵にラクロ
ス部ってあったかな。
 私はプールに行ってみることにした。私の記憶にあるプールじゃない、あの立派な室内
プールに。茜が言ってたんだよね~。
「すんごいおっきな室内プールなんだよ~。姉さんびっくりして腰抜かしちゃうかも」
 って。ひどいこと言うよね、全くもう。
 プールに着いた。
 …………。
「すご~い……」
 さすがに腰抜かしちゃうことはなかったけど、まさかこんなに大きいなんて思わなかっ
たよ。茜は毎日ここで練習してたんだね。いい環境だといい練習になるよね。
 ……この室内プールが出来たのは、水月のおかげ、なんだよね。そう思うと、本当に水
月ってすごかったんだなあと思う。
 室内プールを出て、時計を確認する。そろそろお昼になる時間。帰ろうかどうしようか
迷ったけど、あの場所に行ってからにしようと思った。あの丘に。



 一歩一歩踏みしめて歩いていく。私にとっては忘れられない場所。全てはあの丘から始
まったんだから。
 丘の頂上に近づいていく。すると、誰かの人影が見えた。
 あれ、誰かいるのかな。後ろ姿だから誰かはわからない。こんなところで何やってるん
だろう。
 そろそろと近くまで行ってみると、その人は急に振り向いた。わわっ。
「タケルちゃん?」
「え?」
「あ、あれ?」
 もしかして、私また誰かと間違われちゃったのかな?今日は不思議な日だなあ。
「あ、すみません。人違いでした~。私そそっかしくて、よく間違えちゃうんですよ。ホ
ント、ごめんなさい」
「私こそごめんなさい。別に驚かそうとしたわけじゃないんです。まさか、ここに誰かい
るとは思わなかったから」
 誰かがいてもおかしいことじゃないのに、どうして私はそう思っていたんだろう。
 それは、この丘が私にとっては特別な場所だからなのかもしれない。
 孝之君との想い出の場所だから。
「もしかして、あなたも待ち合わせなんですか?ここで」
 その子(もしかして、白陵の生徒かな?)が話し掛けてきた。
「え? …違いますけど。どうしてですか?」
「だって、普通はこんなところまで来る人なんていません。白陵の生徒だってあんまり来
ないんですから」
 そう。私が白陵に通ってた頃もそうだった。あまり人の来ない穴場。だから孝之君のお
気に入りだったんだよね。
「あなたは待ち合わせなんですね?」
「!? な、なんでわかったんですか?」
 この子、自分で言ってたのに気づいてないのかな。あなた”も”って言ってるのに。
「彼氏なんですか、タケルさんって」
「はわわー!どうしてタケルちゃんの名前まで知ってるんですかー!」
 うふふ、かわいい。好きだなあ、こういう子。
 見たところ私より年下みたいだけど、こういう子が妹だと毎日騒がしくて、でも楽しい
んだろうなあ。
 茜も白陵に入る前は元気いっぱいって感じだったけど、今は年相応に落ち着いてきたみ
たいだから。
 そう思うと、3年ってやっぱり長い。私にとってはあっという間だったけど、みんなに
とっては3年分の時間があって、茜も孝之君も平君も、……水月も、見た目だけじゃなく
変わったと思う。……いろいろ、変わったよ、ね。
「あの、どうしたんですか?」
「はい?」
「いえ、何か考え込んでるみたいですから」
 ああ、またやっちゃった。
 最近はあまりなくなってきたけど、退院したあとはしばらく、いろんなことを考えるよ
うになってたから。ふとしたことから、考えちゃうんだよ。答えは出ないかもしれないこ
とを。
「ちょっと、昔のことを思い出したんですよ。ここは、この丘は私にとって、とっても大
切な思い出の場所ですから」
「そうなんですか。……私も、ここ、思い出の場所なんです。いろいろあったけど、最後
の場所はここでした」
「…………」
 どうしてかわからないけど、その風景が目に見えるような気がする。実際に見たはずが
ないのに、見たことあるような感覚。もしかして、デジャヴってやつかな。
 彼女はいろいろな表情をしている。思い出してるのかな。楽しかったこと、辛かったこ
と、悲しかったこと、うれしかったこと、めまぐるしく変わる顔を見ていたら、なんとな
く答えがわかったような気がした。だって彼女は最後に世界一しあわせそうな顔をしたか
ら。



「♪~~~♪」
 軽快なメロディが私のポケットから聞こえてきた。携帯電話の着信音だ。
「あ、すみません」
 私は彼女に一言断ってから電話に出た。
「もしもし?」
「あ、姉さん? 私、茜。もう帰ってきてもいいよー。てゆうか、早く帰ってきて! い
い? じゃね~」
 プツッ……ツーツーツー。
 …………。
 茜ったら言いたいことだけ言って切っちゃった。しかたないなあ、もう。帰ってあげよ
うかな。
「あの、私そろそろ失礼します。ちょっと用事が出来たので。どうもおじゃましました」
「あ、そうですか。私こそ、じゃましちゃったみたいで……、ご迷惑でしたよね?」
「そんなことないです。ちょっとしかお話できなかったけど、楽しい時間を過ごせました」
 私はぺこりと頭を下げて、上ってきた道を降りて行った。途中で振り返ると、彼女もこっ
ちを見ていて、手を振ってくれた。うれしくて、私も彼女に手を振り返した。



 ふ~、やっとうちまで帰ってこられたよ。白陵に通ってた頃よりも時間がかかっちゃっ
た。景色がなつかしくて、いろいろ見ていたせいかなあ。
 ちょっと喉が渇いたから、お茶でも飲みたいな。
 そんなことを考えながら、私はドアを開けた。その瞬間!
 パンパンパン!!!
「きゃっ?」
 よろよろ~、ドスン!
「あいたたた……」
 突然の大きな音に、私はびっくり。いたた、おしり打っちゃったよ~。
「あはははは! ね、姉さん大丈夫~?」
 茜が大笑いしてる。手に持ってるのは……クラッカー。さっきの音の原因はこれだ。
「あ、茜~。ひどいじゃない、も~」
「ご、ごめーん。姉さんを驚かそうとは思ったんだけど、まさか転んじゃうとは思わなかっ
たから、つい、あはは」
「もう、笑い事じゃないよ~。そのせいでお尻、打っちゃったんだからね」
 せっかく早く帰ってきてって言うから帰ってきたのに、もしかしてこのために早く帰ら
せたの?
「そうだよ、茜ちゃん。あんまり笑っちゃ涼宮がかわいそうだよ」
 そう言って茜をたしなめる声は、平君だった。
「涼宮、久しぶり。おじゃましてます」
「あ、うん。いらっしゃい……」
 あれ、どうして平君がいるのかな。ぼんやりしながらそんなことを考えていた私の手を
取って立たせてくれたのは、孝之君だった。あれれ??
「大丈夫か、遙?俺はやめろって言ったのに、茜ちゃんがどうしても聞かなくてさ~」
「あ、ひどーい鳴海さん。言い出しっぺのくせに私だけ悪者にしようとするんですか」
「いや、確かに言い出したのは俺だけど、クラッカー使うって言い出したのは誰だったっ
け?」
「う、それは……」
「ふふ~ん♪というわけでだ、遙、悪いのは茜ちゃんなんだよ」
「…………」
「あれ? 遙?」
「言い出しっぺは、孝之君だったんだ……」
「う」
「2人して、私を驚かそうとしたんだ……」
「ううっ」
 茜も孝之君もひどいよ。
「ま、まあまあ涼宮。2人とも悪気があったわけじゃないしさ。そのへんで勘弁してやっ
てよ」
「ごめんな、遙」
「お姉ちゃん、ごめん」
 2人とも反省してるようだし、平君に免じて許してあげようかな。
「もういいよ、ふたりとも顔上げて」
 いつまでも怒っててもしょうがないし、ふたりともわかってくれたと思うからもういい
よ。
「じゃあ、遙の機嫌も直ったところで、茜ちゃんアレの準備だ!」
「了解! お兄ちゃん」
 茜があわただしく部屋から出ていった。なんなんだろう?
「あ、遙はそのソファーに座っててね」
「あ、はい」
 孝之君が私の手を引いて座らせてくれた。え、いったい何が起ころうとしてるの?
「遙、心配することないからちょっとだけ待っててくれないかな」
「…うん、わかった」
 待つこと1、2分。ドアをノックする音が聞こえた。茜だ。
「準備できたよ、お兄ちゃん」
「オッケー!……遙、ちょっとだけ目をつぶっててくれないか」
 そう言って、孝之君は私に目隠しをした。なんだろなんだろ。私、ドキドキしてる。
「慎二!」
「おう!!」
 ガチャっとドアの開く音が聞こえた。茜が入ってきたってのはなんとなくわかるけど…。
 ガサガサと何かやってる物音が聞こえる。2、30秒でその音もなくなった。
「準備完了!」
 茜の声と共に、孝之君が目隠しを外してくれた。
 私の目に映ったのは、なんと! 50センチぐらいの高さのケーキだった。うわあ……。
 そっかあ、この準備のために茜は私を追い出したんだ。孝之君や平君がいるのもそうい
うことなんだ。
「ハッピバースデー♪ハッピバースデー♪うふふっ、おっきなケーキでしょう。今ローソ
ク立てるからね~」
 茜がうれしそうに口ずさみながらローソクを1本1本立てていく。数えてみようかな。
「1、2、3、4……あれれ?3本多いよ?」
「……お姉ちゃん、いくつになったと思ってるの?もう」
 茜が苦笑しながらローソクに火をつけていく。
 そうか、3年分多いんだ。
「だって、しかたないじゃない。頭では理解してるんだけど……」
「だから今までの分も含めて、今日は遙の誕生日を祝うんだ。ケーキの大きさもハンパじゃ
ないだろう?」
「うん、おっきくてとってもおいしそう」
「こんなデカイケーキは届けてくれないから、俺と孝之でケーキ屋から運んできたんだよ」
「そうなんだ。ありがとう、平君。孝之君もありがとう」
「いやいや、遙のためならお安いご用さ。お、ローソクに火、つけ終わったみたいだ。そ
れでは、涼宮遙さん、どうぞ!!」
 すう~っ、ふうう~っ。よしっ、全部消せたよ~。
「おめでとう、遙」
「おめでとう、姉さん」
「涼宮おめでとう!」
 みんなが拍手してくれた。えへへ、うれしいな。
「みんなありがとう。今年の誕生日はね、すごくしあわせ。うふふ。だって、みんなに祝っ
てもらえたから」
 みんな。みんな、か。みんなって言ったけど、ひとりだけ足りない。私にとってとても大
切なあの……。
 プルルルルル。
 そのとき、私の携帯電話から着信を示す音が流れてきた。いつもと音が違うのは電話番号
を登録していない人だからだ。いったい、誰だろう。
「涼宮、出てみなよ。きっと出るまで鳴り止まないと思うよ」
「? うん、わかった」
 平君がそう言うから、出てみることにした。もしかして…。
「も、もしもし?」
「…………」
「あの、もしかして……水月?」
「……うん。久しぶりだね、遙」
「……うん。久しぶり、だね」
 水月からの電話だ。私が退院した日以来、会っていなかった水月からの電話。いろんな話
したい事があったはずなのに、いざこうして機会が与えられると、何を話していいか、何を
話そうか、全然思いつかない。おかしいな。
「まず先にお祝いを言っておくね。遙、誕生日おめでとう」
「ありがとう。水月、覚えててくれたんだ」
「当たり前でしょ、遙の誕生日なんだから。……親友の誕生日は忘れないよ」
「!!」
「ど、どうしたのよ、遙?」
「私のこと、親友って思ってくれてるんだ……」
「……何度も言わせないでよ、当たり前でしょ」
「……うん」
「ほんとはね、会いに行けたらよかったんだけど、まだダメだと思うから。もうしばらくは
距離を置いて、ゆっくり考えたいの」
「うん」
「さらに白状しちゃうとね、電話も……ためらってたんだ。さっきも番号を押す手が震えて
た。でもね、そんな私の背中をちょっとだけ押してくれた人がいたんだ。だから、勇気が出
たよ」
「うん」
「……遙、さっきから『うん』ばかり言ってるよ」
「うん」
「ふふ、遙らしいね」
 電話越しの水月の声はやさしく笑っていた。水月はやっぱり、水月だ。
「それじゃあ、そろそろ……電話、切るね。みんなに、よろしくって言っといて」
「そう……わかった。うん、伝えとく」
「それじゃ、ばいばい。……じゃなくて、またね、遙」
「うん、またね、水月」
 プツッ、ツーツーツー……
「孝之君、平君、茜、あのね水月ね、元気そうだった。みんなによろしくって」
 私はみんなにそれだけ伝えるのが精一杯だった。
 だって、今までこらえていた涙があふれてきたから。
 水月、ありがとう。私はここで元気にやってるよ。
 たとえどんなに距離が離れたって、私たちの想いは変わらないよね。
 だって、私たちは親友なんだから。
「今日は、みんなにお祝いして貰えた記念日…だねっ!」



あとがき





PCゲーム「君が望む永遠」のSSです。
ヒロインの涼宮遙の聖誕祭用に書いていたんですけど、いろいろあって1ヶ月も
伸びてしまいました。
セリフの一部はどこかで聴いたことがあるかもしれませんが、気のせい、ということで。
あと、このSSのイメージソングは栗林みな実さんの「HAPPY BIRTHDAY」です。
僕が勝手にイメージしているだけですが(笑)
それではまた次の作品で。



��003年4月22日 遙の誕生日からひと月後



2003/03/14

「D.C.Valentine Memory」(D.C.~ダ・カーポ~)



 ジリリリリリリ・・・・・。
 目覚し時計の音が部屋に響き渡る。
 やかましい。
 目覚ましを止めなければならないのがかったるくてしかたない。が、止めないともっと
かったるいことになりそうだ。
 俺はベッドの中から手を伸ばして、鳴り続けている目覚ましを止めた。
 ポチ。
 部屋は先ほどのうるささが嘘のように、静けさを取り戻した。
 音夢がいれば、目覚ましを使う必要はないのだが、あいつは看護師になりたいと言って、
看護学校に進学し、看護学校の寮に入ってしまった。去年の春のことだから、そろそろ1
年が経とうとしている。
「かったりぃ・・・」
 俺はそう呟いて、制服に着替えるためにベッドから出た。



 トーストとコーヒーの味気ない朝食を済ませ、家を出る。
 2月の朝はまだまだ寒い。
 なんで俺はこんなに寒い中、学園に向かっているのだろう。たまには休んでもバチは当
たらないのではないか? 毎日毎日、週に5日も学園に通っているのだから、たまに休ん
だりしても問題はないだろう。
 そう思った俺は回れ右をして、閉めたばかりの家の鍵を取り出そうとした。
「朝倉せんぱーい!」
 誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。声を聞いただけで誰だかわかった。というか、朝からこ
んなに元気なヤツは俺の知り合いの中ではひとりしかいない。そいつはたたたっと走って
きて、俺の前で急ブレーキをかけて止まった。
「おはようございます。朝倉先輩。今日は早起きなんですね!」
「・・・お、美春か。いや、俺らしくもないので今日は家でのんびりしていることにする
よ。それじゃ」
 俺は美春にそう言うと、家に入ろうとドアに手をかけた。
「ダメですよ! 朝倉先輩! 朝倉先輩の面倒を見るように、音夢先輩から申し付けられ
ているんですから。この美春の目が黒いうちはおサボリは許しませんからね!」
 この状態の美春には何を言ってもダメだろう。それに、こう見えても美春は風紀委員。
すでに危険人物として風見学園のブラックリストに載っている身としては、今後の学園生
活のためにも目立つ行動は控えねばならない。そうなのだが、やはり
「かったりぃ」
 と、思わず呟かずにはいられなかった。
 しかたなく、俺は学園に向けて歩き出すことにするのだった。



 キーンコーンカーンコーン。
 午前の授業の終了を告げるチャイムの音が鳴った。
 昼休みのはじまりを告げるチャイムでもあるその音を目覚ましに、俺の頭は覚醒する。
 俺は中庭に向かうため、教室を後にした。
 最近、昼食は中庭でことりと食べるようにしている。数日前、ことりに
「手料理が食べてみたい」
 と言ったら、お弁当を作ってきてくれるようになった。それまでは、中庭で食べたり、
食堂で食べたりといろいろだったのだが、さすがに手作りのお弁当とあっては、人の集中
される所は避けたいと思うのは当然だろう。2月のこの時期、中庭で食事をしようとする
生徒の数は少ない。ま、中には外で食べたいと思う生徒もいるようだが。
 それに、人目を避けたい理由はもうひとつある。
 学園のアイドル、白河ことり。その名を知らないものはいないほどの学園の有名人。去
年の卒業パーティーから俺とことりは付き合うようになった。卒パでの出来事は俺にとっ
て(ことりにとっても)一生の思い出だ。全校生徒の前であんなことをしてしまったので、
俺たちの仲を知らない人はいないほどなのだが、それでもことりの人気は未だに根強い。
 さすがに、みんなの前でいちゃつくようなことはしたくないから、こうしてわざわざ中
庭に来ているというわけだ。
 俺はいつもと同じぐらいの時間に着いたのだが、ことりはまだ来ていなかった。教室を
出る前にことりの方を見たら、友達と話をしていたようだったから、それが長引いている
のかもしれない。
 ベンチに座って、空を見上げた。どんよりした曇り空。太陽が出ていないせいだろうか。
いつもより少し寒かった。
「だ~れだ?」
 ふいに、誰かの手が俺の目隠しをした。こういうことをする知り合いには事欠かない様
な気がするが、声と手の感触、それに耳元にかかるかすかな息遣いから、俺にはそれが誰
だかすぐにわかった。
「お待ちしておりました、姫様」
「わ、姫様だなんて・・・もう、冗談ばっかり~」
 ことりはそう言うと俺の隣に腰をおろした。
「ごめんね、朝倉くん。ちょっと友だちとの話が長びいちゃって。ほんと、申し訳ないっ
す」
 ことりはお弁当の用意をしながら、俺に謝ってくれた。
「今日のお弁当のおかずは何?」
「えっとね。鳥のからあげと、卵焼きとほうれん草のおひたしです」
 いつも通り、とてもおいしそうだ。音夢の料理だと見た目はよくても、味のほうは……
といった感じなのだが、ことりは見た目通りの味なので問題はないだろう。
 俺はさっそく食べようと箸を探す…………あれ?
「あの、ことり? 箸が一膳しかないんだけど」
「うん。今日は私が食べさせてあげる。はい、あ~ん」
 ことりはからあげをつまんで、俺の口元まで持ってくる。思わずあたりを見回してしま
う俺。
「えっとですね、今日は朝倉くんと一緒に帰ることが出来ないんですよ。その代わりとい
うと変なんだけど、そのぶん朝倉くんにいろいろしてあげたいな、と思って」
 なるほど。そういう理由だったのか。突然のことにさすがの俺もびっくりしちまったよ。
 俺はことりが作ってくれたからあげを頬張った。もぐもぐ。うん、美味い。まさに絶品
としかいいようがない。
「どうですか?お味のほうは」
「いちいち言わなきゃいけない?」
「ええ、聞きたいです。朝倉くんの口から」
「おいしいよ。ことりの作る料理は最高だ」
 照れながらそう言うと、ことりは満面の笑顔を浮かべた。笑顔ってのは女の子の最強兵
器だと思った。



 何事もなく午後の授業は終了。
 さくら先生が手短にホームルームを済ませる。
「はい。それじゃ今日は連絡事項もないのでこれでおわり~。みんな、寄り道しないで帰
るようにね。特に、男の子はお菓子屋さんに行かないこと。チョコは自分で買うんじゃな
くて、一番大切な人からもらうものなんだから」
最後に余計な一言をクラスに残し、さくらは職員室へと戻っていった。
 誰だって自分でチョコなんて買いたくないに決まっている。それに、バレンタインは明
日だってのに、さくらのせいで意識しちまうじゃないか。やれやれ。
 ちらっとことりのほうを見ると、さりげなく俺にだけわかるように手を振ってくれた。
これは、期待してもいいってことでしょうか?
 ことりは友だちといっしょに帰るらしいので、俺はほとんどからっぽのカバンを持って
教室を出た。掃除当番でもないのに教室に残っていたってしかたないからな。
 正門まで歩いてきたところで美春に声をかけられた。
「朝倉先輩!お帰りですか?」
「ああ、そうだけど」
「白河先輩とは一緒じゃないんですか?」
「今日は友だちと用事があるんだってさ」
 つきあっているからといっても、俺たちはいつも一緒に帰っているわけではない。そりゃ
一緒にいられるに越したことはないし、一緒にいたいとは思うけど、お互いにいろいろと
都合もあるからな。
「・・・じゃあ、今日は美春と一緒に帰りませんか?」
「そうだな。ま、たまにはいいか」
「それじゃ、行きましょう!先輩♪」
 そう言うと、美春は嬉しそうに歩き出した。しっぽがあったらぶんぶんと振っているこ
とだろう。ほんとに美春ってわんこだよな。
 俺たちは桜公園を歩いている。美春は島の西側に住んでいるので、公園を出たところに
あるバス停まで送るのがいつものパターンだ。ちなみにことりを送るときも同じバスを使っ
ているので帰り道は同じだったりする。
「あ!朝倉先輩、チョコバナナの屋台がありますよ。おいしそうですね~」
 お前はチョコバナナの屋台がおいしそうなのか? ・・・違うよな、チョコバナナがお
いしそうなんだよな。
「食べるか?」
 返事はわかりきっているが、一応聞いてみる。すると、
「はい!!」
 と、元気のいい返事が返ってきた。バナナに目がない美春には愚問だったようだ。
「それじゃ美春が先輩の分も買ってきますね。朝倉先輩はそこのベンチで座って待ってい
てください」
 俺の返事を聞く前に、美春は屋台のところまで走っていった。
 さすが、バナナ帝国の国民。その行動力はバナナエネルギーから得ているんだろうか。
 ベンチに座ってバカなことを考えていると、美春がチョコバナナを2本持って走ってき
た。
「・・・速すぎ」
「だって先輩が早く食べたいんじゃないかなーと思って。お待たせしちゃバナナにも悪い
ですから」
 早く食べたいのはお前だろ、というツッコミはさておき、美春からチョコバナナを受け
取る。代金を美春に払おうとすると、
「あ、今日は美春のおごりです♪ 今、美春の財布はほかほかなんですよ。それに・・・」
 美春はちょっと恥ずかしそうに目を伏せて続ける。
「明日はバレンタインですから。1日早いんですけどね」
 チョコバナナを食べている美春の横顔は、いつもよりもほんのちょっと嬉しそうだった。
 美春の気持ちはなんとなくだが、わかっていた。だが、俺が選んだのはことりだった。
 卒パでの一件を知った後、数日はギクシャクしていたが、今では以前のように話せるよ
うになっている。
 そして、チョコバナナとはいえ俺にチョコをくれる美春。ことりのことを考えて、わざ
と1日前に渡すようにしてくれたんだな。バレンタインデー当日は恋人であることりのも
のだから。
「ありがとうな、美春」
「いえいえ、どういたしましてです♪」
 俺はチョコバナナを食べた後、しばらく雑談をしてからバス停まで美春を送っていった。



 家に帰りついた俺を待ちうけていたのは、電話の音だった。かったるいので、無視して
リビングへ行く。どうせ、しばらくすれば静かになるだろう。そう思っていたのだが、電
話は鳴り止まない。すでに20回はコールしてるような気がする。誰だよ、まったく。俺
はあきらめて受話器を取った。
「もしもし?」
「あ、兄さんですか? 音夢です」
「音夢? なんだ音夢だったのか。それならそうと言ってくれればいいのに」
「言える訳ないでしょ。全く、兄さんは……」
「それより何の用だ? 用が無いなら切るぞ、じゃあな」
 俺はそう言って、受話器を置く素振りをする。
「わー! 待って待って!! 用事あるんですから切らないでー!!」
「……冗談だよ」
「ひどいよ、兄さん。久しぶりに声を聞いたかわいい妹にすることじゃないと思うんです
けど」
「悪かったよ、んで、何の用?」
「あ、えっとですね。兄さん、明日は何の日だか知ってますか?」
「……何の日だ?」
「バレンタインデーですよ。もう、ほんとは知ってるくせに~。それで、かわいい妹から
もチョコレートを兄さんに上げようと思いまして。今日、宅配便で送りましたので、明日
しっかり受け取ってくださいね」
「もしかして、音夢の手作りとか」
「ええ、そうです。苦労したんですよ?」
 気持ちはうれしい。が、食べた後に訪れる悲劇を考えると素直に喜べないものがある。
胃薬、あったかな。
「……兄さん、今すご~く失礼なこと考えていませんか」
「ははは、何を仰る音夢様。謹んで受け取らせて戴きますです」
「何かバカにされているような気がしますけど、まあいいです。用件はそれだけです」
「わかった。わざわざご苦労だな」
「いえいえ、それではまた電話しますね」
 そう言って、音夢は電話を切った。本当にご苦労なこった。しかしこれで受け取らない
わけにはいかなくなったな。明日また電話がかかってくるような気がする。ちゃんと受け
取ったかどうか、そしてちゃんと食べたかどうかの確認の電話が。本当に胃薬を探してお
く必要があるかもしれない、と俺は思った。



 俺は桜の木の前に立っていた。元・枯れない桜の木の前に。
 もちろん、魔法は溶けてしまっているので、桜には花びらはなく、寂しい景色だ。現実
ならば。
 しかし、今、俺の目の前の桜は満開だ。
 夢を見ているんだな、とそう思った。
 誰かの夢を覗き見てしまう力は、俺にはもうない。という事は、これは俺の夢だ。
 最近では夢を見ることは時々あるが、ぼんやり覚えている程度だ。
 夢を見ていたという記憶はあるような気がするが、どんな夢だったかは覚えていない。
そんな感じ。
 だから、こんなにはっきり夢を見るのは久しぶりだ。
 桜の周りには誰もいない。だがどこからか、かすかに何か聞こえてくる。
 それが何かははっきりとわからないのだが、どこかで聞いたことがある歌声だった。
 その歌声を聞きながら、俺はだんだん夢から覚めていくのを感じていた。



「……くん。……くん」
 んー。……ぐー。
「もう、朝ですよ。起きてください~」
 ゆさゆさゆさ。
 ん? 今日は音夢のやつ、随分やさしいな。いつもなら広辞苑の一冊や二冊くらっても
おかしくはないのに。
 ……んん? なんで音夢がいるんだ? あいつは今、初音島にはいないはずじゃないの
か。
 がばっ
 起きた俺の目に飛び込んできたのは、
「あ、おはようございます、朝倉くん。もうすぐ朝食ができますよ」
 制服の上にエプロンをつけている、ことりの姿だった。なに!
「な、なんでことりがいるんだ?」
 あまりに唐突な出来事に、いつも起きた直後はまどろんでいる俺だが、すっかり目が覚
めてしまった。
「なんでって、それは朝倉くんに朝ご飯を作ってあげたいな~と思ったからですよ」
「どうやって家に入ってきたんだ?鍵はかかってたはずだけど」
 俺は当然の疑問を聞いてみた。
「もちろん鍵を開けて、ですよ?」
 違う。俺が聞きたいことはそんな当たり前のことじゃなくて。
 そもそも島の西側に住んでいることりがどうやって俺の家まで来れたんだ?
 いろんな疑問が頭に浮かんできた。なんで朝からこんなにも頭を使わなきゃならないん
だ?
「どうやら目はバッチリ覚めたみたいですね。それでは朝ご飯を食べましょう。私は先に
行って準備してるから着替えて降りてきてくださいね」
 ことりはそう言って、リズミカルに階段を降りて行った。
 何がなんだかわからなかったが、とにかく着替えることにした。
 ここで考えていても仕方ないし、何よりキッチンからはうまそうな朝食の匂いが漂って
きていたからだ。



 ささっと着替えて、トントンと階段を降りて行く。
 キッチンのドアを開けた俺の目に飛び込んできたのは、
「おはよう、朝倉。外はいい天気だぞ」
 まるで自分の家のようにくつろいで新聞を読んでいる暦先生だった。
「な、なんで暦先生がうちに?」
「あー、それはだな、ことりに頼まれたんだ。今日は朝倉とずーっと一緒に過ごしたいん
だと。幸せものだな」
「いや、先生がいる理由にはなってませんけど」
「やれやれ。珍しく早起きしたら頭の回転がニブイようだな。ことりがどうやってここま
で来ることができたかを考えれば、わかるようなもんだが?」
 そう言われた俺はちょっと考えてみることにした。
 …………。
 …………。
 かったりい。
「まったくお前って奴は。私が車で送ってやったんだ。さすがに朝早くだし、ふたりっき
りはまずいだろう。そう思って私もここにいるというわけだ。ちなみに家の鍵は朝倉音夢
から預かっていたんだ。『兄さんに万が一のことがあるといけないので』と頼まれていて
な」
 ……音夢のやつ、いつの間にそんなことを。俺はそんなに信用できないやつだっていう
のか?
「朝倉くん。音夢のことを怒らないであげてくださいね。音夢は朝倉くんのことが信用で
きないからじゃなく、大切な兄さんだから、なんですから」
 ことりが朝食の準備をしながら音夢のフォローをする。
「そうだといいけどな」
 そう言って、俺はことりが用意してくれた朝食に手を付けた。



 ことりに起こされて、ことりと朝ご飯を食べて、ことりと一緒に学園へ行く。いつもは
出来ないことが、今日はこんなにたくさん出来ている。
 そして、ことりと昼食。
「はい、朝倉くん。あ~ん♪」
 ことりは今日も俺に恥ずかしい思いをさせたいようだ。
「ことり。ありがたいんだけど、今日は自分の手で食べたいんだけど」
 俺がそう言うと、ことりはちょっと残念そうにしながらも、箸を俺に渡してくれた。
 さすがに頻繁にそういうことは人前で出来ないからな。いくら俺たちの仲が周知の事実
とはいっても。
「それじゃ、今日は私に食べさせてください。あ~ん」
 な、なにっ?そういう返し技でくるとはっ!
 思わず周りを見渡した。中庭には何組か俺たちと同じように昼食を食べている生徒がい
る。俺がそいつらのほうを見ると、みんな気まずそうに目をそらす。くそ、こいつら何気
ない振りで様子を窺ってやがる!
「どうしたんですか?はい、あ~ん」
 ことりが催促をしてくる。その顔は………可愛い。
 こんな顔を見せられて抵抗することができるだろうか?……俺には無理です。
 俺は他の奴らに見せつけるように、ことりと幸せな昼食をすませた。
 ことりの喜ぶ顔が見られるなら、なんだってできる。今日の俺はどこかがマヒしている
ようだった。



 かったるい授業が終わって放課後。ことりが俺の所へとやってくる。
「朝倉くん、一緒に帰りましょう」
「そうだな」
 俺はからっぽのカバンを持って教室を出る。隣にはことりの楽しそうな笑顔。この笑顔
をもっと独り占めしたいと思った。
 学園を出ると、ことりが腕をくんできた。いつもはこんなことしないのに。理由は多分、
今日という日が特別なものだからだろうか。
 ごく自然に、俺たちの足は桜公園へと向かっていた。
 いっぱいの桜の林の中を抜けて、この公園で一番大きな桜の木の元へ。
「やっぱり、ここが一番落ち着くね」
 ことりは桜の木にもたれてそう言う。
「俺も、この桜が一番好きだな」
 小さい頃、秘密基地だったこの場所。さくらとわかれ、そして約束をしたこの場所。家
出した音夢を探し出したこの場所。美春との思い出の品を埋めたこの場所。そして……。
「私たちにとっての思い出の場所だもんね」
「ああ、ことりが大好きな歌をうたっている姿が印象的だよ。そして、ことりと通じ合っ
たのも、この桜の木だったな」
「うん」
「俺、ことりと一緒にいられて幸せだよ」
「うん、私も。朝倉くん知ってる?今日は何の日か。女の子にとって、とっても大切な日
なの」
「ああ」
「私、一生懸命考えた。どうしたら朝倉くんが喜んでくれるかなって。いっぱい考えたけ
ど、わからなかった。ううん、正確には何をしても朝倉くんは喜んでくれるんじゃないかっ
て、そんな気がしたの。今日は朝からずっと朝倉くんと一緒だったよね? 私、すごく楽
しかった。特別に何かしてる訳じゃない。ただ一緒にいるだけなのに。すごく幸せなこと
だなあって思えたの」
「俺も楽しかったよ」
 一緒に朝ご飯食べたり、登校したり、そんな何気ないことでも、ことりと一緒だとすご
く楽しい。
「これからも私と一緒にいてください」
 ことりはそう言って、俺にきれいにラッピングされた包みを差し出した。
「俺の方こそ、よろしくお願いします」
 俺は包みを受け取り、ことりを抱き寄せる。
「俺は今のこの気持ちを言葉よりも雄弁な行動で示す」
「んっ……」
 俺はことりにやさしくキスをした。
「私、嬉しいよ。チョコレートよりも甘いキスでした」
 そう言ったことりの笑顔は、今日何度も見た中でも一番の笑顔だった。





あとがき



PCゲーム「D.C. ~ダ・カーポ~」のSSです。
ことりエンド後のお話です。
本当ならひと月前に完成しているはずでしたが、いろいろな事情が重なって
ホワイトデーになってしまいました。
まだまだ自分の力不足を感じました。
それではまた次の作品で。



��003年3月14日バレンタイン・デーのひと月後



2002/12/24

初雪(水月)



 ざざーん、ざざーん。
 波の音が聞こえる。
 これは、夢だ。
 迷うことなく、そう思った。
 最近は全く見ることはなくなっていたが、夏の頃は毎日のように見ていたから。
 ざざーん、ざざーん。
 途切れることのない波の音。これが夢の中でさえなければたいした事はないのだが、
 夢の中である以上は僕にとっては大問題だ。
 なぜならこの後、僕は女の子を弓で射殺さなければならないのだから。
 抵抗しても、どれだけ抵抗しても逆らうことはできなかった。
 それに、彼女を射殺さないと僕は夢から目覚められないのだから。
 しかたない。
 夢だから。
 そんな言葉で片付けることもできた。けれど、どうしても後味の悪さというものはある。
 きりきりきり。
 ああ、僕の手が僕の意志を無視して、弓を引き絞る音が聞こえる。
 精一杯の抵抗を試みる。が、無常にも弓は引かれていく。
 この段階まで来てしまったら、もう手遅れだ。
 あとは、矢を握っている右手を離さないようにするしかない。
「・・・・・・・・・」
 少女が何か言った。けど、声が小さくて聞き取れない。
 波の音は途切れることなく、続いている。
「・・・・・・・・・」
 また何か言った。やっぱり聞こえない。
 くそっ、僕にはどうすることも出来ないのか?
 少女の表情は怯えているふうでもなければ、喜んでいるふうでもない。
 しいて言えば、悟っている、そんな表情だった。
 これから起こる出来事を受け止めている、そんな晴れやかな表情だった。
「・・・・・・さん」
 ?
「・・・矢さん、朝ですよ」
 誰かが僕を呼んでいる。起こそうとしている。そんなことをしてくれるのは今の僕には
ひとりしかいない。雪さんだ。
「透矢さん、透矢さん」
 ゆさゆさゆさ。
 僕をゆすって一生懸命起こそうとしてくれる雪さん。でも、目が覚めない。
 起こされている感覚はあるのに、どうして身体は起きてくれないんだろう。
 このまま右手を離して彼女を射れば、起きることは出来ると思う。でも、それだけはな
んとしても避けたかった。雪さんにひっぱたいてでもいいから、彼女を射る前に起こして
欲しかった。
 でも、雪さんがそんなことをするとは思えなかった。どうしようもない。
「もう・・・しょうがないですね」
 雪さんは僕をゆさぶるのをやめた。あきらめたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・特別ですよ?」
 僕の唇をやわらかい感触が包み込んだ。
 雪さんの匂いがしたような気がした。



「おはようございます。透矢さん。今日もいいお天気ですよ」
「・・・おはよう、雪さん」
 なんとか目覚めることができた。あのやわらかい感触のおかげかな。もしかして雪さん
��・・なんとなく想像はつくけど・・・。聞くのが恥ずかしい様な気がしたのでやめておく。
「ありがとう、雪・・・さ、ん?」
 お礼を言って雪さんのほうを見た僕は、固まってしまった。
 あれ?いつもと格好が違うような・・・。
「あの、雪さん?」
「雪の顔に何かついていますか?」
「そうじゃなくて、服、服」
「雪はサンタですから」
 そう。雪さんはサンタの格好をしていたのだ。赤いサンタ服に赤いサンタキャップ。
 まぎれもなくサンタさんだった。それに、スカートからでているふとももが・・・。
 なんとも目に毒だった。
「えーと? 雪さんはメイドさんだよね?」
 わかりきっていることだったけど、なんとなく質問してしまった。
「はい、雪は透矢さん専属のメイドです。でも今日はサンタでもあるんですよ」
 そう言いながら、雪さんはにこにこして何かを待っている様だった。
「・・・・・・似合ってるよ、その服」
「ありがとうございます! 実は急ごしらえで作ったのでちょっと不安だったんですよ。
でも喜んでいただけた様でうれしいです」
 そう言うと、雪さんは朝食の準備をするので部屋を出て行った。ご主人様も大変だ。
 でも、なんで今日はサンタの格好してるんだろう。そりゃ確かに今日はクリスマスでは
あるんだけど。だからってサンタの格好をするものなんだろうか。
 とにかく考えていてもしかたがないので、着替えて食堂に行くことにした。じっとして
ても寒いだけだから。それほどまでに部屋の温度は冷たかった。



 3時から僕の家でクリスマスパーティーをやるというので、午前中は準備に大忙しとなっ
た。
 雪さんはケーキ作りをしなければならなかったので、会場の飾り付けは僕の仕事だった。
 どうやら毎年クリスマスパーティーをやっているらしく、会場が僕の家っていうのも恒
例らしい。
 そりゃ花梨や庄一の家は神社だから合わないのはわかるけど、アリスとマリアちゃんが
住んでいる教会ならぴったりの場所なんじゃないだろうか。
 そう思ったけど、僕の家に来るのを楽しみにしているマリアちゃんの笑顔を見たら、ま
あいいか、と思えた。僕も現金なものだ。
 昼までに部屋の飾り付けをだいたいすませることができた。こんなことをしたのは久し
ぶりのような気がする。といっても記憶が元に戻っていない僕には以前のことはわからな
いんだけど。
「透矢さん、そろそろお昼ご飯にしましょうか」
「そうだね。お昼にしようか」
 一段落ついたので、昼食を取ることにした。
「お部屋の飾りつけはどうですか?」
 雪さんが申し訳なさそうに聞いてきた。なぜか今はメイド服を着ている。
「雪もお手伝いできればいいんですけど・・・」
「雪さんはクリスマスケーキを作るっていう大事な仕事があるんだから。飾り付けのほう
は僕にまかせてよ。それに、部屋の飾り付けはだいたい終わったから」
「そうなんですか?さすが透矢さんですね」
 雪さんは僕のことをいつも褒めてくれる。僕は特別すごいことだとは思わないんだけど、
やっぱり褒められて悪い気はしなかった。
「ごちそうさま。今日もおいしかったよ」
「ありがとうございます。はい、あったかいお茶をどうぞ」
 雪さんは急須からお茶を注いで、僕に渡してくれた。一口飲んでみる。熱すぎず、冷た
すぎず。僕にぴったりの温度だった。さすが雪さん。
「よし。それじゃもうひとがんばりしようかな。雪さん、ケーキのほうはどうなの?」
「はい。土台のほうは出来上がりました。後は飾り付けが残っています」
「何か僕にできることってあるかな」
「ありがとうございます。でも後の作業は雪だけでもできますので、透矢さんはお部屋の
ほうをお願いします」
「わかった。雪さん、がんばってね」
「はい。透矢さんもがんばってください」
 雪さんはとびっきりの笑顔を僕に向けてくれた。



 作業を再開して30分ほどが経った頃、玄関のチャイムが鳴った。
「雪さん、僕が出るよ」
 台所で奮闘中の雪さんに声をかけて、僕は玄関まで出た。
「はいはい。・・・マリアちゃん? ・・・それにアリスも」
「こんにちは、透矢さん。ちょっと早いけど来ちゃいました」
 マリアちゃんはにこにこしながらそう言った。
「こんにちは、マリアちゃん、アリス。せっかく早く来てくれたのに申し訳ないんだけど、
まだ飾りつけが途中なんだ。ごめんね」
「そんなことだろうと思ったわ」
「お姉ちゃん!」
「はいはい、だから手伝ってあげるわよ。そのために早く来たんだから」
「透矢さん、わたしたちお手伝いします」
 なんだかお客様に手伝わせるなんて申しわけなかったけど、せっかくの厚意を断るのも
悪いかなと思ったので手伝ってもらうことにした。
「それじゃふたりにはツリーの飾り付けをお願いするよ。飾りはダンボール箱に入ってる
から。何か困ったことがあったら言ってね」
「はい!わかりました。それじゃお姉ちゃん、がんばろうね」
「はいはい、わかったわよ」
 アリスもなんだかんだ言いながら、マリアちゃんには優しいんだよね。
 ふたりにまかせておけば安心だろう。



 そして30分後。ようやく部屋の飾り付けが終わった。ひとりでやったにしては上出来
な感じかな。
 とりあえず目標が達成できてよかった。マリアちゃんたちのほうはどうなってるかな。
 僕はツリーのところに行ってみることにした。
 するとそこには、マリアちゃん、アリス、そして雪さんの3人がツリーの飾り付けをし
ていた。
「あ、透矢さん。お部屋のほうの飾り付けは終わりましたか」
 僕に気づいた雪さんが声をかけてきた。
「うん。ついさっきね。雪さんがここにいるってことは、ケーキはもう完成したってこと
だね」
「はい。10分ぐらい前に終わりましたので、ここでマリアさんとアリスさんのお手伝い
をしていたんですよ」
 ツリーを見ると、もうあらかた飾り付けが済んでしまっていた。すごい。まさかこんな
に早くできてしまうなんて思わなかった。僕は部屋の飾り付けだけでもかなりの時間がか
かってしまったというのに。
 自分の情けなさを改めて感じつつ、僕も手伝いをすることにした。
 ・・・・・・・・・・・・。
「できた!」
 最後の星の飾りをツリーのてっぺんに付けたマリアちゃんの声が聞こえた。
 時計を見ると、2時30分を少しまわったところだった。なんとか間に合ったかな。よ
かったよかった。
「あなたひとりでやってたら、まだ終わってなかったでしょうね」
「う・・・」
アリスのさりげない一言が僕の胸に突き刺さった。
「お姉ちゃん!」
「だってほんとのことじゃない」
「そうだね。確かに終わらなかったと思う。ありがとうアリス、マリアちゃん、そして雪
さんも」
 僕は3人にお礼を言った。実際本当に終わってなかったと思うし、手伝ってもらえて本
当にうれしかったから。
「わ、私はマリアの付き添いなだけだから・・・」
「お役に立ててよかったです!」
「ふふ、ありがとうございます。透矢さんもご苦労様でした」
 出来上がったクリスマスツリーは午前中までの寂しげな装いとはうってかわって、きら
きらと輝いていた。



 雪さんが入れてくれたお茶を飲んでいると、花梨、和泉ちゃん、庄一、鈴蘭ちゃんが次
々に家に来た。
 牧野さんは体調が思わしくないらしく、昨日から入院しているとのことだった。ちょっ
と残念。
 みんながそろったのでクリスマスパーティーを始めることにした。といっても何か特別
なことをするわけじゃない。みんなでゲームとかして楽しく過ごそうという内輪の集まり
だ。プレゼントの交換とかの話もでたんだけど、欲しいものが当たらなかった人がかわい
そうだってことで中止になった。まあせっかくのクリスマスなんだし、みんなが幸せな気
持ちになれればいいかなと思う。
 かくして、大トランプ大会は始まった。トランプ1組ではアリスやマリアちゃんにはか
なわないので、5組のトランプを使用することとなった。大ババヌキ大会。先に上がった
者から雪さんの特製ケーキが食べられることとなった。
「それじゃあ、まず賞品のケーキを見てもらうことにしようか。雪さん、お願い」
「わかりました。それではみなさん、少々お待ちください」
 雪さんは部屋を出て行った。
「なあ、雪さんが作ったケーキってどんなやつだ?」
 庄一が興味深い感じで僕に聞いてきた。
「僕も知らないんだ。全部雪さんにおまかせだったから」
「そうか。まあ雪さんなら安心だな。コイツに比べたら・・・」
 庄一は花梨のほうを見ながらそう言った。
「むー、そりゃ雪にはかなわないと思うけど、私だってケーキぐらい作れますー。あ、何、
透矢その目は?」
「な、何も言ってないじゃないか」
「あ、嘘ついてる。幼なじみだからわかるわよ。まったく・・・」
 なんとなく嫌な展開になりそうだったので、鈴蘭ちゃんに話題を振った。
「す、鈴蘭ちゃんはケーキ好き?」
「うん、雪ちゃんの作ったケーキは好きー。花梨ちゃんのは嫌いー」
「なんですって! 鈴、あんたにケーキなんて食べさせたことないでしょ!」
「食べなくてもわかるもーん」
 鈴蘭ちゃんと花梨の追いかけっこが始まった。やれやれ。とはいえ、鈴蘭ちゃんに話題
を振った僕の責任なのだろうか。走り回っているふたりを見て、和泉ちゃんはくすくすと
笑っていた。
「みなさん、お待たせしました。クリスマスケーキをお持ちしました」
 雪さんがケーキを持って部屋に入ってきた。その瞬間、僕らはもちろん、追いかけっこ
をしていた花梨と鈴蘭ちゃんまでもが静止した。
 雪さんが持ってきたケーキはケーキ屋さんでもかなわないような素晴らしい出来栄えだっ
た。しかし、みんなが固まったのはケーキだけが原因ではなかった。
「ゆ、雪?その格好・・・」
「雪はサンタですから」
 花梨がおずおずと質問すると、朝と同じ答えを雪さんは返した。雪さんはサンタさんの
格好をしていた。
「さすが雪さん。俺の思ったとおりだ」
 庄一が満足げな表情でうなずいていた。もしや・・・。
「まさか庄一が雪さんに?」
「ああ。お前が喜ぶと思ってな。どうだ、バッチリだろう」
「そりゃうれしいけど・・・」
 僕はあきれて物がいえなかった。隣では花梨が「このエロ共は・・・」と軽蔑のまなざ
しを僕らに送っていた。
「わはー、雪ちゃんかわいいー」
「すごく似合ってますね。いいなあ・・・」
「透矢が喜ぶのは間違いないわね」
 みんな口々に感想を言っている。アリスの感想がちょっと引っかかるけど。
 和泉ちゃんはにこにこと笑っていた。



 大ババヌキ大会は、意外にも鈴蘭ちゃんが一番に勝ち抜いて雪さんのケーキを味わって
いた。続いて、雪さん、アリス、マリアちゃん、和泉ちゃんと勝ち抜いて、僕が雪さんの
ケーキを食べることができたのは6番目だった。
 庄一と花梨はお互いの足の引っ張り合いで、未だに熾烈な戦いを繰り広げている。勝負
は長引きそうだ。
 ふと気づくと、鈴蘭ちゃんと雪さんがいなかった。僕はふたりを探しに部屋を出た。
 熱気のこもった室内とは違って、廊下はかなり涼しかった。僕はなんとなく雪さんの部
屋のような気がして、そっちへと向かった。
 コンコン。
 ノックをしてからドアを開ける。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 前に見たときよりもぬいぐるみが増えている気がするのは、僕の気のせいなのだろうか?
 部屋には鈴蘭ちゃんがいた。そして、雪さんも・・・いた。ポテトの中に。
「あったかいうちにお召し上がりくださいね♪」
「えっ」
 雪さん、今なんて言った?
「ほらほらー、早く食べないと冷めちゃうよー」
 鈴蘭ちゃんが囃し立てる。どうなってるんだ?
「鈴蘭ちゃん? いったい今、何やってるの?」
 わけもわからず質問する僕に、鈴蘭ちゃんは答えてくれた。
「ポテトごっこだよー。前にもやってたでしょ。大好きなひとに食べてもらうゲームなん
だー」
 食べるって・・・。鈴蘭ちゃんの前では出来ないよ・・・って何を考えてるんだ僕は。
「と、とにかくふたりとも。向こうの部屋に行こうよ。そろそろ勝負も終わるころだと思
うから」
 僕は話題を転換した。
「ちぇーっ、ケチー」
 なんで鈴蘭ちゃんが文句を言うんだろう。
 雪さんは文句は言わなかったけど、ひどくガッカリした表情だった。なんだか悪いこと
をしたような気がした。
 部屋に戻ると、庄一が床に突っ伏していた。どうやら花梨が勝ったようだった。
 結局、庄一は雪さんのケーキをひとかけらしか食べることが出来なかった。
 こんなに美味しいケーキを食べられないとは・・・。ちょっと不憫だ。



 そんなこんなでクリスマスパーティーもお開きの時間になった。
 みんなが帰るのを見送ってから、僕は雪さんに声をかけた。
「雪さん。今日は本当にどうもありがとう。その服も僕のためにわざわざ作ってくれたん
だね」
「庄一さんに、透矢さんはこういうのがお好きだとお聞きしましたので。作った甲斐があ
りました」
 雪さんはにっこりと笑って、そう言ってくれた。変なイメージが定着していないだろう
か。庄一のヤツめ。
「お礼といっちゃ変だけど。雪さん何か僕にして欲しいことない?クリスマスなんだし、
プレゼントのかわりに何かしてあげたいんだ。雪さんのために」
「それでは・・・ぎゅってしてくれますか。さすがにこの格好は体が冷えちゃいました」
 確かにサンタルックは防寒機能はあまりよくなさそうだ。
「わかった。それじゃ」
 僕は雪さんを抱きしめた。雪さんの唇が冷たそうに見えた。
「雪さん。唇もあっためてあげる」
 そう言って、僕は雪さんの唇を自分の唇でふさいだ。
「んっ・・・」
 雪さんの吐息が鼻にかかる。しばらく、いやかなりの長い間、僕は雪さんを暖め続けた。
 唇を解放して雪さんを見ると、頬がほんのりと赤くなっていた。
「ふふ、今日2回目ですね」
「えっ?」
「あっ・・・」
 雪さんはまっかっかになった。今朝のアレはやっぱりそうだったらしい。
「雪さん。サンタは今日だけなんだよね」
「はい。明日からはメイドの雪ですよ」
「じゃあ・・・」
 僕はこっそり持っていたカメラを取り出す。
「写真撮ってもいいかな?雪さんの写真残しておきたくて」
 すると雪さんはわかりやすすぎるぐらいに、渋い顔になった。
「ごめんなさい。恥ずかしいですし、それに雪は・・・」
「写真、苦手なんだよね。ん、わかった。残念だけどあきらめるよ」
 予想はついたことなので、僕はカメラをしまった。
「すみません」
「雪さんがあやまることじゃないから、気にしないで」
 本当に申し訳なさそうに言う雪さんがかわいかった。
「じゃあ代わりに・・・3回目、いい?」
「・・・はい」
 雪さんは僕だけの特別な笑顔でそう言ってくれた。
 空からは今年初めての雪が舞い降りてきていた。



あとがき





 PCゲーム「水月」のSSです。
 前々からSS書いてみたいなと思っていまして、クリスマスだから、という理由で書い
てみました。
「水月」のSSにしたのは、ある方のイラストがキッカケでして。まあいっしょに更新さ
れているイラストを見ていただければわかるんじゃないかなと思います。
 自分としてはかなりのハイペースで書くことが出来ました。やっぱりキャラクターが
出来ていると書きやすい面がありますね。勉強になりました。
 それではまた次の作品で。



��002年12月24日 クリスマスの前日



2002/08/13

「ダイヤモンドダスト」



 初めてそれを見たのは、私が小学生になってから一回目の冬休みだった。
 その日、友達と遊ぶ約束をしていた私は、白いコートに白い手袋といういつものお気に
入りの服に、カイロをいくつか持って公園に向かった。いつもはカイロなんて持っていか
ないんだけど、その日はいつもよりかなり寒かったから、出かける前にお母さんが渡して
くれた。私は寒いのは苦手。だから寒い日は外には出かけない。生まれたときから夏は涼
しく、冬は寒いこの地方だけど、私はいつまでたってもこの「寒さ」というやつには慣れ
なかった。
 でもそんな私にも、あるときだけはどんなに寒くても外に出ることが出来た。それは雪
があるとき。雪が降ってたり積もってるとき。なんで外に出られるかは私にもわからない。
人に聞かれたときはこう答えるようにしている。
「雪、好きだから。すっごく」
 もしかして他にも理由や原因があるかもしれないけど、私にとってはどうでもよかった。
雪が好きだから。私にとって理由はそれだけで十分だった。
 公園に着いた。吐く息が白いのは寒いからだけじゃなくて、ちょっと走ってきたから。
見渡すと公園は早くも白いお化粧をしていた。空を見上げると、お化粧の源の雪がいっぱ
い降っていた。一粒一粒が結構大きいからしばらくすると公園は白一色となるだろう。私
は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところで友達を待つことにした。そのまま待っ
てるのも退屈だったので、お母さんからもらったカイロを一個取り出して、ごしごしとこ
すった。あったかい。やっぱり寒いときはカイロに限るね。なんか自然と顔がニコニコし
てくる。私は幸せな気分で友達を待っていた。その時の私は時計を持ってなかったから詳
しい時間はわからなかったけど、30分ぐらい経っただろうか。友達はまだ来ない。公園
は白一色になっていた。道路はさっきから誰も通らない。みんなどうしちゃったんだろう。
 しかたがないので、友達には悪いと思ったけど、先にひとりで遊ぶことにした。雪だる
まを作るにはまだちょっと雪が少なかった。だから私は雪うさぎを作った。何匹も。お弁
当に入ってるりんごのうさぎさんもいいけど、やっぱり雪うさぎのほうが私は好きだった。
りんごのうさぎさんは赤いけど、雪うさぎは真っ白だから。やっぱりうさぎさんは白くな
くっちゃ。私はそう思うんだけど、友達のほとんどはりんごのうさぎさんのほうが好きみ
たい。なんで?って聞いてみたら、
「だって、おいしいんだもん!」
だって。みんなわかってないよ。
 雪うさぎが10匹ぐらい出来た頃、ふと空を見上げると、雪はもうやんでいた。さっき
までのねずみ色の空がうそみたいになくなって、赤い夕焼け色の空になっていた。私はがっ
かりだった。友達が来なかったこともそうだし、真っ白な雪うさぎも夕焼けのせいで赤い
雪うさぎになっていたから。
「あーあ、せっかく作ったのに・・・」
 私はふう、とため息をついて、雪の上に大の字になって寝転がった。雪の冷たさが雪う
さぎ作りで火照った体には気持ちよかった。カイロはとっくの昔に役立たずになっていた。
しばらくそうやって空を眺めていた。
 さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。雪が降る気配はまったく
なかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていたときだった。なんだか目
の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。
 家に帰るとお母さんから、裕美子ちゃんから電話があったことを聞いた。裕美子ちゃんっ
てのは今日遊ぶ約束をしていた友達のことなんだけど、なんでもカゼひいたせいで今日来
れなかったみたい。一生懸命謝ってたことをお母さんが教えてくれた。そうだったんだ。
カゼならしかたないよ。それに、今話を聞くまで約束すっぽかされたこと完全に忘れてた
から。よし、お夕飯を食べたら裕美子ちゃんにお見舞いの電話しよう。それに、あのきら
きらしたもののことも教えてあげよう。
 夕飯は私の大好きなクリームシチューだった。あったかいクリームシチューをお腹いっ
ぱいになるまで食べて、大満足の私はゆっくりお茶を飲みながらテレビのニュースを見て
いた。ニュースは今日の出来事についての話題だった。・・・そっか、そうなんだ。ニュ
ースを見終わった私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん? 私、雪夜。カゼ大丈夫? ・・・そう、よかった。あのね、
今日すっごいもの見たんだよ! 裕美子ちゃんにも見せたかったよ。ダイヤモンドダストっ
て言うんだけど・・・」



 私は待っていた。時が過ぎるのを辛抱強く待っていた。大好きなことをしているときは
あんなにも早く過ぎていってしまうのに、どうしてつまんないことをしなきゃいけないと
きはこんなにもゆっくりなんだろう。私は机にうずくまったままじっとしていた。他にす
ることもないのでそうしていた。
 キーンコーンカーンコーン・・・。チャイムが鳴った。ようやく介抱されるときが来た。
退屈な試験という時間から。高校一年の二学期の期末試験の全日程が今の時間でようやく
終了した。私は大きく伸びをした。
「雪夜ちゃん、やっと終わったね~」
 裕美子ちゃんがいつものほんわか口調で話し掛けてきた。彼女は藤川裕美子ちゃん。私
の親友。小学生のときからずっといっしょのクラスで、ずっと仲良しだ。ほんわかな口調
といつもニコニコしている彼女が、実は学年トップの秀才だという事を聞くと大抵の人は
驚く。そして驚かなかったわずかな人も、彼女が陸上の長距離の大会で毎回表彰台に上っ
ている事を聞くと、絶対驚く。顔もかわいく、人にはやさしい。とにかく、そんなすごい
女の子なのだ、裕美子ちゃんは。
「おつかれさま、裕美子ちゃん。試験の出来はどんな感じ?」
「う~ん、まあまあかな。雪夜ちゃんは?」
「私は・・・今回ちょっとマズイかも♪」
 私、白河雪夜は自分ではかわいい方の部類に入ると思っているごく普通の高校一年生。
勉強は、この前の試験ではクラスでなんとかひとケタに入るぐらいの成績だ。自分ではとっ
ても普通の女の子だと思ってるんだけど、みんなに言わせると違うみたい。
「マズイって言ってる割には楽しそうな口調だね~?」
「だって試験終わったんだもんっ♪」
 そう、3日間もの長きに渡って行われた期末試験は、ついさっきのチャイムをもって終
了したのです。これを喜ばずに何を喜べというんでしょう。
「そうだね。やっと終わったんだもん。今から試験の結果を気にしててもしょうがないよ
ね~」
「そう、私たちの時間は限られてるの。ここのところ試験にだけ集中してたから、これか
らは有意義に時間を使わなくっちゃね!」
 これは私だけの考えではないようで、周りを見るとみんな試験が終わった喜びを感じて
いるようだった。帰りに何か食べにいこっか、俺のうちに遊びにこいよ、早く帰って寝よ
う、といった声があちこちから聞こえてきていた。
「裕美子ちゃん、今日これからの予定は?」
「予定?う~ん、別にないけど」
「だったら、おいしいものでも食べに行こうよ♪私おごるから」
 私は裕美子ちゃんを誘ってみた。試験中は二人ともまっすぐ家に帰って勉強してたから
久しぶりだ。それに相談したいこともあるし。
「なに?おごり?行く!俺も行く!!」
 突然私たちの会話に割り込んできたコイツ。秋森鷲一。私たちと同じクラス。小学三年
のときに私の家の近所に引っ越してきた。いわゆる幼なじみというやつである。運動神経
は人の二倍くらいあるが、頭の中身は人の二分の一しかないオバカサン。それでも私と同
じ高校に通っているのはなぜでしょう?
��、試験でカンニングに成功!
��、先生方に黄金色のお菓子を贈った。
��、この高校は無試験だった。
 こんな三択問題を出すと大抵の人は3番の答えを選ぶんだけど、それはハズレ。正解は
��の「スポーツ推薦で合格」なのだ。神様は平等だなあと思わざるをえない。誰にでも取
り柄ってあるものなんだなあってね。
「私はアンタを誘ったんじゃなくて、裕美子ちゃんを誘ったのよ。耳がおかしいんじゃな
いの? それとも耳じゃなくておかしいのは頭?」
「・・・いきなりすごい挨拶してくれんじゃねーか。えらくご機嫌ナナメだな。さては、
テストあんまりできなかったのか?」
 鷲一は私の言葉に一瞬固まったが、すぐにやり返してきた。知らない人が見ていたら険
悪な雰囲気だと思うだろうが、これぐらいは私たちにとってはいつものことなのだ。日常
茶飯事というやつである。
「仮に百歩譲ってそうだとしても、私はテストの出来の悪さでアンタに当たるような小さ
な人間じゃないわよ」
「なるほどね。小さいのは胸だけか」
「な、なんですって!」
 コイツ、言うに事欠いてなんて事を! 信じられない。今日という今日はガマンならな
いわ! 徹底的に口げんかしてやろうじゃないの!!
 そう思って、毒舌を振るおうとしたら、裕美子ちゃんが私をなだめてくれた。
「雪夜ちゃん、落ち着いて~。雪夜ちゃんの胸は綺麗な形でわたしは好きだよ~。だから、
元気出してね♪」
「・・・裕美子ちゃん、それ誉めてくれてるんだよね?」
「もちろんだよっ♪」
 裕美子ちゃんのおかげといえばいいのか、私の怒りはどこかへ行ってしまったみたい。
まったく、裕美子ちゃんにはかなわないなあ。
「秋森くん、今日は久しぶりに女の子だけで過ごしたいの。悪いけど、また今度ね。その
ときはわたしがおごるから~」
 裕美子ちゃんは鷲一にそう言ってから、私のほうをチラッと見てウインクした。
「しょうがねえなあ。じゃあ俺は帰る。また明日な、2人とも」
 鷲一はそう言って、すたすたと歩いていった。
 明日は試験明けなので学校はお休みなのだが、そんなとこに突っ込みを入れるほど私は
小さな人間ではないのだ。・・・小さくないもんっ!
「じゃあ、行こうよ。女の子だけで楽しくすごそっ」
「そうだね~♪」
 私たちは人気の少なくなってきた教室を後にした。



 私たちは喫茶店に来ていた。裕美子ちゃんは初めて来たらしく店内を珍しそうに見回し
ている。私は店の奥のほうの席に座った。いつもなら眺めのよい窓際の席を選ぶんだけど、
今日は違う。これから大事な話をするんだから。
「私ここ初めてだよ~。雪夜ちゃん、前にも来たことあるの?」
 裕美子ちゃんは席に座ってもまだ興味深そうにまわりを見ている。
「うん。一度だけね、来たことあるんだ。『百華屋』っていうんだ、このお店」
「ふ~ん、そうなんだ。でもなんで『百花屋』じゃないの?こんなにたくさんお花がかざっ
てあるのに」
 店内には造花も含めて、色とりどりの花が何種類も飾られていた。裕美子ちゃんはそれ
が気になっていたのだろう。
「それはね、マスターに聞いたんだ。それによるとね・・」
 私が解説しようとしたらお水が運ばれてきた。それを持ってきたのはなんと店員ではな
く、マスターだった。
「いらっしゃいませ、よく来てくれましたね、白河さん。そしてはじめまして、美しいお
嬢さん。ご注文はお決まりですか?」
 営業用のスマイルではなく、心の底からお客が来たことを喜んでいるような笑顔でマス
ターは私たちに話しかけてきた。
 マスターはすらっとした長身で、スリムな体型をしている。年齢は26歳。最初はアル
バイトでこの『百華屋』に入っただけだったらしいが、いつのまにかマスターになってい
たらしい。不思議な人だ。黙っていても女の子が何人か寄ってくるぐらいのハンサムだ。
ちょっとキザなセリフさえ除けば問題ない人だと思う。
「こんにちは、マスター。美しい白河雪夜、またやってまいりました~♪」
 私はそう言って、にこーと笑った。お金では買えない笑顔だ。
「あはは、いらっしゃい、美しい白河さん。そして、麗しいお嬢さん、よろしければお名
前を教えていただけませんか?」
 マスターったらなかなかいい度胸してるじゃない。どうしても私より裕美子ちゃんのほ
うが上だって強調したいのかしら。裕美子ちゃんはそんな私たちのやりとりを楽しそうに
見ていた。
「うふふ、2人とも仲がよろしいんですね。じゃあ、自己紹介しますね。わたしは藤川裕
美子です。雪夜ちゃんとは小さいころからずっと仲良しで、一番の親友なんですよ~。あ
とは・・・特に何もないふつうの女の子ですよ~」
 裕美子ちゃんはそう言って、にっこりと微笑んだ。ふつうの女の子にはこんな素敵な笑
顔はできないと思うけど。
「では僕も自己紹介を。僕はこの喫茶店『百華屋』のマスターです。以後、よろしくおね
がいします。困ったことがありましたら、なんでも言ってくださいね」
 マスターはそう言うと、私たちの注文を取ってキッチンへと向かった。どうやらマスタ
ー自ら作ってくれるみたい。あいかわらず、かわいい女の子にはサービスを惜しまないよ
うだ。
「雪夜ちゃん、マスターさんととっても仲がいいね~。まだ一度しか来たことないんだっ
たよね?」
「うん、そうだよ。私もびっくりしたよ。なんていうのかな、ずっと昔から知ってたよう
な、それに何でも話しやすい感じがするんだ。多分、それでだと思う」
「ふ~ん。私だったらそうはならないなあ。確かに雪夜ちゃんが言ってるような感じはわ
たしもするけど、会ってその日にっていうのは無理かな~。そういうところが雪夜ちゃん
のすごいところだと思うんだ、わたし」
 裕美子ちゃんはそう言ってから私の顔を見てにっこり笑った。私は自分では特に何かし
ているわけじゃないからほめられる理由はないんだけど、やっぱりほめられて悪い気はし
なかった。こういうところが裕美子ちゃんのすごいところなんだと私は思う。
「そうそう、雪夜ちゃん。さっきの話の続きだけど、この『百華屋』の名前の由来は何な
の?」
「そっか、まだ言ってなかったっけ。マスターが割り込んできたからすっかり忘れちゃっ
てたよ。あのね・・」
「お待たせしました。ケーキセット2つお持ちしました♪」
 私の説明を遮って、またしてもマスターが私たちの席にやってきた。なんだか意図的に
やってるとしか思えないんだけど。強烈な視線を送ってみる。
「あれ、どうかされましたか白河さん。その熱い視線は? もしや僕に恋しちゃいました
か?」
「いえいえいえ、そんなはずないじゃありませんか、おほほほほ」
 マスターのとぼけた問いに私はにこやかな笑顔で返した。泣く子も黙るかもしれない笑
顔だ。裕美子ちゃんはそんな私たちをにこにこと眺めている。
「何の話をされてたんですか、藤川さん」
 マスターは私の出した視線のパスには目もくれず、裕美子ちゃんに軽い会話のパスを出
した。
「えっとですね、このお店の名前の『百華屋』の由来を聞いてたんですよ~」
「そうでしたか。それなら僕が説明いたしましょう」
 マスターはそう言うと、私たちのテーブルの空いている席に座った。あなたの仕事はい
いんですか? そう言ってやろうと思ったけど、裕美子ちゃんが聞きたそうにしていたの
で止めた。店員さんは大変だなあ、こんなマスターだと。
「百貨店という言葉があります。文字通り、百貨をそろえているお店という意味です。デ
パートとかがそうです。要するにいろんな品物があるということです。たくさん品物があ
りますから、そこに行けば大抵のものはそろうので、とても便利です。僕もお店のメニュ
ーを今はまだ少ないですが、いずれはたくさんにしたいと思っています。だからこの「ひゃっ
か」という言葉を頂きました。もう一つは、見てもらえればお分かりになると思いますが、
花です。僕は花が大好きですので、この店にもたくさん飾ろうと思っています。造花があ
るのはその季節にしか咲かない花でも置いておけるからです。あと、掃除をする手間も省
けますし。この場合は「百花」になりますね。以上の理由から、どちらの漢字でもない「百
華」という言葉を考えました。これが『百華屋』の名前の由来です」
 マスターは説明し終えると満足したのか、ごゆっくりと言い残して仕事に戻っていった。
ほんとに説明だけしたかったみたい。
「なるほどね~。そういう理由だったんだ。わたしはてっきり花がいっぱいだからそうな
のかな~って思ったんだけど、もう一つ意味があったんだね~」
「そうなの。私も前に来たときに聞いたんだ。私のときは聞かされたんだけどね。マスタ
ーったら聞きもしないのに説明し始めるんだもの。びっくりだよ」
 私たちはようやくケーキセットに手を付けた。うん、甘くておいしい。あのマスター、
腕は確かなのよね。だから来たんだけど。
「あのね、裕美子ちゃん。これから話す事は誰にもしゃべらないでほしいの。約束してく
れる?」
「ふたりだけの秘密ってこと?」
 私は何も言わずに、裕美子ちゃんの目をじっと見つめた。
 しばらくすると、裕美子ちゃんはにっこり笑って、「いいよ」って言ってくれた。
「実はね、私、告白しようと思うの」
「えっ・・う、そ・・雪夜ちゃんが?」
 裕美子ちゃんは相当びっくりしている。無理もないかな。だって私は自分で言うのも変
だけど、恋に恋する女の子ってタイプとはまるで違うから。実際今までだってそんな気持
ちになったことなかったし。
 私は、こくり、とうなずいて話を続けた。
「委員会のときにね、いつも親切にしてくれる先輩がいたの。それまでは親切なひとだなっ
て思ってただけなんだけど。学園祭のときにね、たまたま私といっしょに遅番の作業をし
てたの。8時ぐらいまで作業してたんだけど終わらなかったの。そしたら先輩が、そろそ
ろ帰ろうかって。あんまり遅くなると夜道は危険だからって私を家まで送ってくれたの。
本当は作業の途中で帰るのはイヤだったんだけど、先輩も好意で言ってくれてるんだし断
るのも悪いかなって思った。それで私は次の日の朝、早起きして学園に行ったの。作業の
続きをするためにね。そしたら・・」
 ちょっと喉が渇いたので紅茶をひとくち。うん、おいし。
「雪夜ちゃん。そしたら?」
「うん、そしたらね、作業部屋に先輩が寝てたの! 机に突っ伏してぐーぐーと! 先輩
はなんと私を家まで送った後、学園まで戻って作業してたの。私の分まで。先輩を起こし
て聞いたらそう言った。なんで学園で寝てたか聞いたらなんていったと思う?」
「う~ん、家に帰るのが面倒だったから、かな」
「ぶー、不正解です。正解はね『君に起こしてもらいたかったから』だって! そのとき
の私はすんごいドキドキしてた。顔も多分真っ赤だったんじゃないかな。先輩も自分で言っ
てて恥ずかしかったみたい。ちょっと顔赤かったから」
「なるほどね~。その瞬間、恋する乙女の雪夜ちゃんになったわけだ」
「そういうわけですよ、おほほほほ」
 話しているうちになんだか幸せな気持ちになって、いつのまにか私のテンションは高く
なっていた。なんていうかお酒を飲んだときの気分にちょっと似てるかな。普段お酒飲ん
でるわけじゃないんだけどね。未成年ですから。
「先輩って事は三年生だよね。もうすぐ卒業。ゆえに告白するなら今しかない!と雪夜ちゃ
んは思ったんだね」
「うん。今からならまだ三大イベントにも間に合うし。私は決心しました!当たって砕け
ようと!!」
「・・砕けちゃだめだと思うけど」
 盛り上がっている私の耳には裕美子ちゃんのツッコミは届かなかった。
「あと、三大イベントって何のこと?」
「それはもちろん、クリスマス、お正月、バレンタインの三つよ。これをクリアしてこそ
真の恋人同士になると思わない?」
「そ、そうなんだ~。わたし、そんな風に考えたことなかったよ・・。ということは、今
度のクリスマスやお正月は雪夜ちゃんとはいっしょに過ごせないんだね・・。ちょっと寂
しいかも」
 裕美子ちゃんはそう言ってから本当に寂しそうな顔をした。うっ、なんだろう。かすか
に罪悪感を感じるような。そんな顔されたら私・・。
「・・でも、わたし、がまんするよ。雪夜ちゃん、がんばってね。わたし応援するよ!」
 両手をぎゅっと握って私を応援してくれる裕美子ちゃん。大好きです。
「・・ありがとう。がんばるよ、私!」



 次の日。私は公園のベンチに座っていた。目的は先輩に告白するため。試験最終日の昨
日の朝、私は先輩に手紙を渡していた。内容は「明日の午後2時、公園のベンチでお待ち
しております。白河雪夜」という、いたってシンプルなものだった。余分な言葉は必要な
かった。本当に伝えたいことは直接言いたかったから。
 先輩が手紙を受け取ったのは確かだと思う。古典的な手段だけど、先輩の靴箱の中に入
れておいた。物陰からこっそり見て、先輩が来て教室へ行くのを見届けてからすぐに靴箱
を確認しに行った。中には先輩の靴しかなかった。念のため、まわりの靴箱もチェックし
たし、捨てられていないかゴミ箱も確認した。手紙はなかった。先輩が持っていったと考
えて間違いないと思う。
 先ほどまでは太陽が雲間からほんの少しのぞいていたが、今では完全に雲に覆われてし
まった。時計を見る。午後1時45分。まだあと約束の時間まで15分ある。
 まわりを見てみる。時折、通りがかる人はいるけど、公園に用事のある人は私を除いて
いないようだ。みんな足早に歩き去っていく。今日はこの時期にしては寒いほうだからだ
ろうか。子供は風の子っていうけど、最近は外で遊ぶ子なんて滅多に見かけない。この公
園の遊具もずいぶんほったらかしにされてるようだ。私が遊んでたころは、まだ出来立て
の新品だったのに。あのころはいっぱい遊んだ記憶がある。雪の日は誰よりもたくさん遊
んでいたと思う。何でって聞かれても困るけど。
 またまた時計を見る。午後1時50分。だんだん寒くなってきているのは気のせいでは
ないだろう。空を見上げると、完全に太陽の存在は消え去ってしまっている。代わりに雲
はどんどん勢力を広げていっているようだ。寒いのは嫌なのに。
 じっとしていると寒くてたまらないので、ちょっと散歩。1周300メートルくらいの
公園を一回り。こつっこつっと私の足音だけが響く。気が付くと、通りがかる人もいなく
なっていた。人気のない公園はどこか寂しい。誰にも使われないブランコがきこきこと揺
れている。乗ってみようかと思ったけど、きっと冷たいに決まってる。やっぱりやめる。
 特に何も事件はなく(事件があっても困るけど)、散歩終了。そろそろ約束の時間だ。
私は先輩を待っていたベンチへと向かった。先輩が来てくれることを祈りながら。



 翌日、私は学園を休んだ。風邪をひいたらしい。ためしに測ってみた体温計は37度2
分。微熱といったところ。ただ、どうにも頭痛がひどいので休むことにした。期末試験も
終わったので、あとはクリスマスに向けての浮かれた学園生活。授業は半日で終わりだし、
��日ぐらい休んだからといって、たいしたことじゃない。それに、たとえ健康でも今の私
には、学園に行きたくない理由があったのだ・・。
 休みの連絡を学園に入れてから、私はもう一度寝直した。期末試験中は睡眠不足ぎみの
生活だったから、ちょうどよかった。身体は正直です。
 目を覚ましたのはお昼をちょっとまわったころだろうか。あれだけひどかった頭痛はすっ
かりなくなっていた。やっぱり病は気から、という言葉は正しいのかなと思う。気分も落
ち着いたみたい。さすがだよ、私。
 朝ご飯も食べていないので、さすがにおなかは空腹を訴えている。食欲がでてるってこ
とは回復してる証拠。テーブルの上には、いつもお母さんが用意してくれる朝食がラップ
をかけられて置いてあった。私はそれをレンジであっためてから、ゆっくり味わって食べ
た。うん、おいし。電子レンジは魔法の箱だよね、いったい誰が考えたのかな?
 朝昼兼用の食事を済ませた私は、お皿を洗った。いつもは洗い物なんてしてる時間がな
いから、水につけておくだけで夜にまとめて洗うんだけど、今日は時間がたっぷりあるか
ら。ぴかぴかお皿は気持ちいい。
 2時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。インターホンのところまで行って受話器を取る。
こんな時間に誰だろう?
「はい、どちら様ですか?」
「あ、藤川です。雪夜ちゃんだよね」
「裕美子ちゃん? ちょっと待っててね」
 私は玄関まで行ってドアを開いた。
「どうしたの、裕美子ちゃん。うん? アンタも一緒なの?」
 裕美子ちゃんの後ろには、鷲一が立っていた。鷲一は私のほうをちらっと見て、すぐ顔
を背けた。???
「雪夜ちゃんのお見舞いに来たんだよ。秋森くんが一緒なのはね、どうしても一緒に行き
たいって言うから一緒に来たんだよ~♪」
「デタラメ言うなーっ! 藤川がどうしてもって言うからしかたなく来てやったんだよ!
・・・それなのに、なんか元気そうじゃねえかよ。心配して損したぜ」
 え、こいつ心配してくれたの?私のことをこいつが?
「なんだよ、その目は。俺だって病人の心配ぐらいするぜ?・・・まあいいや。じゃあ俺
は帰る」
 そう言って鷲一は歩き出した。曲がり角まで歩いてから、こちらを振り返った。
「一つ教えてやるけど、そのカッコで外に出るのはどうかと思うぞー」
 私は自分の服装を見てみた。
「・・・きゃああああああーーーーーー!!!!」
 ご近所中にパジャマ姿の私の黄色い悲鳴が響き渡った。隣では、裕美子ちゃんが口元を
押さえて笑っていた。



 裕美子ちゃんが帰って、1人になった私は手紙を読もうか読むまいか悩んでいた。裕美
子ちゃんが渡してくれた手紙。差出人は・・・先輩だった。裕美子ちゃんに先輩が頼んだ
らしい、私に渡すようにと。
 約束を守ってくれなかった先輩に対する私の気持ちはどうなんだろう?私は先輩に対し
て怒っているのだろうか? 怒ってるとは言い切れなかった。むしろ、先輩が来なくてほっ
としてる気持ちもあるかもしれない。このままでいいやっていう気持ちの私も少なからず
ここにいた。
 たぶん、この手紙がなければ私は先輩と今までどおり普通に接していけただろうと思う。
でも、この手紙は約束を守らなかったことに対しての先輩の返事だ、と思う。そうでなきゃ、
わざわざ先輩が私に手紙を書くことなんてありえないから。ただの後輩の私に。
 私は長い間考えた。こんなに考えたことはいまだかつてないんじゃないかってぐらい考
えた。考え過ぎて頭がぼうっとしてきた。知恵熱?
 私は服を着替えた。白いコートに白い手袋といういつものお気に入りの服。外で手紙を
読もうと思ったから。頭を冷やせる外で。
 想像どおり外は寒かった。それもそのはず。見上げれば空からはちらほらと雪が降って
いた。だんだん白くなっていく道を歩いた。私の足は公園へ向かっていた。
 公園に着いた。いつのまにか雪は大粒になっていて、はやくも公園は白く塗りつぶされ
ようとしていた。私は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところまで行ってベンチ
に座った。通りには歩いてる人は誰もいなかった。
 私は先輩の手紙を読むことにした。ちょっと手紙を開く手が震えるのは寒さだけじゃな
いかもしれない。
 私は手紙に目を通した。・・・・・・・・・。もう一度目を通した。・・・・・・。最
後にもう一回だけ目を通した。・・・・・・・・・・。私は手紙を閉じた。



「はっ・・・」



「ははっ・・」



「あははははっ・・・」



「そりゃないよ・・・ははっ」
 私はなんというか笑うことしか出来なかった。なんだか色々考えていたことが、全て意
味なかったような。空回りだった。
 先輩の手紙には次のように書かれていた。
『白河へ
風邪ひいたらしいけど大丈夫か。
今日の約束はまたの機会にしよう。
お大事に 』
 先輩は『今日』が約束の日だと思っている。ということは、先輩は私の手紙を『昨日』
読んだってことになる。私は手紙には『明日の午後2時』としか書いてなかった。
 こんな些細なことで・・・そう思うと笑うしかなかった。
 白一色になっていた雪に私は寝転がった。笑いすぎて熱くなっていた体にはちょうど気
持ちよかった。雪はいつのまにかやんでいた。
 しばらくそうしていたが、さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。
雪が降る気配はまったくなかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていた
ときだった。なんだか目の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。



 あのときもそうだった。私が小さい頃、ひとりで遊んでいたとき。雪うさぎをたくさん
作ったとき。ひとりだった私。通りがかる人もいなくてひとりだったとき。
 ひとりぼっちの私をかわいそうに思って、それで見せてくれたのかなあ。
 何がしあわせで、何が不幸かわからないけど、とりあえずお礼を言っておくよ。



 ありがとう



 そう呟いて私は空を見上げた。ずっと見続けていた。



 家に帰った私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん?私、雪夜。あのね、今日すっごいもの見たんだよ!裕美子ちゃ
んにも見せたかったよ、ダイヤモンドダスト! ・・・えっ何それって?これはね、神様
の贈りものだよ!」







はじめてのあとがき





 みなさん、読んで頂いてありがとうございました。
 この作品を書き始めるに当たって、イメージした作品がふたつあります。
 「ちっちゃな雪使いシュガー」
 「Kanon」
 以上のふたつです。わかるひとにはわかるでしょう。
 書き始めのきっかけは今年(2002年)の1月頃だったでしょうか。テレビのニュースで
ダイヤモンドダストのことを見たからです。
 言葉の響きがよかったので何かこれをネタに書けないものかなと思いました。
 あんまりタイトルと内容に意味はないかもしれませんが。
 本来なら、もっとはやく書き上げるべきだったのですが、いつのまにやら夏になってしまい
ました。
 あと、執筆中に影響を受けた作品として、「水夏」があります。
 でも、白河雪夜の苗字は「水夏」から取ったわけではありませんので。それは偶然の一致で
す。だって書き始めた頃は僕は「水夏」やったことなかったんですから。
 わかるひとにしかわからないネタでごめんなさい。
 それでは次の作品で。みなさん、よい電波を・・・。



エアコンの効いた涼しい部屋にて
��外は暑くて・・・)



2002/04/14

『家』



 いつも不思議に思っていた。いったい誰がこの家に住んでいるんだろう。人が住んでい
る様子はまったくない。ぱっと見たところ、平屋の一戸建てで、庭があるごく普通の家だ。
ただし、庭の雑草が無ければだけど。そこは足を踏み入れればすぐわかる、泥棒泣かせの
雑草地帯となっていた。



「誰が住んでんだろ、この『家』」
「さあな。いっつも誰もいないけどな」
 僕が聞くと、ユウちゃんは首をひねりながら答えた。
「今日は土曜だから学校は昼までだろ。昼メシ食ったらこの『家』を調べてみようぜ」
 教室の前まで来ると、ユウちゃんは突然こんなことを言い出した。
 僕も1人でこの家に来るのはいやだけど、2人なら安心だろう。
「いいよ。じゃあ1時にしよう。1時に公園で待ち合わせね」
「おっけー。秘密道具持って来るの忘れんなよ」
 そう言うと、ユウちゃんは自分の教室へ入っていった。僕はその後ろ姿を眺めていた。
ユウちゃんの後ろ姿を見ていると、僕はとっても安心できる。かくれんぼのとき、ケンカ
のとき、オニごっこのとき…。



 ぼんやり考えていたら、いきなり頭をたたかれた。
「おっはよ。なにぼーっとしてんの?」
「アヤちゃん、何すんだよ」
 僕は頭を押さえながら、振り向きもせずに言った。僕にこんなことをするのは一人だけ
なのだ。
「あたしは、お・は・よ・うっていったんだけど」
「お・は・よ・う」
 そう言うと、アヤちゃんは満足げにうなずいた。
「はい、よろしい。あいさつされたら、あいさつを返すのが女の子とのおつきあいっても
んよ」
 それは違うだろ。
「何、その不満げな顔は。それで、どうしてぼーっとしてたの」
「ぼくが?いつ、どこで?」
「あなたが、いま、ここで」
「そうだったかなあ…」
 僕は首をひねった。そうするとアヤちゃんは、やれやれといった感じで教室に入っていっ
た。
 僕は自分では自覚がないが、ときどきぼーっとするらしい。
「それさえなければ、今ごろ女の子にモテモテよ」
アヤちゃんにはこう言われたことがある。よくわからない。べつにいいけどね…。
 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムが鳴ったので、僕はあわてて教室に入っていった。
 1時間目の休み時間。いやな理科の授業が終わってぐったりとしていると、アヤちゃんが
話しかけてきた。
「ねえ、今朝なんかあったの?」
「どーして?いつもどおりだと思うけど…」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「相変わらずぐったりしてるわね。あっそうか。1時間目はあんたの嫌いな理科だっけ」
「そう、そのとーり。せいかいでーす」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「しかしそんなにいやかなあ、理科って。実験とかあるからあたしは好きだけど」
「ぼくだってじっけんはきらいじゃないけどさー。ヤなもんはヤなんだよ。あーあ」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「まったくしょうがないわね。とにかく早く行きましょうよ。遅れるわよ」
「へ?……あっ、そうか! 次は体育でプールだっけ!」
「そうよ。わたくしのエレガントな水着姿が見たかったら、はやくしなさい。オーホッホッ
ホ」
 アヤちゃんは変なポーズで変な笑い方をしながら歩いていった。僕もすばやく水着を準備
して走り出した。別にアヤちゃんの水着が見たいわけじゃないけど。



「位置について、…よーい、スタート!」
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく……
 僕は息を止めたままどんどん進む。自慢じゃないが、僕は息継ぎさえしなければクラスで
一番のスピードがだせるのだ。他のやつは早くも息継ぎをして普通に泳ぎ始めている。まだ
��メートルぐらいなのに。根性のない奴らめ。
 ぶくぶく……
 10メートル経過。まだまだいけるぜ。きょうのおれは!
 ぶく…
 15メートル付近。さすがにつらくなり息継ぎ。同時にチラッと後ろを見ると、はるか後
方に他のやつらの水泳帽が見えた。ふっ、勝ったぜ。後は残りの10メートルを泳ぎきるだ
けだ。
 ざばっざばっざばっ………
 ぱしっ!
 僕は手を懸命に伸ばして、壁にタッチした。すぐさま後ろを振り返る。
 あれっ…だれもいない…
 プールサイドを見ると、僕以外の奴はすでに泳ぎ終わって、休んでいた。
「なんで?」
「なんでじゃないわよ。あんたが一番、ドベなだけよ」
 アヤちゃんが僕の疑問に答えた。僕は首をかしげながらプールからあがった。
「15メートルぐらいまでは不気味なほど速かったけどね。それからあとは、まるっきりダ
メね」
「何がダメ? 教えてよ。」
 僕は疑問があると、解決せずにはいられないのだ。そのためならどんなことだってしてや
る。
「お礼は?」
「へ?」
「へじゃないわよ。教えてあげたら、どんなお礼してくれるの?」
「僕にできることなら、なんでも。ただしひとつだけ」
 僕は間髪をいれずに答えた。ここで変な間を入れたら相手はいろいろ考えるから、すぐ答
えるほうが都合のいいことが多いのだ。(アヤちゃんに対してはだけど…)
「ふーん、イマイチしんじられないけど・・・ま、いいわ。約束ね」
「約束する」
「じゃあ教えてあげる。まず、最初にフォームが悪い。腕はまっすぐ伸ばすほうがいいんだ
けど、水をかくときぐらい曲げたほうがいいんじゃない? それから、息継ぎの時間が長い
わよ。何であんなに吸い込むのかな、何分ももぐるわけじゃないのに。そして足はなぜバタ
足じゃないのよ。普通は自然にバタ足を使うと思うけど」
 ほほう、聞けば聞くほど何でダメなのか納得できる。しかし僕は今までどうやって泳いで
たんだろ。
「あ、もう1個大切なこと忘れてた」
「何?どんな小さなことでもいいよ。教えて」
 ここまできたら全部言ってもらおう。そのほうがすっきりする。すると、アヤちゃんは僕
を指差し、
「それはね・・・・・・・・・顔よ!」
「なんでやねん!!」
 ぷにっ
 僕は間髪をいれずつっこんだ。ツッコミにはすばやさが必要だ。でもおかしいな、いつも
ならビシッて音なのに・・・。不思議に思い、アヤちゃんのほうを見ると、なんと僕の手が
アヤちゃんの胸を・・・
「な、何すんのよっ!!!このすけべっ!!!」
 どげしっ
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく・・・
 視界がゆがんで、たくさんの泡が僕の口から出て行った…。



 気が付いたら、僕は白いベッドに寝ていた。まわりはとても静かだった。時計の秒針が動
く音が聴こえる。
 状況を分析する。どうやら、アヤちゃんのすごいまわしゲリが僕に炸裂した・・・らしい。
腰がひどく痛い。その後、プールに落ちたようだ。鼻の奥がつーんとする。
 僕が腰をさすっていると、部屋の扉がガラッと開いて先生が入ってきた。
「あ、ようやく気が付いたみたいね。大丈夫かな?」
「ちょっと腰が・・・」
 ずきずきするんですけど。
「ああ、すごい蹴りをもらったみたいね。あなたを連れてきた男の子が言ってたわ。『あん
な蹴りを見たのは初めてだ。初めて女の子のハダカを見たときみたいに感動した』って」
 僕は苦笑するしかなかった。かっこ悪い以外の何者でもない。
「先生、まだ腰が痛いんです。シップか何かありませんか。」
「分かってる、ちゃんと用意してあるわよ。ただ、これを貼るには、あなたが水着を脱ぐ必
要があるんだけど・・・。」
 先生はそう言って、冷蔵庫からシップを取り出した。
「何で先に貼ってくれなかったんですか?」
 僕は素朴な疑問を口にした。寝てるときに貼ってもいいと思うけど。すると、先生は顔を
赤らめて言った。
「君は、わたしが寝てる男の人の服を勝手に脱がす女だと思うのかな」
「・・・思いませんけど、でもなんか違いません?」
「わたしにとっては重要な問題なの!」
 僕は、少し怒ったように言う先生からシップを受け取り、腰に貼った。冷たくて気持ちよ
かった。
「まあ、若いんだからすぐ元気になるわよ。まだ授業は半分ぐらい残ってるけど、ゆっくり
寝てなさい。先生には連絡しておくから」
 そう言うと、先生は保健室から出て行った。何でも今日はケガ人や病人が多いらしい。人
気アイドルはツライわね、なんて言ってた。僕はあえてその言葉にチェックを入れなかった。
それが男とゆうものだ。
 しかし、困ったことになった。このままではユウちゃんとの約束が守れない。とにかく立っ
てみよう。
 ぐきっ
「!!!!!」
 僕は声にならない悲鳴をあげた。無理をすれば立てないこともないと思うが、それにして
も痛い。すでに事故から30分は経過したはずだが、これでも回復しているのだろうか?
 僕は立つことをあきらめて、おとなしく寝ることにした。先生の言葉とシップの効力を信
じて・・・



 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムの音で目が覚めた。どうやら横になっているだけのつもりだったが、眠ってしまっ
たらしい。
 時計から察するに、今のチャイムは3時間目の終わりのチャイムのようだ。平日なら10
分の休み時間の後、4時間目が始まるんだけど、今日は土曜日なのでこれから掃除の時間だ。
 無理すれば起きられないこともないけど、ここは病人の特権ということで寝ていよう。誰
かに起こされたら今起きた振りをしよう。先生をいない事だし。
 そう思っていたら、扉の開く音と共に何人か入ってきた。どうやら保健室の掃除当番らし
い。寝たふりしなきゃ!
「あーあ。今日でようやくこの保健室の掃除とオサラバできるよ」
「あーあ。今日でようやくアンタのぼやきとオサラバできるわ」
 女の子が皮肉で返事した。毎日ぼやきを聞かされていたようだ。
「だってさ、このだだっ広い部屋はさ、普通の教室の2.5倍は広いよ。不公平だと思わな
いの?」
「しょうがないじゃない、くじびきで決まったんだから。そりゃあね、広いとは思うけど」
 ぶつぶつ文句を言いながら、掃除をしてるみたいだ。床をホウキで掃く音が段々近づいて
きた。
「それにさ、今日はアヤちゃんがいないし」ぶつぶつ。
「そういえばいないね、どうしたの?」
「アヤちゃんが先生に言ってるの聞いたんだ。『今日は保健室の方角はタロット占いでも風
水学的にもよくないとでていますので、教室の掃除を手伝います』てさ」ぶつぶつ。
「それで? 先生なんて言ったの」
「わかるでしょ。先生に占いの話をしたら100%信じるって」ぶつぶつ。
「ああ、先生の今の彼氏は占いで見つかったって言ってた。」
 なんでも、手相を占ってもらっていた所に、昔先生が憧れていた男が客として来たらしい。
偶然の再会に加えて、お互い占い好きという新事実が2人の距離を縮めた、というようなこ
とを朝のホームルームで言ってたのは、つい2週間前のことだ。さすがアヤちゃん、先生の
心理をついたいい作戦だ。
「まあ、先生のOKがあるからさ、しょうがないけどさ、でも…」ぶつぶつ。
「さっきからぶつぶつうるさいっ!! あんな事件の犯人なんだし、ここに近づきたくないの
も分かるでしょ。わたしだって顔合わせづらいと思うよ?すごかったもん、あのキック」
「そりゃ、あんなことしちゃあね、納得」
 それから、二人はさっさと掃除を終えて保健室を出て行った。ぶつぶつ言いながらだから、
掃除は適当だったようだ。僕が寝てるベッドまで来ていない。気づかれなかったのか、見て
見ぬふりをしたのかはよくわかんなかったけど。



 それから少し経って、またガラガラと扉の音がした。誰か来たみたいだ。寝たふり寝たふ
り。
 入ってきた人は、静かに歩いて、仕切りのカーテンを開けた。雰囲気から察するに先生だ
ろうか。
「寝てる…のか」
 その人は呟いた。それから近くに椅子に腰掛けたみたいだ。どうしよう、長居するつもり
なんだろうか? 起きたほうがいいのかな、寝てたほうがいいのかな。
「やっぱりあたしのせいかな・・」
 このセリフから、ここにいるのが誰だか分かった。アヤちゃんだ!寝たふりモード継続!!
「寝ててよかった。でも起きててくれたほうがもっとよかったかな…」
 アヤちゃんはひとり言を言っているようだ。ささやくような小さい声で。
「顔見た瞬間にあやまろうって決めてたのに。タイミング…悪かったみたい。」
 そう言うとアヤちゃんは立ち上がった。音と気配でなんとなくだけどわかる。
 足音が遠ざかってゆく。しばらくして水を汲んでいる音が聞こえてきた。何するつもりだ
ろ。
 僕は寝たふりを続けた。今起きていることを悟られちゃダメだ。ひとり言だから言える事っ
てあると思うし、なんか盗み聞きするみたいでイヤだけど、それでも聞いてみたい気持ちの
ほうが強かった。
 アヤちゃんは洗面器に水を入れて持ってきたみたいだ。タオルを水でしめらせて、僕の頭
にのせてくれた。ひんやりとして気持ちいい。
「悪かったとは…思わないけど。ちょっとやりすぎたかなって思ってるんだよ?」
 しばらくしてからアヤちゃんは呟いた。
「ケンカなんてしたくないから。すぐあやまろうって、思ったんだけど…。すぐここに来て
れば、それが出来たのかもしれないけど。あのときは…あたしもびっくりしちゃって、あの
後ずっと顔がまっかっかだったんだよ」
 アヤちゃんの気持ちが伝わってくる。うそのない本当の気持ち。面と向かって言われたら、
こんなふうには思えなかったかもしれない。だけど、今の寝たふりの僕にはすごくはっきり
と伝わった。うれしかった。じわーっと伝わってくる気持ち。あったかい、とってもしあわ
せな気持ちになれた。
「また、後でね…」
 そう言って、アヤちゃんは部屋を出て行った。僕はアヤちゃんが出て行くのを薄目で確認
してから、ようやく起き上がった。時計を見ると、もうすぐ昼の12時になろうとしていた。
ふと気づくと、腰の痛みはなくなっていた。



 戻ってきた保健の先生にお礼を言って、僕は教室に戻った。教室には担任の先生と、何人
かの生徒がいるだけだった。帰りの連絡会はもう終わったようだ。
「お、やっと戻ったか。どうだ、具合は?」
「ぐっすり寝たおかげでよくなりました」
 僕を見つけた先生が声をかけてきた。僕は事実のみを簡単に答えた。あの不思議な感覚は
説明してもわかんないと思うし、説明するとあの気持ちが薄れちゃいそうだったから。
「そうか、よかったな。…まあ若いうちはいろいろあるもんだ。自分は間違ってないと思う
こともあるだろう。事実そうだとしてもだ。そう考える前にちょっとだけ相手のことを考え
ることが大切だと先生は思う。わかるかな?」
 先生はやさしい目をしていた。先生もいろいろあったんだろうか。
「はい。…僕も、そう思います。でも先生もまだ若いですよね。それってもしかして体験談
ですか?」
 そう聞くと、先生はニヤリと笑い、
「…ま、な。」
 とだけ答えた。少し都合が悪いらしい。僕は深く追求するのをやめておいた。先生に敬意
を表して。
「じゃ、僕帰ります。先生さようなら。」
 先生に挨拶をして教室を出た。早くしないと昼御飯の時間がなくなっちゃうからだ。
「ああ、そうだ。伝言があったんだ。『悪いけど、先に帰るね』だそうだ。」
 先生が窓から顔だけを出してそう言った。
「どういうことですか?」
「言葉どおりの意味だが?」
 僕の問いに先生は、こいつ何言ってやがんだ、というような表情で答えた。僕も答えはお
よそ見当がついたが、あえて先生に聞いてみた。
「誰からの伝言ですか」
「教えない。教えたらつまんないだろ。それに・・・」
 先生はニヤリと笑い、こう言った。
「お前はわかってるんだろ。わかってるやつにわかってることを言うのはそいつに対して失
礼だからな。」
 僕は何も言わずただ、ニヤリと笑いその場を後にした。
 校舎から出ると、空は青一色の素晴らしくいい天気だった。僕は息を目いっぱい吸い込ん
で家に向かって走り出した。ちょうど12時のサイレンが鳴り始めていた。



 家に着いてからすぐ昼飯の準備をした。土曜の昼はラーメンと決まっているので時間がか
からなくていい。小さい頃からそうなので、すでにラーメン作りの腕前は大人顔負けである。
��ただし、インスタントラーメンのみ。カップラーメンは不可。腕のふるいようがないゆえ。)
 お湯を沸かしている間に、冷蔵庫からねぎを取り出し刻み始める。僕は長ねぎは嫌いなの
だが、ラーメンに入っているねぎは食べられるので、ラーメンのときはたっぷり食べるよう
にしている。
 ボウルに半分ぐらいになった所で、切るのをストップ。
 次に、お鍋に水を入れてお湯を沸かす。水は多めに入れておく。
 お湯が沸いたところで、ボウルのねぎを半分お湯に入れる。
 しばらくしてから、めんを入れる。めんがほぐれる間に、フライパンで残りのねぎを炒め
る。少量のゴマ油で炒めるのがポイント。
 めんがほぐれたら、スープの素を入れ煮込む。コトコト。
 最後に、10秒ぐらい最大火力で煮込む。どんぶりに盛り付け、炒めたねぎをのせて完成。
 僕特製、ゴマねぎラーメン。名前だけ聞くとゴマとねぎの入ったラーメンみたいだけど、
実際はねぎの入っただけのラーメンだけである。食べた人にだけタイトルが納得できる秘密
主義な奴である。
 僕は念入りに手を洗ってから割り箸を取った。やっぱりラーメンは割り箸で食すものだと
思う。
 まずはラーメンを一口。ちゅるるるっ。僕はスープではなく、めんから食べる派なのだ。
今日の出来は・・・まあまあだ。ねぎの香ばしい香りが食欲をそそる。ゴマ油のからみ具合
も中々の出来栄えである。
 僕は、ちゅるるるっ、ごくごく、ちゅるるるっ、ごくごく、と繰り返し、10分ほどで完
食した。満腹満腹。
 時計を見ると、12時30分ちょうどだった。約束の時間にはまだ早い。僕はどんぶりを
手早く洗って、部屋へ向かった。秘密道具を押入れの奥の奥から取り出す。これを忘れちゃ
始まらない。カバンにしっかりつめこんでこれで準備万端。
 まだ時間はあるので、腰の調子を完全にするため、少し横になることにした。目を閉じて
深呼吸する。あたたかい何かが腰を中心として体全体に広がっていった。体が軽くなって、
ふわーっと浮かんでいるような気分だった。



 その日は朝から暑い日で、テレビのニュースでは最高気温は35℃になると言っていた。
僕は『家』の前にいた。時間は昼の1時30分。僕は・・・1人で立っていた。やっぱり、
ユウちゃんは来ていない。当たり前かもしれない。きちんと約束したわけじゃないから。あ
の日から1週間が経っているのだから。



 あの日、僕は見事に寝てしまった。少しだけのつもりが気が付いたら2時を過ぎていた。
大慌てでカバンを持って公園までダッシュした。息を切らせて走った。
 公園には5分ぐらいで着いたけど、ユウちゃんの姿はそこにはなかった。
 砂場で遊んでいた子達がいたので、ユウちゃんのことを聞いたけど知らないみたいだった。
 僕は先に行っちゃったのかと思って、『家』まで行ってみた。だけどそこにもユウちゃん
はいなかった。かわりに、門のところに看板がかけられていた。関係者以外立入禁止。朝見
たときにはなかった看板だ。こんな看板があったらユウちゃんも入ってないだろう。
 そう考えて、他にユウちゃんが行きそうな所を探してみた。
 結果は・・・ダメだった。僕はどうしようもなかったので、最後にユウちゃんの家まで行っ
てみた。ユウちゃんの家には誰もいないようだった。呼び鈴を押しても音が寂しく鳴り響く
ばかりだった。
 僕は疲れきった体を引きずって家に帰った。ユウちゃんに会えなかった僕の足はひどく重
いような気がした。
 家の前には見覚えのある人影。・・・アヤちゃんだった。アヤちゃんは家の前をうろうろ
しながら様子をうかがっているようだった。近づいていくとアヤちゃんは僕に気づいて、気
まずそうな顔をした。
「どうしたの?」
「話が・・・あるの」
 そう言ってアヤちゃんはうつむいていた顔を上げた。今の今までいろいろ考えていたけど、
何かを吹っ切ったような顔だった。
 僕はアヤちゃんに部屋に上がってもらった。しっかり腰を落ち着けて聞こうと思ったから。
それだけアヤちゃんの顔が真剣だったから。
 ジュースに入れた氷が溶けきるぐらいの時間が経って、アヤちゃんはようやく口を開いた。
「・・・ごめんなさい。あたしが悪かったです。・・・本当にごめんなさい」
 僕はこんなにアヤちゃんがしおらしくしているのを見てびっくりした。と同時に、素直に
謝ってくれる気持ちがうれしかった。
「ありがとう。・・・僕も悪かった。何を言っても言い訳になるかもしれないけど、あれは
・・・わざとじゃないんだ。本当に、こっちこそごめん」
 僕は今の正直な気持ちを伝えた。どっちが悪いとかそういうのじゃない。簡単な言葉でい
えば、あれは不幸な事故だったってことになる。どっちも悪くないともいえるし、悪いとも
いえる。だけど、問題はそういうことじゃなくて、僕がアヤちゃんに悪いと思ったこと。ア
ヤちゃんが僕に悪いと思ったこと。そしてその気持ちをお互いが相手に伝えようと思ったこ
と。そのことが大事なんだと思う。
 僕が言ったことばを聞いて、アヤちゃんはにっこり笑った。いつもの笑顔で笑った。
「・・・こうやって、いつも素直だとうれしいんだけどな」
「・・・それはあたしのセリフなんじゃないの?」
 アヤちゃんはすっかりいつものアヤちゃんに戻っていた。もうちょっとぐらい、しおらし
いままでもいいと思うんだけど、な。



 あの日から僕はユウちゃんに会っていない。ユウちゃんの家はずっと留守にしている。連
絡の取り様がなかった。僕はユウちゃんを待ちつづけるつもりだ。1人で『家』を探検でき
ないわけじゃないけど。2人でという約束だったから、今度こそその約束を守りたい。
 そうして立っていると誰かが背中をつついた。
「こんにちは。何してんの?」
「・・・アヤちゃん、どうしたの?」
 僕はバカみたいに質問を返してしまった。案の定、
「あたしは、こ・ん・に・ち・はっていったんだけど」
 アヤちゃんはいつも通りに言ってきた。
「・・・こんにちは」
 いつものやり取りが繰り返される。僕もなかなか進歩しないもんだ。
「・・・約束だから」
 僕はアヤちゃんの質問に答えた。これしか答え様がなかったし、答える必要もなかったか
ら。
「そう。わかった。じゃあ、明日は・・・暇?」
「まあ、暇だけど」
 僕はその答えしか思いつかなかった。
「明日の2時にあたしの家に迎えに来て。一緒に図書館に行こう」
「え・・・」
「じゃ、約束したからね。忘れちゃだめだよ?」
 そういってアヤちゃんは歩いていった。あまりにも唐突で一方的だった。だけど、ちょっ
とうれしい。アヤちゃんが僕のことを思って言ってくれたのがわかったから。
 僕は約束を守ることの大切さを学んだ、ような気がした。ユウちゃんに会ったらきちんと
謝ろう。そうしよう。僕はアヤちゃんとの約束を心に刻んだ。忘れないように。
 空は雲ひとつなく、澄み切っていた。陽射しは強かったけど、ときどき吹いてくる涼しい
風が僕を包んでくれているようだった。







2000/03/06

陽菜の微笑み(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「おはよう、孝平くん」
「おはよう、陽菜。今日もいい天気だな」
 空には太陽がまぶしく輝いている。
「うん。お休みだったら、お布団干せたんだけどね~」
「昼間は学院に行ってるし、万一ってこともあるといけないから、なかなか干せないんだ
よな」
「そう言えば孝平くんのお布団、だいぶぺたんこになってるよね。今度のお休みが晴れる
といいね♪」
「ああ。……って、次の休みはデートしようって言ってなかったっけ」
「……そう言えば、そうだよね。う~ん、デートは延期してもいいんだけど」
「布団のために延期ってのもな……。まあ、当日の天気によるけど、その時に考えよう。
俺は、陽菜がそばにいてくれれば、それだけで幸せだから」
「わ、私も……孝平くんがそばにいてくれるなら……」
 自然と、ふたりの距離は縮まっていく。



「おかえりなさい、孝平くん。お茶会の準備はもうすぐできるよ、ってどうしたの、そん
なに息を切らして」
「いや、風が強かったから走って帰ってきただけ。強風の中をのんびり歩いてるのもな」
「女の子はそういうわけにはいかないんだけどね。……はい、お茶」
「サンキュー、陽菜。……ああ、やっぱり陽菜のお茶はおいしいな」
「ありがとう、孝平くん」
 そんなふたりを、じっとりと見つめる四つの目。
「な、なんですか、かなでさん」
「いーえー、らぶらぶだなーと思っただけ。ねー、えりりーん」
「そうですねぇ、悠木先輩。まさか、こんなにも夫婦っぽい光景が目の前で見られるとは
思ってなかったわ」
 ずずず、とあからさまに音を立てながら、かなでと瑛里華はお茶をすすった。
「もう、ふたりともからかわないでよ、はいお茶」
「ありがとー、ひなちゃーん」
「ありがと、陽菜」
 孝平は荷物を置くと、いつもの定位置に座る。そして、陽菜も定位置の孝平の隣に座っ
た。
「今日は、白は用事があるからお茶会には来られないそうよ」
「へーじも同じく。バイトで疲れたから寝るって」
「司は、この強風の中を出前してたんだろうから、疲れるのもわかるな」
「そんなに外の風、すごいの?」
「ああ、春一番はもう吹いたけどさ、結構な。寒さもぶり返したような気がするよ」
「それじゃあ、明日のひな祭りはどうなるのかなあ」
 陽菜が心配そうに呟いた。



「今日は雨だね、孝平くん」
「ああ、こればっかりはしょうがないよな。でも、おかげでいいものが見られたと思えば、
雨も悪くないかな」
 あいにくの雨。当初は寮の中庭で開催される予定だったひな祭りパーティーは会場が談
話室に変わった。
「そうだね、こんなに立派な雛人形が見られたんだもん。紅瀬さんには感謝しないといけ
ないね」
「……私は、何もしていないわ」
「それでも、許可、してくれたんだろ。昔、伽耶さんと遊んでたっていう貴重な雛人形ら
しいじゃないか」
「運んでくれたのは、貴方と八幡平君でしょう」
「これぐらいはやらないと、カッコつかないだろ」
「ありがとうね、孝平くんも」
「陽菜のその笑顔だけで、十分お釣りが来るよ」
「……ごちそうさま。それじゃ、私はこれで」
 桐葉は音も無く去っていった。
「……え、えー、みなさん。お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。祝
いの杯をお渡ししますので、前の方から順番に取りにきてください」
「お、いよいよ白酒の登場だな」
「孝平くん、私たちも行こう。白ちゃんのお手伝いをしないと」
「そうだな。さすがに白ちゃんひとりで白酒を配らせるわけにはいかないし」
「あ、支倉くんに陽菜。ふたりはそっちでお願い。こっちは私と白でやるから」
 宴の準備は着々と進んでいった。



「陽菜、昨日はありがとうね」
「ありがとうございました、陽菜先輩」
 いつものお茶会の席。生徒会の紅二点がぺこりと頭を下げた。
「え、昨日? ……私、何かしたかな」
 ごつん、という鈍い音がした。瑛里華が机に頭をぶつけたのだ。
「何って、ひな祭りのお手伝いでしょ! もう、頭ぶつけちゃったじゃないの」
「それは会長が自分でやったからだろ。はい、今日は俺が淹れてみた」
「わかってるわよ……ありがと」
 おでこを押さえつつ、お茶を受け取る瑛里華。
「ありがとうございます」
「ありがとう、孝平くん」
 とりあえず、みんなお茶を飲んで気分を落ち着けることにした。
「あら、おいしいじゃない♪」
「これでも、毎日白ちゃんの仕事振りを見てるし、時々陽菜にも紅茶の淹れ方を教わって
るからな」
「はいはい、お熱いですこと。それはそれとして、私たちとしては昨日のお礼をしたいん
だけど、何かしてほしいことってある? 陽菜のしたいこと、私と白でやろうって話して
いたのよ」
「うーん、そう言われても、特に思いつかないなあ……」
「小さなことでも構いませんから、何かあったら遠慮なく教えてくださいね」
「うん。……あ、だったらひとつお願いしても、いいかな」
「ええ、いいわよ」
「あのね、……編ませてもらってもいい?」



「~~~♪」
 顔の表情からも、陽菜の嬉しさが伝わってくる。
 瑛里華の髪をやさしく丁寧に編み上げていく陽菜の笑顔は、見ている人にも伝染していっ
た。
「陽菜先輩、すごく楽しそうです」
「そんなに、編みたかったのか?」
「うん。だって、えりちゃんの髪、とっても気持ちがいいんだよ。それに……」
「それに?」
「小さい頃にも編ませてもらったこと、思い出したから」
「……私は、ずっと覚えていたわ。数少ない、小さい頃の思い出だったから」
 瑛里華が懐かしむように目を閉じる。
「ごめんね。……でも、本当に思い出せてよかったよ。わがままも、時にはいいことがあ
るんだね……」
 陽菜の目に、涙の粒が浮かんでいた。
「よかったな、陽菜」
「うん♪ ……はい、できあがり」
 瑛里華の金髪は、二房の三つ編みになっていた。
「ほんとに上手ね。さすがは三つ編み師、といったところかしら」
「陽菜先輩は、三つ編み師なんですか?」
 白が目を丸くした。
「……そうなのかな?」
「いや、俺に聞かれてもな」
「それじゃあ、白ちゃんもどうかな」
「え、わ、わたしですか?」



「よろしくお願いします、陽菜先輩」
「うん、まかせて。これでも修智館学院一の三つ編み師だよ?」
 冗談めかして微笑む陽菜に、白も笑顔になった。
「うわあ、白ちゃんの髪、すごく細くてやわらかいね」
「そうですか? わたしは自分のことなので、よくわからないのですが」
「自慢していいと思うよ。……そういえば、東儀先輩の髪も長くてきれいだよね」
「もしかして、東儀家には秘密のシャンプーが伝わっているとか」
「そんなわけないでしょう、支倉くん。……ないわよね、白?」
「え、ええと、わたしは少なくとも聞いたことがありません」
 そんなことを話している間に、白の三つ編みは完成した。
「はい、できました♪」
「白ちゃん、鏡見てみなよ」
 孝平が手鏡を渡すと、白はにこりと笑った。
「すごいです。なんだか、文学少女になったみたいな気がします」
「校則にも準じた、伝統的な三つ編みだからね。もしよかったら、また編ませてね」
 そして、陽菜の目は、最後の一人に向けられた。



「孝平くん♪」
 陽菜の楽しげな声に、孝平はうな垂れるしかなかった。
「とほほ、まさかまた三つ編みをすることになろうとは」
「大丈夫だよ、孝平くん。前の時よりも髪の毛が長くなってるから、編みやすいよ?」
「……さんきゅ、陽菜」
「うん♪」
「どうしてなんだろう。甘い会話のはずなのに、切なさが感じられるわ……」
「え、えと、支倉先輩、お茶をどうぞ」
 こぽこぽと急須からお茶を注ぐ白だった。
「ありがとう、白ちゃん。……ふたりにお願いがあるんだけど、このことは誰にも言わな
いでおいてくれるかな。やっぱり恥ずかしいから」
「どうして? 別に、女子大浴場に突入したわけじゃないから、平気でしょ」
「随分なつかしいことを……あいたた。陽菜、なんでつねるんだよ?」
「さあ、孝平くんの胸に聞いてみたらいいんじゃないかな」
「あ、ごめんね、陽菜。余計なこと言っちゃったわね」
「ううん、えりちゃんは悪くないよ。孝平くんがえっちなのがいけないの」
「いや、俺は何も思い出してなんか……」
「(にこにこ)」
「すみませんごめんなさい」
「これっきりだよ?」
 と言って、陽菜は孝平のほっぺたをさすった。
「?」
 白は、何がなんだかわからなくて、ずっと首を傾げていた。



「準備できた、孝平くん?」
「ああ。ちゃんと布団も干したし、洗濯もばっちり。荷物もちゃんとまとめてあるから、
いつでも出られるぞ」
「それじゃ、5分後に寮の前で待ち合わせだね」
「ここから一緒に行けばいいんじゃないか?」
「だめだよ。デートはデートらしくしなくちゃ」
 そう言うと、陽菜は小走りで階段を下りていった。
 やれやれと思いながら、少しゆっくりめに階段を下りる。
 そして、寮の前で待っている陽菜に向かって声をかけた。
「お待たせ、待ったか?」
「ううん、私も今来たばかりだから♪」
 あははっとふたりで笑いあった。
 なるほど、確かにデートってこういうものだよな、なんて思いながら。
 仲良く手をつないで歩いていると、前方から桐葉が歩いてきた。
「おはよう、紅瀬さん」
「おはよう……悠木さん、支倉君も」
「おはよう。紅瀬さんは散歩か?」
「いいえ、主の用事を済ませて帰ってきたところよ。まったく、伽耶ったら寝かせてくれ
ないんだから……」
 それを聞いた陽菜の顔が、赤く染まる。
「ゲームをしていたのだけど、自分が勝つまでやめようとしないのよ。まったく、しかた
のない主だこと」
 と言い残して、桐葉は歩いていった。
「あ、あはは……い、行こうか、孝平くん」
「お、おう」
 なんとなく、ぎこちなくなりつつも、手はつないだままのふたりだった。



 噴水前にやってきた。太陽の光を浴びて、水がきらきら輝いている。
「そう言えば転入したての頃、ここの写真を撮ったっけ」
 あれから、もうすぐ一年になるのか。
「ああ、お姉ちゃんにもらった冊子に従って、写真撮りに行ったんだよね」
「そう。あの時はいろいろあったなあ。確か、このへんで雪丸を……」
 ぴょん
「あ、雪丸だね」
「そうだな。……てことは」
「ゆきまるー」
 孝平は目の前を飛び跳ねる雪丸をキャッチした。
「あ、支倉先輩、陽菜先輩」
「おはよう、白ちゃん。雪丸のお散歩?」
「いえ、お散歩は終えて戻ったところで、逃げられてしまいまして」
「ここで、俺に捕まえられたと。はい」
「いつもありがとうございます。ほら、雪丸も反省しないとだめですよ」
 白ちゃんに叱られて、少しだけ雪丸がしょんぼりしたように見えた。
「おふたりはお散歩ですか?」
「うん♪ ちょっと裏山のほうまで行こうかなって。よかったら、白ちゃんも一緒に来な
い?」
「……いえ、わたしはローレル・リングのお仕事がありますし、それにおふたりの邪魔を
しちゃ申し訳ないですから」
 白はぺこりと頭を下げると、礼拝堂に戻っていった。



 監督生棟まで上がってきた。
「あら、どうしたのふたりとも」
 そこには、いつもの勝気な笑みを浮かべた、われらが生徒会長、千堂瑛里華の姿があっ
た。
「おはよう、えりちゃん。今日は、孝平くんとおでかけなの」
「ふ~ん、いつも仲良しでいいわねえ。ちゃんと陽菜をエスコートしてあげるのよ、支倉
くん?」
「ああ、言われるまでもないさ。会長は、どうしてここに? 生徒会の仕事でもあったっ
け」
「違うわ。四月になったら、新入生が入ってきて、またにぎやかになるでしょう。それに
備えてのアイデア出しと、受験勉強よ。監督生室は静かだから結構はかどるの」
 ぱちりとウインクしてみせる瑛里華。
「そっか。それじゃ、俺も空き時間にアイデアを溜めておくよ。それじゃ、またな」
「ええ、いってらっしゃい♪」
 ひらひらと手を振る瑛里華に、ふたりは笑顔を返した。



「千年泉に到着だね~」
「ああ。ここらで休憩にしようか。ちょっと待っててくれよ」
 孝平はカバンからレジャーシートを取り出した。
「えーと、突風はないだろうけど、一応石を置いておくか」
「はい、こーへー」
「ありがとうございます、かなでさ……って、ええっ?」
「お姉ちゃん?」
「うん、間違ってもひなちゃんのお兄ちゃんじゃないよ?」
「んなことはわかってますって。どうしてこんなところに?」
「もうすぐ卒業だからね~。学内をいろいろまわって思い出に浸ってみようかと」
 かなでは懐かしそうにまわりを見渡した。
「お姉ちゃんは、ここにどんな思い出があるの?」
「そーだねえ……。ずっと昔に、幼なじみの男の子が溺れたよーな記憶が」
「その幼なじみの男の子は、何も悪いことしてないのにイカダで島流しにされたんですよ
ね」
「そーそー。よく覚えてるね、こーへー。さすがは生徒会副会長!」
 ぐっ、と親指を立ててにこやかなかなでだった。
「そういえば、そんなことあったよね。あの時は、お姉ちゃんが孝平くんに人工呼吸しよ
うとして大変だったっけ」
「……ちょっと待って。それ初耳」
「……ごめん、冗談だよ」
「なんだ、よかった」
 ほっと胸をなでおろす孝平。
「実は、私が人工呼吸……したんだよ?」
「……え?」
 ふたりはお互いのくちびるを見つめあい、そして。
「はいはい、そこまでー。まずは、お昼を食べようよ」
 かなでのノーテンキな声が邪魔をするのだった。



「でりーしゃす! やっぱり、ひなちゃんのごはんは美味しいね♪」
「ありがとう、お姉ちゃん。はい、あったかいお茶もあるからね」
「ほんとだ、この卵焼きなんて、絶妙な味で俺好みだ」
「ありがとう、孝平くん。おかわりもあるから、たくさん食べてね」
 三月とはいえまだ少し肌寒いが、ちょうどお昼時ということもあり、日差しが出ている
ので、絶好のランチタイム日和だ。
「お姉ちゃんは、この後どうするの? 私たちと一緒に来る?」
「ううん。ふたりの邪魔をするなんて、お姉ちゃん失格だよ。お昼からは、まるちゃんの
お手伝いでもしようかな」
「いつもお世話になってるもんね。あ、でも、まるちゃんって言うのはやめておいたほう
がいいよ」
「そうですね。シスターの機嫌が悪くなっちゃいますから」
「わかってるって。どーんとまかせておきなさい、屋形船に乗ったつもりで!」
「……いまいち、想像しづらいんですが」
「えっとね、お館様~、今宵は無礼講ですぞ、がっはっは~みたいな?」
「いろいろと間違ってるからね、お姉ちゃん。もう、しょうがないなあ」
 場所は違えど、いつものセリフが陽菜の口からこぼれるのだった。



 それじゃあ、またあとでねーと元気に手を振りながら、かなでは階段を下りていった。
「さて、お昼も食べたことだし、これからどうしようか。もう少しここでのんびりしてい
くか?」
 春の日差しが、千年泉の水面に反射して輝いている。眺めているだけでも、楽しそうだ
が、陽菜は首を振った。
「あのね、行きたいところがあるの」
 そう言って、先を歩く陽菜について行くと、次第に見覚えのある道であることに孝平は
気がついた。
「陽菜、この道って」
「もうすぐ、着くからね?」
 その言葉通りに、唐突に道が開けた。前方に見えるのは、大きな洋館だ。
「こんにちは~。伽耶さん、いらっしゃいますか」
 呼び鈴を鳴らし、陽菜が呼びかける。
 ……。返事がない。
「留守、なのかな」
「紅瀬さんの話を聞いて、今日はいると思ったんだけど……もしかして、眠っているのか
な?」
 そんな話をしていると、
 からん
                       ころん
 という音が聞こえてきた。
「この音って、もしかして」
「うん。きっと、伽耶さんだよ」
「……誰かと思えば、陽菜に、支倉か」
 いつもの豪奢な着物を身にまとった伽耶が、屋敷の裏手からゆっくりと姿を見せた。



「こんにちは、伽耶さん。もしかして、お休み中でしたか?」
「いや、先ほど目覚めたばかりだ。昨夜は桐葉がなかなか寝かせてくれなんだのでな。明
け方になってから、ようやく眠りについたのだ」
 伽耶は気だるそうに首を回すと、大きなあくびをした。
 それを聞いて、陽菜と孝平はくすくすと笑った。
「うん、どうしてふたりで笑っておるのだ?」
「いえ、なんでもないです。そうだ、よかったらお茶でもいかがですか。お昼ごはんは先
ほど食べてしまったんですけど、お茶はまだ残っていますから」
「それでは、頂くとしようか。今日は天気も良いし、縁側でよいか」
 そう言って、歩き出す伽耶にふたりはついていった。
 縁側に行くと、一匹の黒い猫が先客だった。
「今日はあったかいから、ネネコも気持ち良さそうだ」
「ああ。と言っても、こやつはいつもここで気持ち良さそうにしておるがな」
 やわらかな昼の日差しを浴びながら、ごろごろと寝返りをうつネネコだった。



「馳走になった。陽菜のお茶は、いつも美味いな」
「ありがとうございます。それでは、私たちはそろそろ失礼しますね」
「そうか、また、いつでも来るがよい。……支倉もな」
「はい、伽耶さん。ネネコも、またな」
 うにゃあ、と孝平に返事したのかどうかはわからないが、ネネコが気持ち良さそうに声
を出した。
 屋敷を出て、しばらく歩いてから孝平が口を開く。
「せっかく来たんだし、もうちょっといても俺はよかったけど?」
「うん。そう思ったんだけど、伽耶さん、まだ眠そうにしてたから」
「……確かに。朝まで紅瀬さんと遊んでいたみたいだしな」
「また遊びに来ようね、孝平くん」
「ああ」
 そして、ふたりはゆっくりと手をつなぐ。
「孝平くんの手、あったかいね」
「陽菜の手もあったかいぞ。それに、……やわらかい」
「え?」
「なんていうか、女の子の手って、やわらかくていいなって思う」
「……それは、お肉がついてるってこと?」
「いや、そういうわけじゃないよ。うまく説明できないけど、女の子だなあって思うんだ」
「それなら、孝平くんの手も男の子らしいよ。大きくて、力強くて。つないでるとすごく
安心するの」
「そうなのか?」
「うん。だから、これからも一緒に歩く時は、手をつないで歩きたいな」
「ああ。みんなの前だからって、遠慮したりしないからな?」
「あはは、ちょっと恥ずかしいけど、平気だよ。孝平くんがいっしょなんだから」
 陽だまりのような笑顔で微笑む陽菜だった。



「やっとお昼か。よし、早く学食に行こう、陽菜」
「うん。うふふ、孝平くんのお腹の音、私にも聞こえてきたよ?」
「うわあ、ということは周りのやつらにも聞こえてたってことだよな」
「そうかもしれないね。朝ごはんはちゃんと食べたんでしょう?」
「ああ。でも、足りなかったみたいだ」
「いっぱい食べられるといいね」
 食堂に着き、陽菜が場所取りをしている間に、孝平が二人分のメニューを運んできた。
「お待たせ。味噌ラーメンスペシャルだったよな?」
「うん、ありがとう♪ 孝平くんは、いつもの焼きそば?」
「いや、実は、焼きそばの下にはハンバーグと目玉焼きとチキンライスが隠されてるんだ」
「す、すごいね」
「陽菜の味噌ラーメンスペシャルも、色々な具が入っていて十分すごいと思うんだけど。
それじゃ食べよう」
「いただきます♪」
 しばらく、食べるのに専念するふたり。
「そう言えばさ、陽菜はどうして味噌ラーメンが好きなんだ? 何かきっかけがあったり
するのか」
「特別なきっかけはないと思うけど。味噌単体が好きなわけじゃないし。でも、ラーメン
と一緒だとすごくおいしいと思うんだよ」
「へえ」
「それに、味噌とコーンの相性は最高だと思うの。メンを食べ終わっても、コーンを一粒
ずつお箸でつまんで食べるのが好きなの」
「ほう」
「チャーシューもやわらかくていいよね。スープが味噌だと、よりマイルドになるからい
いんだよね」
「ふうん」
「……ごめん、退屈だった?」
「え、いや、陽菜は本当にみそラーメンが好きなんだなって思っただけ。退屈じゃないさ。
嬉しそうな陽菜が見られて俺も嬉しいし」
「ありがと、孝平くん」
 そう言って、陽菜はおいしそうにラーメンをすすった。



「いいお天気だね、孝平くん♪」
「ああ。こういう日は、のんびり昼寝するのが最高の贅沢だよな~」
「孝平くんは、お昼寝したいの?」
「いや、陽菜がいるんだから、いちゃいちゃしたい」
「……」
「あ、もしかして怒った?」
「……ううん、そうじゃないよ。いいのかなって」
「何が?」
「孝平くんと、いちゃいちゃして」
「いいと思うけど」
「……わかった。じゃ、じゃあ」
 陽菜は、そっと孝平の手を握った。
「もっと、そばに行っても、いい?」
「ああ」
 陽菜は、孝平にぴったりと身体を寄せる。
「……孝平くん、どきどきしてる」
「陽菜、だって」
「……うん。もっと、もっとどきどきすること、してもいいかな」



「おはよう、こーへー!」
「おはようございます、かなでさん。……陽菜も、おはよ」
「う、うん……おはよ」
 今日も春らしい朝。寮を出たところで孝平は悠木姉妹と出会った。
「あれあれ? ひなちゃんの様子がおかしいな。……もしかして、こーへーとケンカでも
したの?」
「し、してませんって」
「こーへーはこう言ってるけど?」
「う、うん……、ケンカじゃないよ。……ちょっと、ね?」
「ふむ……、まあ、そういう時もあるよね。お姉ちゃんは器がおっきいから、ふたりをあ
たたかく見守っていくからね」
 かなではそう言って、ふたりの背中をばしばしと叩いた。
 孝平は、かなでが意外にもあっさりと引いてくれたので、ほっとした。
 ちらりと陽菜のほうを見ると、陽菜もこちらを見つめていて、目が合った。
 瞬間、昨日のことが思い出されて、ふたりとも顔を真っ赤にして目をそらすのだった。
 かなでは、ふたりの少し前を歩いていて気がつかなかった。



 休み時間。ぼんやりしている陽菜の前に、ひとりの少女が立った。
 うつむいていた陽菜が顔を上げると、長く美しい黒髪が視界に入った。
「……紅瀬、さん」
「貴女にしては、反応が鈍いわね」
「……そう、かな?」
「ええ。……もうずっと前の約束だけど、今日なら編ませてあげても、いいわ」
「…ほんと?」
「私に二言はないわ。そうね……昼休みでいいかしら」
「う、うん!」
「それじゃ、また後で」
 桐葉は静かに自分の席に戻っていった。



「それじゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
 陽菜は桐葉の後についていった。
 何も言わず、すたすたと歩いていく桐葉。
 他の人に見られない場所に行くのかな、と思っていた陽菜だったが、校舎を出て、さら
に森の中の道をずんずんと歩いていく桐葉に、陽菜は不安を覚える。
「……あの、紅瀬さん。どこまで行くの?」
「もうすぐ、着くわ」
 その言葉が終わった途端、唐突に明るくなった。
「うわぁ……」
 海からの風が心地よく吹きぬける。丘の上に、陽菜と桐葉は立っていた。
「すごくきれい……。学院にこんなところがあるなんて、知らなかった」
 海を見つめながら呟く陽菜。
「あまり人は来ないわね」
 桐葉はゆっくりと腰を下ろした。



 風がやさしく吹き抜ける丘で、陽菜は桐葉の髪を編んでいた。
 会話はないが、陽菜の嬉しそうな様子はその表情から容易に伺うことができる。
 ちらりと陽菜の顔を見つめ、桐葉は口を開いた。
「今日は、少しぼんやりしているのね」
「……心配、してくれてるの?」
「そ、そう思ってもらって、構わないわ」
「……ありがとう、紅瀬さん」
 陽菜は微笑む。三つ編みを作る手つきもよりやさしくなる。
「昨日ね……孝平くんと過ごした時間が……頭の中でずっとまわっているの。おつきあい
するようになって、いろいろな孝平くんを見てきたのに、まだまだ私の知らない孝平くん
がいるんだなって」
「そう。……ケンカ、ではないようね」
「うん。それはないよ。……やっぱり、みんなに心配かけているのかな」
「貴女が気にすることではないわ。……友人の心配をするのは、友人の役目だから」
「えへへ、嬉しい。……はい、できました♪」
「ご苦労様。……どうかしら」
 桐葉はくるりと回ってみせる。
「うん。とっても似合ってるよ。袴を着たら、大正時代の女学生に見えるかも」
「それ、褒められているのかしら?」
「うん、もちろんだよ」
「ならいいわ。ありがとう、悠木さん」
 桐葉は満足そうに笑った。



「支倉くん、お茶淹れてくれない?」
「あ、お茶ならわたしが」
「白はその書類が終わるまで動いちゃダメ」
「うう……」
 うなだれて、パソコンに向かう白。
「いいよ、白ちゃん。たまには俺もやらなきゃな」
 孝平はそう言って、給湯室に向かった。
「はい、お待たせ」
「ありがとう。……あら、美味しいわね」
 適度に冷まされた紅茶を口に含み、笑顔になる瑛里華。
「茶葉がいいからさ」
「それだけじゃないわ。……陽菜の教え方が上手なのね」
「そう、だな」
 孝平は一瞬、口ごもる。
「そうよ。さて、単刀直入に聞くけど、陽菜とケンカしたの?」
「してないよ」
「そう。ならいいわ。噂話なんて当てにならないわよね、やっぱり」
「……えっと、それだけか?」
「ええ。追求するものでもないでしょ。貴方たちなら、きっと大丈夫だと信じてるもの」
 誰にも真似出来ない笑顔で、瑛里華は言い切った。
「……ありがとな、会長」
「いえいえ。それじゃ、白のサポートをお願いできるかしら?」
 パソコンの前で、白は泣きそうな表情になっていた。
「了解。白ちゃん、どんな具合かな?」
「すみません、支倉先輩。ここの計算がうまく合わないのですが……」
 瑛里華は満足そうに微笑むと、紅茶をもう一度口に含んだ。



「こんばんは、孝平くん」
「いらっしゃい、陽菜。どうぞ」
「おじゃまします……あれ、私が今日は一番乗りなんだ」
「ああ。まあ、司はバイトで、会長は他の集まり。白ちゃんはパソコンの練習で今日は来
ないんだけど」
「そうなんだ。じゃあ、後はお姉ちゃんだけ……って、メールかな」
 陽菜が携帯をチェックすると、噂をすれば何とやら。かなでからだ。
「今日は春の陽気に誘われたので、もう寝ます。こーへーに、夜這いに来ないように言っ
ておいてください、だって」
「ぜっ……たいに、行きませんからって返信しておいてくれ」
「あはは、了解」
 ぽちぽちとメールを打つ陽菜を見ながら、孝平はティーセットの準備をする。
「あ、私も手伝うよ」
「大丈夫。今日は俺が淹れるよ。会長に褒められた腕前を見てもらおうと思って」
「……えりちゃんに?」
「ああ。生徒会の仕事中にお茶を淹れる機会があってさ」
 話をしながら、手際よく準備する孝平。やがて、紅茶の香りが孝平の部屋に満ちていく。



「それじゃあ、いただきます」
 陽菜は孝平の淹れた紅茶を口に含んだ。
「……ど、どうかな?」
「……うん、すごく美味しいよ。これなら、えりちゃんが褒めてくれるのもわかるよ」
「ありがとう。会長に褒められたのもうれしいけど、陽菜に美味しいって言ってもらえた
ことが、俺にとっては一番嬉しいよ」
「もう、私から孝平くんに教えることはないかな。……ちょっと寂しいね」
「そんなことないよ。陽菜の好きなことは他にもあるだろ? それについて、いろいろ教
えて欲しいな。俺も、陽菜が教えて欲しいことがあったら、できるだけのことはするし。
それに……」
「それに?」
「たとえ、そういうのが何もなくたって、陽菜と一緒なら、きっと俺は幸せなんだと、思
う……」
「孝平くん……。うん、わたしも、そうだよ……」
 見つめあうふたりの距離が、ゼロになった。
「……えっと、今日はこれぐらいにしておこうか?」
「そうだね。今朝は夕べの余韻でどきどきしてたから、みんなに心配かけちゃったし」
「そうだよな。でも、みんな信じてくれてもいるから、本当にいい友人たちだよ」
「感謝しないとね、みんなに」   
「明日からは、またみんなでお茶会ができるといいな」
「うん! ふたりきりもいいけど、みんなが一緒でも楽しいよね♪」



「はい、孝平くん。プレゼントだよ」
「お、サンキュー。……ローソク?」
「そんな! わたしの知らないうちにふたりがアブノーマルな関係にっ?」
 孝平が取り出したものを見て、かなでは大げさにのけぞった。
「ち、違うよお姉ちゃん。これはアロマキャンドルだよ?」
「も、もちろん知ってたアルよ。にゃはー」
「今、思いっきり悠木先輩の目、泳いでましたけど」
「どうしてアブノーマルなのか、わたしにはわかりません」
「どうしてこんなに騒がしいのかしら……」
 いつものお茶会だった。久しぶりに大勢が揃ったので、自然とにぎやかになる。
「そういや、俺の部屋にもそんなローソクがあったな」
「えっ、もしかして司はアロマ関係の趣味があったのか?」
「いや。知り合いが置いていっただけだ。サバイバルに役立つとかなんとか」
「それは、本当のローソクじゃないかしら」
 瑛里華が苦い顔でつっこんだ。
「私の部屋にも、ローソクぐらいあるわ」
「まさか、きりきりにそんな趣味がっ!」
「お姉ちゃん、いい加減にしようね?」
「ごめんなさい、ひなちゃん。ちょっとテンションが下がらなくて」
「かなでさんのテンションはいつもハイですよね」
「それじゃ、お姉ちゃんを落ち着かせるために、ちょっと点けてみようか」
 キャンドルに火を点けて、部屋の明かりを消してみると。
「うわあ、きれいだね~」
「おお、ほんとにかなでさんがおとなしくなった」
「こーへーには、後でおしおき」
「なんでっ?」



「こんばんは~。ごめんね、みんな。遅くなりました」
「大丈夫、まだお茶会は始まったばかりだから。寮長の仕事だろ?」
 孝平は陽菜にお茶を渡す。
「うん。寮長になって思ったのは、お姉ちゃんはすごいなあってことなの」
「へ、わたし?」
「そうだよ。大きな問題、小さな問題、連絡事項やイベント、小さなことでも積み重なる
と結構大変な時もあって。私、ずっと去年のお姉ちゃんを見ていたけど、お姉ちゃんは全
然辛そうな顔してなかったもん」
 みんなの視線がかなでに集まる。
「そう言えば、兄さんも悠木先輩のことを褒めていたわね。………でもないのに、すごく
パワフルだって」
「兄さまも、かなで先輩のことを尊敬しているようでした。悠木はすばらしい寮長だ、と」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないからね?」
 と言いながら、かなではみんなの湯飲みにお茶を注いでいく。
「私、お姉ちゃんにがっかりされないようにがんばるね」
「ひなちゃんなら、大丈夫だよ。わたしはがむしゃらにやっただけ。でも、ひなちゃんは
ちゃんと相手のことを考えてあげられる子だからね。こーへーも、それはよく知ってるで
しょ」
「ええ。陽菜なら、きっとかなでさんに負けないくらい立派な寮長になれるよ」
「そうね。陽菜は交友関係も広いし、いざとなったらみんなに頼ってもいいし」
「陽菜先輩のことは、クラスで話しているときもよく話題になります。あんな先輩になれ
るといいなって」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないよ?」
 と言いながら、陽菜はみんなのお茶請けにお菓子を追加していった。



「あ、悠木さん。ちょっといいかしら」
「はい。御用ですか、シスター?」
 大浴場からの帰りに談話室に寄ったところで、陽菜はシスター天池に声をかけられた。
「次回の寮でのオークションなんですけど、来週の休みに実施されるのよね」
「はい、そのつもりです。シスターも参加されますか?」
「いえ、お誘いは嬉しいですが、私が参加すると進行に影響が出るでしょうから」
「そんなことは……」
「いいのですよ。それより、そのオークションに礼拝堂の備品を提供したいのですが、構
いませんか?」



 翌日。陽菜は孝平と司にお願いして、礼拝堂を訪れていた。
「ごめんね、孝平くん、八幡平くん。今度お昼おごるからね」
「いや、それはいいんだけどさ。俺たちが呼ばれたって事は、力仕事なんだろ?」
「うん。とある施設の方から、礼拝堂に寄付があったそうなの。それで、古くなっていた
備品を新しいものにすることができたんだけど、古いといってもまだ十分使うことができ
るものが多いからどうしようって思っていたんだって。オークションが開催されるのは神
の配剤ねってシスターは喜んでいたよ」
「そりゃシスターはいいだろうがな」
 司のぼやきはわかるが、シスターのいうことももっともだ。
「あ、いらっしゃいませ、先輩方」
 礼拝堂の扉を叩くと、ローレル・リングの制服を着た白が出迎えてくれた。
「こんにちは、白ちゃん。オークションに出品する品物を引き取りに来たんだけど」
「はい、こちらにまとめてあります。どうぞ中へ」
 三人は礼拝堂の中へ入っていった。



「食器類などが中心なんですけど、少し大きなものもありますので……」
 段ボール箱が何箱か、そしてその隣に鎮座していたのは。
「これって……安楽椅子か? どうしてこんなところに」
「さあなあ、シスターが座ってる光景は想像できねえけどな」
 孝平と司はそれぞれに感想を述べる。
「東儀さん、これで全部だよ」
 奥からひとりの女生徒が段ボールを抱えて現れた。
「どうもありがとう。支倉先輩たちが運んでくださるそうなので、そこに置いてください」
「よろしくお願いします。先輩方」
 ぺこりと頭を下げる少女に見覚えがあった。
「あれ、あなた確か、園芸部だったよね?」
「はい。あれから、ローレル・リングもかけもちしているんです」
「そっか。よかったね、白ちゃん」
「はい。いつも助けていただいてます。とっても大切なお友だちです♪」
 白がそう言うと、女生徒は顔を真っ赤にしていた。



「こんなこともあろうかと、カートを持ってきていてよかったね~」
「そうだな。司のチャリが使えればよかったんだけど、学内じゃさすがにな」
「見つかったら、間違いなくフライパンでマジ殴りだな」
 陽菜はカート、男ふたりは安楽椅子を抱えながら、寮までてくてく歩いた。
 途中で出会った運動部の男子たちも手伝ってくれたので、思っていたよりも楽に荷物を
運ぶことができた。
「これも陽菜の人徳のおかげだな。さすがは寮長だ」
「私は何もしてないよ。孝平くんや八幡平くん、そしてみんなのおかげだよ」
 陽菜はいつものやわらかい笑顔だった。



「それでは、恒例となりました白鳳寮主催、オークション大会を開催します」
 談話室には大勢の学生が集まっている。いつもよりも人数は多いのは気のせいではなく、
事前に噂が流れたからだ。



「おい聞いたか。今度のオークションさ、礼拝堂の備品が出品されるらしいぞ」
「それがどうかしたのか?」
「よく考えてみろよ。あのシスター天池が使っていたかもしれないんだぞ。これはレアな
一品だと思わないのか?」
「言われてみれば……。それに、礼拝堂って事はローレル・リングでも使われていたって
ことだよな」
「ああ。ということは、あの東儀さんが使っていたって事も……」
「やあねえ、男って。でも、礼拝堂の備品ってけっこう装飾も凝ってて素敵よね」
「そうそう。アンティークにこだわるわけじゃないけど、お値打ちだったら欲しいよね。
そういうのでお茶を飲むと、なんだか味わいも違う気がするし」



 というわけで、それぞれの思惑が交じり合って、いつも以上の熱気となっていた。
「ではまず、このお皿から。少しヒビは入ってるけど、この柄とかとっても素敵だよね。
��枚セットで、500円から」



「お次はティーカップ。むむ、なんだかすごく英国風な感じが漂ってきます。これで紅茶
を飲むと、また格別なんだろうな~。私も欲しい逸品です。これはソーサーもつけて、2
��0円から」



「次は、フライパンだね。最近は中華鍋とかのフライパンも多いけど、私はやっぱり普通
のが好きかな。寮ではあまり使う機会がないけど、持ってても損はないと思います。あれ
……なんだかここに凹んだような後があるけど……、もしかして、シスターが『使った』
のかな? じゃあ、800円からで」



「最後に一番の大物。どういうわけか礼拝堂から提供された安楽椅子です。ちょっと置き
場所に困るかもしれないけど、一番お値打ちな品だったりして。これであなたも安楽椅子
探偵になれる……かもしれませんよ? じゃあ、1000円から」



 結果からいうと、大盛況のうちにオークションは終幕を迎えた。
「こんなに盛り上がるなんて思わなかったね」
「ああ。ただの備品で骨董的な価値があるかどうかもわからないのに、ほとんどが最初の
設定価格より高く売れたもんな」
 お茶会でも自然とオークションの話題になった。
「でも、いいことじゃないの。使わなくなった物でも、使ってもらえる人のところにいけ
ば、品物も人も嬉しいわよね」
 嬉しそうに瑛里華が言う。
「そうですね。わたしたちもお手伝いができてよかったです♪」
 白がにっこりと微笑んだ。
「それにしてもこの売り上げは予想以上なんだけど、これはどうするんだ?」
「うん。寮内で使う共用の消耗品とか、観葉植物とか。今まではそういうのに使ってたみ
たい。それでもまだまだ余裕があるんだけど……」
「それじゃあ、突撃会長からひとつ提案があるんだけど、いいかしら?」



「みなさま、お待たせいたしました。それではただいまより、送別会&大お花見大会を開
催いたします!」
「いやっほぅ! 今日はとことんまで飲もうじゃないか、なあみんな?」
「きゃー、伊織様~☆」
 瑛里華の開会の挨拶に、伊織の声が重なり、さらに黄色い悲鳴がたすきがけされた大お
花見大会がはじまった。
「まったく、兄さんには困ったものね」
 そう言いながらも、瑛里華の表情は困っていない。
「千堂先輩は、きっと場を盛り上げようとしてるんだよ、えりちゃん」
「それは間違いじゃないと思うけどねぇ」
 陽菜のフォローにも、苦笑を浮かべざるをえない瑛里華だった。
「それにしても、まさかこんなに集まるとは思わなかったわね~」
「今年は桜の開花も早まってるからね。最後のイベントだし、みんな参加したいって思う
のも当然じゃないかな」
 それに、参加しているのも生徒だけではない。教職員をはじめ、学院関係者や学生の父
兄たちまでも参加する大規模イベントなのだ。
 先日のお茶会で、瑛里華が提案したのがこのイベントだった。
「卒業生の送別会だけでなく、お花見も一緒にやりましょう。それに、どうせなら生徒も
教師も父兄もみんなが楽しめるイベントにしたほうが、おもしろいと思わない?」
 オークションで予想以上に儲けが出たこともあり、資金も十分。それに加えて、卒業祝
いということで、学院創設者からも多額の寄付があったこともあり、無事にこうしてイベ
ントを開くことが出来た。
「それじゃ、私たちも食事をいただきましょうか。せっかく鉄人も参加してくれているん
ですもの」
「そうだね。それじゃ行こうか、えりちゃん♪」
「ええ、陽菜ちゃん♪ ……うふふっ、なんだかあの頃に戻ったみたいね」
 陽菜と瑛里華は、仲良く手をつないで料理コーナーに向かった。



「千堂さん、ずいぶん楽しそうね」
「それはそうだろう。瑛里華が企画したそうだからな。発案者としては嬉しいだろうさ」
「伽耶も、手伝っているしね」
「さて、何のことやら。……あー、桐葉、そこのたこ焼きでも食べようではないか」
「ふふ、いいわよ。私が取って上げるわ。……はい、どうぞ」
「……あたしは、たこ焼きを頼んだはずだが」
「どこからどう見てもたこ焼きじゃないの」
「たこ焼きとは、そのような『真紅の血液』色はしておらぬ!」
「おかしいわね、吸血鬼なら喜んで食べると思ったのに」
 桐葉はふところに謎の小瓶をしまいこんだ。



「あの方も、表情がおやさしくなられたな」
「はい。最近は、わたしにも話しかけてくださることが増えました」
「よかったな、白」
「はい♪ 兄さま、わたしたちも何か食べませんか」
「ああ、そうするとしよう」



「しろちゃんたちはいっつも仲良しだねえ。よし、こーへー。わたしたちも負けないよう
に仲良くやろうよ!」
「でも、俺たちは姉弟じゃありませんよ、かなでさん」
「細かいことは言いっこなしだよ。こういう時は、楽しんだもの勝ちなの!」
「確かにそうですね。それじゃあ、俺たちも食べることにしましょうか。かなでさんは何
が欲しいですか、俺取って来ますよ」
「ほんと? それじゃあ、お鍋をお願いしようかな♪」
「いや、お花見に鍋はないでしょう……って、ぐつぐつ煮えてるー?」
「わたしがちゃーんと頼んでおいたんだよ。鉄人特製のかなでなべ♪」



「悠木さんはやっぱりにぎやかね」
「そういう先輩は、やっぱり静かっすね」
「しょうがないわ。こういう性格なんだもの。あなたも、私の相手なんてしなくてもいい
のに」
「……先輩、今日で卒業っすから」
「とは言っても、またお店で会えると思うんだけど?」
「いいじゃないっすか。さあ、俺らも食べましょう」
「そうね。それじゃあ、普段あまり家で食べない中華にでもしましょうか」
「っす」



「あらあら、八幡平君の意外なところを見てしまいました」
「人には色々な顔があるんだよ、志津子ちゃん♪」
「そういう貴方は、いつも同じように見えますね、千堂君」
「やだなあ、志津子ちゃん。今日は『いおりんっ☆』って呼んでもいいんだよ?」
「はいはい、わかりました、千堂君♪」



「やあ、支倉君! 盛り上がってるかい?」
「前会長、ええ、料理もおいしいですし、楽しんでますよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もっと盛り上げてやろうじゃないか!」
「いえ、別に無理しなくても」
「俺が無理なんてしていると思うかい?」
「……これっぽっちも思いませんね」
「ははっ、言うようになったね、支倉君。それじゃあ、また後で♪ おっと、これは俺か
らのプレゼントだ」
 伊織は手に持っていた飲み物を孝平に渡した。



「どうしたの、孝平くん。はい、鉄人特製のソースやきそばだよ。もちろん、紅しょうが
は抜いてもらったから」
「サンキュー、陽菜。いや、伊織先輩がさ、また何かやるらしくて」
「……えりちゃんと、兄妹で何かやるのかも」
「え? ……あ、いつのまにかステージに上がってるな」



「レディースアーンド……ジェントルメーン! みんな楽しんでるかー!! ……うんう
ん、そうかそうか。俺もすごく楽しんでるよ☆」
「いつも以上にテンション高いわね、兄さん」
「それでは、千堂兄妹のショートコント!」
「え、ちょっと待って」
「隣の塀に囲いが出来たんだってね~?」
「塀を囲んで、どうすんのよ!」
 ビシィ!!
「いつもよりツッコミが強烈だぞ瑛里華~~~…………」
 キラッ☆と光って、伊織は星になった。



「あやつは、何をやっておるのだ……」
「楽しそうだからいいんじゃないかしら。ほら、もう戻ってきたみたいよ」
「まったく、吸血鬼というよりはゾンビだな」
「あれがゾンビだとしたら、ゾンビのファンクラブができるんじゃないかしらね」



「さっすがいおりん! よーし、しろちゃん、ひなちゃん、わたしたちも負けてられない
よ!」
 かなでが白と陽菜を連れてステージにあがった。
「え、かなで先輩?」
「こうなったら、あれをやるしかないねっ」
「お姉ちゃん、いったい何を」
「修智館学院に集いし……」
「ふぉーちゅんファイブはやらないからね?」
「えー、ひなちゃんいけずー」
「……しょうがないなあ、もう。今日だけだよ?」
「やっぱりひなちゃん♪ わたしのヨメだー」
「違いますよ、かなでさん。陽菜は俺の嫁です」
「ここ、孝平くん?」
「何度でも言うぞ、陽菜は俺の」
「ちょ、ちょっと孝平くんってば! ……あれ、もしかして、立ったまま寝てる?」
「わー、支倉先輩が先生方用に準備したアルコールを飲んでしまったみたいです~」



「う、ううん……」
「あ、孝平くん、気がついたみたいだよ」
「まったく、こーへーは最後までわたしに心配をかけるんだから。……でも、お姉ちゃん
はあのひとことが聞けたから安心かな」
「え、何のことですか?」
「さあね♪ 後でひなちゃんに聞いてみるといいよ」
「俺、何か言ったのか、陽菜」
「……孝平くんの……ばか」



「それじゃあ、最後にみんなで写真を撮ろうか。俺がタイマーセットをするから、みんな
そこに並んでくれたまえ」
「まったく、最後までしきってくれるわね。ほんとは私がやろうと思ってたのに」
「伊織はいつまでも伊織、ということだな」
「そういう征一郎もいつもと変わらぬな」
「伽耶だって、見た目も中身も変わらないでしょうに」
「紅瀬先輩は、よく笑うようになったと思います」
「確かにな。もうフリーズドライなんて言われないな。先輩も、笑ってみたらどうっすか」
「あら、私は笑う時と場所をわきまえているだけ。あなたの前とか、ね」
「ほらほら、まるちゃんも並んで並んで!」
「こら、悠木さん。あまりひっぱるとおしおきですよ?」
「それじゃあ、陽菜。最後の号令を頼むよ」
「え、私? ……わかりました。それじゃあ、いくよ。月は東に、日は西」



『に~!!!』



 その写真は、誰にとっても最高の思い出になった。なぜなら、写真に写っている全員が、
最高の笑顔だったから。



2000/03/05

瑛里華の突撃大作戦!(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「孝平っ、二月よっ」
「そうだな、瑛里華」
「ほら、元気出しなさい。今月は私が主役なんだから!」
 孝平の背中をぱしんっと叩いて、瑛里華はお馴染みの勝気な笑みを浮かべた。
「それはどういう意味なんだ?」
「言葉通りの意味よ。今月は私が生徒会の中心となって、率先して行動するの。寒いからっ
て縮こまっていたら、せっかくの学院生活がつまらなくなってしまうもの。だから、胸を
張って、背筋をぴんと伸ばして、歩きなさい」
 自分の言葉の通り、瑛里華はきれいな姿勢で歩いている。思わず息を飲んでしまうほど、
それは素晴らしいものだった。
「や、やだ……。あんまり見つめないでよ」
「えっ? あ、いやそーゆーつもりで見てたわけじゃないからっ」
「……それはそれで、ちょっと残念」
「どっちがいいんだよ」
「女の子はフクザツなのよ。状況に応じて対処しないとね。さしあたって、今は」
「今は?」
「手を繋ぎましょう♪」
 瑛里華の手は少し冷たくて、でも、すぐにあたたかくなった。



「おはようっ、孝平!」
「おはよう、瑛里華。今日も元気だな」
「当たり前じゃない、私を誰だと思っているのかしら?」
 瑛里華は得意気に胸を張る。形の良い胸が強調されて、孝平はごくりと唾を飲み込んだ。
「どうしたの、熱でもあるのかしら。顔が赤いけど」
「い、いや、そういうことじゃないんだ。ははは」
「ふうん。ま、孝平の考えてることはわかってるから、何も言わないでおいてあげるわ。
それじゃあ、今日もがんばっていきましょう!」
 元気よく歩き出す瑛里華に遅れないように、孝平も歩き出した。
「うんうん、えりりんは元気だね~」
「それはそうだよ、だって千堂さんだもん」
「こーへーも元気だったよね。……一部分が特に」
「それはそうだよ、だって孝平くんだもん♪」
 ふたりの後ろ姿を眺めながら、悠木姉妹はにこにこと笑いあう。



「ねえ、孝平。今日は節分ね」
「ああ。豆まきでもするか?」
「せっかくだけど、今日はおとなしくしておくわ。鬼は外、福は内って言うでしょ」
 瑛里華はどう見ても元気が無い。
「よくわからないんだけど、どうしてそれでおとなしくしてなきゃならないんだ?」
「あのね、私は吸血鬼なのよ」
「知ってるよ。でも、俺は瑛里華のことが好きだ」
「ば、ばか……いきなり何言うのよ」
「恋人が元気なかったら、心配するのは当然だろう」
「孝平……」
 瑛里華の瞳が潤む。
「……ふぅ」
 二人だけの世界に、冷ややかな視線を送り続ける黒髪の少女がため息をついた。
「……何よ、紅瀬さん。今いいところなんだから邪魔し・な・い・で」
「別に、邪魔をしているつもりはないわ。貴方たちが好きにしているように、私も好きに
させてもらっているだけだから」
 ネネコに福豆を放り投げながら、桐葉は答えた。



「瑛里華、おはよう」
「おはよう。昨日はごめんなさいね、孝平」
「気にするなって。まあ、俺としては普段見られない瑛里華の表情が見られたから、ちょっ
とだけ得した気分だよ」
 おちゃらけたことを言う孝平に、瑛里華は頬を膨らませる。
「もうっ、私は落ち込んでいたのに、孝平はそんなことを考えていたのね」
 すたすたと歩く瑛里華を追いかけながら、孝平は言った。
「だって、俺は瑛里華のことが好きだから、瑛里華のことばかり考えてしまうんだ」
 ぴたりと足を止める瑛里華。
「どうした、瑛里華?」
「もう……馬鹿なんだから」
 孝平の手を掴んで、瑛里華は走り出す。
「私も、孝平のことが好きだから、孝平がいやな気持ちになってないか、とか考えてたの
よ。でも、もうそんなこと考えなくてもいいってわかった」
 勝気な笑みを浮かべて、瑛里華は笑う。
「心配がなくなったところで、今日もがんばるわよっ、孝平!」



「孝平、その書類が終わったら休憩にしましょう」
「ああ、もうすぐ終わるよ。……よし、これでオッケーっと」
 出来上がった書類をクリップでまとめると、孝平は大きく伸びをする。
「今日は白がローレル・リングでいないから、いつもより大変かもね」
「ちょっとだけ、な。白ちゃんもがんばってるんだし、俺たちでフォローすればいい。時
間が出来たら、俺たちが白ちゃんを手伝うってのもいいかもな」
「そうね。たまにお手伝いできれば、白もシスター天池も喜ぶでしょう。さてと、それじゃ
お茶の準備をするわね。今日はコーヒーでいいかしら?」
「うん、ありがとう。……珍しいな、瑛里華は紅茶が好きだと思ってた」
「ええ、好きよ。でもね、年がら年中紅茶を飲んでいるわけじゃないわよ。白は日本茶、
陽菜は紅茶。それじゃあ、私はコーヒーでも極めてみようかな、なんてね」
 そういうと、瑛里華はコーヒーミルを取り出して、自らの手で豆を挽きだした。
「お、随分本格的だな。俺なんてインスタントと缶コーヒーしか飲んだことないかも」
「大げさね、孝平は。まだ見よう見真似の段階なんだから、あんまり褒めちゃだめよ」
 やがて、コーヒーの香りが監督生室に漂ってくる。
「う~ん、こういう匂いって、なんだかいいよな」
「でしょう? 待っててね、もうすぐ出来るから」
 そして、瑛里華の笑顔とともに、瑛里華のコーヒーが出来上がった。
「……ど、どうかな?」
「……うん、うまい。挽きたてってのもあると思うけど、うまいよ、これ」
「よかった。……コーヒーはね、飲む人のことを考えながら豆を挽くの。それが、おいし
いコーヒーの淹れ方なんだって」
 瑛里華は自分のコーヒーを念入りに冷ましてから口に含んだ。
「うん、まあまあかな。今度は、孝平が私のためにコーヒーを淹れてね。大丈夫よ、ちゃ
んとみっちり教えてあげるから」
 香りとともに、幸せな時間が広がっていく。



「ところで、ひとつ質問があるんだけど、いいかしら?」
「ああ、俺に答えられることなら」
 瑛里華は、こほんと咳払いをすると、おずおずと切り出した。
「こ、孝平は、甘いのと苦いの、どっちが好き?」
「は? いったい何の話なんだ?」
「いいから、何も聞かずに答えて」
「そうだなあ、どっちかというと甘いほうかな」
「そ、そうなんだ……。じゃあ、甘いのとちょっと甘いのと、すっごく甘いのだとどうか
しら」
「……ちょっと甘いの、だな」
「……なるほどね。わかったわ、ありがとう」
 瑛里華はすっきりした感じで、にこやかに微笑んだ。
「一週間後を楽しみにしてて。それじゃっ、仕事の続きをがんばりましょう♪」



「あ、孝平。ちょうどよかった。悠木さん、まだいるかしら」
「陽菜か? えっと、あ、あそこにいるな。おーい、陽菜!」
 手を振る孝平のところへ、ぱたぱたと陽菜がやってくる。
「どうしたの、孝平くん。あ、千堂さん」
「こんにちは。あのね、今日のお昼は予定が埋まってる?」
「? お姉ちゃんと食べるつもりだったんだけど」
「悠木先輩ならちょうどいいわ。私も一緒に行ってもいいかな」
「え? う、うん。いいけど、突然どうしたの?」
「ちょっと……ね」
 と、瑛里華は孝平のほうをちらりと見た。
「えっと、もしかして俺は邪魔だったりするのか?」
「出来れば今は外してもらえると助かるわ」
「わかった。それじゃ、俺は司とメシを食うことにするよ。陽菜、瑛里華をよろしくな」
 手を振って歩いていく孝平を見送って、瑛里華は通り過ぎようとする黒髪の少女にも声
をかけた。
「紅瀬さん。あなたにもお願いするわ。協力して」



「……どうして私が」
 予想通り、桐葉は煩わしそうに言う。
「いいじゃない、たまには協力してくれても。あ、もしかして私に嫉妬してるから協力し
たくないとか」
「そんなわけないでしょう。それにどうして私が貴女に嫉妬しないといけないのよ」
「……孝平を私に取られたから?」
「取られた覚えなんてないし、そもそも支倉君は私のものではないわ」
「それじゃあ、いいでしょ。お願い、お礼はちゃんとするから」
 頭を下げてお願いする瑛里華に、桐葉も戸惑いを隠せない。
「紅瀬さん。千堂さんに協力してあげようよ。ここまで一生懸命なんだもん」
「……ふぅ、しかたないわね。今回だけよ」
 陽菜の言葉に、溜息混じりに同意する桐葉だった。



「みんな、今日は来てくれてありがとう」
 瑛里華は、監督生室に集まったみんなに挨拶をする。
「私は、来たくて来たわけじゃないけどね」
「それでも来てくれたんでしょう。なら、お礼は言わせてもらうわ」
「……物好きな人ね」
 桐葉は小さく溜息をつく。
「それで、えりりん。今日はいったいどうしたの?」
「もうすぐ、女の子にとって特別な日なんだけど、みんな準備は進んでる?」
「私は、買い物は済ませたけど。何を作るかはこれからかな」
「さっすが、ひなちゃん♪ わたしはこれから準備しないと」
「そう思って、お姉ちゃんの分も買っておいたからね」
「やっぱりひなちゃんはわたしのヨメだね♪」
「わ、わたしはいろいろと考えているのですが、まだどうするかは決まっていません」
「オッケー。ひとりで準備するのもいいと思うんだけど、みんなで協力すればもっともっ
といいものが出来上がると思うの。だから、みんなの力を貸してほしいの。お願いします」
 頭を下げる瑛里華に、みんながあたたかい眼差しを向ける。
「ここに集まったってことで、その答えにはなってると思うよ、千堂さん」
「そうだよ、えりりん。みんなで力を合わせて、こーへーに喜んでもらおう!」
「わ、わたしでよろしければ。よろしくお願いします、瑛里華先輩」
「……今回だけ、と約束したから」
「ありがとう、みんな。それじゃ、早速取り掛かりましょう♪」



「やあ、支倉君。久しぶりだねぇ~」
「あ、伊織先輩。こんにちは、お久しぶりです」
 授業が終わり、監督生棟に向かって歩いていると、噴水前で伊織が立っていた。
「どうだい、生徒会の仕事は順調かな?」
「そうですね、今のところは。瑛里華を中心に、俺と白ちゃんでちゃんとサポートできて
いると思います」
「そうかそうか。特に、支倉君は瑛里華のプライベートもサポートしてくれているみたい
だから、頼もしいねえ」
 楽しげに笑う伊織。
「そこのところ、もう少し詳しく教えてくれないかい。ああ、食堂棟まで行こうか、大丈
夫、今日は俺のオゴリだから♪」
「え、でも俺、生徒会の仕事が」
「大丈夫大丈夫、瑛里華には話しておいたからさ。何なら、電話して確認しても構わない
よ?」
 こうまで言うからには、本当に瑛里華に話しているのだろう。まあ、最近はイベントも
ないし、暇だからたまには骨休めしろってことかな。
「わかりました。それじゃ、お言葉に甘えてごちそうになります」
「そうこなくっちゃ! ようし、今日は無礼講だ。たくさん飲んでくれたまえ♪」
「あの、俺たち学生ですよね……」
 伊織に肩を抱かれて、孝平は食堂棟へ向かうのだった。



「あの、瑛里華先輩」
「どうしたの、白。何かわからないところでもある?」
「いえ、そうではないのですが、ここで作業をしているところを支倉先輩に見られてしま
うと、まずくないでしょうか」
 白は入り口のほうを気にしながら、瑛里華に声をかけた。
「大丈夫よ。兄さんに支倉くんを足止めするように頼んでおいたから♪」
 瑛里華は材料をそろえながら、得意気に語る。
「さすが千堂さん。計画に漏れがないね」
「ということは、今頃こーへーはいおりんと?」
「……肩を抱かれながら、食堂のほうに向かっているようね」
「がーん! いおりんに先を越されちゃった……」
「ちょっと紅瀬さん、見てきたようなこと言って不安がらせないでよ」
「見えたのよ。ちょうどこの窓から、ついさっき二人が歩いていくのが」
 桐葉が指し示す窓からは、米粒のような人影しか見えなかった。



「さあてと、みんないつまでも窓の外を見てないで、作業に戻りましょう」
「で、でも瑛里華先輩……」
 白は不安でいっぱいの表情を瑛里華に向ける。
「大丈夫よ、白。わたしたちはわたしたちにできることをするの」
「ずいぶん、余裕ね?」
 桐葉がわずかに驚きを含んだ眼差しを瑛里華に向ける。
「そう見えるなら、私の演技もたいしたものね。演劇部にスカウトされるかしら」
「えりりんは、不安じゃないの?」
 かなでは小首を傾げて、瑛里華を見る。
「ゼロではないけど。でも、私は孝平を信じているから」
「……千堂さん、すごいね」
 陽菜が尊敬の眼差しを瑛里華に注ぐ。
「それに、一応、兄さんも信じているしね」
 ウィンクをしてみせた瑛里華を見て、みんなは安心して作業に戻った。



『今日はごめんなさい。兄さんの相手は大変だったかしら? そのお詫びというわけでは
ないけど、明日はとっても楽しいイベントになるから、楽しみにしててね!』
『こっちこそ、仕事をサボることになったから、おあいこだな。多分、後で伊織先輩にい
ろいろからかわれることになると思うけど、少しぐらい手加減してあげてくれ。悪いのは、
俺だからさ』
『き、気になるんだけど、ものすごく。……今からそっちに行ってもいい?』
『おいおい、もうすぐ消灯だぞ。気持ちはわかるけど、今日はやめておいたほうがいいと
思うぞ』
『わかってるわよ。ちょっと言ってみただけ。……でも、孝平が来ていいって言ったら、
行ってたかも』
『それこそ、伊織先輩にネタを提供するようなものだけど、来たら来たで俺も自分を抑え
られないかもしれないな』
『孝平、エッチね』
『……否定できないけど、瑛里華だって、こないだはあんなに乱れてただろ』
『……やめましょう、この類の話は、きっと堂々巡りになるに違いないもの』
『そうだな、それじゃあ、明日に備えてそろそろ寝るか』
『ええ。おやすみなさい、孝平』
『おやすみ、瑛里華』
 最後のメールを打ち終えると、孝平は送信ボタンを押してから、携帯電話を充電器に戻
した。
「明日が楽しみだな」
 輝く星空を見ながら呟くと、孝平はベッドにもぐりこんだ。



 終わりのホームルームが始まったときに、突然放送が入った。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。みんな久しぶり。元会長の千堂伊織です。ちょっとだけ俺
に時間を貸してくれ。なあに、時間は取らせない。今日が何の日かは、みんな知っている
よね。……そう、バレンタインデーだ。どうやら今年は、生徒会のメンツが中心になって、
何かやってくれるらしいよ。時間のある人は、噴水前に集合だ。それじゃ♪』
 それぞれの教室から、キャーという黄色い歓声が聞こえる。あの人は、いったい何をす
るんだ?
『あー、言い忘れたけど、これは瑛里華に頼まれた放送なんだよ。そこのところをわかっ
てくれると、未来のお兄ちゃんはうれしいよ、支倉君♪』
 わざとらしく付け足された放送に、それぞれの教室から笑い声が起こった。
「あの人、ほんとなんでもアリだな」
「んで、未来の弟はどうすんだ、孝平」
「どうするって、行くしかないだろ、司」
「ま、がんばれ」
 孝平はかばんを持つと、ダッシュで駆け出した。



 噴水前に着くと、放送を聞いたであろう生徒たちがたくさん集まっていた。
 泉の前には簡単なステージが作られている。
「いったい、何が起こるんだ?」
 と孝平が呟いたとき、どこからともなくマイクの音声が聞こえてきた。



かなで「修智館学院に集いし、我ら5人の美少女っ」
桐葉「……清く、正しく、麗しく」
陽菜「た、珠津島と学院の平和を守りっ」
瑛里華「愛と勇気と希望と幸せにあふれた学院生活をとことん盛り上げる!」
白「ふぉ、ふぉ、『ふぉーちゅんファイブ』っ。ここに参上です~」



 ちゅど~ん
 という音と五色の煙とともに現れたのは、お茶会の面々だった。
 いや、一応生徒会のメンツというべきなのだろうか。
「みんな、今日は来てくれてありがとう♪ せっかくのバレンタインなので、今日は私た
ちでチョコレートを用意したの。男の子も女の子も関係なく、みんなにプレゼントするわ♪」
 なぜか美化委員会の制服に身を包んだ瑛里華が、満面の笑みで宣言した。
 そして、周りにいる4人も、同じく美化委員会の制服だった。
「うんうん、俺が自腹を切った甲斐があったというものだ」
「伊織先輩? いつの間に」
「最初っからさ。さて、それじゃ俺たちもチョコを配るのを手伝おう!」
「……めちゃくちゃ楽しそうですね、伊織先輩」
「もちろんさ。支倉君はどうだい?」
 孝平は壇上の瑛里華を見て、こう言った。
「楽しいですよ、とっても」
 そう、無条件でそう思えるほど、瑛里華は輝いていた。



「今日はごめんなさいね、孝平」
 いつものお茶会の席で、瑛里華はそう切り出した。
 といっても、今日は孝平と瑛里華のふたりだけなのだが。
「いや、俺も楽しかったから。それにしても、いつの間にあれだけの仕掛けを作っていた
んだ?」
「一週間前ぐらいかな、孝平にチョコの味について質問したことがあったでしょう。あの
時は、ただ普通にバレンタインのチョコを作るつもりだったの。でもね、みんなに協力し
てもらってチョコを作っているときに、ふと思ったの。せっかくだから、みんなで楽しめ
るイベントにしたいなって」
「そういうことか。学院のみんなもすっごく楽しんでたみたいだし、イベントとしては大
成功じゃないか?」
「ええ。征一郎さんがシスターに話を通しておいてくれたし、兄さんも衣装とか提供して
くれたし、助かったわ。孝平がいれば、わざわざ兄さんたちにお願いする必要はなかった
んだけど、今回、孝平にはぜひ一般生徒と同じ立場で参加してほしかったから」
「どうして?」
「だって、孝平の驚く顔が見たかったから♪」
 瑛里華はパチリとウインクすると、紅茶を口に運んだ。
「それは驚くさ。だって、突然出てきたと思ったら、『ふぉーちゅんファイブ』だろ。あ
れはやっぱりかなでさんのネタか?」
「よくわかったわね~。そう、五人揃ったんなら、これやらなくちゃって、もう止められ
なかったわ。紅瀬さんは最後まで渋っていたけど、やってくれたんだから彼女には感謝し
ないとね」
「俺からもお礼を言っておくよ。制服似合ってたって」
「あら、私の制服姿はどうだったのかしら」
「言わなくちゃだめか」
「だめってことはないけど、聞きたいわね」
「……似合ってた、すごく可愛かった、思わず抱きしめたくなった」
「……、……あ、ありがと」
 お互い顔を真っ赤にしたまま、時間がゆっくり過ぎていく。



「あ、あのね、孝平。さ、寒くないかしら」
「そ、そうだな。……二月だからな」
「……もう少し、そっちに行っても、いい?」
「あ、ああ」
 差し向かいに座っていた瑛里華が、座布団と自分のマグカップを持って、孝平の隣にやっ
てきた。
「どうだ、少しはあったかくなったか?」
「……まだ寒い、かしら。ほら、私の手って、冷たい、から」
 孝平は瑛里華の手を取ると、やさしく包み込む。
「本当だ。でも、これで少しはマシになっただろ?」
「ま、まだ冷たいもの。だから、もっと……してほしいわ」
 瑛里華は孝平の膝の間に入ると、ゆっくりともたれかかる。
「……瑛里華って、手は冷たいけど、身体はあったかいな」
「そ、そう? だったら、孝平ももっと……くっついてもいいわよ」
 孝平はゆっくりと瑛里華の腰に手を回す。
「……あったかいな」
「……うん」
「それに、いい匂い」
「だめよ、まだお風呂に入ってないもの」
「俺は、気にしないけど」
「だあめ。それに、まだ私のチョコレート、食べさせてあげてないもの」
 瑛里華はきれいにラッピングされたリボンをほどくと、中からチョコを一粒手に取った。
「はい、あ~んして」



「あ~ん」
「……ふむふむ、虫歯はないみたいね」
「っておい、誰かが見てたらめちゃくちゃ恥ずかしいぞ、今の俺」
「大丈夫よ。今の孝平は、私だけが見てるんだから」
 にこにこ笑顔の瑛里華だが、孝平はきょろきょろとあたりを見回す。
「どうしたの?」
「いや、どこかからかなでさんが見てるんじゃないかと思って」
「わ、私は見られても……平気なんだけど」
「そんなこと言ってて平気なのか? これからもっとすごくなるのに」
「へ、平気よ。それに、悠木先輩が見ているのなら、こっそり見続けるなんてできないと
思うの。だから、大丈夫なの」
「わかったよ。それじゃあ、そろそろ続きをしようか?」
「……もう、えっちね」
「いや、チョコを食べさせることの何がえっちなんだ」
「そんなこと……恥ずかしくて口に出せないわ……♪」
「おーい、瑛里華ー」
「冗談よ。はい、あ~ん♪」



「……うん、おいひい」
「そう、なんだ……っ」
「ほーはひはは?」
「できれば、私の指まで食べないでほしいんだけど……くっ」
「……いやあ、ごめんごめん」
「確信犯でしょ」
 孝平はあさっての方向に目をそらす。
「まったくもう……、ほんとに悠木先輩には見せられない光景よね」
「少しぐらいいいじゃないか。いつもはもっと……」
「だ・め・よ。……まだ、夜は長いもの」
 瑛里華は孝平の手を離すと、身を正して座った。
「……何をする気だ?」
「何をしてあげたいか、わかるでしょう」
 瑛里華は、ぽんぽんと膝を叩く。



「なんだか、どきどきするな……」
「大丈夫よ、他の人に見られてるわけじゃないんだから。それとも、こういうのはイヤ?」
「そんなことないって。それじゃあ、お言葉に甘えて」
 孝平はゆっくり身体を横たえると、そーっと瑛里華の膝の上に頭を乗せた。
「これでいいか」
「もうちょっとこっち……そう、そこで」
 少し頭の位置を調整して、ようやく収まった。
「……膝枕って、子どもの頃以来かな。すごく懐かしい気がする」
「そうなんだ……いいわね、そういう思い出があるって」
「瑛里華?」
「私は、膝枕の思い出ってないから」
「……」
「あ、ごめんなさい。別にしょんぼりなんてしてないわよ。思い出がないだけで、今なら、
きっとお願いしたら母様はしてくれると思うから」
「……そう、だな」
 恥ずかしがって、してくれないんじゃないかと思ったが、それは言わないでおこう。
「どう、孝平。気持ちいい?」
「ああ。適度にやわらかくて、気持ちいいな。頭を撫でられるのも……悪くない」
「そう、よかった♪」
 瑛里華はとても嬉しそうに微笑む。
「それに、瑛里華のいい匂いがするから」
「……も、もうっ、そういうことは心の中だけで閉まっておいてね。……恥ずかしいじゃ
ないの」
 恥ずかしがりなのは、親子揃ってだなと思ったが、黙っておく。
「さてと、それじゃ次のステップに進みましょうか♪」
 瑛里華は、小さな道具を取り出した。



「これが何かわかる?」
「……耳かきの棒、だよな」
「そうよ。ちゃんと先っぽに梵天もついてるスグレモノなの。母様がくれたのよ♪」
 瑛里華は嬉しそうにくるくると耳かき棒を回す。
「それじゃはじめるわね。動いちゃだめよ。孝平の耳が大変なことになっちゃうから」
「おいおい、丁寧にやってくれよ……」
 えらく楽しそうな瑛里華の口調に不安を隠せない孝平だったが、瑛里華の作業は丁寧そ
のものだった。
「他の人にやってもらうと、自分でやるよりもきれいになるからいいよな。自分でやると、
どうしても手探りになるからさ」
「そうよね。……あっ、おっきい。……すごいわ、孝平」
 瑛里華は慎重に耳の中に棒を入れていく。
「あっ、そっちじゃないってば……ううん、見にくいわね。孝平、もう少しこっちに……
そうそう、そのまま動いちゃだめだからね」
 瑛里華の胸が顔の目の前にある、と言ったら大変なことになりそうなので、孝平は目の
前の果実を眺めながら、時が過ぎるのを待つしかなかった。
「よし、取れたわ」
「ほんとか? って、こりゃでかいな」
「そうでしょう? もう、こまめに掃除してないからよ」
 瑛里華は梵天を入れると、やさしく動かした。
「ぅくっ……、くすぐったいな、それ」
「……もしかして孝平って、くすぐったがりなの?」
「そうでもないんだけど、その梵天はちょっとニガテかも」
「そう。……それじゃあ、これならどうかしら」
 瑛里華は孝平の耳にそっと息を吹きかける。
「ぅあ……」
「孝平、気持ち良さそう……」
「ちょ、ちょっと待って」
「それじゃあ、今度はこれなら……」
 瑛里華は口を開くと、舌先をゆっくりと差し入れた。



「ぺろっ……ん、っん……」
「くぁっ……っ!」
 瑛里華がゆっくりと舌先を動かすと、孝平は思わず声を上げてしまう。
「気持ちいいのでしょう? わかってるわ、孝平のことならなんでも、ね」
 頬を上気させ、次第に息を荒くしながら、瑛里華は行為を続ける。
「ちょっ……ダメ、だ……これ以上はっ……」
「動いちゃだめって言ったでしょう。今は私の番だもの」
 瑛里華は孝平の口を、自らのそれで塞ぐ。と、同時に今度は口内に舌を差し入れて、孝
平の動きを封じる。
 あたたかくやわらかな舌を感じながら、孝平の意識は靄がかかったように鈍くなってい
くが、下半身は熱を帯びていく。
「え……り……か」
「まだ、こっちが残ってるから、もう少し待っててね?」
 瑛里華はそういうと、反対側の耳にも同じように舌を差し入れた。



 瑛里華の動きに反応してくれる孝平が、瑛里華にはたまらなく嬉しかった。
「は~い、これでおしまい。……どうだった? って、聞かなくても孝平の反応がすごかっ
たから、答えなくてもいいけど」
「……ぁ……れ……?」
 口を開こうとした孝平だったが、うまく言葉が出てこない。
「うん? どうしたの、孝平。何か様子がおかしいけど」
「……か、らだ……しび……れて……」
「えー??」



 ……。…………。



 数分後、やっと動けるようになった孝平が言うには。
「か、感じすぎちゃって、身体がしびれちゃったの?」
「……どうやら、そうとしか思えないんだよな。今は、だいぶよくなってきた気がするし」
 孝平は腕を回してみる。少々ぎこちなさはあるが、ちゃんと動いている。
「……孝平は、耳が性感帯ってこと?」
「俺に聞かれても困るけど……、くすぐったいのと気持ちいいのが同時にやってくるとい
うか。そもそも気持ちいいのかどうかもよくわからないな」
「……Mの人が、叩かれた痛みを気持ちよく感じるのと同じなのかしら」
「それは、俺が普通じゃないと言いたいのか?」
「まあ、ある意味普通じゃあないわよね」
 紅いかけらが体内にあるわけだし。
「もしかして、相手が瑛里華だからなのかも、な。ほら、瑛里華も俺の血に反応してただ
ろ」
「うーん、結局のところ、全部推測でしかないわけよね。確かめる術もないし。ごめんな
さい、今度から気をつけるわ。ちょっとやりすぎたんだと思う」
 瑛里華は素直に頭を下げる。
「そうしてもらえると助かるかな。あ、このことはふたりだけの秘密にしておいてくれよ。
他の人に知られても困るから。特に、かなでさんに聞かれでもしたら……」
「したら?」
「きっと、毎日、俺の耳で遊ぶと思う」



「毎日じゃないよ。今からだよ~♪」
「かなでさん?」
「悠木先輩?」
 突然聞こえた声に孝平と瑛里華の二人が揃って振り向くと、そこにはかなでが小さい胸
を張って仁王立ちしていた。
「わたしを呼べば、どこからでも現れるんだよ、こーへー」
「いえ、呼んでませんが」
「何を言ってるのかな、こーへー。さっき、わたしの名前を『呼んだ』でしょ」
 かなではそう言うと、孝平の背後に回った。
「うりうり~、ここか~、ここがええのんか~?」
 かなでは孝平の耳の穴に小指を入れてぐりぐりと動かす。
「ぬわっ、ちょっ、やめてくださいよ~」
「そうですよ、悠木先輩! 孝平がいやがってる……って、えええっ?」
 孝平は先ほどと同じように、だらりと弛緩している。
「ふっふっふ。こーへーのことなら、お姉ちゃんにおまかせ♪」
「……くっ、また……これ……かよ……」
「どうやら、えりりんに開発されちゃったみたいだね。お姉ちゃん、ちょっとフクザツか
な」
「私のほうが複雑な気持ちですよ。ああ、もう、どうしたらいいのよ……」
「こうするといいよ、千堂さん」
「え、ひなちゃ」
 えいっ、と陽菜はかなでの首筋に一撃を加えた。
「きゅう~」
「ごめんね、ふたりとも。それじゃあ、お騒がせしました。千堂さん、孝平くんのことよ
ろしくね?」
「……ええ、ありがとう。悠木さん、助かったわ……本当に」
 陽菜はかなでを抱えると、孝平の部屋を出て行った。
「……大丈夫、孝平?」
「……ああ。一瞬だったから、しびれる時間も、短くてすんだみたい、だ」
「よかった。本当にごめんなさい。明日から、孝平のことは私が守ってあげるからね」
 瑛里華は力強く宣言すると、ふと首を傾げた。
「あら、ところで、悠木姉妹はどこから出てきたのかしら?」



「あ、おはよう、孝平」
 だるい身体に軽く鞭を打ってドアを開けたら、そこには瑛里華が立っていた。
「おはよう、瑛里華。どうしたんだ、こんなに早くに」
「今日は、孝平と一緒に登校しようと思って……いいかしら?」
「もちろん」
 二人は並んで階段を下りていく。
「昨日言ったでしょ。孝平は私が守ってあげるって。だから、登下校から
一緒にしようと思ったの」
「心配のしすぎだと思うけどな。かなでさんは陽菜が何とかしてくれるだろうし」
「それはそれでいいのよ。悠木さんには私からもメールでお願いしておいたしね。でも、
私自身も何かしなきゃって思って」
 女の子に守られるなんて……と思っていた孝平だが、ここまで心配してくれるのはそれ
だけ自分のことを考えてくれているんだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
「ありがとうな、なんだか元気出てきた。さっきまでは、まだ少し身体にだるさがあった
んだけど。これも瑛里華たちのおかげかな」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。それじゃ、元気良く今日も一日がんばりましょう♪」



「孝平、お昼の時間よ!」
「おう、って来るの早いな」
「ご、ごめんなさい。……迷惑だった?」
「いや、そんなことないよ。ありがとな、瑛里華」
「貴女……いつの間に押しかけ妻になったの?」
 二人を冷ややかな視線で見つめながら、桐葉が瑛里華に話しかけた。
「誰が押しかけ妻なのよ! ……まあ、そう呼ばれて悪い気はしないけど」
「満更でもなさそうだね、千堂さん」
「まあね♪ あ、悠木さん、今日はいろいろありがとうね」
「ううん、いいって。お姉ちゃんのことなら、私に任せておいて」
「お礼に、今日のお昼は私がおごるわ。孝平、いいわよね?」
「ああ、それじゃあ食堂に行こうか。紅瀬さんもよかったら一緒に行かないか」
「……貴方が、奢ってくれるの?」
「なんでそうなる」
「女を誘うということは、そういうことでしょう」
「いいわ、今日は私が奢ってあげる」
「……千堂さんが?」
「妻としては、器の大きいところを見せておかないとね」
 バチバチと、ふたりの間に見えない火花が飛んでいた。



「あ、支倉先輩。こんにちは。皆さんもおそろいで」
 孝平たちの姿に気づいた白が、ぺこりと頭を下げる。
「ああ、白ちゃん。白ちゃんはもうお昼済ませた……よね」
「はい。先ほど食べ終わったところです。先輩方は、ちょっと今日はゆっくりですが、何
かあったんでしょうか」
「うん……まあ、ね」
 ここに来るまでの間に、瑛里華と桐葉の間でひと悶着あったのだが、ややこしくなるの
で、孝平は苦笑を浮かべてごまかすことにした。
「それじゃ、俺たちはごはんを食べてくるよ。また放課後に」
「はい。それでは失礼します」
「さて、俺たちもメシにしよう。先に場所を取らないとな……」
 孝平があたりを見渡すと、馴染みのある声が聞こえてきた。
「おーい、こーへー。ここだよ~」
 そんな呼び方をするのは、この修智館学院にはひとりしかいない。
「かなでさん。……やっぱりお鍋ですか」
「そうだよ。寒い冬も、あったかい春も、あっつい夏も、心地よい秋も、おなべはいつで
もおいしいんだもん♪」
「そう言われると、すごく美味しそうに見えてきますね」
「みんなの分もあるから、みんなで食べようよ♪」
「そうしようかな、瑛里華、いいか?」
「え、ええ。孝平がよければ、私は」
「どうした、熱い鍋が苦手なら、俺がふーふーしてやるぞ?」
「だっ、大丈夫よ。自分でふーふーできるから!」
「ふーふーと言うよりは、夫婦喧嘩を見てるみたいだね、紅瀬さん」
「そのようね。ふふっ、まったく、からかうネタには事欠かないわね、このふたりには」



「ねえ、千堂さん。……お姉ちゃんが近くにいるけど、いいの?」
 みんなでかなでの鍋をつつきながらの昼食。陽菜は隣の瑛里華に心配事を思いきって聞
いた。
「大丈夫、だと思うわ。悠木先輩も、こんなに大勢の生徒たちがいる中では、無茶なこと
はしないでしょう。元とはいえ、風紀委員長だった人だもの。それに、ふ~、こんなに美
味しいお鍋を前にして、他の事に気を取られていたら、はふはふ、お鍋に申し訳ないでしょ♪」
「……そうだね、うん。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
 笑顔の瑛里華につられて、陽菜も笑顔になる。
「あ、孝平くん。このお肉、もう食べごろだよ、取って上げるね」
「お、ありがとな、陽菜。それじゃお返しにこのしらたきをどうぞ」
「ありがとう。あ、えりちゃん、このちくわとっても美味しいから、どうぞ」
「サンキュー、陽菜。じゃあ、紅瀬さんにはこのはんぺんを上げるわ♪」
「そこへ、この鉄人特製の一味をどさっと!」
「おおお、お姉ちゃん何やってるの?」
「何って、きりきりのためのトッピング」
「……あら、なかなか美味しいわね」
「ほおら♪」
「……どう考えても、紅瀬さんオンリーよね、あれ」
「そうだな。俺たちは俺たちで食べよう。ほら、瑛里華」
「ありがと、孝平♪」
 美味しいお鍋が、みんなの笑顔を作り出してくれた昼食だった。



「悠木先輩のおなべ、すごくおいしかったわ。この喜びは、みんなにも共有してもらいた
いと思わない?」
 放課後の生徒会で、瑛里華は興奮冷めやらぬ様子で熱く語りだした。
「今日はかなで先輩のお鍋だったんですか。わたしもご一緒したかったです」
「突然だったからね。今度また機会があったら、白ちゃんにも連絡するよ」
「ありがとうございます、支倉先輩」
「こら、そこのふたり。ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるって。で、具体的にはどうするんだ」
「生徒会で、鍋パーティーを主催する、というのはどうかしら」
「鍋パーティー、ですか……。となると、予算の確保と先生方の許可、材料の調達と会場
の設営など、やることはたくさんありますね」
 白がてきぱきとホワイトボードに項目を書き上げていく。
「別に反対するわけじゃないんだけどさ、それってどっちかというと白鳳寮のイベントっ
て気がするんだけど」
「確かに、今までもバーベキュー大会やオークションなどの実績があるわね。……でも、
生徒会が主催したっていいんじゃないかしら?」
 瑛里華はいつもの勝気な笑みを浮かべる。
「ううん、別に生徒会主催じゃなくてもいいの。寮主催でもかまわないの。みんなが喜ん
でくれる学院生活。それが私の目標なんだもの」
「瑛里華先輩……かっこいいです」
「ああ、やっぱり瑛里華はすごいな」
 白と孝平が褒めると、瑛里華は真っ赤な顔になった。
「ほ、褒めてもボーナスなんて出ないわよ。それじゃあ、この件は寮と共同で進めてみま
しょうか。今夜、寮長の陽菜に話をしてみるわ」
「そうだな。スタッフは多いほうがいいし、そのほうがみんな参加してくれるような気が
するよ」
「ありがとう。それじゃ、このイベントも思いっきり盛り上げるわよ、孝平、白!」
「おう」
「はい♪」
「みんなで力を合わせてがんばりましょう。えい、えい、おー♪」