2000/03/06

陽菜の微笑み(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「おはよう、孝平くん」
「おはよう、陽菜。今日もいい天気だな」
 空には太陽がまぶしく輝いている。
「うん。お休みだったら、お布団干せたんだけどね~」
「昼間は学院に行ってるし、万一ってこともあるといけないから、なかなか干せないんだ
よな」
「そう言えば孝平くんのお布団、だいぶぺたんこになってるよね。今度のお休みが晴れる
といいね♪」
「ああ。……って、次の休みはデートしようって言ってなかったっけ」
「……そう言えば、そうだよね。う~ん、デートは延期してもいいんだけど」
「布団のために延期ってのもな……。まあ、当日の天気によるけど、その時に考えよう。
俺は、陽菜がそばにいてくれれば、それだけで幸せだから」
「わ、私も……孝平くんがそばにいてくれるなら……」
 自然と、ふたりの距離は縮まっていく。



「おかえりなさい、孝平くん。お茶会の準備はもうすぐできるよ、ってどうしたの、そん
なに息を切らして」
「いや、風が強かったから走って帰ってきただけ。強風の中をのんびり歩いてるのもな」
「女の子はそういうわけにはいかないんだけどね。……はい、お茶」
「サンキュー、陽菜。……ああ、やっぱり陽菜のお茶はおいしいな」
「ありがとう、孝平くん」
 そんなふたりを、じっとりと見つめる四つの目。
「な、なんですか、かなでさん」
「いーえー、らぶらぶだなーと思っただけ。ねー、えりりーん」
「そうですねぇ、悠木先輩。まさか、こんなにも夫婦っぽい光景が目の前で見られるとは
思ってなかったわ」
 ずずず、とあからさまに音を立てながら、かなでと瑛里華はお茶をすすった。
「もう、ふたりともからかわないでよ、はいお茶」
「ありがとー、ひなちゃーん」
「ありがと、陽菜」
 孝平は荷物を置くと、いつもの定位置に座る。そして、陽菜も定位置の孝平の隣に座っ
た。
「今日は、白は用事があるからお茶会には来られないそうよ」
「へーじも同じく。バイトで疲れたから寝るって」
「司は、この強風の中を出前してたんだろうから、疲れるのもわかるな」
「そんなに外の風、すごいの?」
「ああ、春一番はもう吹いたけどさ、結構な。寒さもぶり返したような気がするよ」
「それじゃあ、明日のひな祭りはどうなるのかなあ」
 陽菜が心配そうに呟いた。



「今日は雨だね、孝平くん」
「ああ、こればっかりはしょうがないよな。でも、おかげでいいものが見られたと思えば、
雨も悪くないかな」
 あいにくの雨。当初は寮の中庭で開催される予定だったひな祭りパーティーは会場が談
話室に変わった。
「そうだね、こんなに立派な雛人形が見られたんだもん。紅瀬さんには感謝しないといけ
ないね」
「……私は、何もしていないわ」
「それでも、許可、してくれたんだろ。昔、伽耶さんと遊んでたっていう貴重な雛人形ら
しいじゃないか」
「運んでくれたのは、貴方と八幡平君でしょう」
「これぐらいはやらないと、カッコつかないだろ」
「ありがとうね、孝平くんも」
「陽菜のその笑顔だけで、十分お釣りが来るよ」
「……ごちそうさま。それじゃ、私はこれで」
 桐葉は音も無く去っていった。
「……え、えー、みなさん。お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。祝
いの杯をお渡ししますので、前の方から順番に取りにきてください」
「お、いよいよ白酒の登場だな」
「孝平くん、私たちも行こう。白ちゃんのお手伝いをしないと」
「そうだな。さすがに白ちゃんひとりで白酒を配らせるわけにはいかないし」
「あ、支倉くんに陽菜。ふたりはそっちでお願い。こっちは私と白でやるから」
 宴の準備は着々と進んでいった。



「陽菜、昨日はありがとうね」
「ありがとうございました、陽菜先輩」
 いつものお茶会の席。生徒会の紅二点がぺこりと頭を下げた。
「え、昨日? ……私、何かしたかな」
 ごつん、という鈍い音がした。瑛里華が机に頭をぶつけたのだ。
「何って、ひな祭りのお手伝いでしょ! もう、頭ぶつけちゃったじゃないの」
「それは会長が自分でやったからだろ。はい、今日は俺が淹れてみた」
「わかってるわよ……ありがと」
 おでこを押さえつつ、お茶を受け取る瑛里華。
「ありがとうございます」
「ありがとう、孝平くん」
 とりあえず、みんなお茶を飲んで気分を落ち着けることにした。
「あら、おいしいじゃない♪」
「これでも、毎日白ちゃんの仕事振りを見てるし、時々陽菜にも紅茶の淹れ方を教わって
るからな」
「はいはい、お熱いですこと。それはそれとして、私たちとしては昨日のお礼をしたいん
だけど、何かしてほしいことってある? 陽菜のしたいこと、私と白でやろうって話して
いたのよ」
「うーん、そう言われても、特に思いつかないなあ……」
「小さなことでも構いませんから、何かあったら遠慮なく教えてくださいね」
「うん。……あ、だったらひとつお願いしても、いいかな」
「ええ、いいわよ」
「あのね、……編ませてもらってもいい?」



「~~~♪」
 顔の表情からも、陽菜の嬉しさが伝わってくる。
 瑛里華の髪をやさしく丁寧に編み上げていく陽菜の笑顔は、見ている人にも伝染していっ
た。
「陽菜先輩、すごく楽しそうです」
「そんなに、編みたかったのか?」
「うん。だって、えりちゃんの髪、とっても気持ちがいいんだよ。それに……」
「それに?」
「小さい頃にも編ませてもらったこと、思い出したから」
「……私は、ずっと覚えていたわ。数少ない、小さい頃の思い出だったから」
 瑛里華が懐かしむように目を閉じる。
「ごめんね。……でも、本当に思い出せてよかったよ。わがままも、時にはいいことがあ
るんだね……」
 陽菜の目に、涙の粒が浮かんでいた。
「よかったな、陽菜」
「うん♪ ……はい、できあがり」
 瑛里華の金髪は、二房の三つ編みになっていた。
「ほんとに上手ね。さすがは三つ編み師、といったところかしら」
「陽菜先輩は、三つ編み師なんですか?」
 白が目を丸くした。
「……そうなのかな?」
「いや、俺に聞かれてもな」
「それじゃあ、白ちゃんもどうかな」
「え、わ、わたしですか?」



「よろしくお願いします、陽菜先輩」
「うん、まかせて。これでも修智館学院一の三つ編み師だよ?」
 冗談めかして微笑む陽菜に、白も笑顔になった。
「うわあ、白ちゃんの髪、すごく細くてやわらかいね」
「そうですか? わたしは自分のことなので、よくわからないのですが」
「自慢していいと思うよ。……そういえば、東儀先輩の髪も長くてきれいだよね」
「もしかして、東儀家には秘密のシャンプーが伝わっているとか」
「そんなわけないでしょう、支倉くん。……ないわよね、白?」
「え、ええと、わたしは少なくとも聞いたことがありません」
 そんなことを話している間に、白の三つ編みは完成した。
「はい、できました♪」
「白ちゃん、鏡見てみなよ」
 孝平が手鏡を渡すと、白はにこりと笑った。
「すごいです。なんだか、文学少女になったみたいな気がします」
「校則にも準じた、伝統的な三つ編みだからね。もしよかったら、また編ませてね」
 そして、陽菜の目は、最後の一人に向けられた。



「孝平くん♪」
 陽菜の楽しげな声に、孝平はうな垂れるしかなかった。
「とほほ、まさかまた三つ編みをすることになろうとは」
「大丈夫だよ、孝平くん。前の時よりも髪の毛が長くなってるから、編みやすいよ?」
「……さんきゅ、陽菜」
「うん♪」
「どうしてなんだろう。甘い会話のはずなのに、切なさが感じられるわ……」
「え、えと、支倉先輩、お茶をどうぞ」
 こぽこぽと急須からお茶を注ぐ白だった。
「ありがとう、白ちゃん。……ふたりにお願いがあるんだけど、このことは誰にも言わな
いでおいてくれるかな。やっぱり恥ずかしいから」
「どうして? 別に、女子大浴場に突入したわけじゃないから、平気でしょ」
「随分なつかしいことを……あいたた。陽菜、なんでつねるんだよ?」
「さあ、孝平くんの胸に聞いてみたらいいんじゃないかな」
「あ、ごめんね、陽菜。余計なこと言っちゃったわね」
「ううん、えりちゃんは悪くないよ。孝平くんがえっちなのがいけないの」
「いや、俺は何も思い出してなんか……」
「(にこにこ)」
「すみませんごめんなさい」
「これっきりだよ?」
 と言って、陽菜は孝平のほっぺたをさすった。
「?」
 白は、何がなんだかわからなくて、ずっと首を傾げていた。



「準備できた、孝平くん?」
「ああ。ちゃんと布団も干したし、洗濯もばっちり。荷物もちゃんとまとめてあるから、
いつでも出られるぞ」
「それじゃ、5分後に寮の前で待ち合わせだね」
「ここから一緒に行けばいいんじゃないか?」
「だめだよ。デートはデートらしくしなくちゃ」
 そう言うと、陽菜は小走りで階段を下りていった。
 やれやれと思いながら、少しゆっくりめに階段を下りる。
 そして、寮の前で待っている陽菜に向かって声をかけた。
「お待たせ、待ったか?」
「ううん、私も今来たばかりだから♪」
 あははっとふたりで笑いあった。
 なるほど、確かにデートってこういうものだよな、なんて思いながら。
 仲良く手をつないで歩いていると、前方から桐葉が歩いてきた。
「おはよう、紅瀬さん」
「おはよう……悠木さん、支倉君も」
「おはよう。紅瀬さんは散歩か?」
「いいえ、主の用事を済ませて帰ってきたところよ。まったく、伽耶ったら寝かせてくれ
ないんだから……」
 それを聞いた陽菜の顔が、赤く染まる。
「ゲームをしていたのだけど、自分が勝つまでやめようとしないのよ。まったく、しかた
のない主だこと」
 と言い残して、桐葉は歩いていった。
「あ、あはは……い、行こうか、孝平くん」
「お、おう」
 なんとなく、ぎこちなくなりつつも、手はつないだままのふたりだった。



 噴水前にやってきた。太陽の光を浴びて、水がきらきら輝いている。
「そう言えば転入したての頃、ここの写真を撮ったっけ」
 あれから、もうすぐ一年になるのか。
「ああ、お姉ちゃんにもらった冊子に従って、写真撮りに行ったんだよね」
「そう。あの時はいろいろあったなあ。確か、このへんで雪丸を……」
 ぴょん
「あ、雪丸だね」
「そうだな。……てことは」
「ゆきまるー」
 孝平は目の前を飛び跳ねる雪丸をキャッチした。
「あ、支倉先輩、陽菜先輩」
「おはよう、白ちゃん。雪丸のお散歩?」
「いえ、お散歩は終えて戻ったところで、逃げられてしまいまして」
「ここで、俺に捕まえられたと。はい」
「いつもありがとうございます。ほら、雪丸も反省しないとだめですよ」
 白ちゃんに叱られて、少しだけ雪丸がしょんぼりしたように見えた。
「おふたりはお散歩ですか?」
「うん♪ ちょっと裏山のほうまで行こうかなって。よかったら、白ちゃんも一緒に来な
い?」
「……いえ、わたしはローレル・リングのお仕事がありますし、それにおふたりの邪魔を
しちゃ申し訳ないですから」
 白はぺこりと頭を下げると、礼拝堂に戻っていった。



 監督生棟まで上がってきた。
「あら、どうしたのふたりとも」
 そこには、いつもの勝気な笑みを浮かべた、われらが生徒会長、千堂瑛里華の姿があっ
た。
「おはよう、えりちゃん。今日は、孝平くんとおでかけなの」
「ふ~ん、いつも仲良しでいいわねえ。ちゃんと陽菜をエスコートしてあげるのよ、支倉
くん?」
「ああ、言われるまでもないさ。会長は、どうしてここに? 生徒会の仕事でもあったっ
け」
「違うわ。四月になったら、新入生が入ってきて、またにぎやかになるでしょう。それに
備えてのアイデア出しと、受験勉強よ。監督生室は静かだから結構はかどるの」
 ぱちりとウインクしてみせる瑛里華。
「そっか。それじゃ、俺も空き時間にアイデアを溜めておくよ。それじゃ、またな」
「ええ、いってらっしゃい♪」
 ひらひらと手を振る瑛里華に、ふたりは笑顔を返した。



「千年泉に到着だね~」
「ああ。ここらで休憩にしようか。ちょっと待っててくれよ」
 孝平はカバンからレジャーシートを取り出した。
「えーと、突風はないだろうけど、一応石を置いておくか」
「はい、こーへー」
「ありがとうございます、かなでさ……って、ええっ?」
「お姉ちゃん?」
「うん、間違ってもひなちゃんのお兄ちゃんじゃないよ?」
「んなことはわかってますって。どうしてこんなところに?」
「もうすぐ卒業だからね~。学内をいろいろまわって思い出に浸ってみようかと」
 かなでは懐かしそうにまわりを見渡した。
「お姉ちゃんは、ここにどんな思い出があるの?」
「そーだねえ……。ずっと昔に、幼なじみの男の子が溺れたよーな記憶が」
「その幼なじみの男の子は、何も悪いことしてないのにイカダで島流しにされたんですよ
ね」
「そーそー。よく覚えてるね、こーへー。さすがは生徒会副会長!」
 ぐっ、と親指を立ててにこやかなかなでだった。
「そういえば、そんなことあったよね。あの時は、お姉ちゃんが孝平くんに人工呼吸しよ
うとして大変だったっけ」
「……ちょっと待って。それ初耳」
「……ごめん、冗談だよ」
「なんだ、よかった」
 ほっと胸をなでおろす孝平。
「実は、私が人工呼吸……したんだよ?」
「……え?」
 ふたりはお互いのくちびるを見つめあい、そして。
「はいはい、そこまでー。まずは、お昼を食べようよ」
 かなでのノーテンキな声が邪魔をするのだった。



「でりーしゃす! やっぱり、ひなちゃんのごはんは美味しいね♪」
「ありがとう、お姉ちゃん。はい、あったかいお茶もあるからね」
「ほんとだ、この卵焼きなんて、絶妙な味で俺好みだ」
「ありがとう、孝平くん。おかわりもあるから、たくさん食べてね」
 三月とはいえまだ少し肌寒いが、ちょうどお昼時ということもあり、日差しが出ている
ので、絶好のランチタイム日和だ。
「お姉ちゃんは、この後どうするの? 私たちと一緒に来る?」
「ううん。ふたりの邪魔をするなんて、お姉ちゃん失格だよ。お昼からは、まるちゃんの
お手伝いでもしようかな」
「いつもお世話になってるもんね。あ、でも、まるちゃんって言うのはやめておいたほう
がいいよ」
「そうですね。シスターの機嫌が悪くなっちゃいますから」
「わかってるって。どーんとまかせておきなさい、屋形船に乗ったつもりで!」
「……いまいち、想像しづらいんですが」
「えっとね、お館様~、今宵は無礼講ですぞ、がっはっは~みたいな?」
「いろいろと間違ってるからね、お姉ちゃん。もう、しょうがないなあ」
 場所は違えど、いつものセリフが陽菜の口からこぼれるのだった。



 それじゃあ、またあとでねーと元気に手を振りながら、かなでは階段を下りていった。
「さて、お昼も食べたことだし、これからどうしようか。もう少しここでのんびりしてい
くか?」
 春の日差しが、千年泉の水面に反射して輝いている。眺めているだけでも、楽しそうだ
が、陽菜は首を振った。
「あのね、行きたいところがあるの」
 そう言って、先を歩く陽菜について行くと、次第に見覚えのある道であることに孝平は
気がついた。
「陽菜、この道って」
「もうすぐ、着くからね?」
 その言葉通りに、唐突に道が開けた。前方に見えるのは、大きな洋館だ。
「こんにちは~。伽耶さん、いらっしゃいますか」
 呼び鈴を鳴らし、陽菜が呼びかける。
 ……。返事がない。
「留守、なのかな」
「紅瀬さんの話を聞いて、今日はいると思ったんだけど……もしかして、眠っているのか
な?」
 そんな話をしていると、
 からん
                       ころん
 という音が聞こえてきた。
「この音って、もしかして」
「うん。きっと、伽耶さんだよ」
「……誰かと思えば、陽菜に、支倉か」
 いつもの豪奢な着物を身にまとった伽耶が、屋敷の裏手からゆっくりと姿を見せた。



「こんにちは、伽耶さん。もしかして、お休み中でしたか?」
「いや、先ほど目覚めたばかりだ。昨夜は桐葉がなかなか寝かせてくれなんだのでな。明
け方になってから、ようやく眠りについたのだ」
 伽耶は気だるそうに首を回すと、大きなあくびをした。
 それを聞いて、陽菜と孝平はくすくすと笑った。
「うん、どうしてふたりで笑っておるのだ?」
「いえ、なんでもないです。そうだ、よかったらお茶でもいかがですか。お昼ごはんは先
ほど食べてしまったんですけど、お茶はまだ残っていますから」
「それでは、頂くとしようか。今日は天気も良いし、縁側でよいか」
 そう言って、歩き出す伽耶にふたりはついていった。
 縁側に行くと、一匹の黒い猫が先客だった。
「今日はあったかいから、ネネコも気持ち良さそうだ」
「ああ。と言っても、こやつはいつもここで気持ち良さそうにしておるがな」
 やわらかな昼の日差しを浴びながら、ごろごろと寝返りをうつネネコだった。



「馳走になった。陽菜のお茶は、いつも美味いな」
「ありがとうございます。それでは、私たちはそろそろ失礼しますね」
「そうか、また、いつでも来るがよい。……支倉もな」
「はい、伽耶さん。ネネコも、またな」
 うにゃあ、と孝平に返事したのかどうかはわからないが、ネネコが気持ち良さそうに声
を出した。
 屋敷を出て、しばらく歩いてから孝平が口を開く。
「せっかく来たんだし、もうちょっといても俺はよかったけど?」
「うん。そう思ったんだけど、伽耶さん、まだ眠そうにしてたから」
「……確かに。朝まで紅瀬さんと遊んでいたみたいだしな」
「また遊びに来ようね、孝平くん」
「ああ」
 そして、ふたりはゆっくりと手をつなぐ。
「孝平くんの手、あったかいね」
「陽菜の手もあったかいぞ。それに、……やわらかい」
「え?」
「なんていうか、女の子の手って、やわらかくていいなって思う」
「……それは、お肉がついてるってこと?」
「いや、そういうわけじゃないよ。うまく説明できないけど、女の子だなあって思うんだ」
「それなら、孝平くんの手も男の子らしいよ。大きくて、力強くて。つないでるとすごく
安心するの」
「そうなのか?」
「うん。だから、これからも一緒に歩く時は、手をつないで歩きたいな」
「ああ。みんなの前だからって、遠慮したりしないからな?」
「あはは、ちょっと恥ずかしいけど、平気だよ。孝平くんがいっしょなんだから」
 陽だまりのような笑顔で微笑む陽菜だった。



「やっとお昼か。よし、早く学食に行こう、陽菜」
「うん。うふふ、孝平くんのお腹の音、私にも聞こえてきたよ?」
「うわあ、ということは周りのやつらにも聞こえてたってことだよな」
「そうかもしれないね。朝ごはんはちゃんと食べたんでしょう?」
「ああ。でも、足りなかったみたいだ」
「いっぱい食べられるといいね」
 食堂に着き、陽菜が場所取りをしている間に、孝平が二人分のメニューを運んできた。
「お待たせ。味噌ラーメンスペシャルだったよな?」
「うん、ありがとう♪ 孝平くんは、いつもの焼きそば?」
「いや、実は、焼きそばの下にはハンバーグと目玉焼きとチキンライスが隠されてるんだ」
「す、すごいね」
「陽菜の味噌ラーメンスペシャルも、色々な具が入っていて十分すごいと思うんだけど。
それじゃ食べよう」
「いただきます♪」
 しばらく、食べるのに専念するふたり。
「そう言えばさ、陽菜はどうして味噌ラーメンが好きなんだ? 何かきっかけがあったり
するのか」
「特別なきっかけはないと思うけど。味噌単体が好きなわけじゃないし。でも、ラーメン
と一緒だとすごくおいしいと思うんだよ」
「へえ」
「それに、味噌とコーンの相性は最高だと思うの。メンを食べ終わっても、コーンを一粒
ずつお箸でつまんで食べるのが好きなの」
「ほう」
「チャーシューもやわらかくていいよね。スープが味噌だと、よりマイルドになるからい
いんだよね」
「ふうん」
「……ごめん、退屈だった?」
「え、いや、陽菜は本当にみそラーメンが好きなんだなって思っただけ。退屈じゃないさ。
嬉しそうな陽菜が見られて俺も嬉しいし」
「ありがと、孝平くん」
 そう言って、陽菜はおいしそうにラーメンをすすった。



「いいお天気だね、孝平くん♪」
「ああ。こういう日は、のんびり昼寝するのが最高の贅沢だよな~」
「孝平くんは、お昼寝したいの?」
「いや、陽菜がいるんだから、いちゃいちゃしたい」
「……」
「あ、もしかして怒った?」
「……ううん、そうじゃないよ。いいのかなって」
「何が?」
「孝平くんと、いちゃいちゃして」
「いいと思うけど」
「……わかった。じゃ、じゃあ」
 陽菜は、そっと孝平の手を握った。
「もっと、そばに行っても、いい?」
「ああ」
 陽菜は、孝平にぴったりと身体を寄せる。
「……孝平くん、どきどきしてる」
「陽菜、だって」
「……うん。もっと、もっとどきどきすること、してもいいかな」



「おはよう、こーへー!」
「おはようございます、かなでさん。……陽菜も、おはよ」
「う、うん……おはよ」
 今日も春らしい朝。寮を出たところで孝平は悠木姉妹と出会った。
「あれあれ? ひなちゃんの様子がおかしいな。……もしかして、こーへーとケンカでも
したの?」
「し、してませんって」
「こーへーはこう言ってるけど?」
「う、うん……、ケンカじゃないよ。……ちょっと、ね?」
「ふむ……、まあ、そういう時もあるよね。お姉ちゃんは器がおっきいから、ふたりをあ
たたかく見守っていくからね」
 かなではそう言って、ふたりの背中をばしばしと叩いた。
 孝平は、かなでが意外にもあっさりと引いてくれたので、ほっとした。
 ちらりと陽菜のほうを見ると、陽菜もこちらを見つめていて、目が合った。
 瞬間、昨日のことが思い出されて、ふたりとも顔を真っ赤にして目をそらすのだった。
 かなでは、ふたりの少し前を歩いていて気がつかなかった。



 休み時間。ぼんやりしている陽菜の前に、ひとりの少女が立った。
 うつむいていた陽菜が顔を上げると、長く美しい黒髪が視界に入った。
「……紅瀬、さん」
「貴女にしては、反応が鈍いわね」
「……そう、かな?」
「ええ。……もうずっと前の約束だけど、今日なら編ませてあげても、いいわ」
「…ほんと?」
「私に二言はないわ。そうね……昼休みでいいかしら」
「う、うん!」
「それじゃ、また後で」
 桐葉は静かに自分の席に戻っていった。



「それじゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
 陽菜は桐葉の後についていった。
 何も言わず、すたすたと歩いていく桐葉。
 他の人に見られない場所に行くのかな、と思っていた陽菜だったが、校舎を出て、さら
に森の中の道をずんずんと歩いていく桐葉に、陽菜は不安を覚える。
「……あの、紅瀬さん。どこまで行くの?」
「もうすぐ、着くわ」
 その言葉が終わった途端、唐突に明るくなった。
「うわぁ……」
 海からの風が心地よく吹きぬける。丘の上に、陽菜と桐葉は立っていた。
「すごくきれい……。学院にこんなところがあるなんて、知らなかった」
 海を見つめながら呟く陽菜。
「あまり人は来ないわね」
 桐葉はゆっくりと腰を下ろした。



 風がやさしく吹き抜ける丘で、陽菜は桐葉の髪を編んでいた。
 会話はないが、陽菜の嬉しそうな様子はその表情から容易に伺うことができる。
 ちらりと陽菜の顔を見つめ、桐葉は口を開いた。
「今日は、少しぼんやりしているのね」
「……心配、してくれてるの?」
「そ、そう思ってもらって、構わないわ」
「……ありがとう、紅瀬さん」
 陽菜は微笑む。三つ編みを作る手つきもよりやさしくなる。
「昨日ね……孝平くんと過ごした時間が……頭の中でずっとまわっているの。おつきあい
するようになって、いろいろな孝平くんを見てきたのに、まだまだ私の知らない孝平くん
がいるんだなって」
「そう。……ケンカ、ではないようね」
「うん。それはないよ。……やっぱり、みんなに心配かけているのかな」
「貴女が気にすることではないわ。……友人の心配をするのは、友人の役目だから」
「えへへ、嬉しい。……はい、できました♪」
「ご苦労様。……どうかしら」
 桐葉はくるりと回ってみせる。
「うん。とっても似合ってるよ。袴を着たら、大正時代の女学生に見えるかも」
「それ、褒められているのかしら?」
「うん、もちろんだよ」
「ならいいわ。ありがとう、悠木さん」
 桐葉は満足そうに笑った。



「支倉くん、お茶淹れてくれない?」
「あ、お茶ならわたしが」
「白はその書類が終わるまで動いちゃダメ」
「うう……」
 うなだれて、パソコンに向かう白。
「いいよ、白ちゃん。たまには俺もやらなきゃな」
 孝平はそう言って、給湯室に向かった。
「はい、お待たせ」
「ありがとう。……あら、美味しいわね」
 適度に冷まされた紅茶を口に含み、笑顔になる瑛里華。
「茶葉がいいからさ」
「それだけじゃないわ。……陽菜の教え方が上手なのね」
「そう、だな」
 孝平は一瞬、口ごもる。
「そうよ。さて、単刀直入に聞くけど、陽菜とケンカしたの?」
「してないよ」
「そう。ならいいわ。噂話なんて当てにならないわよね、やっぱり」
「……えっと、それだけか?」
「ええ。追求するものでもないでしょ。貴方たちなら、きっと大丈夫だと信じてるもの」
 誰にも真似出来ない笑顔で、瑛里華は言い切った。
「……ありがとな、会長」
「いえいえ。それじゃ、白のサポートをお願いできるかしら?」
 パソコンの前で、白は泣きそうな表情になっていた。
「了解。白ちゃん、どんな具合かな?」
「すみません、支倉先輩。ここの計算がうまく合わないのですが……」
 瑛里華は満足そうに微笑むと、紅茶をもう一度口に含んだ。



「こんばんは、孝平くん」
「いらっしゃい、陽菜。どうぞ」
「おじゃまします……あれ、私が今日は一番乗りなんだ」
「ああ。まあ、司はバイトで、会長は他の集まり。白ちゃんはパソコンの練習で今日は来
ないんだけど」
「そうなんだ。じゃあ、後はお姉ちゃんだけ……って、メールかな」
 陽菜が携帯をチェックすると、噂をすれば何とやら。かなでからだ。
「今日は春の陽気に誘われたので、もう寝ます。こーへーに、夜這いに来ないように言っ
ておいてください、だって」
「ぜっ……たいに、行きませんからって返信しておいてくれ」
「あはは、了解」
 ぽちぽちとメールを打つ陽菜を見ながら、孝平はティーセットの準備をする。
「あ、私も手伝うよ」
「大丈夫。今日は俺が淹れるよ。会長に褒められた腕前を見てもらおうと思って」
「……えりちゃんに?」
「ああ。生徒会の仕事中にお茶を淹れる機会があってさ」
 話をしながら、手際よく準備する孝平。やがて、紅茶の香りが孝平の部屋に満ちていく。



「それじゃあ、いただきます」
 陽菜は孝平の淹れた紅茶を口に含んだ。
「……ど、どうかな?」
「……うん、すごく美味しいよ。これなら、えりちゃんが褒めてくれるのもわかるよ」
「ありがとう。会長に褒められたのもうれしいけど、陽菜に美味しいって言ってもらえた
ことが、俺にとっては一番嬉しいよ」
「もう、私から孝平くんに教えることはないかな。……ちょっと寂しいね」
「そんなことないよ。陽菜の好きなことは他にもあるだろ? それについて、いろいろ教
えて欲しいな。俺も、陽菜が教えて欲しいことがあったら、できるだけのことはするし。
それに……」
「それに?」
「たとえ、そういうのが何もなくたって、陽菜と一緒なら、きっと俺は幸せなんだと、思
う……」
「孝平くん……。うん、わたしも、そうだよ……」
 見つめあうふたりの距離が、ゼロになった。
「……えっと、今日はこれぐらいにしておこうか?」
「そうだね。今朝は夕べの余韻でどきどきしてたから、みんなに心配かけちゃったし」
「そうだよな。でも、みんな信じてくれてもいるから、本当にいい友人たちだよ」
「感謝しないとね、みんなに」   
「明日からは、またみんなでお茶会ができるといいな」
「うん! ふたりきりもいいけど、みんなが一緒でも楽しいよね♪」



「はい、孝平くん。プレゼントだよ」
「お、サンキュー。……ローソク?」
「そんな! わたしの知らないうちにふたりがアブノーマルな関係にっ?」
 孝平が取り出したものを見て、かなでは大げさにのけぞった。
「ち、違うよお姉ちゃん。これはアロマキャンドルだよ?」
「も、もちろん知ってたアルよ。にゃはー」
「今、思いっきり悠木先輩の目、泳いでましたけど」
「どうしてアブノーマルなのか、わたしにはわかりません」
「どうしてこんなに騒がしいのかしら……」
 いつものお茶会だった。久しぶりに大勢が揃ったので、自然とにぎやかになる。
「そういや、俺の部屋にもそんなローソクがあったな」
「えっ、もしかして司はアロマ関係の趣味があったのか?」
「いや。知り合いが置いていっただけだ。サバイバルに役立つとかなんとか」
「それは、本当のローソクじゃないかしら」
 瑛里華が苦い顔でつっこんだ。
「私の部屋にも、ローソクぐらいあるわ」
「まさか、きりきりにそんな趣味がっ!」
「お姉ちゃん、いい加減にしようね?」
「ごめんなさい、ひなちゃん。ちょっとテンションが下がらなくて」
「かなでさんのテンションはいつもハイですよね」
「それじゃ、お姉ちゃんを落ち着かせるために、ちょっと点けてみようか」
 キャンドルに火を点けて、部屋の明かりを消してみると。
「うわあ、きれいだね~」
「おお、ほんとにかなでさんがおとなしくなった」
「こーへーには、後でおしおき」
「なんでっ?」



「こんばんは~。ごめんね、みんな。遅くなりました」
「大丈夫、まだお茶会は始まったばかりだから。寮長の仕事だろ?」
 孝平は陽菜にお茶を渡す。
「うん。寮長になって思ったのは、お姉ちゃんはすごいなあってことなの」
「へ、わたし?」
「そうだよ。大きな問題、小さな問題、連絡事項やイベント、小さなことでも積み重なる
と結構大変な時もあって。私、ずっと去年のお姉ちゃんを見ていたけど、お姉ちゃんは全
然辛そうな顔してなかったもん」
 みんなの視線がかなでに集まる。
「そう言えば、兄さんも悠木先輩のことを褒めていたわね。………でもないのに、すごく
パワフルだって」
「兄さまも、かなで先輩のことを尊敬しているようでした。悠木はすばらしい寮長だ、と」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないからね?」
 と言いながら、かなではみんなの湯飲みにお茶を注いでいく。
「私、お姉ちゃんにがっかりされないようにがんばるね」
「ひなちゃんなら、大丈夫だよ。わたしはがむしゃらにやっただけ。でも、ひなちゃんは
ちゃんと相手のことを考えてあげられる子だからね。こーへーも、それはよく知ってるで
しょ」
「ええ。陽菜なら、きっとかなでさんに負けないくらい立派な寮長になれるよ」
「そうね。陽菜は交友関係も広いし、いざとなったらみんなに頼ってもいいし」
「陽菜先輩のことは、クラスで話しているときもよく話題になります。あんな先輩になれ
るといいなって」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないよ?」
 と言いながら、陽菜はみんなのお茶請けにお菓子を追加していった。



「あ、悠木さん。ちょっといいかしら」
「はい。御用ですか、シスター?」
 大浴場からの帰りに談話室に寄ったところで、陽菜はシスター天池に声をかけられた。
「次回の寮でのオークションなんですけど、来週の休みに実施されるのよね」
「はい、そのつもりです。シスターも参加されますか?」
「いえ、お誘いは嬉しいですが、私が参加すると進行に影響が出るでしょうから」
「そんなことは……」
「いいのですよ。それより、そのオークションに礼拝堂の備品を提供したいのですが、構
いませんか?」



 翌日。陽菜は孝平と司にお願いして、礼拝堂を訪れていた。
「ごめんね、孝平くん、八幡平くん。今度お昼おごるからね」
「いや、それはいいんだけどさ。俺たちが呼ばれたって事は、力仕事なんだろ?」
「うん。とある施設の方から、礼拝堂に寄付があったそうなの。それで、古くなっていた
備品を新しいものにすることができたんだけど、古いといってもまだ十分使うことができ
るものが多いからどうしようって思っていたんだって。オークションが開催されるのは神
の配剤ねってシスターは喜んでいたよ」
「そりゃシスターはいいだろうがな」
 司のぼやきはわかるが、シスターのいうことももっともだ。
「あ、いらっしゃいませ、先輩方」
 礼拝堂の扉を叩くと、ローレル・リングの制服を着た白が出迎えてくれた。
「こんにちは、白ちゃん。オークションに出品する品物を引き取りに来たんだけど」
「はい、こちらにまとめてあります。どうぞ中へ」
 三人は礼拝堂の中へ入っていった。



「食器類などが中心なんですけど、少し大きなものもありますので……」
 段ボール箱が何箱か、そしてその隣に鎮座していたのは。
「これって……安楽椅子か? どうしてこんなところに」
「さあなあ、シスターが座ってる光景は想像できねえけどな」
 孝平と司はそれぞれに感想を述べる。
「東儀さん、これで全部だよ」
 奥からひとりの女生徒が段ボールを抱えて現れた。
「どうもありがとう。支倉先輩たちが運んでくださるそうなので、そこに置いてください」
「よろしくお願いします。先輩方」
 ぺこりと頭を下げる少女に見覚えがあった。
「あれ、あなた確か、園芸部だったよね?」
「はい。あれから、ローレル・リングもかけもちしているんです」
「そっか。よかったね、白ちゃん」
「はい。いつも助けていただいてます。とっても大切なお友だちです♪」
 白がそう言うと、女生徒は顔を真っ赤にしていた。



「こんなこともあろうかと、カートを持ってきていてよかったね~」
「そうだな。司のチャリが使えればよかったんだけど、学内じゃさすがにな」
「見つかったら、間違いなくフライパンでマジ殴りだな」
 陽菜はカート、男ふたりは安楽椅子を抱えながら、寮までてくてく歩いた。
 途中で出会った運動部の男子たちも手伝ってくれたので、思っていたよりも楽に荷物を
運ぶことができた。
「これも陽菜の人徳のおかげだな。さすがは寮長だ」
「私は何もしてないよ。孝平くんや八幡平くん、そしてみんなのおかげだよ」
 陽菜はいつものやわらかい笑顔だった。



「それでは、恒例となりました白鳳寮主催、オークション大会を開催します」
 談話室には大勢の学生が集まっている。いつもよりも人数は多いのは気のせいではなく、
事前に噂が流れたからだ。



「おい聞いたか。今度のオークションさ、礼拝堂の備品が出品されるらしいぞ」
「それがどうかしたのか?」
「よく考えてみろよ。あのシスター天池が使っていたかもしれないんだぞ。これはレアな
一品だと思わないのか?」
「言われてみれば……。それに、礼拝堂って事はローレル・リングでも使われていたって
ことだよな」
「ああ。ということは、あの東儀さんが使っていたって事も……」
「やあねえ、男って。でも、礼拝堂の備品ってけっこう装飾も凝ってて素敵よね」
「そうそう。アンティークにこだわるわけじゃないけど、お値打ちだったら欲しいよね。
そういうのでお茶を飲むと、なんだか味わいも違う気がするし」



 というわけで、それぞれの思惑が交じり合って、いつも以上の熱気となっていた。
「ではまず、このお皿から。少しヒビは入ってるけど、この柄とかとっても素敵だよね。
��枚セットで、500円から」



「お次はティーカップ。むむ、なんだかすごく英国風な感じが漂ってきます。これで紅茶
を飲むと、また格別なんだろうな~。私も欲しい逸品です。これはソーサーもつけて、2
��0円から」



「次は、フライパンだね。最近は中華鍋とかのフライパンも多いけど、私はやっぱり普通
のが好きかな。寮ではあまり使う機会がないけど、持ってても損はないと思います。あれ
……なんだかここに凹んだような後があるけど……、もしかして、シスターが『使った』
のかな? じゃあ、800円からで」



「最後に一番の大物。どういうわけか礼拝堂から提供された安楽椅子です。ちょっと置き
場所に困るかもしれないけど、一番お値打ちな品だったりして。これであなたも安楽椅子
探偵になれる……かもしれませんよ? じゃあ、1000円から」



 結果からいうと、大盛況のうちにオークションは終幕を迎えた。
「こんなに盛り上がるなんて思わなかったね」
「ああ。ただの備品で骨董的な価値があるかどうかもわからないのに、ほとんどが最初の
設定価格より高く売れたもんな」
 お茶会でも自然とオークションの話題になった。
「でも、いいことじゃないの。使わなくなった物でも、使ってもらえる人のところにいけ
ば、品物も人も嬉しいわよね」
 嬉しそうに瑛里華が言う。
「そうですね。わたしたちもお手伝いができてよかったです♪」
 白がにっこりと微笑んだ。
「それにしてもこの売り上げは予想以上なんだけど、これはどうするんだ?」
「うん。寮内で使う共用の消耗品とか、観葉植物とか。今まではそういうのに使ってたみ
たい。それでもまだまだ余裕があるんだけど……」
「それじゃあ、突撃会長からひとつ提案があるんだけど、いいかしら?」



「みなさま、お待たせいたしました。それではただいまより、送別会&大お花見大会を開
催いたします!」
「いやっほぅ! 今日はとことんまで飲もうじゃないか、なあみんな?」
「きゃー、伊織様~☆」
 瑛里華の開会の挨拶に、伊織の声が重なり、さらに黄色い悲鳴がたすきがけされた大お
花見大会がはじまった。
「まったく、兄さんには困ったものね」
 そう言いながらも、瑛里華の表情は困っていない。
「千堂先輩は、きっと場を盛り上げようとしてるんだよ、えりちゃん」
「それは間違いじゃないと思うけどねぇ」
 陽菜のフォローにも、苦笑を浮かべざるをえない瑛里華だった。
「それにしても、まさかこんなに集まるとは思わなかったわね~」
「今年は桜の開花も早まってるからね。最後のイベントだし、みんな参加したいって思う
のも当然じゃないかな」
 それに、参加しているのも生徒だけではない。教職員をはじめ、学院関係者や学生の父
兄たちまでも参加する大規模イベントなのだ。
 先日のお茶会で、瑛里華が提案したのがこのイベントだった。
「卒業生の送別会だけでなく、お花見も一緒にやりましょう。それに、どうせなら生徒も
教師も父兄もみんなが楽しめるイベントにしたほうが、おもしろいと思わない?」
 オークションで予想以上に儲けが出たこともあり、資金も十分。それに加えて、卒業祝
いということで、学院創設者からも多額の寄付があったこともあり、無事にこうしてイベ
ントを開くことが出来た。
「それじゃ、私たちも食事をいただきましょうか。せっかく鉄人も参加してくれているん
ですもの」
「そうだね。それじゃ行こうか、えりちゃん♪」
「ええ、陽菜ちゃん♪ ……うふふっ、なんだかあの頃に戻ったみたいね」
 陽菜と瑛里華は、仲良く手をつないで料理コーナーに向かった。



「千堂さん、ずいぶん楽しそうね」
「それはそうだろう。瑛里華が企画したそうだからな。発案者としては嬉しいだろうさ」
「伽耶も、手伝っているしね」
「さて、何のことやら。……あー、桐葉、そこのたこ焼きでも食べようではないか」
「ふふ、いいわよ。私が取って上げるわ。……はい、どうぞ」
「……あたしは、たこ焼きを頼んだはずだが」
「どこからどう見てもたこ焼きじゃないの」
「たこ焼きとは、そのような『真紅の血液』色はしておらぬ!」
「おかしいわね、吸血鬼なら喜んで食べると思ったのに」
 桐葉はふところに謎の小瓶をしまいこんだ。



「あの方も、表情がおやさしくなられたな」
「はい。最近は、わたしにも話しかけてくださることが増えました」
「よかったな、白」
「はい♪ 兄さま、わたしたちも何か食べませんか」
「ああ、そうするとしよう」



「しろちゃんたちはいっつも仲良しだねえ。よし、こーへー。わたしたちも負けないよう
に仲良くやろうよ!」
「でも、俺たちは姉弟じゃありませんよ、かなでさん」
「細かいことは言いっこなしだよ。こういう時は、楽しんだもの勝ちなの!」
「確かにそうですね。それじゃあ、俺たちも食べることにしましょうか。かなでさんは何
が欲しいですか、俺取って来ますよ」
「ほんと? それじゃあ、お鍋をお願いしようかな♪」
「いや、お花見に鍋はないでしょう……って、ぐつぐつ煮えてるー?」
「わたしがちゃーんと頼んでおいたんだよ。鉄人特製のかなでなべ♪」



「悠木さんはやっぱりにぎやかね」
「そういう先輩は、やっぱり静かっすね」
「しょうがないわ。こういう性格なんだもの。あなたも、私の相手なんてしなくてもいい
のに」
「……先輩、今日で卒業っすから」
「とは言っても、またお店で会えると思うんだけど?」
「いいじゃないっすか。さあ、俺らも食べましょう」
「そうね。それじゃあ、普段あまり家で食べない中華にでもしましょうか」
「っす」



「あらあら、八幡平君の意外なところを見てしまいました」
「人には色々な顔があるんだよ、志津子ちゃん♪」
「そういう貴方は、いつも同じように見えますね、千堂君」
「やだなあ、志津子ちゃん。今日は『いおりんっ☆』って呼んでもいいんだよ?」
「はいはい、わかりました、千堂君♪」



「やあ、支倉君! 盛り上がってるかい?」
「前会長、ええ、料理もおいしいですし、楽しんでますよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もっと盛り上げてやろうじゃないか!」
「いえ、別に無理しなくても」
「俺が無理なんてしていると思うかい?」
「……これっぽっちも思いませんね」
「ははっ、言うようになったね、支倉君。それじゃあ、また後で♪ おっと、これは俺か
らのプレゼントだ」
 伊織は手に持っていた飲み物を孝平に渡した。



「どうしたの、孝平くん。はい、鉄人特製のソースやきそばだよ。もちろん、紅しょうが
は抜いてもらったから」
「サンキュー、陽菜。いや、伊織先輩がさ、また何かやるらしくて」
「……えりちゃんと、兄妹で何かやるのかも」
「え? ……あ、いつのまにかステージに上がってるな」



「レディースアーンド……ジェントルメーン! みんな楽しんでるかー!! ……うんう
ん、そうかそうか。俺もすごく楽しんでるよ☆」
「いつも以上にテンション高いわね、兄さん」
「それでは、千堂兄妹のショートコント!」
「え、ちょっと待って」
「隣の塀に囲いが出来たんだってね~?」
「塀を囲んで、どうすんのよ!」
 ビシィ!!
「いつもよりツッコミが強烈だぞ瑛里華~~~…………」
 キラッ☆と光って、伊織は星になった。



「あやつは、何をやっておるのだ……」
「楽しそうだからいいんじゃないかしら。ほら、もう戻ってきたみたいよ」
「まったく、吸血鬼というよりはゾンビだな」
「あれがゾンビだとしたら、ゾンビのファンクラブができるんじゃないかしらね」



「さっすがいおりん! よーし、しろちゃん、ひなちゃん、わたしたちも負けてられない
よ!」
 かなでが白と陽菜を連れてステージにあがった。
「え、かなで先輩?」
「こうなったら、あれをやるしかないねっ」
「お姉ちゃん、いったい何を」
「修智館学院に集いし……」
「ふぉーちゅんファイブはやらないからね?」
「えー、ひなちゃんいけずー」
「……しょうがないなあ、もう。今日だけだよ?」
「やっぱりひなちゃん♪ わたしのヨメだー」
「違いますよ、かなでさん。陽菜は俺の嫁です」
「ここ、孝平くん?」
「何度でも言うぞ、陽菜は俺の」
「ちょ、ちょっと孝平くんってば! ……あれ、もしかして、立ったまま寝てる?」
「わー、支倉先輩が先生方用に準備したアルコールを飲んでしまったみたいです~」



「う、ううん……」
「あ、孝平くん、気がついたみたいだよ」
「まったく、こーへーは最後までわたしに心配をかけるんだから。……でも、お姉ちゃん
はあのひとことが聞けたから安心かな」
「え、何のことですか?」
「さあね♪ 後でひなちゃんに聞いてみるといいよ」
「俺、何か言ったのか、陽菜」
「……孝平くんの……ばか」



「それじゃあ、最後にみんなで写真を撮ろうか。俺がタイマーセットをするから、みんな
そこに並んでくれたまえ」
「まったく、最後までしきってくれるわね。ほんとは私がやろうと思ってたのに」
「伊織はいつまでも伊織、ということだな」
「そういう征一郎もいつもと変わらぬな」
「伽耶だって、見た目も中身も変わらないでしょうに」
「紅瀬先輩は、よく笑うようになったと思います」
「確かにな。もうフリーズドライなんて言われないな。先輩も、笑ってみたらどうっすか」
「あら、私は笑う時と場所をわきまえているだけ。あなたの前とか、ね」
「ほらほら、まるちゃんも並んで並んで!」
「こら、悠木さん。あまりひっぱるとおしおきですよ?」
「それじゃあ、陽菜。最後の号令を頼むよ」
「え、私? ……わかりました。それじゃあ、いくよ。月は東に、日は西」



『に~!!!』



 その写真は、誰にとっても最高の思い出になった。なぜなら、写真に写っている全員が、
最高の笑顔だったから。



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