2002/12/24

初雪(水月)



 ざざーん、ざざーん。
 波の音が聞こえる。
 これは、夢だ。
 迷うことなく、そう思った。
 最近は全く見ることはなくなっていたが、夏の頃は毎日のように見ていたから。
 ざざーん、ざざーん。
 途切れることのない波の音。これが夢の中でさえなければたいした事はないのだが、
 夢の中である以上は僕にとっては大問題だ。
 なぜならこの後、僕は女の子を弓で射殺さなければならないのだから。
 抵抗しても、どれだけ抵抗しても逆らうことはできなかった。
 それに、彼女を射殺さないと僕は夢から目覚められないのだから。
 しかたない。
 夢だから。
 そんな言葉で片付けることもできた。けれど、どうしても後味の悪さというものはある。
 きりきりきり。
 ああ、僕の手が僕の意志を無視して、弓を引き絞る音が聞こえる。
 精一杯の抵抗を試みる。が、無常にも弓は引かれていく。
 この段階まで来てしまったら、もう手遅れだ。
 あとは、矢を握っている右手を離さないようにするしかない。
「・・・・・・・・・」
 少女が何か言った。けど、声が小さくて聞き取れない。
 波の音は途切れることなく、続いている。
「・・・・・・・・・」
 また何か言った。やっぱり聞こえない。
 くそっ、僕にはどうすることも出来ないのか?
 少女の表情は怯えているふうでもなければ、喜んでいるふうでもない。
 しいて言えば、悟っている、そんな表情だった。
 これから起こる出来事を受け止めている、そんな晴れやかな表情だった。
「・・・・・・さん」
 ?
「・・・矢さん、朝ですよ」
 誰かが僕を呼んでいる。起こそうとしている。そんなことをしてくれるのは今の僕には
ひとりしかいない。雪さんだ。
「透矢さん、透矢さん」
 ゆさゆさゆさ。
 僕をゆすって一生懸命起こそうとしてくれる雪さん。でも、目が覚めない。
 起こされている感覚はあるのに、どうして身体は起きてくれないんだろう。
 このまま右手を離して彼女を射れば、起きることは出来ると思う。でも、それだけはな
んとしても避けたかった。雪さんにひっぱたいてでもいいから、彼女を射る前に起こして
欲しかった。
 でも、雪さんがそんなことをするとは思えなかった。どうしようもない。
「もう・・・しょうがないですね」
 雪さんは僕をゆさぶるのをやめた。あきらめたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・特別ですよ?」
 僕の唇をやわらかい感触が包み込んだ。
 雪さんの匂いがしたような気がした。



「おはようございます。透矢さん。今日もいいお天気ですよ」
「・・・おはよう、雪さん」
 なんとか目覚めることができた。あのやわらかい感触のおかげかな。もしかして雪さん
��・・なんとなく想像はつくけど・・・。聞くのが恥ずかしい様な気がしたのでやめておく。
「ありがとう、雪・・・さ、ん?」
 お礼を言って雪さんのほうを見た僕は、固まってしまった。
 あれ?いつもと格好が違うような・・・。
「あの、雪さん?」
「雪の顔に何かついていますか?」
「そうじゃなくて、服、服」
「雪はサンタですから」
 そう。雪さんはサンタの格好をしていたのだ。赤いサンタ服に赤いサンタキャップ。
 まぎれもなくサンタさんだった。それに、スカートからでているふとももが・・・。
 なんとも目に毒だった。
「えーと? 雪さんはメイドさんだよね?」
 わかりきっていることだったけど、なんとなく質問してしまった。
「はい、雪は透矢さん専属のメイドです。でも今日はサンタでもあるんですよ」
 そう言いながら、雪さんはにこにこして何かを待っている様だった。
「・・・・・・似合ってるよ、その服」
「ありがとうございます! 実は急ごしらえで作ったのでちょっと不安だったんですよ。
でも喜んでいただけた様でうれしいです」
 そう言うと、雪さんは朝食の準備をするので部屋を出て行った。ご主人様も大変だ。
 でも、なんで今日はサンタの格好してるんだろう。そりゃ確かに今日はクリスマスでは
あるんだけど。だからってサンタの格好をするものなんだろうか。
 とにかく考えていてもしかたがないので、着替えて食堂に行くことにした。じっとして
ても寒いだけだから。それほどまでに部屋の温度は冷たかった。



 3時から僕の家でクリスマスパーティーをやるというので、午前中は準備に大忙しとなっ
た。
 雪さんはケーキ作りをしなければならなかったので、会場の飾り付けは僕の仕事だった。
 どうやら毎年クリスマスパーティーをやっているらしく、会場が僕の家っていうのも恒
例らしい。
 そりゃ花梨や庄一の家は神社だから合わないのはわかるけど、アリスとマリアちゃんが
住んでいる教会ならぴったりの場所なんじゃないだろうか。
 そう思ったけど、僕の家に来るのを楽しみにしているマリアちゃんの笑顔を見たら、ま
あいいか、と思えた。僕も現金なものだ。
 昼までに部屋の飾り付けをだいたいすませることができた。こんなことをしたのは久し
ぶりのような気がする。といっても記憶が元に戻っていない僕には以前のことはわからな
いんだけど。
「透矢さん、そろそろお昼ご飯にしましょうか」
「そうだね。お昼にしようか」
 一段落ついたので、昼食を取ることにした。
「お部屋の飾りつけはどうですか?」
 雪さんが申し訳なさそうに聞いてきた。なぜか今はメイド服を着ている。
「雪もお手伝いできればいいんですけど・・・」
「雪さんはクリスマスケーキを作るっていう大事な仕事があるんだから。飾り付けのほう
は僕にまかせてよ。それに、部屋の飾り付けはだいたい終わったから」
「そうなんですか?さすが透矢さんですね」
 雪さんは僕のことをいつも褒めてくれる。僕は特別すごいことだとは思わないんだけど、
やっぱり褒められて悪い気はしなかった。
「ごちそうさま。今日もおいしかったよ」
「ありがとうございます。はい、あったかいお茶をどうぞ」
 雪さんは急須からお茶を注いで、僕に渡してくれた。一口飲んでみる。熱すぎず、冷た
すぎず。僕にぴったりの温度だった。さすが雪さん。
「よし。それじゃもうひとがんばりしようかな。雪さん、ケーキのほうはどうなの?」
「はい。土台のほうは出来上がりました。後は飾り付けが残っています」
「何か僕にできることってあるかな」
「ありがとうございます。でも後の作業は雪だけでもできますので、透矢さんはお部屋の
ほうをお願いします」
「わかった。雪さん、がんばってね」
「はい。透矢さんもがんばってください」
 雪さんはとびっきりの笑顔を僕に向けてくれた。



 作業を再開して30分ほどが経った頃、玄関のチャイムが鳴った。
「雪さん、僕が出るよ」
 台所で奮闘中の雪さんに声をかけて、僕は玄関まで出た。
「はいはい。・・・マリアちゃん? ・・・それにアリスも」
「こんにちは、透矢さん。ちょっと早いけど来ちゃいました」
 マリアちゃんはにこにこしながらそう言った。
「こんにちは、マリアちゃん、アリス。せっかく早く来てくれたのに申し訳ないんだけど、
まだ飾りつけが途中なんだ。ごめんね」
「そんなことだろうと思ったわ」
「お姉ちゃん!」
「はいはい、だから手伝ってあげるわよ。そのために早く来たんだから」
「透矢さん、わたしたちお手伝いします」
 なんだかお客様に手伝わせるなんて申しわけなかったけど、せっかくの厚意を断るのも
悪いかなと思ったので手伝ってもらうことにした。
「それじゃふたりにはツリーの飾り付けをお願いするよ。飾りはダンボール箱に入ってる
から。何か困ったことがあったら言ってね」
「はい!わかりました。それじゃお姉ちゃん、がんばろうね」
「はいはい、わかったわよ」
 アリスもなんだかんだ言いながら、マリアちゃんには優しいんだよね。
 ふたりにまかせておけば安心だろう。



 そして30分後。ようやく部屋の飾り付けが終わった。ひとりでやったにしては上出来
な感じかな。
 とりあえず目標が達成できてよかった。マリアちゃんたちのほうはどうなってるかな。
 僕はツリーのところに行ってみることにした。
 するとそこには、マリアちゃん、アリス、そして雪さんの3人がツリーの飾り付けをし
ていた。
「あ、透矢さん。お部屋のほうの飾り付けは終わりましたか」
 僕に気づいた雪さんが声をかけてきた。
「うん。ついさっきね。雪さんがここにいるってことは、ケーキはもう完成したってこと
だね」
「はい。10分ぐらい前に終わりましたので、ここでマリアさんとアリスさんのお手伝い
をしていたんですよ」
 ツリーを見ると、もうあらかた飾り付けが済んでしまっていた。すごい。まさかこんな
に早くできてしまうなんて思わなかった。僕は部屋の飾り付けだけでもかなりの時間がか
かってしまったというのに。
 自分の情けなさを改めて感じつつ、僕も手伝いをすることにした。
 ・・・・・・・・・・・・。
「できた!」
 最後の星の飾りをツリーのてっぺんに付けたマリアちゃんの声が聞こえた。
 時計を見ると、2時30分を少しまわったところだった。なんとか間に合ったかな。よ
かったよかった。
「あなたひとりでやってたら、まだ終わってなかったでしょうね」
「う・・・」
アリスのさりげない一言が僕の胸に突き刺さった。
「お姉ちゃん!」
「だってほんとのことじゃない」
「そうだね。確かに終わらなかったと思う。ありがとうアリス、マリアちゃん、そして雪
さんも」
 僕は3人にお礼を言った。実際本当に終わってなかったと思うし、手伝ってもらえて本
当にうれしかったから。
「わ、私はマリアの付き添いなだけだから・・・」
「お役に立ててよかったです!」
「ふふ、ありがとうございます。透矢さんもご苦労様でした」
 出来上がったクリスマスツリーは午前中までの寂しげな装いとはうってかわって、きら
きらと輝いていた。



 雪さんが入れてくれたお茶を飲んでいると、花梨、和泉ちゃん、庄一、鈴蘭ちゃんが次
々に家に来た。
 牧野さんは体調が思わしくないらしく、昨日から入院しているとのことだった。ちょっ
と残念。
 みんながそろったのでクリスマスパーティーを始めることにした。といっても何か特別
なことをするわけじゃない。みんなでゲームとかして楽しく過ごそうという内輪の集まり
だ。プレゼントの交換とかの話もでたんだけど、欲しいものが当たらなかった人がかわい
そうだってことで中止になった。まあせっかくのクリスマスなんだし、みんなが幸せな気
持ちになれればいいかなと思う。
 かくして、大トランプ大会は始まった。トランプ1組ではアリスやマリアちゃんにはか
なわないので、5組のトランプを使用することとなった。大ババヌキ大会。先に上がった
者から雪さんの特製ケーキが食べられることとなった。
「それじゃあ、まず賞品のケーキを見てもらうことにしようか。雪さん、お願い」
「わかりました。それではみなさん、少々お待ちください」
 雪さんは部屋を出て行った。
「なあ、雪さんが作ったケーキってどんなやつだ?」
 庄一が興味深い感じで僕に聞いてきた。
「僕も知らないんだ。全部雪さんにおまかせだったから」
「そうか。まあ雪さんなら安心だな。コイツに比べたら・・・」
 庄一は花梨のほうを見ながらそう言った。
「むー、そりゃ雪にはかなわないと思うけど、私だってケーキぐらい作れますー。あ、何、
透矢その目は?」
「な、何も言ってないじゃないか」
「あ、嘘ついてる。幼なじみだからわかるわよ。まったく・・・」
 なんとなく嫌な展開になりそうだったので、鈴蘭ちゃんに話題を振った。
「す、鈴蘭ちゃんはケーキ好き?」
「うん、雪ちゃんの作ったケーキは好きー。花梨ちゃんのは嫌いー」
「なんですって! 鈴、あんたにケーキなんて食べさせたことないでしょ!」
「食べなくてもわかるもーん」
 鈴蘭ちゃんと花梨の追いかけっこが始まった。やれやれ。とはいえ、鈴蘭ちゃんに話題
を振った僕の責任なのだろうか。走り回っているふたりを見て、和泉ちゃんはくすくすと
笑っていた。
「みなさん、お待たせしました。クリスマスケーキをお持ちしました」
 雪さんがケーキを持って部屋に入ってきた。その瞬間、僕らはもちろん、追いかけっこ
をしていた花梨と鈴蘭ちゃんまでもが静止した。
 雪さんが持ってきたケーキはケーキ屋さんでもかなわないような素晴らしい出来栄えだっ
た。しかし、みんなが固まったのはケーキだけが原因ではなかった。
「ゆ、雪?その格好・・・」
「雪はサンタですから」
 花梨がおずおずと質問すると、朝と同じ答えを雪さんは返した。雪さんはサンタさんの
格好をしていた。
「さすが雪さん。俺の思ったとおりだ」
 庄一が満足げな表情でうなずいていた。もしや・・・。
「まさか庄一が雪さんに?」
「ああ。お前が喜ぶと思ってな。どうだ、バッチリだろう」
「そりゃうれしいけど・・・」
 僕はあきれて物がいえなかった。隣では花梨が「このエロ共は・・・」と軽蔑のまなざ
しを僕らに送っていた。
「わはー、雪ちゃんかわいいー」
「すごく似合ってますね。いいなあ・・・」
「透矢が喜ぶのは間違いないわね」
 みんな口々に感想を言っている。アリスの感想がちょっと引っかかるけど。
 和泉ちゃんはにこにこと笑っていた。



 大ババヌキ大会は、意外にも鈴蘭ちゃんが一番に勝ち抜いて雪さんのケーキを味わって
いた。続いて、雪さん、アリス、マリアちゃん、和泉ちゃんと勝ち抜いて、僕が雪さんの
ケーキを食べることができたのは6番目だった。
 庄一と花梨はお互いの足の引っ張り合いで、未だに熾烈な戦いを繰り広げている。勝負
は長引きそうだ。
 ふと気づくと、鈴蘭ちゃんと雪さんがいなかった。僕はふたりを探しに部屋を出た。
 熱気のこもった室内とは違って、廊下はかなり涼しかった。僕はなんとなく雪さんの部
屋のような気がして、そっちへと向かった。
 コンコン。
 ノックをしてからドアを開ける。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 前に見たときよりもぬいぐるみが増えている気がするのは、僕の気のせいなのだろうか?
 部屋には鈴蘭ちゃんがいた。そして、雪さんも・・・いた。ポテトの中に。
「あったかいうちにお召し上がりくださいね♪」
「えっ」
 雪さん、今なんて言った?
「ほらほらー、早く食べないと冷めちゃうよー」
 鈴蘭ちゃんが囃し立てる。どうなってるんだ?
「鈴蘭ちゃん? いったい今、何やってるの?」
 わけもわからず質問する僕に、鈴蘭ちゃんは答えてくれた。
「ポテトごっこだよー。前にもやってたでしょ。大好きなひとに食べてもらうゲームなん
だー」
 食べるって・・・。鈴蘭ちゃんの前では出来ないよ・・・って何を考えてるんだ僕は。
「と、とにかくふたりとも。向こうの部屋に行こうよ。そろそろ勝負も終わるころだと思
うから」
 僕は話題を転換した。
「ちぇーっ、ケチー」
 なんで鈴蘭ちゃんが文句を言うんだろう。
 雪さんは文句は言わなかったけど、ひどくガッカリした表情だった。なんだか悪いこと
をしたような気がした。
 部屋に戻ると、庄一が床に突っ伏していた。どうやら花梨が勝ったようだった。
 結局、庄一は雪さんのケーキをひとかけらしか食べることが出来なかった。
 こんなに美味しいケーキを食べられないとは・・・。ちょっと不憫だ。



 そんなこんなでクリスマスパーティーもお開きの時間になった。
 みんなが帰るのを見送ってから、僕は雪さんに声をかけた。
「雪さん。今日は本当にどうもありがとう。その服も僕のためにわざわざ作ってくれたん
だね」
「庄一さんに、透矢さんはこういうのがお好きだとお聞きしましたので。作った甲斐があ
りました」
 雪さんはにっこりと笑って、そう言ってくれた。変なイメージが定着していないだろう
か。庄一のヤツめ。
「お礼といっちゃ変だけど。雪さん何か僕にして欲しいことない?クリスマスなんだし、
プレゼントのかわりに何かしてあげたいんだ。雪さんのために」
「それでは・・・ぎゅってしてくれますか。さすがにこの格好は体が冷えちゃいました」
 確かにサンタルックは防寒機能はあまりよくなさそうだ。
「わかった。それじゃ」
 僕は雪さんを抱きしめた。雪さんの唇が冷たそうに見えた。
「雪さん。唇もあっためてあげる」
 そう言って、僕は雪さんの唇を自分の唇でふさいだ。
「んっ・・・」
 雪さんの吐息が鼻にかかる。しばらく、いやかなりの長い間、僕は雪さんを暖め続けた。
 唇を解放して雪さんを見ると、頬がほんのりと赤くなっていた。
「ふふ、今日2回目ですね」
「えっ?」
「あっ・・・」
 雪さんはまっかっかになった。今朝のアレはやっぱりそうだったらしい。
「雪さん。サンタは今日だけなんだよね」
「はい。明日からはメイドの雪ですよ」
「じゃあ・・・」
 僕はこっそり持っていたカメラを取り出す。
「写真撮ってもいいかな?雪さんの写真残しておきたくて」
 すると雪さんはわかりやすすぎるぐらいに、渋い顔になった。
「ごめんなさい。恥ずかしいですし、それに雪は・・・」
「写真、苦手なんだよね。ん、わかった。残念だけどあきらめるよ」
 予想はついたことなので、僕はカメラをしまった。
「すみません」
「雪さんがあやまることじゃないから、気にしないで」
 本当に申し訳なさそうに言う雪さんがかわいかった。
「じゃあ代わりに・・・3回目、いい?」
「・・・はい」
 雪さんは僕だけの特別な笑顔でそう言ってくれた。
 空からは今年初めての雪が舞い降りてきていた。



あとがき





 PCゲーム「水月」のSSです。
 前々からSS書いてみたいなと思っていまして、クリスマスだから、という理由で書い
てみました。
「水月」のSSにしたのは、ある方のイラストがキッカケでして。まあいっしょに更新さ
れているイラストを見ていただければわかるんじゃないかなと思います。
 自分としてはかなりのハイペースで書くことが出来ました。やっぱりキャラクターが
出来ていると書きやすい面がありますね。勉強になりました。
 それではまた次の作品で。



��002年12月24日 クリスマスの前日



2002/08/13

「ダイヤモンドダスト」



 初めてそれを見たのは、私が小学生になってから一回目の冬休みだった。
 その日、友達と遊ぶ約束をしていた私は、白いコートに白い手袋といういつものお気に
入りの服に、カイロをいくつか持って公園に向かった。いつもはカイロなんて持っていか
ないんだけど、その日はいつもよりかなり寒かったから、出かける前にお母さんが渡して
くれた。私は寒いのは苦手。だから寒い日は外には出かけない。生まれたときから夏は涼
しく、冬は寒いこの地方だけど、私はいつまでたってもこの「寒さ」というやつには慣れ
なかった。
 でもそんな私にも、あるときだけはどんなに寒くても外に出ることが出来た。それは雪
があるとき。雪が降ってたり積もってるとき。なんで外に出られるかは私にもわからない。
人に聞かれたときはこう答えるようにしている。
「雪、好きだから。すっごく」
 もしかして他にも理由や原因があるかもしれないけど、私にとってはどうでもよかった。
雪が好きだから。私にとって理由はそれだけで十分だった。
 公園に着いた。吐く息が白いのは寒いからだけじゃなくて、ちょっと走ってきたから。
見渡すと公園は早くも白いお化粧をしていた。空を見上げると、お化粧の源の雪がいっぱ
い降っていた。一粒一粒が結構大きいからしばらくすると公園は白一色となるだろう。私
は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところで友達を待つことにした。そのまま待っ
てるのも退屈だったので、お母さんからもらったカイロを一個取り出して、ごしごしとこ
すった。あったかい。やっぱり寒いときはカイロに限るね。なんか自然と顔がニコニコし
てくる。私は幸せな気分で友達を待っていた。その時の私は時計を持ってなかったから詳
しい時間はわからなかったけど、30分ぐらい経っただろうか。友達はまだ来ない。公園
は白一色になっていた。道路はさっきから誰も通らない。みんなどうしちゃったんだろう。
 しかたがないので、友達には悪いと思ったけど、先にひとりで遊ぶことにした。雪だる
まを作るにはまだちょっと雪が少なかった。だから私は雪うさぎを作った。何匹も。お弁
当に入ってるりんごのうさぎさんもいいけど、やっぱり雪うさぎのほうが私は好きだった。
りんごのうさぎさんは赤いけど、雪うさぎは真っ白だから。やっぱりうさぎさんは白くな
くっちゃ。私はそう思うんだけど、友達のほとんどはりんごのうさぎさんのほうが好きみ
たい。なんで?って聞いてみたら、
「だって、おいしいんだもん!」
だって。みんなわかってないよ。
 雪うさぎが10匹ぐらい出来た頃、ふと空を見上げると、雪はもうやんでいた。さっき
までのねずみ色の空がうそみたいになくなって、赤い夕焼け色の空になっていた。私はがっ
かりだった。友達が来なかったこともそうだし、真っ白な雪うさぎも夕焼けのせいで赤い
雪うさぎになっていたから。
「あーあ、せっかく作ったのに・・・」
 私はふう、とため息をついて、雪の上に大の字になって寝転がった。雪の冷たさが雪う
さぎ作りで火照った体には気持ちよかった。カイロはとっくの昔に役立たずになっていた。
しばらくそうやって空を眺めていた。
 さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。雪が降る気配はまったく
なかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていたときだった。なんだか目
の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。
 家に帰るとお母さんから、裕美子ちゃんから電話があったことを聞いた。裕美子ちゃんっ
てのは今日遊ぶ約束をしていた友達のことなんだけど、なんでもカゼひいたせいで今日来
れなかったみたい。一生懸命謝ってたことをお母さんが教えてくれた。そうだったんだ。
カゼならしかたないよ。それに、今話を聞くまで約束すっぽかされたこと完全に忘れてた
から。よし、お夕飯を食べたら裕美子ちゃんにお見舞いの電話しよう。それに、あのきら
きらしたもののことも教えてあげよう。
 夕飯は私の大好きなクリームシチューだった。あったかいクリームシチューをお腹いっ
ぱいになるまで食べて、大満足の私はゆっくりお茶を飲みながらテレビのニュースを見て
いた。ニュースは今日の出来事についての話題だった。・・・そっか、そうなんだ。ニュ
ースを見終わった私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん? 私、雪夜。カゼ大丈夫? ・・・そう、よかった。あのね、
今日すっごいもの見たんだよ! 裕美子ちゃんにも見せたかったよ。ダイヤモンドダストっ
て言うんだけど・・・」



 私は待っていた。時が過ぎるのを辛抱強く待っていた。大好きなことをしているときは
あんなにも早く過ぎていってしまうのに、どうしてつまんないことをしなきゃいけないと
きはこんなにもゆっくりなんだろう。私は机にうずくまったままじっとしていた。他にす
ることもないのでそうしていた。
 キーンコーンカーンコーン・・・。チャイムが鳴った。ようやく介抱されるときが来た。
退屈な試験という時間から。高校一年の二学期の期末試験の全日程が今の時間でようやく
終了した。私は大きく伸びをした。
「雪夜ちゃん、やっと終わったね~」
 裕美子ちゃんがいつものほんわか口調で話し掛けてきた。彼女は藤川裕美子ちゃん。私
の親友。小学生のときからずっといっしょのクラスで、ずっと仲良しだ。ほんわかな口調
といつもニコニコしている彼女が、実は学年トップの秀才だという事を聞くと大抵の人は
驚く。そして驚かなかったわずかな人も、彼女が陸上の長距離の大会で毎回表彰台に上っ
ている事を聞くと、絶対驚く。顔もかわいく、人にはやさしい。とにかく、そんなすごい
女の子なのだ、裕美子ちゃんは。
「おつかれさま、裕美子ちゃん。試験の出来はどんな感じ?」
「う~ん、まあまあかな。雪夜ちゃんは?」
「私は・・・今回ちょっとマズイかも♪」
 私、白河雪夜は自分ではかわいい方の部類に入ると思っているごく普通の高校一年生。
勉強は、この前の試験ではクラスでなんとかひとケタに入るぐらいの成績だ。自分ではとっ
ても普通の女の子だと思ってるんだけど、みんなに言わせると違うみたい。
「マズイって言ってる割には楽しそうな口調だね~?」
「だって試験終わったんだもんっ♪」
 そう、3日間もの長きに渡って行われた期末試験は、ついさっきのチャイムをもって終
了したのです。これを喜ばずに何を喜べというんでしょう。
「そうだね。やっと終わったんだもん。今から試験の結果を気にしててもしょうがないよ
ね~」
「そう、私たちの時間は限られてるの。ここのところ試験にだけ集中してたから、これか
らは有意義に時間を使わなくっちゃね!」
 これは私だけの考えではないようで、周りを見るとみんな試験が終わった喜びを感じて
いるようだった。帰りに何か食べにいこっか、俺のうちに遊びにこいよ、早く帰って寝よ
う、といった声があちこちから聞こえてきていた。
「裕美子ちゃん、今日これからの予定は?」
「予定?う~ん、別にないけど」
「だったら、おいしいものでも食べに行こうよ♪私おごるから」
 私は裕美子ちゃんを誘ってみた。試験中は二人ともまっすぐ家に帰って勉強してたから
久しぶりだ。それに相談したいこともあるし。
「なに?おごり?行く!俺も行く!!」
 突然私たちの会話に割り込んできたコイツ。秋森鷲一。私たちと同じクラス。小学三年
のときに私の家の近所に引っ越してきた。いわゆる幼なじみというやつである。運動神経
は人の二倍くらいあるが、頭の中身は人の二分の一しかないオバカサン。それでも私と同
じ高校に通っているのはなぜでしょう?
��、試験でカンニングに成功!
��、先生方に黄金色のお菓子を贈った。
��、この高校は無試験だった。
 こんな三択問題を出すと大抵の人は3番の答えを選ぶんだけど、それはハズレ。正解は
��の「スポーツ推薦で合格」なのだ。神様は平等だなあと思わざるをえない。誰にでも取
り柄ってあるものなんだなあってね。
「私はアンタを誘ったんじゃなくて、裕美子ちゃんを誘ったのよ。耳がおかしいんじゃな
いの? それとも耳じゃなくておかしいのは頭?」
「・・・いきなりすごい挨拶してくれんじゃねーか。えらくご機嫌ナナメだな。さては、
テストあんまりできなかったのか?」
 鷲一は私の言葉に一瞬固まったが、すぐにやり返してきた。知らない人が見ていたら険
悪な雰囲気だと思うだろうが、これぐらいは私たちにとってはいつものことなのだ。日常
茶飯事というやつである。
「仮に百歩譲ってそうだとしても、私はテストの出来の悪さでアンタに当たるような小さ
な人間じゃないわよ」
「なるほどね。小さいのは胸だけか」
「な、なんですって!」
 コイツ、言うに事欠いてなんて事を! 信じられない。今日という今日はガマンならな
いわ! 徹底的に口げんかしてやろうじゃないの!!
 そう思って、毒舌を振るおうとしたら、裕美子ちゃんが私をなだめてくれた。
「雪夜ちゃん、落ち着いて~。雪夜ちゃんの胸は綺麗な形でわたしは好きだよ~。だから、
元気出してね♪」
「・・・裕美子ちゃん、それ誉めてくれてるんだよね?」
「もちろんだよっ♪」
 裕美子ちゃんのおかげといえばいいのか、私の怒りはどこかへ行ってしまったみたい。
まったく、裕美子ちゃんにはかなわないなあ。
「秋森くん、今日は久しぶりに女の子だけで過ごしたいの。悪いけど、また今度ね。その
ときはわたしがおごるから~」
 裕美子ちゃんは鷲一にそう言ってから、私のほうをチラッと見てウインクした。
「しょうがねえなあ。じゃあ俺は帰る。また明日な、2人とも」
 鷲一はそう言って、すたすたと歩いていった。
 明日は試験明けなので学校はお休みなのだが、そんなとこに突っ込みを入れるほど私は
小さな人間ではないのだ。・・・小さくないもんっ!
「じゃあ、行こうよ。女の子だけで楽しくすごそっ」
「そうだね~♪」
 私たちは人気の少なくなってきた教室を後にした。



 私たちは喫茶店に来ていた。裕美子ちゃんは初めて来たらしく店内を珍しそうに見回し
ている。私は店の奥のほうの席に座った。いつもなら眺めのよい窓際の席を選ぶんだけど、
今日は違う。これから大事な話をするんだから。
「私ここ初めてだよ~。雪夜ちゃん、前にも来たことあるの?」
 裕美子ちゃんは席に座ってもまだ興味深そうにまわりを見ている。
「うん。一度だけね、来たことあるんだ。『百華屋』っていうんだ、このお店」
「ふ~ん、そうなんだ。でもなんで『百花屋』じゃないの?こんなにたくさんお花がかざっ
てあるのに」
 店内には造花も含めて、色とりどりの花が何種類も飾られていた。裕美子ちゃんはそれ
が気になっていたのだろう。
「それはね、マスターに聞いたんだ。それによるとね・・」
 私が解説しようとしたらお水が運ばれてきた。それを持ってきたのはなんと店員ではな
く、マスターだった。
「いらっしゃいませ、よく来てくれましたね、白河さん。そしてはじめまして、美しいお
嬢さん。ご注文はお決まりですか?」
 営業用のスマイルではなく、心の底からお客が来たことを喜んでいるような笑顔でマス
ターは私たちに話しかけてきた。
 マスターはすらっとした長身で、スリムな体型をしている。年齢は26歳。最初はアル
バイトでこの『百華屋』に入っただけだったらしいが、いつのまにかマスターになってい
たらしい。不思議な人だ。黙っていても女の子が何人か寄ってくるぐらいのハンサムだ。
ちょっとキザなセリフさえ除けば問題ない人だと思う。
「こんにちは、マスター。美しい白河雪夜、またやってまいりました~♪」
 私はそう言って、にこーと笑った。お金では買えない笑顔だ。
「あはは、いらっしゃい、美しい白河さん。そして、麗しいお嬢さん、よろしければお名
前を教えていただけませんか?」
 マスターったらなかなかいい度胸してるじゃない。どうしても私より裕美子ちゃんのほ
うが上だって強調したいのかしら。裕美子ちゃんはそんな私たちのやりとりを楽しそうに
見ていた。
「うふふ、2人とも仲がよろしいんですね。じゃあ、自己紹介しますね。わたしは藤川裕
美子です。雪夜ちゃんとは小さいころからずっと仲良しで、一番の親友なんですよ~。あ
とは・・・特に何もないふつうの女の子ですよ~」
 裕美子ちゃんはそう言って、にっこりと微笑んだ。ふつうの女の子にはこんな素敵な笑
顔はできないと思うけど。
「では僕も自己紹介を。僕はこの喫茶店『百華屋』のマスターです。以後、よろしくおね
がいします。困ったことがありましたら、なんでも言ってくださいね」
 マスターはそう言うと、私たちの注文を取ってキッチンへと向かった。どうやらマスタ
ー自ら作ってくれるみたい。あいかわらず、かわいい女の子にはサービスを惜しまないよ
うだ。
「雪夜ちゃん、マスターさんととっても仲がいいね~。まだ一度しか来たことないんだっ
たよね?」
「うん、そうだよ。私もびっくりしたよ。なんていうのかな、ずっと昔から知ってたよう
な、それに何でも話しやすい感じがするんだ。多分、それでだと思う」
「ふ~ん。私だったらそうはならないなあ。確かに雪夜ちゃんが言ってるような感じはわ
たしもするけど、会ってその日にっていうのは無理かな~。そういうところが雪夜ちゃん
のすごいところだと思うんだ、わたし」
 裕美子ちゃんはそう言ってから私の顔を見てにっこり笑った。私は自分では特に何かし
ているわけじゃないからほめられる理由はないんだけど、やっぱりほめられて悪い気はし
なかった。こういうところが裕美子ちゃんのすごいところなんだと私は思う。
「そうそう、雪夜ちゃん。さっきの話の続きだけど、この『百華屋』の名前の由来は何な
の?」
「そっか、まだ言ってなかったっけ。マスターが割り込んできたからすっかり忘れちゃっ
てたよ。あのね・・」
「お待たせしました。ケーキセット2つお持ちしました♪」
 私の説明を遮って、またしてもマスターが私たちの席にやってきた。なんだか意図的に
やってるとしか思えないんだけど。強烈な視線を送ってみる。
「あれ、どうかされましたか白河さん。その熱い視線は? もしや僕に恋しちゃいました
か?」
「いえいえいえ、そんなはずないじゃありませんか、おほほほほ」
 マスターのとぼけた問いに私はにこやかな笑顔で返した。泣く子も黙るかもしれない笑
顔だ。裕美子ちゃんはそんな私たちをにこにこと眺めている。
「何の話をされてたんですか、藤川さん」
 マスターは私の出した視線のパスには目もくれず、裕美子ちゃんに軽い会話のパスを出
した。
「えっとですね、このお店の名前の『百華屋』の由来を聞いてたんですよ~」
「そうでしたか。それなら僕が説明いたしましょう」
 マスターはそう言うと、私たちのテーブルの空いている席に座った。あなたの仕事はい
いんですか? そう言ってやろうと思ったけど、裕美子ちゃんが聞きたそうにしていたの
で止めた。店員さんは大変だなあ、こんなマスターだと。
「百貨店という言葉があります。文字通り、百貨をそろえているお店という意味です。デ
パートとかがそうです。要するにいろんな品物があるということです。たくさん品物があ
りますから、そこに行けば大抵のものはそろうので、とても便利です。僕もお店のメニュ
ーを今はまだ少ないですが、いずれはたくさんにしたいと思っています。だからこの「ひゃっ
か」という言葉を頂きました。もう一つは、見てもらえればお分かりになると思いますが、
花です。僕は花が大好きですので、この店にもたくさん飾ろうと思っています。造花があ
るのはその季節にしか咲かない花でも置いておけるからです。あと、掃除をする手間も省
けますし。この場合は「百花」になりますね。以上の理由から、どちらの漢字でもない「百
華」という言葉を考えました。これが『百華屋』の名前の由来です」
 マスターは説明し終えると満足したのか、ごゆっくりと言い残して仕事に戻っていった。
ほんとに説明だけしたかったみたい。
「なるほどね~。そういう理由だったんだ。わたしはてっきり花がいっぱいだからそうな
のかな~って思ったんだけど、もう一つ意味があったんだね~」
「そうなの。私も前に来たときに聞いたんだ。私のときは聞かされたんだけどね。マスタ
ーったら聞きもしないのに説明し始めるんだもの。びっくりだよ」
 私たちはようやくケーキセットに手を付けた。うん、甘くておいしい。あのマスター、
腕は確かなのよね。だから来たんだけど。
「あのね、裕美子ちゃん。これから話す事は誰にもしゃべらないでほしいの。約束してく
れる?」
「ふたりだけの秘密ってこと?」
 私は何も言わずに、裕美子ちゃんの目をじっと見つめた。
 しばらくすると、裕美子ちゃんはにっこり笑って、「いいよ」って言ってくれた。
「実はね、私、告白しようと思うの」
「えっ・・う、そ・・雪夜ちゃんが?」
 裕美子ちゃんは相当びっくりしている。無理もないかな。だって私は自分で言うのも変
だけど、恋に恋する女の子ってタイプとはまるで違うから。実際今までだってそんな気持
ちになったことなかったし。
 私は、こくり、とうなずいて話を続けた。
「委員会のときにね、いつも親切にしてくれる先輩がいたの。それまでは親切なひとだなっ
て思ってただけなんだけど。学園祭のときにね、たまたま私といっしょに遅番の作業をし
てたの。8時ぐらいまで作業してたんだけど終わらなかったの。そしたら先輩が、そろそ
ろ帰ろうかって。あんまり遅くなると夜道は危険だからって私を家まで送ってくれたの。
本当は作業の途中で帰るのはイヤだったんだけど、先輩も好意で言ってくれてるんだし断
るのも悪いかなって思った。それで私は次の日の朝、早起きして学園に行ったの。作業の
続きをするためにね。そしたら・・」
 ちょっと喉が渇いたので紅茶をひとくち。うん、おいし。
「雪夜ちゃん。そしたら?」
「うん、そしたらね、作業部屋に先輩が寝てたの! 机に突っ伏してぐーぐーと! 先輩
はなんと私を家まで送った後、学園まで戻って作業してたの。私の分まで。先輩を起こし
て聞いたらそう言った。なんで学園で寝てたか聞いたらなんていったと思う?」
「う~ん、家に帰るのが面倒だったから、かな」
「ぶー、不正解です。正解はね『君に起こしてもらいたかったから』だって! そのとき
の私はすんごいドキドキしてた。顔も多分真っ赤だったんじゃないかな。先輩も自分で言っ
てて恥ずかしかったみたい。ちょっと顔赤かったから」
「なるほどね~。その瞬間、恋する乙女の雪夜ちゃんになったわけだ」
「そういうわけですよ、おほほほほ」
 話しているうちになんだか幸せな気持ちになって、いつのまにか私のテンションは高く
なっていた。なんていうかお酒を飲んだときの気分にちょっと似てるかな。普段お酒飲ん
でるわけじゃないんだけどね。未成年ですから。
「先輩って事は三年生だよね。もうすぐ卒業。ゆえに告白するなら今しかない!と雪夜ちゃ
んは思ったんだね」
「うん。今からならまだ三大イベントにも間に合うし。私は決心しました!当たって砕け
ようと!!」
「・・砕けちゃだめだと思うけど」
 盛り上がっている私の耳には裕美子ちゃんのツッコミは届かなかった。
「あと、三大イベントって何のこと?」
「それはもちろん、クリスマス、お正月、バレンタインの三つよ。これをクリアしてこそ
真の恋人同士になると思わない?」
「そ、そうなんだ~。わたし、そんな風に考えたことなかったよ・・。ということは、今
度のクリスマスやお正月は雪夜ちゃんとはいっしょに過ごせないんだね・・。ちょっと寂
しいかも」
 裕美子ちゃんはそう言ってから本当に寂しそうな顔をした。うっ、なんだろう。かすか
に罪悪感を感じるような。そんな顔されたら私・・。
「・・でも、わたし、がまんするよ。雪夜ちゃん、がんばってね。わたし応援するよ!」
 両手をぎゅっと握って私を応援してくれる裕美子ちゃん。大好きです。
「・・ありがとう。がんばるよ、私!」



 次の日。私は公園のベンチに座っていた。目的は先輩に告白するため。試験最終日の昨
日の朝、私は先輩に手紙を渡していた。内容は「明日の午後2時、公園のベンチでお待ち
しております。白河雪夜」という、いたってシンプルなものだった。余分な言葉は必要な
かった。本当に伝えたいことは直接言いたかったから。
 先輩が手紙を受け取ったのは確かだと思う。古典的な手段だけど、先輩の靴箱の中に入
れておいた。物陰からこっそり見て、先輩が来て教室へ行くのを見届けてからすぐに靴箱
を確認しに行った。中には先輩の靴しかなかった。念のため、まわりの靴箱もチェックし
たし、捨てられていないかゴミ箱も確認した。手紙はなかった。先輩が持っていったと考
えて間違いないと思う。
 先ほどまでは太陽が雲間からほんの少しのぞいていたが、今では完全に雲に覆われてし
まった。時計を見る。午後1時45分。まだあと約束の時間まで15分ある。
 まわりを見てみる。時折、通りがかる人はいるけど、公園に用事のある人は私を除いて
いないようだ。みんな足早に歩き去っていく。今日はこの時期にしては寒いほうだからだ
ろうか。子供は風の子っていうけど、最近は外で遊ぶ子なんて滅多に見かけない。この公
園の遊具もずいぶんほったらかしにされてるようだ。私が遊んでたころは、まだ出来立て
の新品だったのに。あのころはいっぱい遊んだ記憶がある。雪の日は誰よりもたくさん遊
んでいたと思う。何でって聞かれても困るけど。
 またまた時計を見る。午後1時50分。だんだん寒くなってきているのは気のせいでは
ないだろう。空を見上げると、完全に太陽の存在は消え去ってしまっている。代わりに雲
はどんどん勢力を広げていっているようだ。寒いのは嫌なのに。
 じっとしていると寒くてたまらないので、ちょっと散歩。1周300メートルくらいの
公園を一回り。こつっこつっと私の足音だけが響く。気が付くと、通りがかる人もいなく
なっていた。人気のない公園はどこか寂しい。誰にも使われないブランコがきこきこと揺
れている。乗ってみようかと思ったけど、きっと冷たいに決まってる。やっぱりやめる。
 特に何も事件はなく(事件があっても困るけど)、散歩終了。そろそろ約束の時間だ。
私は先輩を待っていたベンチへと向かった。先輩が来てくれることを祈りながら。



 翌日、私は学園を休んだ。風邪をひいたらしい。ためしに測ってみた体温計は37度2
分。微熱といったところ。ただ、どうにも頭痛がひどいので休むことにした。期末試験も
終わったので、あとはクリスマスに向けての浮かれた学園生活。授業は半日で終わりだし、
��日ぐらい休んだからといって、たいしたことじゃない。それに、たとえ健康でも今の私
には、学園に行きたくない理由があったのだ・・。
 休みの連絡を学園に入れてから、私はもう一度寝直した。期末試験中は睡眠不足ぎみの
生活だったから、ちょうどよかった。身体は正直です。
 目を覚ましたのはお昼をちょっとまわったころだろうか。あれだけひどかった頭痛はすっ
かりなくなっていた。やっぱり病は気から、という言葉は正しいのかなと思う。気分も落
ち着いたみたい。さすがだよ、私。
 朝ご飯も食べていないので、さすがにおなかは空腹を訴えている。食欲がでてるってこ
とは回復してる証拠。テーブルの上には、いつもお母さんが用意してくれる朝食がラップ
をかけられて置いてあった。私はそれをレンジであっためてから、ゆっくり味わって食べ
た。うん、おいし。電子レンジは魔法の箱だよね、いったい誰が考えたのかな?
 朝昼兼用の食事を済ませた私は、お皿を洗った。いつもは洗い物なんてしてる時間がな
いから、水につけておくだけで夜にまとめて洗うんだけど、今日は時間がたっぷりあるか
ら。ぴかぴかお皿は気持ちいい。
 2時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。インターホンのところまで行って受話器を取る。
こんな時間に誰だろう?
「はい、どちら様ですか?」
「あ、藤川です。雪夜ちゃんだよね」
「裕美子ちゃん? ちょっと待っててね」
 私は玄関まで行ってドアを開いた。
「どうしたの、裕美子ちゃん。うん? アンタも一緒なの?」
 裕美子ちゃんの後ろには、鷲一が立っていた。鷲一は私のほうをちらっと見て、すぐ顔
を背けた。???
「雪夜ちゃんのお見舞いに来たんだよ。秋森くんが一緒なのはね、どうしても一緒に行き
たいって言うから一緒に来たんだよ~♪」
「デタラメ言うなーっ! 藤川がどうしてもって言うからしかたなく来てやったんだよ!
・・・それなのに、なんか元気そうじゃねえかよ。心配して損したぜ」
 え、こいつ心配してくれたの?私のことをこいつが?
「なんだよ、その目は。俺だって病人の心配ぐらいするぜ?・・・まあいいや。じゃあ俺
は帰る」
 そう言って鷲一は歩き出した。曲がり角まで歩いてから、こちらを振り返った。
「一つ教えてやるけど、そのカッコで外に出るのはどうかと思うぞー」
 私は自分の服装を見てみた。
「・・・きゃああああああーーーーーー!!!!」
 ご近所中にパジャマ姿の私の黄色い悲鳴が響き渡った。隣では、裕美子ちゃんが口元を
押さえて笑っていた。



 裕美子ちゃんが帰って、1人になった私は手紙を読もうか読むまいか悩んでいた。裕美
子ちゃんが渡してくれた手紙。差出人は・・・先輩だった。裕美子ちゃんに先輩が頼んだ
らしい、私に渡すようにと。
 約束を守ってくれなかった先輩に対する私の気持ちはどうなんだろう?私は先輩に対し
て怒っているのだろうか? 怒ってるとは言い切れなかった。むしろ、先輩が来なくてほっ
としてる気持ちもあるかもしれない。このままでいいやっていう気持ちの私も少なからず
ここにいた。
 たぶん、この手紙がなければ私は先輩と今までどおり普通に接していけただろうと思う。
でも、この手紙は約束を守らなかったことに対しての先輩の返事だ、と思う。そうでなきゃ、
わざわざ先輩が私に手紙を書くことなんてありえないから。ただの後輩の私に。
 私は長い間考えた。こんなに考えたことはいまだかつてないんじゃないかってぐらい考
えた。考え過ぎて頭がぼうっとしてきた。知恵熱?
 私は服を着替えた。白いコートに白い手袋といういつものお気に入りの服。外で手紙を
読もうと思ったから。頭を冷やせる外で。
 想像どおり外は寒かった。それもそのはず。見上げれば空からはちらほらと雪が降って
いた。だんだん白くなっていく道を歩いた。私の足は公園へ向かっていた。
 公園に着いた。いつのまにか雪は大粒になっていて、はやくも公園は白く塗りつぶされ
ようとしていた。私は足跡をつけたくなかったから、屋根のあるところまで行ってベンチ
に座った。通りには歩いてる人は誰もいなかった。
 私は先輩の手紙を読むことにした。ちょっと手紙を開く手が震えるのは寒さだけじゃな
いかもしれない。
 私は手紙に目を通した。・・・・・・・・・。もう一度目を通した。・・・・・・。最
後にもう一回だけ目を通した。・・・・・・・・・・。私は手紙を閉じた。



「はっ・・・」



「ははっ・・」



「あははははっ・・・」



「そりゃないよ・・・ははっ」
 私はなんというか笑うことしか出来なかった。なんだか色々考えていたことが、全て意
味なかったような。空回りだった。
 先輩の手紙には次のように書かれていた。
『白河へ
風邪ひいたらしいけど大丈夫か。
今日の約束はまたの機会にしよう。
お大事に 』
 先輩は『今日』が約束の日だと思っている。ということは、先輩は私の手紙を『昨日』
読んだってことになる。私は手紙には『明日の午後2時』としか書いてなかった。
 こんな些細なことで・・・そう思うと笑うしかなかった。
 白一色になっていた雪に私は寝転がった。笑いすぎて熱くなっていた体にはちょうど気
持ちよかった。雪はいつのまにかやんでいた。
 しばらくそうしていたが、さすがに背中が冷たくなってきたので起き上がることにする。
雪が降る気配はまったくなかった。寒くなってきたからそろそろ帰ろうかなと思っていた
ときだった。なんだか目の前にきらきらしたものがたくさんあった。
 うわあ、なんだろこれ・・・。きらきらしたものは空気中をふわふわと浮かんでいた。
太陽の光があたって、まるで宝石の海にいるみたいだ。私は暗くなるまでそのきらきらし
たものを眺めていた。夢の中にいるような、不思議な、時間を忘れるぐらいのすごい出来
事だった。



 あのときもそうだった。私が小さい頃、ひとりで遊んでいたとき。雪うさぎをたくさん
作ったとき。ひとりだった私。通りがかる人もいなくてひとりだったとき。
 ひとりぼっちの私をかわいそうに思って、それで見せてくれたのかなあ。
 何がしあわせで、何が不幸かわからないけど、とりあえずお礼を言っておくよ。



 ありがとう



 そう呟いて私は空を見上げた。ずっと見続けていた。



 家に帰った私は裕美子ちゃんに電話した。
「もしもし、裕美子ちゃん?私、雪夜。あのね、今日すっごいもの見たんだよ!裕美子ちゃ
んにも見せたかったよ、ダイヤモンドダスト! ・・・えっ何それって?これはね、神様
の贈りものだよ!」







はじめてのあとがき





 みなさん、読んで頂いてありがとうございました。
 この作品を書き始めるに当たって、イメージした作品がふたつあります。
 「ちっちゃな雪使いシュガー」
 「Kanon」
 以上のふたつです。わかるひとにはわかるでしょう。
 書き始めのきっかけは今年(2002年)の1月頃だったでしょうか。テレビのニュースで
ダイヤモンドダストのことを見たからです。
 言葉の響きがよかったので何かこれをネタに書けないものかなと思いました。
 あんまりタイトルと内容に意味はないかもしれませんが。
 本来なら、もっとはやく書き上げるべきだったのですが、いつのまにやら夏になってしまい
ました。
 あと、執筆中に影響を受けた作品として、「水夏」があります。
 でも、白河雪夜の苗字は「水夏」から取ったわけではありませんので。それは偶然の一致で
す。だって書き始めた頃は僕は「水夏」やったことなかったんですから。
 わかるひとにしかわからないネタでごめんなさい。
 それでは次の作品で。みなさん、よい電波を・・・。



エアコンの効いた涼しい部屋にて
��外は暑くて・・・)



2002/04/14

『家』



 いつも不思議に思っていた。いったい誰がこの家に住んでいるんだろう。人が住んでい
る様子はまったくない。ぱっと見たところ、平屋の一戸建てで、庭があるごく普通の家だ。
ただし、庭の雑草が無ければだけど。そこは足を踏み入れればすぐわかる、泥棒泣かせの
雑草地帯となっていた。



「誰が住んでんだろ、この『家』」
「さあな。いっつも誰もいないけどな」
 僕が聞くと、ユウちゃんは首をひねりながら答えた。
「今日は土曜だから学校は昼までだろ。昼メシ食ったらこの『家』を調べてみようぜ」
 教室の前まで来ると、ユウちゃんは突然こんなことを言い出した。
 僕も1人でこの家に来るのはいやだけど、2人なら安心だろう。
「いいよ。じゃあ1時にしよう。1時に公園で待ち合わせね」
「おっけー。秘密道具持って来るの忘れんなよ」
 そう言うと、ユウちゃんは自分の教室へ入っていった。僕はその後ろ姿を眺めていた。
ユウちゃんの後ろ姿を見ていると、僕はとっても安心できる。かくれんぼのとき、ケンカ
のとき、オニごっこのとき…。



 ぼんやり考えていたら、いきなり頭をたたかれた。
「おっはよ。なにぼーっとしてんの?」
「アヤちゃん、何すんだよ」
 僕は頭を押さえながら、振り向きもせずに言った。僕にこんなことをするのは一人だけ
なのだ。
「あたしは、お・は・よ・うっていったんだけど」
「お・は・よ・う」
 そう言うと、アヤちゃんは満足げにうなずいた。
「はい、よろしい。あいさつされたら、あいさつを返すのが女の子とのおつきあいっても
んよ」
 それは違うだろ。
「何、その不満げな顔は。それで、どうしてぼーっとしてたの」
「ぼくが?いつ、どこで?」
「あなたが、いま、ここで」
「そうだったかなあ…」
 僕は首をひねった。そうするとアヤちゃんは、やれやれといった感じで教室に入っていっ
た。
 僕は自分では自覚がないが、ときどきぼーっとするらしい。
「それさえなければ、今ごろ女の子にモテモテよ」
アヤちゃんにはこう言われたことがある。よくわからない。べつにいいけどね…。
 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムが鳴ったので、僕はあわてて教室に入っていった。
 1時間目の休み時間。いやな理科の授業が終わってぐったりとしていると、アヤちゃんが
話しかけてきた。
「ねえ、今朝なんかあったの?」
「どーして?いつもどおりだと思うけど…」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「相変わらずぐったりしてるわね。あっそうか。1時間目はあんたの嫌いな理科だっけ」
「そう、そのとーり。せいかいでーす」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「しかしそんなにいやかなあ、理科って。実験とかあるからあたしは好きだけど」
「ぼくだってじっけんはきらいじゃないけどさー。ヤなもんはヤなんだよ。あーあ」
 僕はぐったりしたまま答えた。
「まったくしょうがないわね。とにかく早く行きましょうよ。遅れるわよ」
「へ?……あっ、そうか! 次は体育でプールだっけ!」
「そうよ。わたくしのエレガントな水着姿が見たかったら、はやくしなさい。オーホッホッ
ホ」
 アヤちゃんは変なポーズで変な笑い方をしながら歩いていった。僕もすばやく水着を準備
して走り出した。別にアヤちゃんの水着が見たいわけじゃないけど。



「位置について、…よーい、スタート!」
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく……
 僕は息を止めたままどんどん進む。自慢じゃないが、僕は息継ぎさえしなければクラスで
一番のスピードがだせるのだ。他のやつは早くも息継ぎをして普通に泳ぎ始めている。まだ
��メートルぐらいなのに。根性のない奴らめ。
 ぶくぶく……
 10メートル経過。まだまだいけるぜ。きょうのおれは!
 ぶく…
 15メートル付近。さすがにつらくなり息継ぎ。同時にチラッと後ろを見ると、はるか後
方に他のやつらの水泳帽が見えた。ふっ、勝ったぜ。後は残りの10メートルを泳ぎきるだ
けだ。
 ざばっざばっざばっ………
 ぱしっ!
 僕は手を懸命に伸ばして、壁にタッチした。すぐさま後ろを振り返る。
 あれっ…だれもいない…
 プールサイドを見ると、僕以外の奴はすでに泳ぎ終わって、休んでいた。
「なんで?」
「なんでじゃないわよ。あんたが一番、ドベなだけよ」
 アヤちゃんが僕の疑問に答えた。僕は首をかしげながらプールからあがった。
「15メートルぐらいまでは不気味なほど速かったけどね。それからあとは、まるっきりダ
メね」
「何がダメ? 教えてよ。」
 僕は疑問があると、解決せずにはいられないのだ。そのためならどんなことだってしてや
る。
「お礼は?」
「へ?」
「へじゃないわよ。教えてあげたら、どんなお礼してくれるの?」
「僕にできることなら、なんでも。ただしひとつだけ」
 僕は間髪をいれずに答えた。ここで変な間を入れたら相手はいろいろ考えるから、すぐ答
えるほうが都合のいいことが多いのだ。(アヤちゃんに対してはだけど…)
「ふーん、イマイチしんじられないけど・・・ま、いいわ。約束ね」
「約束する」
「じゃあ教えてあげる。まず、最初にフォームが悪い。腕はまっすぐ伸ばすほうがいいんだ
けど、水をかくときぐらい曲げたほうがいいんじゃない? それから、息継ぎの時間が長い
わよ。何であんなに吸い込むのかな、何分ももぐるわけじゃないのに。そして足はなぜバタ
足じゃないのよ。普通は自然にバタ足を使うと思うけど」
 ほほう、聞けば聞くほど何でダメなのか納得できる。しかし僕は今までどうやって泳いで
たんだろ。
「あ、もう1個大切なこと忘れてた」
「何?どんな小さなことでもいいよ。教えて」
 ここまできたら全部言ってもらおう。そのほうがすっきりする。すると、アヤちゃんは僕
を指差し、
「それはね・・・・・・・・・顔よ!」
「なんでやねん!!」
 ぷにっ
 僕は間髪をいれずつっこんだ。ツッコミにはすばやさが必要だ。でもおかしいな、いつも
ならビシッて音なのに・・・。不思議に思い、アヤちゃんのほうを見ると、なんと僕の手が
アヤちゃんの胸を・・・
「な、何すんのよっ!!!このすけべっ!!!」
 どげしっ
 ざっぱーん
 ぶくぶくぶく・・・
 視界がゆがんで、たくさんの泡が僕の口から出て行った…。



 気が付いたら、僕は白いベッドに寝ていた。まわりはとても静かだった。時計の秒針が動
く音が聴こえる。
 状況を分析する。どうやら、アヤちゃんのすごいまわしゲリが僕に炸裂した・・・らしい。
腰がひどく痛い。その後、プールに落ちたようだ。鼻の奥がつーんとする。
 僕が腰をさすっていると、部屋の扉がガラッと開いて先生が入ってきた。
「あ、ようやく気が付いたみたいね。大丈夫かな?」
「ちょっと腰が・・・」
 ずきずきするんですけど。
「ああ、すごい蹴りをもらったみたいね。あなたを連れてきた男の子が言ってたわ。『あん
な蹴りを見たのは初めてだ。初めて女の子のハダカを見たときみたいに感動した』って」
 僕は苦笑するしかなかった。かっこ悪い以外の何者でもない。
「先生、まだ腰が痛いんです。シップか何かありませんか。」
「分かってる、ちゃんと用意してあるわよ。ただ、これを貼るには、あなたが水着を脱ぐ必
要があるんだけど・・・。」
 先生はそう言って、冷蔵庫からシップを取り出した。
「何で先に貼ってくれなかったんですか?」
 僕は素朴な疑問を口にした。寝てるときに貼ってもいいと思うけど。すると、先生は顔を
赤らめて言った。
「君は、わたしが寝てる男の人の服を勝手に脱がす女だと思うのかな」
「・・・思いませんけど、でもなんか違いません?」
「わたしにとっては重要な問題なの!」
 僕は、少し怒ったように言う先生からシップを受け取り、腰に貼った。冷たくて気持ちよ
かった。
「まあ、若いんだからすぐ元気になるわよ。まだ授業は半分ぐらい残ってるけど、ゆっくり
寝てなさい。先生には連絡しておくから」
 そう言うと、先生は保健室から出て行った。何でも今日はケガ人や病人が多いらしい。人
気アイドルはツライわね、なんて言ってた。僕はあえてその言葉にチェックを入れなかった。
それが男とゆうものだ。
 しかし、困ったことになった。このままではユウちゃんとの約束が守れない。とにかく立っ
てみよう。
 ぐきっ
「!!!!!」
 僕は声にならない悲鳴をあげた。無理をすれば立てないこともないと思うが、それにして
も痛い。すでに事故から30分は経過したはずだが、これでも回復しているのだろうか?
 僕は立つことをあきらめて、おとなしく寝ることにした。先生の言葉とシップの効力を信
じて・・・



 きーんこーんかーんこーん…
 チャイムの音で目が覚めた。どうやら横になっているだけのつもりだったが、眠ってしまっ
たらしい。
 時計から察するに、今のチャイムは3時間目の終わりのチャイムのようだ。平日なら10
分の休み時間の後、4時間目が始まるんだけど、今日は土曜日なのでこれから掃除の時間だ。
 無理すれば起きられないこともないけど、ここは病人の特権ということで寝ていよう。誰
かに起こされたら今起きた振りをしよう。先生をいない事だし。
 そう思っていたら、扉の開く音と共に何人か入ってきた。どうやら保健室の掃除当番らし
い。寝たふりしなきゃ!
「あーあ。今日でようやくこの保健室の掃除とオサラバできるよ」
「あーあ。今日でようやくアンタのぼやきとオサラバできるわ」
 女の子が皮肉で返事した。毎日ぼやきを聞かされていたようだ。
「だってさ、このだだっ広い部屋はさ、普通の教室の2.5倍は広いよ。不公平だと思わな
いの?」
「しょうがないじゃない、くじびきで決まったんだから。そりゃあね、広いとは思うけど」
 ぶつぶつ文句を言いながら、掃除をしてるみたいだ。床をホウキで掃く音が段々近づいて
きた。
「それにさ、今日はアヤちゃんがいないし」ぶつぶつ。
「そういえばいないね、どうしたの?」
「アヤちゃんが先生に言ってるの聞いたんだ。『今日は保健室の方角はタロット占いでも風
水学的にもよくないとでていますので、教室の掃除を手伝います』てさ」ぶつぶつ。
「それで? 先生なんて言ったの」
「わかるでしょ。先生に占いの話をしたら100%信じるって」ぶつぶつ。
「ああ、先生の今の彼氏は占いで見つかったって言ってた。」
 なんでも、手相を占ってもらっていた所に、昔先生が憧れていた男が客として来たらしい。
偶然の再会に加えて、お互い占い好きという新事実が2人の距離を縮めた、というようなこ
とを朝のホームルームで言ってたのは、つい2週間前のことだ。さすがアヤちゃん、先生の
心理をついたいい作戦だ。
「まあ、先生のOKがあるからさ、しょうがないけどさ、でも…」ぶつぶつ。
「さっきからぶつぶつうるさいっ!! あんな事件の犯人なんだし、ここに近づきたくないの
も分かるでしょ。わたしだって顔合わせづらいと思うよ?すごかったもん、あのキック」
「そりゃ、あんなことしちゃあね、納得」
 それから、二人はさっさと掃除を終えて保健室を出て行った。ぶつぶつ言いながらだから、
掃除は適当だったようだ。僕が寝てるベッドまで来ていない。気づかれなかったのか、見て
見ぬふりをしたのかはよくわかんなかったけど。



 それから少し経って、またガラガラと扉の音がした。誰か来たみたいだ。寝たふり寝たふ
り。
 入ってきた人は、静かに歩いて、仕切りのカーテンを開けた。雰囲気から察するに先生だ
ろうか。
「寝てる…のか」
 その人は呟いた。それから近くに椅子に腰掛けたみたいだ。どうしよう、長居するつもり
なんだろうか? 起きたほうがいいのかな、寝てたほうがいいのかな。
「やっぱりあたしのせいかな・・」
 このセリフから、ここにいるのが誰だか分かった。アヤちゃんだ!寝たふりモード継続!!
「寝ててよかった。でも起きててくれたほうがもっとよかったかな…」
 アヤちゃんはひとり言を言っているようだ。ささやくような小さい声で。
「顔見た瞬間にあやまろうって決めてたのに。タイミング…悪かったみたい。」
 そう言うとアヤちゃんは立ち上がった。音と気配でなんとなくだけどわかる。
 足音が遠ざかってゆく。しばらくして水を汲んでいる音が聞こえてきた。何するつもりだ
ろ。
 僕は寝たふりを続けた。今起きていることを悟られちゃダメだ。ひとり言だから言える事っ
てあると思うし、なんか盗み聞きするみたいでイヤだけど、それでも聞いてみたい気持ちの
ほうが強かった。
 アヤちゃんは洗面器に水を入れて持ってきたみたいだ。タオルを水でしめらせて、僕の頭
にのせてくれた。ひんやりとして気持ちいい。
「悪かったとは…思わないけど。ちょっとやりすぎたかなって思ってるんだよ?」
 しばらくしてからアヤちゃんは呟いた。
「ケンカなんてしたくないから。すぐあやまろうって、思ったんだけど…。すぐここに来て
れば、それが出来たのかもしれないけど。あのときは…あたしもびっくりしちゃって、あの
後ずっと顔がまっかっかだったんだよ」
 アヤちゃんの気持ちが伝わってくる。うそのない本当の気持ち。面と向かって言われたら、
こんなふうには思えなかったかもしれない。だけど、今の寝たふりの僕にはすごくはっきり
と伝わった。うれしかった。じわーっと伝わってくる気持ち。あったかい、とってもしあわ
せな気持ちになれた。
「また、後でね…」
 そう言って、アヤちゃんは部屋を出て行った。僕はアヤちゃんが出て行くのを薄目で確認
してから、ようやく起き上がった。時計を見ると、もうすぐ昼の12時になろうとしていた。
ふと気づくと、腰の痛みはなくなっていた。



 戻ってきた保健の先生にお礼を言って、僕は教室に戻った。教室には担任の先生と、何人
かの生徒がいるだけだった。帰りの連絡会はもう終わったようだ。
「お、やっと戻ったか。どうだ、具合は?」
「ぐっすり寝たおかげでよくなりました」
 僕を見つけた先生が声をかけてきた。僕は事実のみを簡単に答えた。あの不思議な感覚は
説明してもわかんないと思うし、説明するとあの気持ちが薄れちゃいそうだったから。
「そうか、よかったな。…まあ若いうちはいろいろあるもんだ。自分は間違ってないと思う
こともあるだろう。事実そうだとしてもだ。そう考える前にちょっとだけ相手のことを考え
ることが大切だと先生は思う。わかるかな?」
 先生はやさしい目をしていた。先生もいろいろあったんだろうか。
「はい。…僕も、そう思います。でも先生もまだ若いですよね。それってもしかして体験談
ですか?」
 そう聞くと、先生はニヤリと笑い、
「…ま、な。」
 とだけ答えた。少し都合が悪いらしい。僕は深く追求するのをやめておいた。先生に敬意
を表して。
「じゃ、僕帰ります。先生さようなら。」
 先生に挨拶をして教室を出た。早くしないと昼御飯の時間がなくなっちゃうからだ。
「ああ、そうだ。伝言があったんだ。『悪いけど、先に帰るね』だそうだ。」
 先生が窓から顔だけを出してそう言った。
「どういうことですか?」
「言葉どおりの意味だが?」
 僕の問いに先生は、こいつ何言ってやがんだ、というような表情で答えた。僕も答えはお
よそ見当がついたが、あえて先生に聞いてみた。
「誰からの伝言ですか」
「教えない。教えたらつまんないだろ。それに・・・」
 先生はニヤリと笑い、こう言った。
「お前はわかってるんだろ。わかってるやつにわかってることを言うのはそいつに対して失
礼だからな。」
 僕は何も言わずただ、ニヤリと笑いその場を後にした。
 校舎から出ると、空は青一色の素晴らしくいい天気だった。僕は息を目いっぱい吸い込ん
で家に向かって走り出した。ちょうど12時のサイレンが鳴り始めていた。



 家に着いてからすぐ昼飯の準備をした。土曜の昼はラーメンと決まっているので時間がか
からなくていい。小さい頃からそうなので、すでにラーメン作りの腕前は大人顔負けである。
��ただし、インスタントラーメンのみ。カップラーメンは不可。腕のふるいようがないゆえ。)
 お湯を沸かしている間に、冷蔵庫からねぎを取り出し刻み始める。僕は長ねぎは嫌いなの
だが、ラーメンに入っているねぎは食べられるので、ラーメンのときはたっぷり食べるよう
にしている。
 ボウルに半分ぐらいになった所で、切るのをストップ。
 次に、お鍋に水を入れてお湯を沸かす。水は多めに入れておく。
 お湯が沸いたところで、ボウルのねぎを半分お湯に入れる。
 しばらくしてから、めんを入れる。めんがほぐれる間に、フライパンで残りのねぎを炒め
る。少量のゴマ油で炒めるのがポイント。
 めんがほぐれたら、スープの素を入れ煮込む。コトコト。
 最後に、10秒ぐらい最大火力で煮込む。どんぶりに盛り付け、炒めたねぎをのせて完成。
 僕特製、ゴマねぎラーメン。名前だけ聞くとゴマとねぎの入ったラーメンみたいだけど、
実際はねぎの入っただけのラーメンだけである。食べた人にだけタイトルが納得できる秘密
主義な奴である。
 僕は念入りに手を洗ってから割り箸を取った。やっぱりラーメンは割り箸で食すものだと
思う。
 まずはラーメンを一口。ちゅるるるっ。僕はスープではなく、めんから食べる派なのだ。
今日の出来は・・・まあまあだ。ねぎの香ばしい香りが食欲をそそる。ゴマ油のからみ具合
も中々の出来栄えである。
 僕は、ちゅるるるっ、ごくごく、ちゅるるるっ、ごくごく、と繰り返し、10分ほどで完
食した。満腹満腹。
 時計を見ると、12時30分ちょうどだった。約束の時間にはまだ早い。僕はどんぶりを
手早く洗って、部屋へ向かった。秘密道具を押入れの奥の奥から取り出す。これを忘れちゃ
始まらない。カバンにしっかりつめこんでこれで準備万端。
 まだ時間はあるので、腰の調子を完全にするため、少し横になることにした。目を閉じて
深呼吸する。あたたかい何かが腰を中心として体全体に広がっていった。体が軽くなって、
ふわーっと浮かんでいるような気分だった。



 その日は朝から暑い日で、テレビのニュースでは最高気温は35℃になると言っていた。
僕は『家』の前にいた。時間は昼の1時30分。僕は・・・1人で立っていた。やっぱり、
ユウちゃんは来ていない。当たり前かもしれない。きちんと約束したわけじゃないから。あ
の日から1週間が経っているのだから。



 あの日、僕は見事に寝てしまった。少しだけのつもりが気が付いたら2時を過ぎていた。
大慌てでカバンを持って公園までダッシュした。息を切らせて走った。
 公園には5分ぐらいで着いたけど、ユウちゃんの姿はそこにはなかった。
 砂場で遊んでいた子達がいたので、ユウちゃんのことを聞いたけど知らないみたいだった。
 僕は先に行っちゃったのかと思って、『家』まで行ってみた。だけどそこにもユウちゃん
はいなかった。かわりに、門のところに看板がかけられていた。関係者以外立入禁止。朝見
たときにはなかった看板だ。こんな看板があったらユウちゃんも入ってないだろう。
 そう考えて、他にユウちゃんが行きそうな所を探してみた。
 結果は・・・ダメだった。僕はどうしようもなかったので、最後にユウちゃんの家まで行っ
てみた。ユウちゃんの家には誰もいないようだった。呼び鈴を押しても音が寂しく鳴り響く
ばかりだった。
 僕は疲れきった体を引きずって家に帰った。ユウちゃんに会えなかった僕の足はひどく重
いような気がした。
 家の前には見覚えのある人影。・・・アヤちゃんだった。アヤちゃんは家の前をうろうろ
しながら様子をうかがっているようだった。近づいていくとアヤちゃんは僕に気づいて、気
まずそうな顔をした。
「どうしたの?」
「話が・・・あるの」
 そう言ってアヤちゃんはうつむいていた顔を上げた。今の今までいろいろ考えていたけど、
何かを吹っ切ったような顔だった。
 僕はアヤちゃんに部屋に上がってもらった。しっかり腰を落ち着けて聞こうと思ったから。
それだけアヤちゃんの顔が真剣だったから。
 ジュースに入れた氷が溶けきるぐらいの時間が経って、アヤちゃんはようやく口を開いた。
「・・・ごめんなさい。あたしが悪かったです。・・・本当にごめんなさい」
 僕はこんなにアヤちゃんがしおらしくしているのを見てびっくりした。と同時に、素直に
謝ってくれる気持ちがうれしかった。
「ありがとう。・・・僕も悪かった。何を言っても言い訳になるかもしれないけど、あれは
・・・わざとじゃないんだ。本当に、こっちこそごめん」
 僕は今の正直な気持ちを伝えた。どっちが悪いとかそういうのじゃない。簡単な言葉でい
えば、あれは不幸な事故だったってことになる。どっちも悪くないともいえるし、悪いとも
いえる。だけど、問題はそういうことじゃなくて、僕がアヤちゃんに悪いと思ったこと。ア
ヤちゃんが僕に悪いと思ったこと。そしてその気持ちをお互いが相手に伝えようと思ったこ
と。そのことが大事なんだと思う。
 僕が言ったことばを聞いて、アヤちゃんはにっこり笑った。いつもの笑顔で笑った。
「・・・こうやって、いつも素直だとうれしいんだけどな」
「・・・それはあたしのセリフなんじゃないの?」
 アヤちゃんはすっかりいつものアヤちゃんに戻っていた。もうちょっとぐらい、しおらし
いままでもいいと思うんだけど、な。



 あの日から僕はユウちゃんに会っていない。ユウちゃんの家はずっと留守にしている。連
絡の取り様がなかった。僕はユウちゃんを待ちつづけるつもりだ。1人で『家』を探検でき
ないわけじゃないけど。2人でという約束だったから、今度こそその約束を守りたい。
 そうして立っていると誰かが背中をつついた。
「こんにちは。何してんの?」
「・・・アヤちゃん、どうしたの?」
 僕はバカみたいに質問を返してしまった。案の定、
「あたしは、こ・ん・に・ち・はっていったんだけど」
 アヤちゃんはいつも通りに言ってきた。
「・・・こんにちは」
 いつものやり取りが繰り返される。僕もなかなか進歩しないもんだ。
「・・・約束だから」
 僕はアヤちゃんの質問に答えた。これしか答え様がなかったし、答える必要もなかったか
ら。
「そう。わかった。じゃあ、明日は・・・暇?」
「まあ、暇だけど」
 僕はその答えしか思いつかなかった。
「明日の2時にあたしの家に迎えに来て。一緒に図書館に行こう」
「え・・・」
「じゃ、約束したからね。忘れちゃだめだよ?」
 そういってアヤちゃんは歩いていった。あまりにも唐突で一方的だった。だけど、ちょっ
とうれしい。アヤちゃんが僕のことを思って言ってくれたのがわかったから。
 僕は約束を守ることの大切さを学んだ、ような気がした。ユウちゃんに会ったらきちんと
謝ろう。そうしよう。僕はアヤちゃんとの約束を心に刻んだ。忘れないように。
 空は雲ひとつなく、澄み切っていた。陽射しは強かったけど、ときどき吹いてくる涼しい
風が僕を包んでくれているようだった。







2000/03/06

陽菜の微笑み(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「おはよう、孝平くん」
「おはよう、陽菜。今日もいい天気だな」
 空には太陽がまぶしく輝いている。
「うん。お休みだったら、お布団干せたんだけどね~」
「昼間は学院に行ってるし、万一ってこともあるといけないから、なかなか干せないんだ
よな」
「そう言えば孝平くんのお布団、だいぶぺたんこになってるよね。今度のお休みが晴れる
といいね♪」
「ああ。……って、次の休みはデートしようって言ってなかったっけ」
「……そう言えば、そうだよね。う~ん、デートは延期してもいいんだけど」
「布団のために延期ってのもな……。まあ、当日の天気によるけど、その時に考えよう。
俺は、陽菜がそばにいてくれれば、それだけで幸せだから」
「わ、私も……孝平くんがそばにいてくれるなら……」
 自然と、ふたりの距離は縮まっていく。



「おかえりなさい、孝平くん。お茶会の準備はもうすぐできるよ、ってどうしたの、そん
なに息を切らして」
「いや、風が強かったから走って帰ってきただけ。強風の中をのんびり歩いてるのもな」
「女の子はそういうわけにはいかないんだけどね。……はい、お茶」
「サンキュー、陽菜。……ああ、やっぱり陽菜のお茶はおいしいな」
「ありがとう、孝平くん」
 そんなふたりを、じっとりと見つめる四つの目。
「な、なんですか、かなでさん」
「いーえー、らぶらぶだなーと思っただけ。ねー、えりりーん」
「そうですねぇ、悠木先輩。まさか、こんなにも夫婦っぽい光景が目の前で見られるとは
思ってなかったわ」
 ずずず、とあからさまに音を立てながら、かなでと瑛里華はお茶をすすった。
「もう、ふたりともからかわないでよ、はいお茶」
「ありがとー、ひなちゃーん」
「ありがと、陽菜」
 孝平は荷物を置くと、いつもの定位置に座る。そして、陽菜も定位置の孝平の隣に座っ
た。
「今日は、白は用事があるからお茶会には来られないそうよ」
「へーじも同じく。バイトで疲れたから寝るって」
「司は、この強風の中を出前してたんだろうから、疲れるのもわかるな」
「そんなに外の風、すごいの?」
「ああ、春一番はもう吹いたけどさ、結構な。寒さもぶり返したような気がするよ」
「それじゃあ、明日のひな祭りはどうなるのかなあ」
 陽菜が心配そうに呟いた。



「今日は雨だね、孝平くん」
「ああ、こればっかりはしょうがないよな。でも、おかげでいいものが見られたと思えば、
雨も悪くないかな」
 あいにくの雨。当初は寮の中庭で開催される予定だったひな祭りパーティーは会場が談
話室に変わった。
「そうだね、こんなに立派な雛人形が見られたんだもん。紅瀬さんには感謝しないといけ
ないね」
「……私は、何もしていないわ」
「それでも、許可、してくれたんだろ。昔、伽耶さんと遊んでたっていう貴重な雛人形ら
しいじゃないか」
「運んでくれたのは、貴方と八幡平君でしょう」
「これぐらいはやらないと、カッコつかないだろ」
「ありがとうね、孝平くんも」
「陽菜のその笑顔だけで、十分お釣りが来るよ」
「……ごちそうさま。それじゃ、私はこれで」
 桐葉は音も無く去っていった。
「……え、えー、みなさん。お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。祝
いの杯をお渡ししますので、前の方から順番に取りにきてください」
「お、いよいよ白酒の登場だな」
「孝平くん、私たちも行こう。白ちゃんのお手伝いをしないと」
「そうだな。さすがに白ちゃんひとりで白酒を配らせるわけにはいかないし」
「あ、支倉くんに陽菜。ふたりはそっちでお願い。こっちは私と白でやるから」
 宴の準備は着々と進んでいった。



「陽菜、昨日はありがとうね」
「ありがとうございました、陽菜先輩」
 いつものお茶会の席。生徒会の紅二点がぺこりと頭を下げた。
「え、昨日? ……私、何かしたかな」
 ごつん、という鈍い音がした。瑛里華が机に頭をぶつけたのだ。
「何って、ひな祭りのお手伝いでしょ! もう、頭ぶつけちゃったじゃないの」
「それは会長が自分でやったからだろ。はい、今日は俺が淹れてみた」
「わかってるわよ……ありがと」
 おでこを押さえつつ、お茶を受け取る瑛里華。
「ありがとうございます」
「ありがとう、孝平くん」
 とりあえず、みんなお茶を飲んで気分を落ち着けることにした。
「あら、おいしいじゃない♪」
「これでも、毎日白ちゃんの仕事振りを見てるし、時々陽菜にも紅茶の淹れ方を教わって
るからな」
「はいはい、お熱いですこと。それはそれとして、私たちとしては昨日のお礼をしたいん
だけど、何かしてほしいことってある? 陽菜のしたいこと、私と白でやろうって話して
いたのよ」
「うーん、そう言われても、特に思いつかないなあ……」
「小さなことでも構いませんから、何かあったら遠慮なく教えてくださいね」
「うん。……あ、だったらひとつお願いしても、いいかな」
「ええ、いいわよ」
「あのね、……編ませてもらってもいい?」



「~~~♪」
 顔の表情からも、陽菜の嬉しさが伝わってくる。
 瑛里華の髪をやさしく丁寧に編み上げていく陽菜の笑顔は、見ている人にも伝染していっ
た。
「陽菜先輩、すごく楽しそうです」
「そんなに、編みたかったのか?」
「うん。だって、えりちゃんの髪、とっても気持ちがいいんだよ。それに……」
「それに?」
「小さい頃にも編ませてもらったこと、思い出したから」
「……私は、ずっと覚えていたわ。数少ない、小さい頃の思い出だったから」
 瑛里華が懐かしむように目を閉じる。
「ごめんね。……でも、本当に思い出せてよかったよ。わがままも、時にはいいことがあ
るんだね……」
 陽菜の目に、涙の粒が浮かんでいた。
「よかったな、陽菜」
「うん♪ ……はい、できあがり」
 瑛里華の金髪は、二房の三つ編みになっていた。
「ほんとに上手ね。さすがは三つ編み師、といったところかしら」
「陽菜先輩は、三つ編み師なんですか?」
 白が目を丸くした。
「……そうなのかな?」
「いや、俺に聞かれてもな」
「それじゃあ、白ちゃんもどうかな」
「え、わ、わたしですか?」



「よろしくお願いします、陽菜先輩」
「うん、まかせて。これでも修智館学院一の三つ編み師だよ?」
 冗談めかして微笑む陽菜に、白も笑顔になった。
「うわあ、白ちゃんの髪、すごく細くてやわらかいね」
「そうですか? わたしは自分のことなので、よくわからないのですが」
「自慢していいと思うよ。……そういえば、東儀先輩の髪も長くてきれいだよね」
「もしかして、東儀家には秘密のシャンプーが伝わっているとか」
「そんなわけないでしょう、支倉くん。……ないわよね、白?」
「え、ええと、わたしは少なくとも聞いたことがありません」
 そんなことを話している間に、白の三つ編みは完成した。
「はい、できました♪」
「白ちゃん、鏡見てみなよ」
 孝平が手鏡を渡すと、白はにこりと笑った。
「すごいです。なんだか、文学少女になったみたいな気がします」
「校則にも準じた、伝統的な三つ編みだからね。もしよかったら、また編ませてね」
 そして、陽菜の目は、最後の一人に向けられた。



「孝平くん♪」
 陽菜の楽しげな声に、孝平はうな垂れるしかなかった。
「とほほ、まさかまた三つ編みをすることになろうとは」
「大丈夫だよ、孝平くん。前の時よりも髪の毛が長くなってるから、編みやすいよ?」
「……さんきゅ、陽菜」
「うん♪」
「どうしてなんだろう。甘い会話のはずなのに、切なさが感じられるわ……」
「え、えと、支倉先輩、お茶をどうぞ」
 こぽこぽと急須からお茶を注ぐ白だった。
「ありがとう、白ちゃん。……ふたりにお願いがあるんだけど、このことは誰にも言わな
いでおいてくれるかな。やっぱり恥ずかしいから」
「どうして? 別に、女子大浴場に突入したわけじゃないから、平気でしょ」
「随分なつかしいことを……あいたた。陽菜、なんでつねるんだよ?」
「さあ、孝平くんの胸に聞いてみたらいいんじゃないかな」
「あ、ごめんね、陽菜。余計なこと言っちゃったわね」
「ううん、えりちゃんは悪くないよ。孝平くんがえっちなのがいけないの」
「いや、俺は何も思い出してなんか……」
「(にこにこ)」
「すみませんごめんなさい」
「これっきりだよ?」
 と言って、陽菜は孝平のほっぺたをさすった。
「?」
 白は、何がなんだかわからなくて、ずっと首を傾げていた。



「準備できた、孝平くん?」
「ああ。ちゃんと布団も干したし、洗濯もばっちり。荷物もちゃんとまとめてあるから、
いつでも出られるぞ」
「それじゃ、5分後に寮の前で待ち合わせだね」
「ここから一緒に行けばいいんじゃないか?」
「だめだよ。デートはデートらしくしなくちゃ」
 そう言うと、陽菜は小走りで階段を下りていった。
 やれやれと思いながら、少しゆっくりめに階段を下りる。
 そして、寮の前で待っている陽菜に向かって声をかけた。
「お待たせ、待ったか?」
「ううん、私も今来たばかりだから♪」
 あははっとふたりで笑いあった。
 なるほど、確かにデートってこういうものだよな、なんて思いながら。
 仲良く手をつないで歩いていると、前方から桐葉が歩いてきた。
「おはよう、紅瀬さん」
「おはよう……悠木さん、支倉君も」
「おはよう。紅瀬さんは散歩か?」
「いいえ、主の用事を済ませて帰ってきたところよ。まったく、伽耶ったら寝かせてくれ
ないんだから……」
 それを聞いた陽菜の顔が、赤く染まる。
「ゲームをしていたのだけど、自分が勝つまでやめようとしないのよ。まったく、しかた
のない主だこと」
 と言い残して、桐葉は歩いていった。
「あ、あはは……い、行こうか、孝平くん」
「お、おう」
 なんとなく、ぎこちなくなりつつも、手はつないだままのふたりだった。



 噴水前にやってきた。太陽の光を浴びて、水がきらきら輝いている。
「そう言えば転入したての頃、ここの写真を撮ったっけ」
 あれから、もうすぐ一年になるのか。
「ああ、お姉ちゃんにもらった冊子に従って、写真撮りに行ったんだよね」
「そう。あの時はいろいろあったなあ。確か、このへんで雪丸を……」
 ぴょん
「あ、雪丸だね」
「そうだな。……てことは」
「ゆきまるー」
 孝平は目の前を飛び跳ねる雪丸をキャッチした。
「あ、支倉先輩、陽菜先輩」
「おはよう、白ちゃん。雪丸のお散歩?」
「いえ、お散歩は終えて戻ったところで、逃げられてしまいまして」
「ここで、俺に捕まえられたと。はい」
「いつもありがとうございます。ほら、雪丸も反省しないとだめですよ」
 白ちゃんに叱られて、少しだけ雪丸がしょんぼりしたように見えた。
「おふたりはお散歩ですか?」
「うん♪ ちょっと裏山のほうまで行こうかなって。よかったら、白ちゃんも一緒に来な
い?」
「……いえ、わたしはローレル・リングのお仕事がありますし、それにおふたりの邪魔を
しちゃ申し訳ないですから」
 白はぺこりと頭を下げると、礼拝堂に戻っていった。



 監督生棟まで上がってきた。
「あら、どうしたのふたりとも」
 そこには、いつもの勝気な笑みを浮かべた、われらが生徒会長、千堂瑛里華の姿があっ
た。
「おはよう、えりちゃん。今日は、孝平くんとおでかけなの」
「ふ~ん、いつも仲良しでいいわねえ。ちゃんと陽菜をエスコートしてあげるのよ、支倉
くん?」
「ああ、言われるまでもないさ。会長は、どうしてここに? 生徒会の仕事でもあったっ
け」
「違うわ。四月になったら、新入生が入ってきて、またにぎやかになるでしょう。それに
備えてのアイデア出しと、受験勉強よ。監督生室は静かだから結構はかどるの」
 ぱちりとウインクしてみせる瑛里華。
「そっか。それじゃ、俺も空き時間にアイデアを溜めておくよ。それじゃ、またな」
「ええ、いってらっしゃい♪」
 ひらひらと手を振る瑛里華に、ふたりは笑顔を返した。



「千年泉に到着だね~」
「ああ。ここらで休憩にしようか。ちょっと待っててくれよ」
 孝平はカバンからレジャーシートを取り出した。
「えーと、突風はないだろうけど、一応石を置いておくか」
「はい、こーへー」
「ありがとうございます、かなでさ……って、ええっ?」
「お姉ちゃん?」
「うん、間違ってもひなちゃんのお兄ちゃんじゃないよ?」
「んなことはわかってますって。どうしてこんなところに?」
「もうすぐ卒業だからね~。学内をいろいろまわって思い出に浸ってみようかと」
 かなでは懐かしそうにまわりを見渡した。
「お姉ちゃんは、ここにどんな思い出があるの?」
「そーだねえ……。ずっと昔に、幼なじみの男の子が溺れたよーな記憶が」
「その幼なじみの男の子は、何も悪いことしてないのにイカダで島流しにされたんですよ
ね」
「そーそー。よく覚えてるね、こーへー。さすがは生徒会副会長!」
 ぐっ、と親指を立ててにこやかなかなでだった。
「そういえば、そんなことあったよね。あの時は、お姉ちゃんが孝平くんに人工呼吸しよ
うとして大変だったっけ」
「……ちょっと待って。それ初耳」
「……ごめん、冗談だよ」
「なんだ、よかった」
 ほっと胸をなでおろす孝平。
「実は、私が人工呼吸……したんだよ?」
「……え?」
 ふたりはお互いのくちびるを見つめあい、そして。
「はいはい、そこまでー。まずは、お昼を食べようよ」
 かなでのノーテンキな声が邪魔をするのだった。



「でりーしゃす! やっぱり、ひなちゃんのごはんは美味しいね♪」
「ありがとう、お姉ちゃん。はい、あったかいお茶もあるからね」
「ほんとだ、この卵焼きなんて、絶妙な味で俺好みだ」
「ありがとう、孝平くん。おかわりもあるから、たくさん食べてね」
 三月とはいえまだ少し肌寒いが、ちょうどお昼時ということもあり、日差しが出ている
ので、絶好のランチタイム日和だ。
「お姉ちゃんは、この後どうするの? 私たちと一緒に来る?」
「ううん。ふたりの邪魔をするなんて、お姉ちゃん失格だよ。お昼からは、まるちゃんの
お手伝いでもしようかな」
「いつもお世話になってるもんね。あ、でも、まるちゃんって言うのはやめておいたほう
がいいよ」
「そうですね。シスターの機嫌が悪くなっちゃいますから」
「わかってるって。どーんとまかせておきなさい、屋形船に乗ったつもりで!」
「……いまいち、想像しづらいんですが」
「えっとね、お館様~、今宵は無礼講ですぞ、がっはっは~みたいな?」
「いろいろと間違ってるからね、お姉ちゃん。もう、しょうがないなあ」
 場所は違えど、いつものセリフが陽菜の口からこぼれるのだった。



 それじゃあ、またあとでねーと元気に手を振りながら、かなでは階段を下りていった。
「さて、お昼も食べたことだし、これからどうしようか。もう少しここでのんびりしてい
くか?」
 春の日差しが、千年泉の水面に反射して輝いている。眺めているだけでも、楽しそうだ
が、陽菜は首を振った。
「あのね、行きたいところがあるの」
 そう言って、先を歩く陽菜について行くと、次第に見覚えのある道であることに孝平は
気がついた。
「陽菜、この道って」
「もうすぐ、着くからね?」
 その言葉通りに、唐突に道が開けた。前方に見えるのは、大きな洋館だ。
「こんにちは~。伽耶さん、いらっしゃいますか」
 呼び鈴を鳴らし、陽菜が呼びかける。
 ……。返事がない。
「留守、なのかな」
「紅瀬さんの話を聞いて、今日はいると思ったんだけど……もしかして、眠っているのか
な?」
 そんな話をしていると、
 からん
                       ころん
 という音が聞こえてきた。
「この音って、もしかして」
「うん。きっと、伽耶さんだよ」
「……誰かと思えば、陽菜に、支倉か」
 いつもの豪奢な着物を身にまとった伽耶が、屋敷の裏手からゆっくりと姿を見せた。



「こんにちは、伽耶さん。もしかして、お休み中でしたか?」
「いや、先ほど目覚めたばかりだ。昨夜は桐葉がなかなか寝かせてくれなんだのでな。明
け方になってから、ようやく眠りについたのだ」
 伽耶は気だるそうに首を回すと、大きなあくびをした。
 それを聞いて、陽菜と孝平はくすくすと笑った。
「うん、どうしてふたりで笑っておるのだ?」
「いえ、なんでもないです。そうだ、よかったらお茶でもいかがですか。お昼ごはんは先
ほど食べてしまったんですけど、お茶はまだ残っていますから」
「それでは、頂くとしようか。今日は天気も良いし、縁側でよいか」
 そう言って、歩き出す伽耶にふたりはついていった。
 縁側に行くと、一匹の黒い猫が先客だった。
「今日はあったかいから、ネネコも気持ち良さそうだ」
「ああ。と言っても、こやつはいつもここで気持ち良さそうにしておるがな」
 やわらかな昼の日差しを浴びながら、ごろごろと寝返りをうつネネコだった。



「馳走になった。陽菜のお茶は、いつも美味いな」
「ありがとうございます。それでは、私たちはそろそろ失礼しますね」
「そうか、また、いつでも来るがよい。……支倉もな」
「はい、伽耶さん。ネネコも、またな」
 うにゃあ、と孝平に返事したのかどうかはわからないが、ネネコが気持ち良さそうに声
を出した。
 屋敷を出て、しばらく歩いてから孝平が口を開く。
「せっかく来たんだし、もうちょっといても俺はよかったけど?」
「うん。そう思ったんだけど、伽耶さん、まだ眠そうにしてたから」
「……確かに。朝まで紅瀬さんと遊んでいたみたいだしな」
「また遊びに来ようね、孝平くん」
「ああ」
 そして、ふたりはゆっくりと手をつなぐ。
「孝平くんの手、あったかいね」
「陽菜の手もあったかいぞ。それに、……やわらかい」
「え?」
「なんていうか、女の子の手って、やわらかくていいなって思う」
「……それは、お肉がついてるってこと?」
「いや、そういうわけじゃないよ。うまく説明できないけど、女の子だなあって思うんだ」
「それなら、孝平くんの手も男の子らしいよ。大きくて、力強くて。つないでるとすごく
安心するの」
「そうなのか?」
「うん。だから、これからも一緒に歩く時は、手をつないで歩きたいな」
「ああ。みんなの前だからって、遠慮したりしないからな?」
「あはは、ちょっと恥ずかしいけど、平気だよ。孝平くんがいっしょなんだから」
 陽だまりのような笑顔で微笑む陽菜だった。



「やっとお昼か。よし、早く学食に行こう、陽菜」
「うん。うふふ、孝平くんのお腹の音、私にも聞こえてきたよ?」
「うわあ、ということは周りのやつらにも聞こえてたってことだよな」
「そうかもしれないね。朝ごはんはちゃんと食べたんでしょう?」
「ああ。でも、足りなかったみたいだ」
「いっぱい食べられるといいね」
 食堂に着き、陽菜が場所取りをしている間に、孝平が二人分のメニューを運んできた。
「お待たせ。味噌ラーメンスペシャルだったよな?」
「うん、ありがとう♪ 孝平くんは、いつもの焼きそば?」
「いや、実は、焼きそばの下にはハンバーグと目玉焼きとチキンライスが隠されてるんだ」
「す、すごいね」
「陽菜の味噌ラーメンスペシャルも、色々な具が入っていて十分すごいと思うんだけど。
それじゃ食べよう」
「いただきます♪」
 しばらく、食べるのに専念するふたり。
「そう言えばさ、陽菜はどうして味噌ラーメンが好きなんだ? 何かきっかけがあったり
するのか」
「特別なきっかけはないと思うけど。味噌単体が好きなわけじゃないし。でも、ラーメン
と一緒だとすごくおいしいと思うんだよ」
「へえ」
「それに、味噌とコーンの相性は最高だと思うの。メンを食べ終わっても、コーンを一粒
ずつお箸でつまんで食べるのが好きなの」
「ほう」
「チャーシューもやわらかくていいよね。スープが味噌だと、よりマイルドになるからい
いんだよね」
「ふうん」
「……ごめん、退屈だった?」
「え、いや、陽菜は本当にみそラーメンが好きなんだなって思っただけ。退屈じゃないさ。
嬉しそうな陽菜が見られて俺も嬉しいし」
「ありがと、孝平くん」
 そう言って、陽菜はおいしそうにラーメンをすすった。



「いいお天気だね、孝平くん♪」
「ああ。こういう日は、のんびり昼寝するのが最高の贅沢だよな~」
「孝平くんは、お昼寝したいの?」
「いや、陽菜がいるんだから、いちゃいちゃしたい」
「……」
「あ、もしかして怒った?」
「……ううん、そうじゃないよ。いいのかなって」
「何が?」
「孝平くんと、いちゃいちゃして」
「いいと思うけど」
「……わかった。じゃ、じゃあ」
 陽菜は、そっと孝平の手を握った。
「もっと、そばに行っても、いい?」
「ああ」
 陽菜は、孝平にぴったりと身体を寄せる。
「……孝平くん、どきどきしてる」
「陽菜、だって」
「……うん。もっと、もっとどきどきすること、してもいいかな」



「おはよう、こーへー!」
「おはようございます、かなでさん。……陽菜も、おはよ」
「う、うん……おはよ」
 今日も春らしい朝。寮を出たところで孝平は悠木姉妹と出会った。
「あれあれ? ひなちゃんの様子がおかしいな。……もしかして、こーへーとケンカでも
したの?」
「し、してませんって」
「こーへーはこう言ってるけど?」
「う、うん……、ケンカじゃないよ。……ちょっと、ね?」
「ふむ……、まあ、そういう時もあるよね。お姉ちゃんは器がおっきいから、ふたりをあ
たたかく見守っていくからね」
 かなではそう言って、ふたりの背中をばしばしと叩いた。
 孝平は、かなでが意外にもあっさりと引いてくれたので、ほっとした。
 ちらりと陽菜のほうを見ると、陽菜もこちらを見つめていて、目が合った。
 瞬間、昨日のことが思い出されて、ふたりとも顔を真っ赤にして目をそらすのだった。
 かなでは、ふたりの少し前を歩いていて気がつかなかった。



 休み時間。ぼんやりしている陽菜の前に、ひとりの少女が立った。
 うつむいていた陽菜が顔を上げると、長く美しい黒髪が視界に入った。
「……紅瀬、さん」
「貴女にしては、反応が鈍いわね」
「……そう、かな?」
「ええ。……もうずっと前の約束だけど、今日なら編ませてあげても、いいわ」
「…ほんと?」
「私に二言はないわ。そうね……昼休みでいいかしら」
「う、うん!」
「それじゃ、また後で」
 桐葉は静かに自分の席に戻っていった。



「それじゃあ、行きましょうか」
「う、うん」
 陽菜は桐葉の後についていった。
 何も言わず、すたすたと歩いていく桐葉。
 他の人に見られない場所に行くのかな、と思っていた陽菜だったが、校舎を出て、さら
に森の中の道をずんずんと歩いていく桐葉に、陽菜は不安を覚える。
「……あの、紅瀬さん。どこまで行くの?」
「もうすぐ、着くわ」
 その言葉が終わった途端、唐突に明るくなった。
「うわぁ……」
 海からの風が心地よく吹きぬける。丘の上に、陽菜と桐葉は立っていた。
「すごくきれい……。学院にこんなところがあるなんて、知らなかった」
 海を見つめながら呟く陽菜。
「あまり人は来ないわね」
 桐葉はゆっくりと腰を下ろした。



 風がやさしく吹き抜ける丘で、陽菜は桐葉の髪を編んでいた。
 会話はないが、陽菜の嬉しそうな様子はその表情から容易に伺うことができる。
 ちらりと陽菜の顔を見つめ、桐葉は口を開いた。
「今日は、少しぼんやりしているのね」
「……心配、してくれてるの?」
「そ、そう思ってもらって、構わないわ」
「……ありがとう、紅瀬さん」
 陽菜は微笑む。三つ編みを作る手つきもよりやさしくなる。
「昨日ね……孝平くんと過ごした時間が……頭の中でずっとまわっているの。おつきあい
するようになって、いろいろな孝平くんを見てきたのに、まだまだ私の知らない孝平くん
がいるんだなって」
「そう。……ケンカ、ではないようね」
「うん。それはないよ。……やっぱり、みんなに心配かけているのかな」
「貴女が気にすることではないわ。……友人の心配をするのは、友人の役目だから」
「えへへ、嬉しい。……はい、できました♪」
「ご苦労様。……どうかしら」
 桐葉はくるりと回ってみせる。
「うん。とっても似合ってるよ。袴を着たら、大正時代の女学生に見えるかも」
「それ、褒められているのかしら?」
「うん、もちろんだよ」
「ならいいわ。ありがとう、悠木さん」
 桐葉は満足そうに笑った。



「支倉くん、お茶淹れてくれない?」
「あ、お茶ならわたしが」
「白はその書類が終わるまで動いちゃダメ」
「うう……」
 うなだれて、パソコンに向かう白。
「いいよ、白ちゃん。たまには俺もやらなきゃな」
 孝平はそう言って、給湯室に向かった。
「はい、お待たせ」
「ありがとう。……あら、美味しいわね」
 適度に冷まされた紅茶を口に含み、笑顔になる瑛里華。
「茶葉がいいからさ」
「それだけじゃないわ。……陽菜の教え方が上手なのね」
「そう、だな」
 孝平は一瞬、口ごもる。
「そうよ。さて、単刀直入に聞くけど、陽菜とケンカしたの?」
「してないよ」
「そう。ならいいわ。噂話なんて当てにならないわよね、やっぱり」
「……えっと、それだけか?」
「ええ。追求するものでもないでしょ。貴方たちなら、きっと大丈夫だと信じてるもの」
 誰にも真似出来ない笑顔で、瑛里華は言い切った。
「……ありがとな、会長」
「いえいえ。それじゃ、白のサポートをお願いできるかしら?」
 パソコンの前で、白は泣きそうな表情になっていた。
「了解。白ちゃん、どんな具合かな?」
「すみません、支倉先輩。ここの計算がうまく合わないのですが……」
 瑛里華は満足そうに微笑むと、紅茶をもう一度口に含んだ。



「こんばんは、孝平くん」
「いらっしゃい、陽菜。どうぞ」
「おじゃまします……あれ、私が今日は一番乗りなんだ」
「ああ。まあ、司はバイトで、会長は他の集まり。白ちゃんはパソコンの練習で今日は来
ないんだけど」
「そうなんだ。じゃあ、後はお姉ちゃんだけ……って、メールかな」
 陽菜が携帯をチェックすると、噂をすれば何とやら。かなでからだ。
「今日は春の陽気に誘われたので、もう寝ます。こーへーに、夜這いに来ないように言っ
ておいてください、だって」
「ぜっ……たいに、行きませんからって返信しておいてくれ」
「あはは、了解」
 ぽちぽちとメールを打つ陽菜を見ながら、孝平はティーセットの準備をする。
「あ、私も手伝うよ」
「大丈夫。今日は俺が淹れるよ。会長に褒められた腕前を見てもらおうと思って」
「……えりちゃんに?」
「ああ。生徒会の仕事中にお茶を淹れる機会があってさ」
 話をしながら、手際よく準備する孝平。やがて、紅茶の香りが孝平の部屋に満ちていく。



「それじゃあ、いただきます」
 陽菜は孝平の淹れた紅茶を口に含んだ。
「……ど、どうかな?」
「……うん、すごく美味しいよ。これなら、えりちゃんが褒めてくれるのもわかるよ」
「ありがとう。会長に褒められたのもうれしいけど、陽菜に美味しいって言ってもらえた
ことが、俺にとっては一番嬉しいよ」
「もう、私から孝平くんに教えることはないかな。……ちょっと寂しいね」
「そんなことないよ。陽菜の好きなことは他にもあるだろ? それについて、いろいろ教
えて欲しいな。俺も、陽菜が教えて欲しいことがあったら、できるだけのことはするし。
それに……」
「それに?」
「たとえ、そういうのが何もなくたって、陽菜と一緒なら、きっと俺は幸せなんだと、思
う……」
「孝平くん……。うん、わたしも、そうだよ……」
 見つめあうふたりの距離が、ゼロになった。
「……えっと、今日はこれぐらいにしておこうか?」
「そうだね。今朝は夕べの余韻でどきどきしてたから、みんなに心配かけちゃったし」
「そうだよな。でも、みんな信じてくれてもいるから、本当にいい友人たちだよ」
「感謝しないとね、みんなに」   
「明日からは、またみんなでお茶会ができるといいな」
「うん! ふたりきりもいいけど、みんなが一緒でも楽しいよね♪」



「はい、孝平くん。プレゼントだよ」
「お、サンキュー。……ローソク?」
「そんな! わたしの知らないうちにふたりがアブノーマルな関係にっ?」
 孝平が取り出したものを見て、かなでは大げさにのけぞった。
「ち、違うよお姉ちゃん。これはアロマキャンドルだよ?」
「も、もちろん知ってたアルよ。にゃはー」
「今、思いっきり悠木先輩の目、泳いでましたけど」
「どうしてアブノーマルなのか、わたしにはわかりません」
「どうしてこんなに騒がしいのかしら……」
 いつものお茶会だった。久しぶりに大勢が揃ったので、自然とにぎやかになる。
「そういや、俺の部屋にもそんなローソクがあったな」
「えっ、もしかして司はアロマ関係の趣味があったのか?」
「いや。知り合いが置いていっただけだ。サバイバルに役立つとかなんとか」
「それは、本当のローソクじゃないかしら」
 瑛里華が苦い顔でつっこんだ。
「私の部屋にも、ローソクぐらいあるわ」
「まさか、きりきりにそんな趣味がっ!」
「お姉ちゃん、いい加減にしようね?」
「ごめんなさい、ひなちゃん。ちょっとテンションが下がらなくて」
「かなでさんのテンションはいつもハイですよね」
「それじゃ、お姉ちゃんを落ち着かせるために、ちょっと点けてみようか」
 キャンドルに火を点けて、部屋の明かりを消してみると。
「うわあ、きれいだね~」
「おお、ほんとにかなでさんがおとなしくなった」
「こーへーには、後でおしおき」
「なんでっ?」



「こんばんは~。ごめんね、みんな。遅くなりました」
「大丈夫、まだお茶会は始まったばかりだから。寮長の仕事だろ?」
 孝平は陽菜にお茶を渡す。
「うん。寮長になって思ったのは、お姉ちゃんはすごいなあってことなの」
「へ、わたし?」
「そうだよ。大きな問題、小さな問題、連絡事項やイベント、小さなことでも積み重なる
と結構大変な時もあって。私、ずっと去年のお姉ちゃんを見ていたけど、お姉ちゃんは全
然辛そうな顔してなかったもん」
 みんなの視線がかなでに集まる。
「そう言えば、兄さんも悠木先輩のことを褒めていたわね。………でもないのに、すごく
パワフルだって」
「兄さまも、かなで先輩のことを尊敬しているようでした。悠木はすばらしい寮長だ、と」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないからね?」
 と言いながら、かなではみんなの湯飲みにお茶を注いでいく。
「私、お姉ちゃんにがっかりされないようにがんばるね」
「ひなちゃんなら、大丈夫だよ。わたしはがむしゃらにやっただけ。でも、ひなちゃんは
ちゃんと相手のことを考えてあげられる子だからね。こーへーも、それはよく知ってるで
しょ」
「ええ。陽菜なら、きっとかなでさんに負けないくらい立派な寮長になれるよ」
「そうね。陽菜は交友関係も広いし、いざとなったらみんなに頼ってもいいし」
「陽菜先輩のことは、クラスで話しているときもよく話題になります。あんな先輩になれ
るといいなって」
「や、やだなあもう。褒めても何も出ないよ?」
 と言いながら、陽菜はみんなのお茶請けにお菓子を追加していった。



「あ、悠木さん。ちょっといいかしら」
「はい。御用ですか、シスター?」
 大浴場からの帰りに談話室に寄ったところで、陽菜はシスター天池に声をかけられた。
「次回の寮でのオークションなんですけど、来週の休みに実施されるのよね」
「はい、そのつもりです。シスターも参加されますか?」
「いえ、お誘いは嬉しいですが、私が参加すると進行に影響が出るでしょうから」
「そんなことは……」
「いいのですよ。それより、そのオークションに礼拝堂の備品を提供したいのですが、構
いませんか?」



 翌日。陽菜は孝平と司にお願いして、礼拝堂を訪れていた。
「ごめんね、孝平くん、八幡平くん。今度お昼おごるからね」
「いや、それはいいんだけどさ。俺たちが呼ばれたって事は、力仕事なんだろ?」
「うん。とある施設の方から、礼拝堂に寄付があったそうなの。それで、古くなっていた
備品を新しいものにすることができたんだけど、古いといってもまだ十分使うことができ
るものが多いからどうしようって思っていたんだって。オークションが開催されるのは神
の配剤ねってシスターは喜んでいたよ」
「そりゃシスターはいいだろうがな」
 司のぼやきはわかるが、シスターのいうことももっともだ。
「あ、いらっしゃいませ、先輩方」
 礼拝堂の扉を叩くと、ローレル・リングの制服を着た白が出迎えてくれた。
「こんにちは、白ちゃん。オークションに出品する品物を引き取りに来たんだけど」
「はい、こちらにまとめてあります。どうぞ中へ」
 三人は礼拝堂の中へ入っていった。



「食器類などが中心なんですけど、少し大きなものもありますので……」
 段ボール箱が何箱か、そしてその隣に鎮座していたのは。
「これって……安楽椅子か? どうしてこんなところに」
「さあなあ、シスターが座ってる光景は想像できねえけどな」
 孝平と司はそれぞれに感想を述べる。
「東儀さん、これで全部だよ」
 奥からひとりの女生徒が段ボールを抱えて現れた。
「どうもありがとう。支倉先輩たちが運んでくださるそうなので、そこに置いてください」
「よろしくお願いします。先輩方」
 ぺこりと頭を下げる少女に見覚えがあった。
「あれ、あなた確か、園芸部だったよね?」
「はい。あれから、ローレル・リングもかけもちしているんです」
「そっか。よかったね、白ちゃん」
「はい。いつも助けていただいてます。とっても大切なお友だちです♪」
 白がそう言うと、女生徒は顔を真っ赤にしていた。



「こんなこともあろうかと、カートを持ってきていてよかったね~」
「そうだな。司のチャリが使えればよかったんだけど、学内じゃさすがにな」
「見つかったら、間違いなくフライパンでマジ殴りだな」
 陽菜はカート、男ふたりは安楽椅子を抱えながら、寮までてくてく歩いた。
 途中で出会った運動部の男子たちも手伝ってくれたので、思っていたよりも楽に荷物を
運ぶことができた。
「これも陽菜の人徳のおかげだな。さすがは寮長だ」
「私は何もしてないよ。孝平くんや八幡平くん、そしてみんなのおかげだよ」
 陽菜はいつものやわらかい笑顔だった。



「それでは、恒例となりました白鳳寮主催、オークション大会を開催します」
 談話室には大勢の学生が集まっている。いつもよりも人数は多いのは気のせいではなく、
事前に噂が流れたからだ。



「おい聞いたか。今度のオークションさ、礼拝堂の備品が出品されるらしいぞ」
「それがどうかしたのか?」
「よく考えてみろよ。あのシスター天池が使っていたかもしれないんだぞ。これはレアな
一品だと思わないのか?」
「言われてみれば……。それに、礼拝堂って事はローレル・リングでも使われていたって
ことだよな」
「ああ。ということは、あの東儀さんが使っていたって事も……」
「やあねえ、男って。でも、礼拝堂の備品ってけっこう装飾も凝ってて素敵よね」
「そうそう。アンティークにこだわるわけじゃないけど、お値打ちだったら欲しいよね。
そういうのでお茶を飲むと、なんだか味わいも違う気がするし」



 というわけで、それぞれの思惑が交じり合って、いつも以上の熱気となっていた。
「ではまず、このお皿から。少しヒビは入ってるけど、この柄とかとっても素敵だよね。
��枚セットで、500円から」



「お次はティーカップ。むむ、なんだかすごく英国風な感じが漂ってきます。これで紅茶
を飲むと、また格別なんだろうな~。私も欲しい逸品です。これはソーサーもつけて、2
��0円から」



「次は、フライパンだね。最近は中華鍋とかのフライパンも多いけど、私はやっぱり普通
のが好きかな。寮ではあまり使う機会がないけど、持ってても損はないと思います。あれ
……なんだかここに凹んだような後があるけど……、もしかして、シスターが『使った』
のかな? じゃあ、800円からで」



「最後に一番の大物。どういうわけか礼拝堂から提供された安楽椅子です。ちょっと置き
場所に困るかもしれないけど、一番お値打ちな品だったりして。これであなたも安楽椅子
探偵になれる……かもしれませんよ? じゃあ、1000円から」



 結果からいうと、大盛況のうちにオークションは終幕を迎えた。
「こんなに盛り上がるなんて思わなかったね」
「ああ。ただの備品で骨董的な価値があるかどうかもわからないのに、ほとんどが最初の
設定価格より高く売れたもんな」
 お茶会でも自然とオークションの話題になった。
「でも、いいことじゃないの。使わなくなった物でも、使ってもらえる人のところにいけ
ば、品物も人も嬉しいわよね」
 嬉しそうに瑛里華が言う。
「そうですね。わたしたちもお手伝いができてよかったです♪」
 白がにっこりと微笑んだ。
「それにしてもこの売り上げは予想以上なんだけど、これはどうするんだ?」
「うん。寮内で使う共用の消耗品とか、観葉植物とか。今まではそういうのに使ってたみ
たい。それでもまだまだ余裕があるんだけど……」
「それじゃあ、突撃会長からひとつ提案があるんだけど、いいかしら?」



「みなさま、お待たせいたしました。それではただいまより、送別会&大お花見大会を開
催いたします!」
「いやっほぅ! 今日はとことんまで飲もうじゃないか、なあみんな?」
「きゃー、伊織様~☆」
 瑛里華の開会の挨拶に、伊織の声が重なり、さらに黄色い悲鳴がたすきがけされた大お
花見大会がはじまった。
「まったく、兄さんには困ったものね」
 そう言いながらも、瑛里華の表情は困っていない。
「千堂先輩は、きっと場を盛り上げようとしてるんだよ、えりちゃん」
「それは間違いじゃないと思うけどねぇ」
 陽菜のフォローにも、苦笑を浮かべざるをえない瑛里華だった。
「それにしても、まさかこんなに集まるとは思わなかったわね~」
「今年は桜の開花も早まってるからね。最後のイベントだし、みんな参加したいって思う
のも当然じゃないかな」
 それに、参加しているのも生徒だけではない。教職員をはじめ、学院関係者や学生の父
兄たちまでも参加する大規模イベントなのだ。
 先日のお茶会で、瑛里華が提案したのがこのイベントだった。
「卒業生の送別会だけでなく、お花見も一緒にやりましょう。それに、どうせなら生徒も
教師も父兄もみんなが楽しめるイベントにしたほうが、おもしろいと思わない?」
 オークションで予想以上に儲けが出たこともあり、資金も十分。それに加えて、卒業祝
いということで、学院創設者からも多額の寄付があったこともあり、無事にこうしてイベ
ントを開くことが出来た。
「それじゃ、私たちも食事をいただきましょうか。せっかく鉄人も参加してくれているん
ですもの」
「そうだね。それじゃ行こうか、えりちゃん♪」
「ええ、陽菜ちゃん♪ ……うふふっ、なんだかあの頃に戻ったみたいね」
 陽菜と瑛里華は、仲良く手をつないで料理コーナーに向かった。



「千堂さん、ずいぶん楽しそうね」
「それはそうだろう。瑛里華が企画したそうだからな。発案者としては嬉しいだろうさ」
「伽耶も、手伝っているしね」
「さて、何のことやら。……あー、桐葉、そこのたこ焼きでも食べようではないか」
「ふふ、いいわよ。私が取って上げるわ。……はい、どうぞ」
「……あたしは、たこ焼きを頼んだはずだが」
「どこからどう見てもたこ焼きじゃないの」
「たこ焼きとは、そのような『真紅の血液』色はしておらぬ!」
「おかしいわね、吸血鬼なら喜んで食べると思ったのに」
 桐葉はふところに謎の小瓶をしまいこんだ。



「あの方も、表情がおやさしくなられたな」
「はい。最近は、わたしにも話しかけてくださることが増えました」
「よかったな、白」
「はい♪ 兄さま、わたしたちも何か食べませんか」
「ああ、そうするとしよう」



「しろちゃんたちはいっつも仲良しだねえ。よし、こーへー。わたしたちも負けないよう
に仲良くやろうよ!」
「でも、俺たちは姉弟じゃありませんよ、かなでさん」
「細かいことは言いっこなしだよ。こういう時は、楽しんだもの勝ちなの!」
「確かにそうですね。それじゃあ、俺たちも食べることにしましょうか。かなでさんは何
が欲しいですか、俺取って来ますよ」
「ほんと? それじゃあ、お鍋をお願いしようかな♪」
「いや、お花見に鍋はないでしょう……って、ぐつぐつ煮えてるー?」
「わたしがちゃーんと頼んでおいたんだよ。鉄人特製のかなでなべ♪」



「悠木さんはやっぱりにぎやかね」
「そういう先輩は、やっぱり静かっすね」
「しょうがないわ。こういう性格なんだもの。あなたも、私の相手なんてしなくてもいい
のに」
「……先輩、今日で卒業っすから」
「とは言っても、またお店で会えると思うんだけど?」
「いいじゃないっすか。さあ、俺らも食べましょう」
「そうね。それじゃあ、普段あまり家で食べない中華にでもしましょうか」
「っす」



「あらあら、八幡平君の意外なところを見てしまいました」
「人には色々な顔があるんだよ、志津子ちゃん♪」
「そういう貴方は、いつも同じように見えますね、千堂君」
「やだなあ、志津子ちゃん。今日は『いおりんっ☆』って呼んでもいいんだよ?」
「はいはい、わかりました、千堂君♪」



「やあ、支倉君! 盛り上がってるかい?」
「前会長、ええ、料理もおいしいですし、楽しんでますよ」
「そうかそうか。それじゃあ、もっと盛り上げてやろうじゃないか!」
「いえ、別に無理しなくても」
「俺が無理なんてしていると思うかい?」
「……これっぽっちも思いませんね」
「ははっ、言うようになったね、支倉君。それじゃあ、また後で♪ おっと、これは俺か
らのプレゼントだ」
 伊織は手に持っていた飲み物を孝平に渡した。



「どうしたの、孝平くん。はい、鉄人特製のソースやきそばだよ。もちろん、紅しょうが
は抜いてもらったから」
「サンキュー、陽菜。いや、伊織先輩がさ、また何かやるらしくて」
「……えりちゃんと、兄妹で何かやるのかも」
「え? ……あ、いつのまにかステージに上がってるな」



「レディースアーンド……ジェントルメーン! みんな楽しんでるかー!! ……うんう
ん、そうかそうか。俺もすごく楽しんでるよ☆」
「いつも以上にテンション高いわね、兄さん」
「それでは、千堂兄妹のショートコント!」
「え、ちょっと待って」
「隣の塀に囲いが出来たんだってね~?」
「塀を囲んで、どうすんのよ!」
 ビシィ!!
「いつもよりツッコミが強烈だぞ瑛里華~~~…………」
 キラッ☆と光って、伊織は星になった。



「あやつは、何をやっておるのだ……」
「楽しそうだからいいんじゃないかしら。ほら、もう戻ってきたみたいよ」
「まったく、吸血鬼というよりはゾンビだな」
「あれがゾンビだとしたら、ゾンビのファンクラブができるんじゃないかしらね」



「さっすがいおりん! よーし、しろちゃん、ひなちゃん、わたしたちも負けてられない
よ!」
 かなでが白と陽菜を連れてステージにあがった。
「え、かなで先輩?」
「こうなったら、あれをやるしかないねっ」
「お姉ちゃん、いったい何を」
「修智館学院に集いし……」
「ふぉーちゅんファイブはやらないからね?」
「えー、ひなちゃんいけずー」
「……しょうがないなあ、もう。今日だけだよ?」
「やっぱりひなちゃん♪ わたしのヨメだー」
「違いますよ、かなでさん。陽菜は俺の嫁です」
「ここ、孝平くん?」
「何度でも言うぞ、陽菜は俺の」
「ちょ、ちょっと孝平くんってば! ……あれ、もしかして、立ったまま寝てる?」
「わー、支倉先輩が先生方用に準備したアルコールを飲んでしまったみたいです~」



「う、ううん……」
「あ、孝平くん、気がついたみたいだよ」
「まったく、こーへーは最後までわたしに心配をかけるんだから。……でも、お姉ちゃん
はあのひとことが聞けたから安心かな」
「え、何のことですか?」
「さあね♪ 後でひなちゃんに聞いてみるといいよ」
「俺、何か言ったのか、陽菜」
「……孝平くんの……ばか」



「それじゃあ、最後にみんなで写真を撮ろうか。俺がタイマーセットをするから、みんな
そこに並んでくれたまえ」
「まったく、最後までしきってくれるわね。ほんとは私がやろうと思ってたのに」
「伊織はいつまでも伊織、ということだな」
「そういう征一郎もいつもと変わらぬな」
「伽耶だって、見た目も中身も変わらないでしょうに」
「紅瀬先輩は、よく笑うようになったと思います」
「確かにな。もうフリーズドライなんて言われないな。先輩も、笑ってみたらどうっすか」
「あら、私は笑う時と場所をわきまえているだけ。あなたの前とか、ね」
「ほらほら、まるちゃんも並んで並んで!」
「こら、悠木さん。あまりひっぱるとおしおきですよ?」
「それじゃあ、陽菜。最後の号令を頼むよ」
「え、私? ……わかりました。それじゃあ、いくよ。月は東に、日は西」



『に~!!!』



 その写真は、誰にとっても最高の思い出になった。なぜなら、写真に写っている全員が、
最高の笑顔だったから。



2000/03/05

瑛里華の突撃大作戦!(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「孝平っ、二月よっ」
「そうだな、瑛里華」
「ほら、元気出しなさい。今月は私が主役なんだから!」
 孝平の背中をぱしんっと叩いて、瑛里華はお馴染みの勝気な笑みを浮かべた。
「それはどういう意味なんだ?」
「言葉通りの意味よ。今月は私が生徒会の中心となって、率先して行動するの。寒いからっ
て縮こまっていたら、せっかくの学院生活がつまらなくなってしまうもの。だから、胸を
張って、背筋をぴんと伸ばして、歩きなさい」
 自分の言葉の通り、瑛里華はきれいな姿勢で歩いている。思わず息を飲んでしまうほど、
それは素晴らしいものだった。
「や、やだ……。あんまり見つめないでよ」
「えっ? あ、いやそーゆーつもりで見てたわけじゃないからっ」
「……それはそれで、ちょっと残念」
「どっちがいいんだよ」
「女の子はフクザツなのよ。状況に応じて対処しないとね。さしあたって、今は」
「今は?」
「手を繋ぎましょう♪」
 瑛里華の手は少し冷たくて、でも、すぐにあたたかくなった。



「おはようっ、孝平!」
「おはよう、瑛里華。今日も元気だな」
「当たり前じゃない、私を誰だと思っているのかしら?」
 瑛里華は得意気に胸を張る。形の良い胸が強調されて、孝平はごくりと唾を飲み込んだ。
「どうしたの、熱でもあるのかしら。顔が赤いけど」
「い、いや、そういうことじゃないんだ。ははは」
「ふうん。ま、孝平の考えてることはわかってるから、何も言わないでおいてあげるわ。
それじゃあ、今日もがんばっていきましょう!」
 元気よく歩き出す瑛里華に遅れないように、孝平も歩き出した。
「うんうん、えりりんは元気だね~」
「それはそうだよ、だって千堂さんだもん」
「こーへーも元気だったよね。……一部分が特に」
「それはそうだよ、だって孝平くんだもん♪」
 ふたりの後ろ姿を眺めながら、悠木姉妹はにこにこと笑いあう。



「ねえ、孝平。今日は節分ね」
「ああ。豆まきでもするか?」
「せっかくだけど、今日はおとなしくしておくわ。鬼は外、福は内って言うでしょ」
 瑛里華はどう見ても元気が無い。
「よくわからないんだけど、どうしてそれでおとなしくしてなきゃならないんだ?」
「あのね、私は吸血鬼なのよ」
「知ってるよ。でも、俺は瑛里華のことが好きだ」
「ば、ばか……いきなり何言うのよ」
「恋人が元気なかったら、心配するのは当然だろう」
「孝平……」
 瑛里華の瞳が潤む。
「……ふぅ」
 二人だけの世界に、冷ややかな視線を送り続ける黒髪の少女がため息をついた。
「……何よ、紅瀬さん。今いいところなんだから邪魔し・な・い・で」
「別に、邪魔をしているつもりはないわ。貴方たちが好きにしているように、私も好きに
させてもらっているだけだから」
 ネネコに福豆を放り投げながら、桐葉は答えた。



「瑛里華、おはよう」
「おはよう。昨日はごめんなさいね、孝平」
「気にするなって。まあ、俺としては普段見られない瑛里華の表情が見られたから、ちょっ
とだけ得した気分だよ」
 おちゃらけたことを言う孝平に、瑛里華は頬を膨らませる。
「もうっ、私は落ち込んでいたのに、孝平はそんなことを考えていたのね」
 すたすたと歩く瑛里華を追いかけながら、孝平は言った。
「だって、俺は瑛里華のことが好きだから、瑛里華のことばかり考えてしまうんだ」
 ぴたりと足を止める瑛里華。
「どうした、瑛里華?」
「もう……馬鹿なんだから」
 孝平の手を掴んで、瑛里華は走り出す。
「私も、孝平のことが好きだから、孝平がいやな気持ちになってないか、とか考えてたの
よ。でも、もうそんなこと考えなくてもいいってわかった」
 勝気な笑みを浮かべて、瑛里華は笑う。
「心配がなくなったところで、今日もがんばるわよっ、孝平!」



「孝平、その書類が終わったら休憩にしましょう」
「ああ、もうすぐ終わるよ。……よし、これでオッケーっと」
 出来上がった書類をクリップでまとめると、孝平は大きく伸びをする。
「今日は白がローレル・リングでいないから、いつもより大変かもね」
「ちょっとだけ、な。白ちゃんもがんばってるんだし、俺たちでフォローすればいい。時
間が出来たら、俺たちが白ちゃんを手伝うってのもいいかもな」
「そうね。たまにお手伝いできれば、白もシスター天池も喜ぶでしょう。さてと、それじゃ
お茶の準備をするわね。今日はコーヒーでいいかしら?」
「うん、ありがとう。……珍しいな、瑛里華は紅茶が好きだと思ってた」
「ええ、好きよ。でもね、年がら年中紅茶を飲んでいるわけじゃないわよ。白は日本茶、
陽菜は紅茶。それじゃあ、私はコーヒーでも極めてみようかな、なんてね」
 そういうと、瑛里華はコーヒーミルを取り出して、自らの手で豆を挽きだした。
「お、随分本格的だな。俺なんてインスタントと缶コーヒーしか飲んだことないかも」
「大げさね、孝平は。まだ見よう見真似の段階なんだから、あんまり褒めちゃだめよ」
 やがて、コーヒーの香りが監督生室に漂ってくる。
「う~ん、こういう匂いって、なんだかいいよな」
「でしょう? 待っててね、もうすぐ出来るから」
 そして、瑛里華の笑顔とともに、瑛里華のコーヒーが出来上がった。
「……ど、どうかな?」
「……うん、うまい。挽きたてってのもあると思うけど、うまいよ、これ」
「よかった。……コーヒーはね、飲む人のことを考えながら豆を挽くの。それが、おいし
いコーヒーの淹れ方なんだって」
 瑛里華は自分のコーヒーを念入りに冷ましてから口に含んだ。
「うん、まあまあかな。今度は、孝平が私のためにコーヒーを淹れてね。大丈夫よ、ちゃ
んとみっちり教えてあげるから」
 香りとともに、幸せな時間が広がっていく。



「ところで、ひとつ質問があるんだけど、いいかしら?」
「ああ、俺に答えられることなら」
 瑛里華は、こほんと咳払いをすると、おずおずと切り出した。
「こ、孝平は、甘いのと苦いの、どっちが好き?」
「は? いったい何の話なんだ?」
「いいから、何も聞かずに答えて」
「そうだなあ、どっちかというと甘いほうかな」
「そ、そうなんだ……。じゃあ、甘いのとちょっと甘いのと、すっごく甘いのだとどうか
しら」
「……ちょっと甘いの、だな」
「……なるほどね。わかったわ、ありがとう」
 瑛里華はすっきりした感じで、にこやかに微笑んだ。
「一週間後を楽しみにしてて。それじゃっ、仕事の続きをがんばりましょう♪」



「あ、孝平。ちょうどよかった。悠木さん、まだいるかしら」
「陽菜か? えっと、あ、あそこにいるな。おーい、陽菜!」
 手を振る孝平のところへ、ぱたぱたと陽菜がやってくる。
「どうしたの、孝平くん。あ、千堂さん」
「こんにちは。あのね、今日のお昼は予定が埋まってる?」
「? お姉ちゃんと食べるつもりだったんだけど」
「悠木先輩ならちょうどいいわ。私も一緒に行ってもいいかな」
「え? う、うん。いいけど、突然どうしたの?」
「ちょっと……ね」
 と、瑛里華は孝平のほうをちらりと見た。
「えっと、もしかして俺は邪魔だったりするのか?」
「出来れば今は外してもらえると助かるわ」
「わかった。それじゃ、俺は司とメシを食うことにするよ。陽菜、瑛里華をよろしくな」
 手を振って歩いていく孝平を見送って、瑛里華は通り過ぎようとする黒髪の少女にも声
をかけた。
「紅瀬さん。あなたにもお願いするわ。協力して」



「……どうして私が」
 予想通り、桐葉は煩わしそうに言う。
「いいじゃない、たまには協力してくれても。あ、もしかして私に嫉妬してるから協力し
たくないとか」
「そんなわけないでしょう。それにどうして私が貴女に嫉妬しないといけないのよ」
「……孝平を私に取られたから?」
「取られた覚えなんてないし、そもそも支倉君は私のものではないわ」
「それじゃあ、いいでしょ。お願い、お礼はちゃんとするから」
 頭を下げてお願いする瑛里華に、桐葉も戸惑いを隠せない。
「紅瀬さん。千堂さんに協力してあげようよ。ここまで一生懸命なんだもん」
「……ふぅ、しかたないわね。今回だけよ」
 陽菜の言葉に、溜息混じりに同意する桐葉だった。



「みんな、今日は来てくれてありがとう」
 瑛里華は、監督生室に集まったみんなに挨拶をする。
「私は、来たくて来たわけじゃないけどね」
「それでも来てくれたんでしょう。なら、お礼は言わせてもらうわ」
「……物好きな人ね」
 桐葉は小さく溜息をつく。
「それで、えりりん。今日はいったいどうしたの?」
「もうすぐ、女の子にとって特別な日なんだけど、みんな準備は進んでる?」
「私は、買い物は済ませたけど。何を作るかはこれからかな」
「さっすが、ひなちゃん♪ わたしはこれから準備しないと」
「そう思って、お姉ちゃんの分も買っておいたからね」
「やっぱりひなちゃんはわたしのヨメだね♪」
「わ、わたしはいろいろと考えているのですが、まだどうするかは決まっていません」
「オッケー。ひとりで準備するのもいいと思うんだけど、みんなで協力すればもっともっ
といいものが出来上がると思うの。だから、みんなの力を貸してほしいの。お願いします」
 頭を下げる瑛里華に、みんながあたたかい眼差しを向ける。
「ここに集まったってことで、その答えにはなってると思うよ、千堂さん」
「そうだよ、えりりん。みんなで力を合わせて、こーへーに喜んでもらおう!」
「わ、わたしでよろしければ。よろしくお願いします、瑛里華先輩」
「……今回だけ、と約束したから」
「ありがとう、みんな。それじゃ、早速取り掛かりましょう♪」



「やあ、支倉君。久しぶりだねぇ~」
「あ、伊織先輩。こんにちは、お久しぶりです」
 授業が終わり、監督生棟に向かって歩いていると、噴水前で伊織が立っていた。
「どうだい、生徒会の仕事は順調かな?」
「そうですね、今のところは。瑛里華を中心に、俺と白ちゃんでちゃんとサポートできて
いると思います」
「そうかそうか。特に、支倉君は瑛里華のプライベートもサポートしてくれているみたい
だから、頼もしいねえ」
 楽しげに笑う伊織。
「そこのところ、もう少し詳しく教えてくれないかい。ああ、食堂棟まで行こうか、大丈
夫、今日は俺のオゴリだから♪」
「え、でも俺、生徒会の仕事が」
「大丈夫大丈夫、瑛里華には話しておいたからさ。何なら、電話して確認しても構わない
よ?」
 こうまで言うからには、本当に瑛里華に話しているのだろう。まあ、最近はイベントも
ないし、暇だからたまには骨休めしろってことかな。
「わかりました。それじゃ、お言葉に甘えてごちそうになります」
「そうこなくっちゃ! ようし、今日は無礼講だ。たくさん飲んでくれたまえ♪」
「あの、俺たち学生ですよね……」
 伊織に肩を抱かれて、孝平は食堂棟へ向かうのだった。



「あの、瑛里華先輩」
「どうしたの、白。何かわからないところでもある?」
「いえ、そうではないのですが、ここで作業をしているところを支倉先輩に見られてしま
うと、まずくないでしょうか」
 白は入り口のほうを気にしながら、瑛里華に声をかけた。
「大丈夫よ。兄さんに支倉くんを足止めするように頼んでおいたから♪」
 瑛里華は材料をそろえながら、得意気に語る。
「さすが千堂さん。計画に漏れがないね」
「ということは、今頃こーへーはいおりんと?」
「……肩を抱かれながら、食堂のほうに向かっているようね」
「がーん! いおりんに先を越されちゃった……」
「ちょっと紅瀬さん、見てきたようなこと言って不安がらせないでよ」
「見えたのよ。ちょうどこの窓から、ついさっき二人が歩いていくのが」
 桐葉が指し示す窓からは、米粒のような人影しか見えなかった。



「さあてと、みんないつまでも窓の外を見てないで、作業に戻りましょう」
「で、でも瑛里華先輩……」
 白は不安でいっぱいの表情を瑛里華に向ける。
「大丈夫よ、白。わたしたちはわたしたちにできることをするの」
「ずいぶん、余裕ね?」
 桐葉がわずかに驚きを含んだ眼差しを瑛里華に向ける。
「そう見えるなら、私の演技もたいしたものね。演劇部にスカウトされるかしら」
「えりりんは、不安じゃないの?」
 かなでは小首を傾げて、瑛里華を見る。
「ゼロではないけど。でも、私は孝平を信じているから」
「……千堂さん、すごいね」
 陽菜が尊敬の眼差しを瑛里華に注ぐ。
「それに、一応、兄さんも信じているしね」
 ウィンクをしてみせた瑛里華を見て、みんなは安心して作業に戻った。



『今日はごめんなさい。兄さんの相手は大変だったかしら? そのお詫びというわけでは
ないけど、明日はとっても楽しいイベントになるから、楽しみにしててね!』
『こっちこそ、仕事をサボることになったから、おあいこだな。多分、後で伊織先輩にい
ろいろからかわれることになると思うけど、少しぐらい手加減してあげてくれ。悪いのは、
俺だからさ』
『き、気になるんだけど、ものすごく。……今からそっちに行ってもいい?』
『おいおい、もうすぐ消灯だぞ。気持ちはわかるけど、今日はやめておいたほうがいいと
思うぞ』
『わかってるわよ。ちょっと言ってみただけ。……でも、孝平が来ていいって言ったら、
行ってたかも』
『それこそ、伊織先輩にネタを提供するようなものだけど、来たら来たで俺も自分を抑え
られないかもしれないな』
『孝平、エッチね』
『……否定できないけど、瑛里華だって、こないだはあんなに乱れてただろ』
『……やめましょう、この類の話は、きっと堂々巡りになるに違いないもの』
『そうだな、それじゃあ、明日に備えてそろそろ寝るか』
『ええ。おやすみなさい、孝平』
『おやすみ、瑛里華』
 最後のメールを打ち終えると、孝平は送信ボタンを押してから、携帯電話を充電器に戻
した。
「明日が楽しみだな」
 輝く星空を見ながら呟くと、孝平はベッドにもぐりこんだ。



 終わりのホームルームが始まったときに、突然放送が入った。
『ぴーんぽーんぱーんぽーん。みんな久しぶり。元会長の千堂伊織です。ちょっとだけ俺
に時間を貸してくれ。なあに、時間は取らせない。今日が何の日かは、みんな知っている
よね。……そう、バレンタインデーだ。どうやら今年は、生徒会のメンツが中心になって、
何かやってくれるらしいよ。時間のある人は、噴水前に集合だ。それじゃ♪』
 それぞれの教室から、キャーという黄色い歓声が聞こえる。あの人は、いったい何をす
るんだ?
『あー、言い忘れたけど、これは瑛里華に頼まれた放送なんだよ。そこのところをわかっ
てくれると、未来のお兄ちゃんはうれしいよ、支倉君♪』
 わざとらしく付け足された放送に、それぞれの教室から笑い声が起こった。
「あの人、ほんとなんでもアリだな」
「んで、未来の弟はどうすんだ、孝平」
「どうするって、行くしかないだろ、司」
「ま、がんばれ」
 孝平はかばんを持つと、ダッシュで駆け出した。



 噴水前に着くと、放送を聞いたであろう生徒たちがたくさん集まっていた。
 泉の前には簡単なステージが作られている。
「いったい、何が起こるんだ?」
 と孝平が呟いたとき、どこからともなくマイクの音声が聞こえてきた。



かなで「修智館学院に集いし、我ら5人の美少女っ」
桐葉「……清く、正しく、麗しく」
陽菜「た、珠津島と学院の平和を守りっ」
瑛里華「愛と勇気と希望と幸せにあふれた学院生活をとことん盛り上げる!」
白「ふぉ、ふぉ、『ふぉーちゅんファイブ』っ。ここに参上です~」



 ちゅど~ん
 という音と五色の煙とともに現れたのは、お茶会の面々だった。
 いや、一応生徒会のメンツというべきなのだろうか。
「みんな、今日は来てくれてありがとう♪ せっかくのバレンタインなので、今日は私た
ちでチョコレートを用意したの。男の子も女の子も関係なく、みんなにプレゼントするわ♪」
 なぜか美化委員会の制服に身を包んだ瑛里華が、満面の笑みで宣言した。
 そして、周りにいる4人も、同じく美化委員会の制服だった。
「うんうん、俺が自腹を切った甲斐があったというものだ」
「伊織先輩? いつの間に」
「最初っからさ。さて、それじゃ俺たちもチョコを配るのを手伝おう!」
「……めちゃくちゃ楽しそうですね、伊織先輩」
「もちろんさ。支倉君はどうだい?」
 孝平は壇上の瑛里華を見て、こう言った。
「楽しいですよ、とっても」
 そう、無条件でそう思えるほど、瑛里華は輝いていた。



「今日はごめんなさいね、孝平」
 いつものお茶会の席で、瑛里華はそう切り出した。
 といっても、今日は孝平と瑛里華のふたりだけなのだが。
「いや、俺も楽しかったから。それにしても、いつの間にあれだけの仕掛けを作っていた
んだ?」
「一週間前ぐらいかな、孝平にチョコの味について質問したことがあったでしょう。あの
時は、ただ普通にバレンタインのチョコを作るつもりだったの。でもね、みんなに協力し
てもらってチョコを作っているときに、ふと思ったの。せっかくだから、みんなで楽しめ
るイベントにしたいなって」
「そういうことか。学院のみんなもすっごく楽しんでたみたいだし、イベントとしては大
成功じゃないか?」
「ええ。征一郎さんがシスターに話を通しておいてくれたし、兄さんも衣装とか提供して
くれたし、助かったわ。孝平がいれば、わざわざ兄さんたちにお願いする必要はなかった
んだけど、今回、孝平にはぜひ一般生徒と同じ立場で参加してほしかったから」
「どうして?」
「だって、孝平の驚く顔が見たかったから♪」
 瑛里華はパチリとウインクすると、紅茶を口に運んだ。
「それは驚くさ。だって、突然出てきたと思ったら、『ふぉーちゅんファイブ』だろ。あ
れはやっぱりかなでさんのネタか?」
「よくわかったわね~。そう、五人揃ったんなら、これやらなくちゃって、もう止められ
なかったわ。紅瀬さんは最後まで渋っていたけど、やってくれたんだから彼女には感謝し
ないとね」
「俺からもお礼を言っておくよ。制服似合ってたって」
「あら、私の制服姿はどうだったのかしら」
「言わなくちゃだめか」
「だめってことはないけど、聞きたいわね」
「……似合ってた、すごく可愛かった、思わず抱きしめたくなった」
「……、……あ、ありがと」
 お互い顔を真っ赤にしたまま、時間がゆっくり過ぎていく。



「あ、あのね、孝平。さ、寒くないかしら」
「そ、そうだな。……二月だからな」
「……もう少し、そっちに行っても、いい?」
「あ、ああ」
 差し向かいに座っていた瑛里華が、座布団と自分のマグカップを持って、孝平の隣にやっ
てきた。
「どうだ、少しはあったかくなったか?」
「……まだ寒い、かしら。ほら、私の手って、冷たい、から」
 孝平は瑛里華の手を取ると、やさしく包み込む。
「本当だ。でも、これで少しはマシになっただろ?」
「ま、まだ冷たいもの。だから、もっと……してほしいわ」
 瑛里華は孝平の膝の間に入ると、ゆっくりともたれかかる。
「……瑛里華って、手は冷たいけど、身体はあったかいな」
「そ、そう? だったら、孝平ももっと……くっついてもいいわよ」
 孝平はゆっくりと瑛里華の腰に手を回す。
「……あったかいな」
「……うん」
「それに、いい匂い」
「だめよ、まだお風呂に入ってないもの」
「俺は、気にしないけど」
「だあめ。それに、まだ私のチョコレート、食べさせてあげてないもの」
 瑛里華はきれいにラッピングされたリボンをほどくと、中からチョコを一粒手に取った。
「はい、あ~んして」



「あ~ん」
「……ふむふむ、虫歯はないみたいね」
「っておい、誰かが見てたらめちゃくちゃ恥ずかしいぞ、今の俺」
「大丈夫よ。今の孝平は、私だけが見てるんだから」
 にこにこ笑顔の瑛里華だが、孝平はきょろきょろとあたりを見回す。
「どうしたの?」
「いや、どこかからかなでさんが見てるんじゃないかと思って」
「わ、私は見られても……平気なんだけど」
「そんなこと言ってて平気なのか? これからもっとすごくなるのに」
「へ、平気よ。それに、悠木先輩が見ているのなら、こっそり見続けるなんてできないと
思うの。だから、大丈夫なの」
「わかったよ。それじゃあ、そろそろ続きをしようか?」
「……もう、えっちね」
「いや、チョコを食べさせることの何がえっちなんだ」
「そんなこと……恥ずかしくて口に出せないわ……♪」
「おーい、瑛里華ー」
「冗談よ。はい、あ~ん♪」



「……うん、おいひい」
「そう、なんだ……っ」
「ほーはひはは?」
「できれば、私の指まで食べないでほしいんだけど……くっ」
「……いやあ、ごめんごめん」
「確信犯でしょ」
 孝平はあさっての方向に目をそらす。
「まったくもう……、ほんとに悠木先輩には見せられない光景よね」
「少しぐらいいいじゃないか。いつもはもっと……」
「だ・め・よ。……まだ、夜は長いもの」
 瑛里華は孝平の手を離すと、身を正して座った。
「……何をする気だ?」
「何をしてあげたいか、わかるでしょう」
 瑛里華は、ぽんぽんと膝を叩く。



「なんだか、どきどきするな……」
「大丈夫よ、他の人に見られてるわけじゃないんだから。それとも、こういうのはイヤ?」
「そんなことないって。それじゃあ、お言葉に甘えて」
 孝平はゆっくり身体を横たえると、そーっと瑛里華の膝の上に頭を乗せた。
「これでいいか」
「もうちょっとこっち……そう、そこで」
 少し頭の位置を調整して、ようやく収まった。
「……膝枕って、子どもの頃以来かな。すごく懐かしい気がする」
「そうなんだ……いいわね、そういう思い出があるって」
「瑛里華?」
「私は、膝枕の思い出ってないから」
「……」
「あ、ごめんなさい。別にしょんぼりなんてしてないわよ。思い出がないだけで、今なら、
きっとお願いしたら母様はしてくれると思うから」
「……そう、だな」
 恥ずかしがって、してくれないんじゃないかと思ったが、それは言わないでおこう。
「どう、孝平。気持ちいい?」
「ああ。適度にやわらかくて、気持ちいいな。頭を撫でられるのも……悪くない」
「そう、よかった♪」
 瑛里華はとても嬉しそうに微笑む。
「それに、瑛里華のいい匂いがするから」
「……も、もうっ、そういうことは心の中だけで閉まっておいてね。……恥ずかしいじゃ
ないの」
 恥ずかしがりなのは、親子揃ってだなと思ったが、黙っておく。
「さてと、それじゃ次のステップに進みましょうか♪」
 瑛里華は、小さな道具を取り出した。



「これが何かわかる?」
「……耳かきの棒、だよな」
「そうよ。ちゃんと先っぽに梵天もついてるスグレモノなの。母様がくれたのよ♪」
 瑛里華は嬉しそうにくるくると耳かき棒を回す。
「それじゃはじめるわね。動いちゃだめよ。孝平の耳が大変なことになっちゃうから」
「おいおい、丁寧にやってくれよ……」
 えらく楽しそうな瑛里華の口調に不安を隠せない孝平だったが、瑛里華の作業は丁寧そ
のものだった。
「他の人にやってもらうと、自分でやるよりもきれいになるからいいよな。自分でやると、
どうしても手探りになるからさ」
「そうよね。……あっ、おっきい。……すごいわ、孝平」
 瑛里華は慎重に耳の中に棒を入れていく。
「あっ、そっちじゃないってば……ううん、見にくいわね。孝平、もう少しこっちに……
そうそう、そのまま動いちゃだめだからね」
 瑛里華の胸が顔の目の前にある、と言ったら大変なことになりそうなので、孝平は目の
前の果実を眺めながら、時が過ぎるのを待つしかなかった。
「よし、取れたわ」
「ほんとか? って、こりゃでかいな」
「そうでしょう? もう、こまめに掃除してないからよ」
 瑛里華は梵天を入れると、やさしく動かした。
「ぅくっ……、くすぐったいな、それ」
「……もしかして孝平って、くすぐったがりなの?」
「そうでもないんだけど、その梵天はちょっとニガテかも」
「そう。……それじゃあ、これならどうかしら」
 瑛里華は孝平の耳にそっと息を吹きかける。
「ぅあ……」
「孝平、気持ち良さそう……」
「ちょ、ちょっと待って」
「それじゃあ、今度はこれなら……」
 瑛里華は口を開くと、舌先をゆっくりと差し入れた。



「ぺろっ……ん、っん……」
「くぁっ……っ!」
 瑛里華がゆっくりと舌先を動かすと、孝平は思わず声を上げてしまう。
「気持ちいいのでしょう? わかってるわ、孝平のことならなんでも、ね」
 頬を上気させ、次第に息を荒くしながら、瑛里華は行為を続ける。
「ちょっ……ダメ、だ……これ以上はっ……」
「動いちゃだめって言ったでしょう。今は私の番だもの」
 瑛里華は孝平の口を、自らのそれで塞ぐ。と、同時に今度は口内に舌を差し入れて、孝
平の動きを封じる。
 あたたかくやわらかな舌を感じながら、孝平の意識は靄がかかったように鈍くなってい
くが、下半身は熱を帯びていく。
「え……り……か」
「まだ、こっちが残ってるから、もう少し待っててね?」
 瑛里華はそういうと、反対側の耳にも同じように舌を差し入れた。



 瑛里華の動きに反応してくれる孝平が、瑛里華にはたまらなく嬉しかった。
「は~い、これでおしまい。……どうだった? って、聞かなくても孝平の反応がすごかっ
たから、答えなくてもいいけど」
「……ぁ……れ……?」
 口を開こうとした孝平だったが、うまく言葉が出てこない。
「うん? どうしたの、孝平。何か様子がおかしいけど」
「……か、らだ……しび……れて……」
「えー??」



 ……。…………。



 数分後、やっと動けるようになった孝平が言うには。
「か、感じすぎちゃって、身体がしびれちゃったの?」
「……どうやら、そうとしか思えないんだよな。今は、だいぶよくなってきた気がするし」
 孝平は腕を回してみる。少々ぎこちなさはあるが、ちゃんと動いている。
「……孝平は、耳が性感帯ってこと?」
「俺に聞かれても困るけど……、くすぐったいのと気持ちいいのが同時にやってくるとい
うか。そもそも気持ちいいのかどうかもよくわからないな」
「……Mの人が、叩かれた痛みを気持ちよく感じるのと同じなのかしら」
「それは、俺が普通じゃないと言いたいのか?」
「まあ、ある意味普通じゃあないわよね」
 紅いかけらが体内にあるわけだし。
「もしかして、相手が瑛里華だからなのかも、な。ほら、瑛里華も俺の血に反応してただ
ろ」
「うーん、結局のところ、全部推測でしかないわけよね。確かめる術もないし。ごめんな
さい、今度から気をつけるわ。ちょっとやりすぎたんだと思う」
 瑛里華は素直に頭を下げる。
「そうしてもらえると助かるかな。あ、このことはふたりだけの秘密にしておいてくれよ。
他の人に知られても困るから。特に、かなでさんに聞かれでもしたら……」
「したら?」
「きっと、毎日、俺の耳で遊ぶと思う」



「毎日じゃないよ。今からだよ~♪」
「かなでさん?」
「悠木先輩?」
 突然聞こえた声に孝平と瑛里華の二人が揃って振り向くと、そこにはかなでが小さい胸
を張って仁王立ちしていた。
「わたしを呼べば、どこからでも現れるんだよ、こーへー」
「いえ、呼んでませんが」
「何を言ってるのかな、こーへー。さっき、わたしの名前を『呼んだ』でしょ」
 かなではそう言うと、孝平の背後に回った。
「うりうり~、ここか~、ここがええのんか~?」
 かなでは孝平の耳の穴に小指を入れてぐりぐりと動かす。
「ぬわっ、ちょっ、やめてくださいよ~」
「そうですよ、悠木先輩! 孝平がいやがってる……って、えええっ?」
 孝平は先ほどと同じように、だらりと弛緩している。
「ふっふっふ。こーへーのことなら、お姉ちゃんにおまかせ♪」
「……くっ、また……これ……かよ……」
「どうやら、えりりんに開発されちゃったみたいだね。お姉ちゃん、ちょっとフクザツか
な」
「私のほうが複雑な気持ちですよ。ああ、もう、どうしたらいいのよ……」
「こうするといいよ、千堂さん」
「え、ひなちゃ」
 えいっ、と陽菜はかなでの首筋に一撃を加えた。
「きゅう~」
「ごめんね、ふたりとも。それじゃあ、お騒がせしました。千堂さん、孝平くんのことよ
ろしくね?」
「……ええ、ありがとう。悠木さん、助かったわ……本当に」
 陽菜はかなでを抱えると、孝平の部屋を出て行った。
「……大丈夫、孝平?」
「……ああ。一瞬だったから、しびれる時間も、短くてすんだみたい、だ」
「よかった。本当にごめんなさい。明日から、孝平のことは私が守ってあげるからね」
 瑛里華は力強く宣言すると、ふと首を傾げた。
「あら、ところで、悠木姉妹はどこから出てきたのかしら?」



「あ、おはよう、孝平」
 だるい身体に軽く鞭を打ってドアを開けたら、そこには瑛里華が立っていた。
「おはよう、瑛里華。どうしたんだ、こんなに早くに」
「今日は、孝平と一緒に登校しようと思って……いいかしら?」
「もちろん」
 二人は並んで階段を下りていく。
「昨日言ったでしょ。孝平は私が守ってあげるって。だから、登下校から
一緒にしようと思ったの」
「心配のしすぎだと思うけどな。かなでさんは陽菜が何とかしてくれるだろうし」
「それはそれでいいのよ。悠木さんには私からもメールでお願いしておいたしね。でも、
私自身も何かしなきゃって思って」
 女の子に守られるなんて……と思っていた孝平だが、ここまで心配してくれるのはそれ
だけ自分のことを考えてくれているんだと思うと、自然と笑みがこぼれた。
「ありがとうな、なんだか元気出てきた。さっきまでは、まだ少し身体にだるさがあった
んだけど。これも瑛里華たちのおかげかな」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。それじゃ、元気良く今日も一日がんばりましょう♪」



「孝平、お昼の時間よ!」
「おう、って来るの早いな」
「ご、ごめんなさい。……迷惑だった?」
「いや、そんなことないよ。ありがとな、瑛里華」
「貴女……いつの間に押しかけ妻になったの?」
 二人を冷ややかな視線で見つめながら、桐葉が瑛里華に話しかけた。
「誰が押しかけ妻なのよ! ……まあ、そう呼ばれて悪い気はしないけど」
「満更でもなさそうだね、千堂さん」
「まあね♪ あ、悠木さん、今日はいろいろありがとうね」
「ううん、いいって。お姉ちゃんのことなら、私に任せておいて」
「お礼に、今日のお昼は私がおごるわ。孝平、いいわよね?」
「ああ、それじゃあ食堂に行こうか。紅瀬さんもよかったら一緒に行かないか」
「……貴方が、奢ってくれるの?」
「なんでそうなる」
「女を誘うということは、そういうことでしょう」
「いいわ、今日は私が奢ってあげる」
「……千堂さんが?」
「妻としては、器の大きいところを見せておかないとね」
 バチバチと、ふたりの間に見えない火花が飛んでいた。



「あ、支倉先輩。こんにちは。皆さんもおそろいで」
 孝平たちの姿に気づいた白が、ぺこりと頭を下げる。
「ああ、白ちゃん。白ちゃんはもうお昼済ませた……よね」
「はい。先ほど食べ終わったところです。先輩方は、ちょっと今日はゆっくりですが、何
かあったんでしょうか」
「うん……まあ、ね」
 ここに来るまでの間に、瑛里華と桐葉の間でひと悶着あったのだが、ややこしくなるの
で、孝平は苦笑を浮かべてごまかすことにした。
「それじゃ、俺たちはごはんを食べてくるよ。また放課後に」
「はい。それでは失礼します」
「さて、俺たちもメシにしよう。先に場所を取らないとな……」
 孝平があたりを見渡すと、馴染みのある声が聞こえてきた。
「おーい、こーへー。ここだよ~」
 そんな呼び方をするのは、この修智館学院にはひとりしかいない。
「かなでさん。……やっぱりお鍋ですか」
「そうだよ。寒い冬も、あったかい春も、あっつい夏も、心地よい秋も、おなべはいつで
もおいしいんだもん♪」
「そう言われると、すごく美味しそうに見えてきますね」
「みんなの分もあるから、みんなで食べようよ♪」
「そうしようかな、瑛里華、いいか?」
「え、ええ。孝平がよければ、私は」
「どうした、熱い鍋が苦手なら、俺がふーふーしてやるぞ?」
「だっ、大丈夫よ。自分でふーふーできるから!」
「ふーふーと言うよりは、夫婦喧嘩を見てるみたいだね、紅瀬さん」
「そのようね。ふふっ、まったく、からかうネタには事欠かないわね、このふたりには」



「ねえ、千堂さん。……お姉ちゃんが近くにいるけど、いいの?」
 みんなでかなでの鍋をつつきながらの昼食。陽菜は隣の瑛里華に心配事を思いきって聞
いた。
「大丈夫、だと思うわ。悠木先輩も、こんなに大勢の生徒たちがいる中では、無茶なこと
はしないでしょう。元とはいえ、風紀委員長だった人だもの。それに、ふ~、こんなに美
味しいお鍋を前にして、他の事に気を取られていたら、はふはふ、お鍋に申し訳ないでしょ♪」
「……そうだね、うん。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
 笑顔の瑛里華につられて、陽菜も笑顔になる。
「あ、孝平くん。このお肉、もう食べごろだよ、取って上げるね」
「お、ありがとな、陽菜。それじゃお返しにこのしらたきをどうぞ」
「ありがとう。あ、えりちゃん、このちくわとっても美味しいから、どうぞ」
「サンキュー、陽菜。じゃあ、紅瀬さんにはこのはんぺんを上げるわ♪」
「そこへ、この鉄人特製の一味をどさっと!」
「おおお、お姉ちゃん何やってるの?」
「何って、きりきりのためのトッピング」
「……あら、なかなか美味しいわね」
「ほおら♪」
「……どう考えても、紅瀬さんオンリーよね、あれ」
「そうだな。俺たちは俺たちで食べよう。ほら、瑛里華」
「ありがと、孝平♪」
 美味しいお鍋が、みんなの笑顔を作り出してくれた昼食だった。



「悠木先輩のおなべ、すごくおいしかったわ。この喜びは、みんなにも共有してもらいた
いと思わない?」
 放課後の生徒会で、瑛里華は興奮冷めやらぬ様子で熱く語りだした。
「今日はかなで先輩のお鍋だったんですか。わたしもご一緒したかったです」
「突然だったからね。今度また機会があったら、白ちゃんにも連絡するよ」
「ありがとうございます、支倉先輩」
「こら、そこのふたり。ちゃんと聞いてるの?」
「聞いてるって。で、具体的にはどうするんだ」
「生徒会で、鍋パーティーを主催する、というのはどうかしら」
「鍋パーティー、ですか……。となると、予算の確保と先生方の許可、材料の調達と会場
の設営など、やることはたくさんありますね」
 白がてきぱきとホワイトボードに項目を書き上げていく。
「別に反対するわけじゃないんだけどさ、それってどっちかというと白鳳寮のイベントっ
て気がするんだけど」
「確かに、今までもバーベキュー大会やオークションなどの実績があるわね。……でも、
生徒会が主催したっていいんじゃないかしら?」
 瑛里華はいつもの勝気な笑みを浮かべる。
「ううん、別に生徒会主催じゃなくてもいいの。寮主催でもかまわないの。みんなが喜ん
でくれる学院生活。それが私の目標なんだもの」
「瑛里華先輩……かっこいいです」
「ああ、やっぱり瑛里華はすごいな」
 白と孝平が褒めると、瑛里華は真っ赤な顔になった。
「ほ、褒めてもボーナスなんて出ないわよ。それじゃあ、この件は寮と共同で進めてみま
しょうか。今夜、寮長の陽菜に話をしてみるわ」
「そうだな。スタッフは多いほうがいいし、そのほうがみんな参加してくれるような気が
するよ」
「ありがとう。それじゃ、このイベントも思いっきり盛り上げるわよ、孝平、白!」
「おう」
「はい♪」
「みんなで力を合わせてがんばりましょう。えい、えい、おー♪」



2000/03/04

白ちゃんのしあわせ(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「あけましておめでとうございます、支倉先輩♪」
「あけましておめでとう、白ちゃん。それって、あの時の舞の衣装だよね」
 白は、いつもの見慣れた修智館学院の制服でも、ローレル・リングの制服でもなかった。
「はい。伊織先輩が、お正月だから巫女さんがいるといいよね、とおっしゃられまして」
「それで、その巫女服を着てきたんだ?」
「あの……変じゃないでしょうか」
「すごく似合ってるよ。白ちゃんのイメージにぴったりだと思うよ」
「あ、ありがとうございます。……よかったです、支倉先輩に喜んでいただけて」
 白の笑顔は、新年の朝日のように晴れやかだった。



「さてと、そろそろ休憩にしましょうか。白、お茶の準備をしましょう」
「はい、瑛里華先輩。今日のお茶菓子は、瑛里華先輩のお気に入りの左門堂のショートケ
ーキですよ」
「うん、知ってるわ♪ さっき冷蔵庫の中を見た時に気づいたから」
 瑛里華は幸せそうに微笑んでいる。
「副会長って、甘いものが好きだよな」
「ええ。……子どもっぽいって思ってるの?」
「いやいや、そういうつもりじゃないよ。女の子らしいなって思っただけさ。白ちゃんは、
和菓子が好きなんだよね」
「はい。……あの、子どもっぽいでしょうか」
「そんなことないって。白ちゃんのお気に入りの和菓子は、俺も美味しいと思うしね」
「ありがとうございます♪」
「そういえば、支倉くんは焼きそばが好きなのよね、紅しょうが抜きの」
「うん。……子どもっぽいかな?」
 そんなことありませんよ、と白が言うと、孝平はほっとした表情を浮かべた。



「あけましておめでとー、えりりんにしろちゃん、そしてこーへーも」
「あけましておめでとうございます、悠木先輩」
「いらっしゃいませ、かなで先輩。あ、陽菜先輩もこんにちは」
「うん。こんにちは、白ちゃん。えりちゃんも」
「ところで、その格好はどうしたんだ。新年早々大掃除でもするのか、陽菜」
 かなでは普通に制服姿だが、陽菜は美化委員会の制服を着ている。
「ううん。そうじゃないんだけど、お姉ちゃんがお正月だから着てみてって言うから。…
…ちょっと恥ずかしいけどね」
「やっぱりひなちゃんにはこれが似合うよね~。でも、しろちゃんの巫女さんも可愛くて
いいよね♪」
「ありがとうございます。支倉先輩にも喜んでいただけましたし、勇気を出して着てみて
よかったです」
「こーへーは、しろちゃんなら何を着ても喜ぶんじゃないかなあ」
「それはまあ、そうですけど……って、何を言わせるんですか」
「あはは。ところで、今日のお仕事はもう終わったの?」
「今、ちょうど休憩していたところよ。でも、お正月なんだし、緊急の仕事があるわけで
はないから、時間は作れるけど」
「それなら、みんなで羽根突きしないかな?」
「お正月って言ったら、やっぱり羽根突きでしょ。こーへーで書初めしちゃおうよ」
「なぜかかなでさんの中ではごっちゃになってるようですが、そう簡単には負けませんよ」
「わたし、羽根突きはあまりやったことはありませんが、おもしろそうです」
 白もやる気を見せたので、みんなで羽根突きをすることになった。



「それじゃあ、トップバッターはえりりんとこーへーね」
「いいわよ。ふふん、支倉くんを真っ黒にしてあげるんだから」
「それは勘弁してもらいたいな。白ちゃん、応援よろしくね」
「は、はい。フレー、フレー、支倉先輩!」
 一生懸命に手を振り上げて、応援する白だった。
「……とほほ、いいところまで行ったのになあ」
「まあ、ざっとこんなもんね。それじゃあ、大きな丸を描かせてもらうわ」
「うふふ、支倉先輩、変な感じです」
「ほんとだ。これは写真に残しておかないといけないね」
「ちょっと待て、陽菜。それは俺が副会長に勝ってからでもいいだろ」
「うーん、無理だと思うよ?」
「大丈夫、助っ人をお願いするから。白ちゃん、いいかな?」
「えっ、わたしが瑛里華先輩と試合するのですか?」
「私は構わないわよ。なんなら、ふたり一緒でもいいわよ♪」
「は、はい。よろしくお願いします……」
 そして、白のほっぺにも孝平と同じ丸が描かれ、陽菜がにこにことその光景を写真に収
めた。



「ふえぇ、すみません、支倉先輩。負けてしまいました……」
「大丈夫、白ちゃんはよくがんばったよ。だから、泣かないで」
 孝平は、そっと白の目からこぼれる涙をふき取った。
「ごめんね、白。でも勝負は勝負だから」
「でも、これで全員えりちゃんに負けちゃったんだよねえ」
「誰か、誰かおらぬかえー!」
「あの、かなでさん。誰に呼びかけてるんですか」
「残ってるのは、あとひとりだよ、孝平くん」
「えりりんに勝ったら、こーへーが何でも願いを叶えてくれるってさー」
「ちょっと、かなでさん?」
「……騒がしいわね、まったく」
「あ、紅瀬先輩」
「あけましておめでとう、東儀さん」
「はい、あけましておめでとうございます、紅瀬先輩」
「あら、紅瀬さんじゃない。新年早々、私に負けに来たのかしら?」
「あら、新年早々おもしろい冗談ね。私は、支倉君に願いを叶えてもらいに来ただけよ」
 白が持っていた羽子板を受け取ると、桐葉は不敵な笑みを浮かべた。



「それじゃあ、行くわよ。……えいっ!」
「……ふっ」
「なんのっ」
「……ふっ」
「ダイナミックな動きのえりちゃんとは対照的に、紅瀬さんは動きを最小限に抑えてるね」
「陽菜先輩、すごいです。わたしには、おふたりの動きは目にも止まらないですので、何
が起こっているのかわからないです」
「あはは、私も羽根がどうなってるかまではわからないんだよ。ただ、影がうっすらと見
えるから、なんとなくわかる程度なの」
 いつもの笑顔を浮かべながら、陽菜が言う。
「いや、それがわかるだけでも俺はすごいと思うけどなあ」
「さっすがひなちゃん、わたしのヨメ♪」
「な、なんだかだんだんやる気がなくなってきたわね……」
「……隙あり」
「ああっ?」
「ぴぴーっ。きりきりの勝ち♪」
「ううっ、油断したわ……」
 がっくりと膝をつき、うな垂れる瑛里華だった。



「お疲れ様でした、瑛里華先輩。こちらを召し上がってください♪」
「ありがと、白。……お粥?」
「七種粥(ななくさがゆ)です。少し熱くしてありますので、注意してくださいね」
「だいじょーぶ、えりりん。ふーふーしてあげようか?」
 かなでが瑛里華にふーふーしようと近づく。
「大丈夫です! ふー、ふー、……あら美味しいわね」
「ありがとうございます。みなさんもどうぞ」
「支倉君は、七種が全部言えるかしら?」
「それぐらいは知ってるさ。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、
スズシロ、だろ」
「芹、薺、御形、繁縷、仏の座、菘、蘿蔔、ね」
「わ、さすが紅瀬さんだね。漢字で読むとさっぱりわからないよ」
「ひなちゃんに同じー」
「わたしも、漢字までは知りませんでした。ありがとうございます、紅瀬先輩」
「ふふ。昔、伽耶と食べた記憶があるわ」
「え、母様も?」
「ええ」
 遠くを見るように、桐葉が目を細めた。



「ごちそうさま、東儀さん。美味しかったわ」
「ありがとうございます、紅瀬先輩」
「お礼と言ってはなんだけど、支倉君を好きにする権利は貴女にあげるわ」
「え? ええっと……よろしいのですか」
「ええ。それじゃあね」
 桐葉は白に告げると、さっと姿を消した。
「なんだか、やりたいことだけして帰っていったわね……」
「クールなところも、紅瀬さんらしいね」
「さ~て、しろちゃん。こーへーにお願い事を言ってみよう♪」
「かなでさんなら不安だったけど、白ちゃんなら大丈夫かな」
「そんなこと言うこーへーには後で風紀シールを山盛りプレゼントするとして、いいよ、
しろちゃん♪」
「わ、わたしの願いは……」
 白の願い事が、みんなの耳に届いた。



「わたしの願いは……支倉先輩と、瑛里華先輩と、みなさんと今年も仲良く過ごしていき
たいです!」
「……」
「あ、あの支倉先輩?」
「はは、白ちゃんらしいな」
「あの、何かおかしかったでしょうか」
 小首を傾げる白に、孝平は微笑む。
「いや、そんなことないよ。白ちゃん、今年もよろしくね」
「はい。よろしくお願いします♪」
「ちょっと、ふたりだけってのはないんじゃない? 私も一緒でいいわよね」
「はい、もちろんです♪」
「白ちゃん、私もいいかな」
「はい、大歓迎です♪」
「し~ろ~ちゃん♪」
「かなで先輩も、よろしくお願いしますね」
 今年も幸せな一年になりますように、と白は心の中で願った。



「見てください、支倉先輩。息がまっしろですよ」
「ほんとだ、白ちゃんの息がまっしろ、なんてね」
「ふふふ。この分だと、明日は雪が降るかもしれませんね」
「そっか、そしたら雪丸は礼拝堂に入れておいたほうがいいんじゃないか?」
「あ、そうですね。屋根はありますけど、きっと寒いでしょうし」
「それに、雪が降ったら雪丸がどこにいるのかわからなくなっちゃうかもしれないしさ」
「もう、支倉先輩はそんなことばかり言うんですから~」
「それじゃあ、礼拝堂に行こうか。白ちゃん、寒いから手を繋ごう」
「あ……はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。……うん、これなら寒くないから、ゆっくり歩いていこうね」
「そうですね。支倉先輩の手、とてもあたたかいです♪」



「見て、白ちゃん。雪が降ってきたみたいだ」
「よかったです、雪丸を中に入れておいて」
「そうだね。でも、これぐらいなら積もるほどではないかなあ」
 降ってくる雪を見て、孝平が呟いた。
「支倉先輩は、雪の多いところの学校にもいらっしゃったことがあるんですか?」
「うん、これでも転校の達人だからね。北は北海道から、南は沖縄まで、日本中を行った
り来たりしたよ」
「ちょっと、羨ましいです。わたしは、島からほとんど出たことがありませんから」
「それじゃあ、春休みとかの長い休みになったら、みんなと遊びに行こうか」
「え、よろしいのですか」
「もちろんだよ。白ちゃんとふたりっきりでも、俺は構わないよ」
「はは、支倉先輩……。あの、わ、わたしでよろしければ、ご一緒します」
 白は繋いだ手に、ぎゅっと力を入れた。



「今日のお茶請けは、ぜんざいです。どうぞ、支倉先輩」
「ありがとう。そう言えばさ、おしるこってあるけど、ぜんざいとは何が違うんだろう?」
「地域によって呼び方が違うそうですが、意味は同じだと聞いたことがあります」
「善哉(ぜんざい)は小豆の粒がある汁粉に使うようね。だから、漉し餡の場合は汁粉と
呼ぶのよ」
 受取ったぜんざいをみつめながら、桐葉が呟いた。
「さっすがきりきり、博識だねー」
「たいしたことじゃないわ」
「そんなことないです。とても勉強になりました、紅瀬先輩。あ、これ先輩用の七味です。
よかったらお使いください」
「ありがとう、東儀さん。遠慮なく使わせてもらうわ」
「え、紅瀬さんって、もしかしてぜんざいにもソレ、入れるの?」
「ええ。とても美味しいのよ。貴女も使うのかしら?」
「遠慮するわ。ぜんざいは甘いほうが好きだから」
「私も甘いほうがいいかな。あはは、またダイエットしないといけないけどね」
 陽菜の呟きに、女性陣はふたりを除いて動きを止めた。



「あ、おはようございます、支倉先輩」
「おはよう、白ちゃん。あれ、こんなに早く行くんだ。日直とか?」
「いえ、違いますよ。今日は雪が積もっているので、礼拝堂の雪かきをしようかと思いま
して」
「ひとりで?」
「ええ、そのつもりですけど……」
「ちょっと待っててね」
 そう言うと、孝平はダッシュで階段を駆け上っていった。
「お待たせ、それじゃあ行こうか」
「あ、あの……ありがとうございます♪」
「お礼はいらないよ。その代わりに、手、つないでもいいかな」
「はい。……えへへ」
「まだ誰も登校してないみたいだから、俺たちが最初かな」
「誰の足跡もついていない雪道を歩くのって、すごく久しぶりです」
「そうなの?」
「はい。いつもは、たいてい兄さまが先に歩いてくださいますから」
「じゃあ、今日は白ちゃんの後に歩こうかな。よろしくね」
「はい! わたし、がんばりますね」
 一歩ずつ、ゆっくりと歩いていく白と孝平の姿を、遠くから兄が眺めていた。



「うわ、礼拝堂がまっしろだ」
「そうですね。いつもと雰囲気が違うので、少し不思議な気分です」
「それじゃ、手分けして雪かきをしようか。白ちゃんは、礼拝堂の裏手をお願いしてもい
いかな。俺は入り口の周りからはじめるよ」
「はい、わかりました。……ありがとうございます、支倉先輩」
 白は小さな声で呟くと、建物の脇を歩いていった。
「さてと、出入り口ぐらいはきれいにしておこうかな」
「あら、支倉君ですか?」
「あ、シスター天池。おはようございます」
「おはようございます。東儀さんのお手伝いをしてくれているのですね」
「ええ。……あ、一応、ローレル・リングの手伝いってことでお願いします」
「わかりました。……そうだ、それではこれを着てください」
「これは?」
「ローレル・リングの制服ですよ。実は男子用の制服もちゃんとあるんですよ。あまり着
てくれる人がいないのが困ったところですが」
 雪かきをしながら、シスター天池は普段よりもやさしげな笑顔だった。



「は、は、支倉先輩~」
「どうした、白ちゃん。お化けでも出たかい?」
「ゆ、雪……」
「雪男? それとも雪女かな」
「雪丸が逃げ出してしまいました~」
「あいつも元気だなあ。よし、俺が探してくるから、白ちゃんはシスターと玄関の雪かき
をしていて」
「は、はい。よろしくお願いします~」
 孝平は白の頭を撫でると、建物の裏手に向かった。
「それじゃあ、こちらも雪かきをはじめましょうか」
「はい、わかりました」
「それにしても、支倉君は頼りになりますね」
「はい。生徒会の仕事でも、いつも手伝ってくださいます。同じ時期に役員になったのに、
わたしはあまりお役に立てなくて、みなさんに申し訳がないです……」
「東儀さん。ひとりで出来ることも大事ですが、それには限りがあります。集団のいいと
ころは、みんなで分担して、協力して物事にあたることができることです。ですから、東
儀さんが役に立っていないはずがありません。もっと自信を持って、いいのですよ」
「……わかりました。ありがとうございます、シスター」
「ふふふ。さて、そろそろ雪かきはよさそうですね。それでは、支倉君が戻ってきたらお
茶にしましょう」
 気がつけば、雲間から太陽が顔をのぞかせていた。



「ただいま~。はい、白ちゃん、雪丸だよ」
「ありがとうございます~。ほら、雪丸、支倉先輩にお礼を言わなきゃダメじゃないです
か」
 白は雪丸の目を見つめて、叱ってみせた。
「お疲れ様でした、支倉君。これを飲んであったまってください」
「ありがとうございます。……あ、おいしいですね」
「当然ですよ。だってそれは、東儀さんが支倉君のためにと丁寧に準備したお茶なのです
から」
「ごちそうさまでした。それじゃあ、そろそろ学院に行こうか、白ちゃん。あまりゆっく
りしてて遅刻したらいけないからね」
「そうですね。それでは雪丸、行って来ますね♪」
「あ、このローレル・リングの制服はどうしましょうか。洗って返したほうがいいですよ
ね」
「いいえ、その必要はありません。支倉君さえよければ、しばらくそれを借りておいてく
れませんか。臨時の会員、ということで」
「……そう、ですね。では、しばらく貸していただきます」
「よろしいのですか、支倉先輩」
「ああ。白ちゃんもいるしね。白ちゃんは、いやかな」
「そんなことないです。……とても嬉しいです」
 白は孝平の目を見つめて、幸せそうに微笑んだ。



「おはよう、陽菜」
「おはよう、孝平くん。……えっと、その格好はどうしたのかな」
「あ、脱ぐの忘れてた。道理ですれ違うみんながちらちら見てると思ったよ」
 羽織っていた白い制服を脱ぎながら孝平が言う。
「もしかして、それってローレル・リング?」
「ああ、そうだよ。シスター天池が貸してくれたんだ。ちょっとの間、臨時の会員になる
みたいだ」
「孝平もシスターの手先か」
「人聞き悪いな、司。俺はまだよく知らないけど、ローレル・リングってのはシスターの
手伝いをする委員会なんだろ。どうして入ろうとする人が少ないのか、気になっていたん
だ。だから、これはいい機会だと思ってるよ」
「ま、がんばれ。ほどほどにな」
「おう。陽菜もやってみるか? 時々でもシスターは喜んでくれると思うけど」
「う~ん、私は美化委員会があるからね。ちょっと難しいかな。それに、白ちゃんに悪い
し」
「ん? どうして白ちゃんなんだ。むしろ白ちゃんも喜んでくれると思うけど」
「そういうとこ、孝平くんらしいけど……。じゃあ、今度お姉ちゃんと一緒に行ってみよ
うかな」
「ああ、それでいいよ。無理する必要はないしさ」
 チャイムの音とともに桐葉が教室に入ってくるのを見て、孝平は自分の席に座った。



「支倉君」
「何かな、紅瀬さん」
 昼休みになった時に、珍しく桐葉のほうから孝平に声をかけた。
「ローレル・リングに入ったと聞いたのだけど」
「ああ。と言っても、臨時のお手伝いみたいなものだけどね」
「貴方も物好きね」
「そうかな? まあ強制されてるわけじゃないし、ちょっとやってみようかなって思った
だけだよ」
「まあ、がんばりなさい。……お迎えがきたわよ」
 紅瀬さんの視線を追うと、白ちゃんが教室の入り口に立っていた。
「あ、あの、支倉先輩はいらっしゃいますか?」
「白ちゃん、どうかしたの?」
「あ、支倉先輩。シスター天池が一緒に来てほしいということなので、お願いできますか」
「よしわかった。それじゃあ、ちょっと行って来る。陽菜、司、悪いけど昼飯は俺抜きで
行って来てくれ」
「うん、がんばってね、孝平くん」
 孝平はかばんからローレル・リングの制服を取り出すと、羽織って白と教室を後にした。



「ねえ、ちょっとちょっと陽菜」
「うん、どうしたの?」
「支倉君って、ローレル・リングに入ってるの?」
「孝平くんが言うには、臨時の会員みたいだけど」
 孝平から聞いたことを、陽菜はクラスメイトに簡単に説明する。
「臨時かあ、その手があったか。なるほどね」
「何がなるほどなの?」
「だってさ、あの制服を着てみたいと思わない? さっきも、4年生の東儀さんが着てた
けど、実は結構人気があるんだよ、あれ」
「そうなんだ」
「うんうん。陽菜の美化委員会の制服が一番人気なんだけど、ローレル・リングも秘かに
人気なんだよね」
「それじゃあ、みんなで臨時会員になるってのはどう?」
「わ、お姉ちゃん」
「ゆ、悠木先輩、いつからいたんですか?」
「ひなちゃんのいるところに、わたしあり!」
「それ、説明になってないと思うけど」
「それはさておき、ひとりだと気後れしちゃうかもしれないけど、みんなと一緒なら怖く
ないものだよね。まるちゃんも、きっと喜んでくれるんじゃないかな」
 かなでの説明に、クラスメイトたちは相談をはじめた。



「あの、支倉先輩。ちょっとよろしいでしょうか」
「どうしたの、白ちゃん。改まって相談事かな」
 数日後の昼休み、白が孝平に声をかけてきた。
「実は、ここ数日のことなんですが、礼拝堂の周囲で誰かの視線を感じるんです」
「誰かって……心当たりは?」
「いえ、それがまったく。わたし、ちょっと怖くて……でも、兄さまにはこんなことでご
迷惑をおかけできませんから」
「そうだよな、東儀先輩も多忙だからなあ。よし、それじゃしばらく俺が護衛としてそば
にいることにするよ。幸い、ローレル・リングの臨時会員でもあるわけだし、一緒にいて
もおかしくはないだろう」
「あ、ありがとうございます、支倉先輩♪」
「……もしかして」
 それまで静かに味噌ラーメンを食べながら白の話を聞いていた陽菜が、おもむろに口を
開いた。



「えっとね、白ちゃん、孝平くん。答えは諸事情で言えないんだけど、危険なことにはな
らないと思うから、安心していいと思うよ」
「どういうことでしょうか、陽菜先輩?」
 白は首を小さく傾げて陽菜に問いかける。
「白ちゃんは、孝平くんを信じられる?」
「はい。支倉先輩は兄さまと同じくらい信用できる方です」
「孝平くんは、私のことを信じてくれる?」
「ああ。俺にとって、陽菜はとっても大切な友だちだからな」
「じゃあ、白ちゃんは私のことを信じてくれるかな?」
「……はい、わかりました。陽菜先輩を信じます」
 真剣な表情で、白は陽菜に答えた。



「それじゃあ、礼拝堂に行こうか」
「はい。今日もよろしくお願いします、支倉先輩」
 二人仲良く歩いていると、イーゼルを抱えた女子生徒が通りかかった。
「あら、キミは確か……支倉君だったわね。生徒会役員だと思っていたのだけど、ローレ
ル・リングにも入っているの?」
「お久しぶりです、部長さん。ローレル・リングは今のところ臨時ですね。よかったら、
部長さんもいかがですか?」
「せっかくのお誘いだけど、遠慮しておくわ。これからスケッチに行く予定なの」
 そう言って、イーゼルを掲げてみせる美術部部長だった。
「悪いわね。……あ、もしよかったら、今度貴方たちを描かせてもらえないかしら。その
制服を着ているところ、一度描いてみたいと思っていたのよ」
「俺は構いませんけど、白ちゃんはどう?」
「わ、わたしはちょっと恥ずかしいのですが、支倉先輩が一緒なら心強いです」
「ありがとう。それじゃ、日にちはまた今度連絡するわね」
 ひらひらと手を振りながら、部長は歩いていった。



「こんにちは~。少し遅くなりました」
「遅いわよ。時間は無限じゃないんだからね?」
「え、瑛里華先輩?」
「どうしてここに? っていうか、その格好は」
「ご覧の通り、ローレル・リングの制服よ。今の時期は学校行事も特にないし、せっかく
だから私も参加させてもらおうかと思って。……迷惑だったかしら?」
 瑛里華はくるっと回って、制服の裾を翻らせて見せた。
「い、いえ、そんなことないです! ありがとうございます! 瑛里華先輩がお手伝いし
てくれたら、とても心強いです」
「ふふ、ありがと。ところで支倉くん♪」
「ん、どうかしたのか」
「何か言うことはないかしら、あるわよね、聞かせてほしいなあ♪」
「えっと、……に、似合ってるぞ」
「妙な間があるのがちょっとだけ気になるけど、お礼を言っておくわ。ありがとう」
 にっこりと笑う瑛里華の笑顔は、ローレル・リングの制服を身にまとっていても、変わ
らない。



「ちょっと、悠木先輩! 千堂さんまで入っちゃったじゃないですか」
「うーん、これは予想外だったねー。さすがは突撃副会長のえりりん」
「もしかして、素直に入会しますと言っていればよかったんじゃ」
「おかしいねえ、こういうのは事前に入念なリサーチが必要なのに」
「リサーチはともかく、どうして東儀さんを見張る必要があったんですか」
「決まってるじゃん。恋のライバルの調査は大事なんだよ。敵を知り、己を知れば百発百
中ってことわざを知らないの?」
「初耳ですし、そもそも恋はまったく関係ないのでは……」
「細かいことは気にしちゃだめだよ。それじゃあ、今からまるちゃんに入会届けを出しに
行こう!」
「今度はずいぶん行動が早いんですね」
「えりりんを見習ってみたのだよ、明智君」
「私、明智じゃありませんけど」
「ええっ? じゃあ、ホームズ君」
「なんでイギリスの紳士になるんですか……」
 あきれつつも、かなでの後についていく女子生徒だった。



「まーるちゃーん。わたしたちもローレル・リングに入れてくださいっ!」
「よろしくお願いします、シスター」
「悠木さんは後で礼拝堂の裏まで来るように#。それはさておき、仲間が増えるのはとて
も嬉しいです。みんな仲良くがんばってくださいね」
「はい! それであのう、制服はいつ支給していただけるんでしょうか」
「実はですね……」
 シスターの言葉を聞いて、女子生徒とかなでは絶望の声を上げた。
「あ、あの、どうかされましたか? あれ、かなで先輩じゃないですか」
「……ああ、しろちゃん。……燃えちゃったよ、燃えつきてまっしろに……」
「またわけのわかんないことを。かなでさんらしくないですよ」
「こーへー……。うしっ、こーへーに心配されちゃあ、元気を出さないわけにはいかない
ねっ!」
「立ち直りはやっ」
「それが悠木先輩の取り柄だもんね」
「あ、えりりん。それ、褒めてるんだよね」
「もちろんだよ、お姉ちゃん」
「ひなちゃんも来てくれたんだ。よーっし、それじゃあワトソン君。制服がないけどわた
したちもがんばろう」
「だから、どうしてワトソンなんですか~。お仕事は、がんばりますけどぉ~」
「おっけー、それじゃああとはしろちゃんよろしく。わたしはちょっとまるちゃんに呼ば
れてるから」
「あ、はい。わかりました。……あの、よろしくお願いします、先輩」
「こちらこそ。予定とは違うけど、自分で言い出したことだしね」
「あの、まだ確約はできませんが、人数が増えれば予算もいただけると思いますので、制
服はその時までガマンしてくださいね」
「……ホントっ? ありがとう、東儀さん。さすがは未来の財務担当だね」
「いっいえ、わたしは当たり前のことをするだけですから」
「それじゃあ、仕事をはじめようか。って、かなでさんはどこに行ったんだろ?」
 その頃、礼拝堂の裏で、かなではシスター天池に叱られていた。



「支倉先輩。お時間ありましたら、ご一緒にお散歩に行きませんか」
「ああ、俺だったら大丈夫だけど。……でも、外は雪がちらついてるよ?」
「これぐらいなら平気だと思います。雪丸も外に出たそうにしていますし」
「わかった。白ちゃんがそう言うなら、行こうか」
「はい、ありがとうございます♪」
 空からは、孝平が言うようにちらほらと雪が舞い降りてきている。
「どこまで散歩に行くつもりなの?」
「あまり遠くにはいけませんので、学内をまわってみようと思います」
「オッケー。それじゃ、雪丸は白ちゃんにお願いしていいかな」
「わかりました。……あ、もし支倉先輩が雪丸を抱きたくなったら言ってくださいね。雪
丸は抱き心地もやわらかいですし、あたたかいですから」
「大丈夫だよ。その時は、白ちゃんを抱きしめるから。白ちゃんの抱き心地も俺は好きだ
しね」
「もう、支倉先輩ったら……」
 ふたりと一匹は、雪の舞う中を歩き始めた。



「あ、孝平くん、白ちゃん。ふたりでお散歩かな?」
「こんにちは、陽菜先輩。雪丸も一緒です」
「ほんとだ。あったかそうだね」
 白の腕に包まれて丸くなっている雪丸を見つめて、陽菜の表情もやわらかい。
「陽菜は、美化委員会か。寒いのにご苦労様」
「まだ本降りじゃないしね。グラウンドで部活をしているところもあるし、私たちも負け
てられないよ」
「それじゃあ、もし時間があるようでしたら、後で礼拝堂に来てくださいませんか。今日
は、いつもがんばってくださっている皆さんにお茶をごちそうしようと思っているのです。
陽菜先輩も来ていただけると嬉しいです」
「うん。それじゃ、あとでおじゃまさせてもらおうかな」
「それじゃあな、陽菜」
「うん。孝平くん、ちゃんと白ちゃんをエスコートしてあげるんだよ?」
「ああ。それじゃあ行こう、白ちゃん」
「はい。それでは、また後ほど」
 頭を下げて、白は孝平と歩いていった。



「お熱いわねえ、おふたりさん♪」
「瑛里華先輩、こんにちは」
「熱い、とまではいかないな。でも、あったかいのは間違いないけどさ」
 孝平は、白の手を片方握っていた。
「はいはい、ごちそう様。それじゃ、私は監督生室に戻るわ」
「あの、瑛里華先輩」
「わかってるわ。後で礼拝堂に行けばいいのよね?」
「はい。明日からは生徒会に顔を出しますので」
「いいっていいって。兄さんも征一郎さんも時々顔を出してくれるしね。あ、支倉くんは
たっぷり仕事をあげるから、そのつもりで♪」
「さてと、行こうか白ちゃん」
「あ、こら。私の言うことを聞いておいたほうが、来月ラクになるわよ~」
「未来も大事だけど、俺は今の幸せを優先するよ」
「そ、それでは失礼します~」
 歩いていくふたりと一匹を眺めながら、瑛里華は首をすくめた。



「こんにちは。紅瀬先輩」
「あら、東儀さん。……おいしそうなものを持っているわね」
「は、支倉先輩は、お、お、おいしくないと思います!」
 白は左手にぎゅっと力をこめる。
「白ちゃん、うれしいけど、あんまりうれしくないよ……」
「……私は、その兎のことを言ったのだけど。ま、確かに支倉君は煮ても焼いてもおいし
くなさそうね」
「雪丸もだめです~。……あ、それでは代わりに別のものをごちそうしましょうか。この
後、礼拝堂に来ていただければ、おもてなしいたします」
「……そうね、気が向いたら寄らせてもらうわ」
「はい、わかりました。よかったですね、雪丸♪」
「白ちゃん、俺にも微笑んでほしいんだけど……」
 白はにっこりと微笑んで、左手にぎゅっと力をこめた。



「お~、しろちゃんにこーへー。ラブラブで何より♪」
「ほんと、うらやましいよ~。私は悠木先輩とワンセットだから」
「先輩方、お疲れ様です。作業が終わりましたら、礼拝堂までいらしてくださいね」
「かなでさんの相手は大変だと思うけど、がんばって」
 かなでに聞こえないように、小声でささやく孝平。
「ありがと、支倉君。キミも白ちゃんの護衛をしっかりね」
「ああ、言われるまでもないよ。白ちゃんは誰よりも大切だからな」
「……それ、本人に言ってあげたら?」
「言えるわけ無いだろ、恥ずかしすぎる」
「聞かされるこっちはもっと恥ずかしいんだよ、こーへー?」
「うわっと。それじゃあ、俺たちは先に戻ってますね。白ちゃん、そろそろ行こう」
「はい。それでは失礼します~」
 ぺこりと頭を下げて、白は雪丸を抱えなおした。



「みなさま、お仕事お疲れ様でした。ささやかではありますが、お茶とお菓子を用意致し
ましたので、おくつろぎください」
「わぁ、ケーキだぁ♪」
「おい副会長。いいのか、甘いものが好きなのは秘密なんじゃなかったっけ」
「何言ってるのよ。女の子が甘いものを好きなのは当然でしょ」
 幸せそうにケーキを頬張る瑛里華だった。
「辛いものが好きな女だっているわよ」
「紅瀬さん……その真っ赤なきんつばはいったい何なの?」
「東儀さんが手に入れてくれたのよ。幻の紅色のきんつば、略して紅つばね。よかったら、
悠木さんもどうかしら」
「あはは……、孝平くん、お願い」
「おい陽菜、その無茶振りはちょっとひどいぞ?」
「それじゃあ、わたしが行ってみよう! はむっ……がくり」
「わあ、お姉ちゃんが~?」
「かなで先輩、こちらを飲んでください」
 白が差し出した飲み物を口に含むと、かなでの意識が回復した。
「やるね、きりきり。気絶するほど美味しかったよ!」
「どういたしまして」
「うーん、とにかく白ちゃん、お姉ちゃんを助けてくれてありがとう」
「いいえ、わたしはたいしたことはしてませんから」
「そんなことないさ。白ちゃんは目立たないけど、すごくみんなの支えになっているよ。
そんな白ちゃんを、これからも俺は支えていけたらいいなあと思ってる」
「支倉先輩……」
「ローレル・リングにも入ったことだし?」
 瑛里華がふたつめのケーキを頬張りながら言う。
「俺で役に立てれば、それもいいかな。こうして、みんなが集まってくれたのも、白ちゃ
んがいるからなんだ。だから、これからも白ちゃん、よろしくね」
「は、はい! わたしこそ、よろしくお願いいたします♪」
 しあわせな笑顔を浮かべて、白は孝平に微笑んだ。



2000/03/03

桐葉の平日(FORTUNE ARTERIAL ぷちSS)



「おはよう、紅瀬さん。今日も重役出勤だな」
「ええ。役職手当はもらっていないのだけどね」
「むしろシスター天池に罰をもらいそうな気がするんだけど」
「それは貴方に譲ってあげるわ」
「謹んで辞退させていただきます」
「あら、残念ね」
「まあ、事情は知ってるから、こんな軽口を叩いてるんだけどな」
「別に、無理しなくてもいいのよ」
「無理なんてしてないさ。無茶はしてるとは思うが」
 こんなやりとりで、私の一日の学院生活は始まりを告げるのだった。



「昨日夜更かししたせいかな、すごく眠たいんだ」
「だめだよ、孝平くん。授業中に居眠りしたら」
「そうね。せっかく親御さんが払ってくれている授業料が無駄になってしまうわね」
「正論だとわかってはいるんだけど、素直に頷けないのはどうしてだろ」
「私は”授業中に”眠ることはないもの」
「司はどう思う?」
「俺は自分で稼いでいる」
「だからって、眠っていい理由にはならないよな」
「それじゃあ、孝平くんが居眠りしてたら、私が起こしてあげようか?」
「それは陽菜に悪いだろ。ここは、暇そうにしている紅瀬さんにお願いしようかな」
「……わかったわ。貴方が眠れなくなるようにすればいいのね?」
 私は、鞄の中から一冊の本を取り出した。



『”孝平”は自らの男を取り出すと、女の秘所に宛がった。女は懇願するように”孝平”
を見るが、”孝平”は野獣のような笑みを浮かべながら、少しずつ女に侵入していった』
「あの、紅瀬さん。それはいったいなんでしょうか」
「官能小説よ。貴方が眠くならないように、私が朗読してあげるわ」
「ご丁寧に主人公の名前は孝平に変換してくれるわけだ」
「な、なんだか生々しいよね……」
『女の口からは痛みに耐える声が漏れた。”孝平”はそれを聞きながら女の奥まで蹂躙し
ていく』
「有無を言わさずか、孝平」
「孝平くん、そういう趣味だったんだ……」
「こら、そこのふたり、俺は清廉潔白だ。っていうか、紅瀬さんも悪ノリはいい加減にや
めてくれ」
「別にそれは構わないけれど、もう手遅れじゃないかしら」
 教室の外から、廊下を駆ける足音がどんどん近づいてきていた。



「じゃじゃん! わたし、参上♪」
「お姉ちゃん?」
「イケナイこーへーをとっちめるけどいいよね? 答えは聞いてない♪」
「いえ、聞いてくださいってば」
「なんてね、わたしに釣られてみる?」
「釣られるのは孝平だけだろ」
「わたしの強さにこーへーが泣いた!」
「それは、もしかして子どものころの話かしら」
「そうそう! 聞きたい、きりきり?」
「別に」
「ううっ、きりきりは釣られないか。それはさておき、こーへーはおしおきしないとね。
わたしは最初からクライマックスだよ♪」
 その後、支倉君の悲鳴が校舎に響き渡った。



「なるほど。そういうことだったのね」
「支倉先輩、大丈夫でしょうか……」
「ええ。大事を取って、今日は帰らせたわ。代わりに、支倉君の仕事は私が受け持つから」
「あら、いいのかしら。そんな大口を叩いても?」
「ええ。もちろん」
「あ、あの、紅瀬先輩。わたしもお手伝いいたします」
「ありがとう、東儀さん。でも、気持ちだけ貰っておくわ」
「それじゃあ、紅瀬さん。この書類のデータをパソコンに入力してもらえるかしら」
「……わかったわ」
「あの、瑛里華先輩?」
「いいから、白は白の仕事を続けなさい」
「は、はい」
 東儀さんが自分の作業に戻るのを見てから、私はパソコンのスイッチを入れた。



「…………」
「どうかしたのかしら、紅瀬さん」
「なんでも、ないわ」
「なんでもないわけないでしょう。先ほどから手が動いていないようだけど」
「動かす必要がないからよ」
「どうして」
「パソコンが、冬眠してしまったからよ」
「……フリーズ、したのね」
「……そういう言い方もあるようね」
「はぁ、そういうときはね」
「わかっているわ。こうやれば直るのでしょう?」
 私は、パソコンの前に立ち、右手を高く振り上げると、斜め45度の角度から振り下ろし
た。



「ちょっと待ったーっ!!」
「邪魔をしないでくれるかしら、千堂さん。後、その手を離して」
「するに決まってるでしょうがっ。イタタ、手がびりびりするわ。パソコンを壊す気?」
「……心外ね。私は直そうとしただけだわ」
「そのやり方が間違ってるって言ってるのよ。昔の家電製品じゃないんだから」
「……そう、なの?」
「そうよ。むしろ精密機器なんだから、衝撃を加えるなんて『もってのほか』ね」
「……その言葉は、私にとって衝撃だわ」
「あ、あなたねえ……。まあいいわ。ちゃんとした手順を辿れば、よっぽどのことがない
限りは直るから。……教えてあげるわ」
「……随分、親切ね?」
「と、当然よ。……お、同じ生徒会の仲間なんだから」
 千堂さんは、少しだけ顔を赤くしながら、そう答えた。



「紅瀬さん、今日は助かったよ。ありがとな」
「別に。貴方にお礼を言われることじゃないわ」
「そんなことないさ。俺の分も生徒会の仕事をがんばってくれたって聞いたんだ」
「……誰に聞いたの」
「誰に聞いたと思う?」
「……興味、ないわ」
「何で、間が空くんだ?」
「答えがわかったからよ」
「パソコンは叩いちゃダメなんだぞ」
「知っているわよ。……その人に親切に教えてもらったから」
「よかったな」
「……そうね。たまにはいいかもね」
 他愛の無い会話は、どこまでも続いていく。



「何をしているのかしら」
「紅瀬さんを待っていた……と言いたいけど、単なる雨宿りだよ」
「……そう」
「こらこら、そこでスルーしたら寂しいだろ」
「……かまって欲しいの?」
「まあ、できれば」
「いやだと言ったら?」
「その時は、雨が降ってようが走って帰る、かな」
「……ふぅ、仕方ないわね」
「紅瀬さんは、こんな時間まで何をしていたんだ?」
「眠っていたわ。屋上で」
「いつもの”アレ”か」
「ええ」
「でも、雨が降る前に目が覚めてよかったな」
「そうでもないわ。ただ、雨避けのあるところで寝ていただけよ」
「やっぱり不便だなあ」
「どうかしらね」
「何か、得したことってあるのか?」
「……不眠症にならなくて済むことかしら」
 貴方とのおしゃべりの時間が増えたことよ、と心の中だけで呟いた。



「お、そろそろ雨もあがりそうだ」
「……そうね」
「何かいやなことでもあるのか?」
「別に」
「それじゃあ帰ろう。……もちろん、一緒にだ」
「それは、口説かれているという解釈でいいのかしら?」
「そ、そう取ってもらってもかまわない」
「……いいわ」
「ほ、ほんとか」
「ええ」
「まさかOKがもらえるなんて、思ってなかったよ」
「大げさね。一緒に寮に戻るだけなのに」
 口調とは裏腹に、心の中は嬉しさでいっぱいだった。



「おかえり~、おふたりさん♪」
「ただいま、かなでさん」
「……おじゃまします」
「はい、紅瀬さんはここに座って♪」
「ありがとう、悠木さん」
「それでは、支倉くんと紅瀬さんも戻ってきたことだし、お茶会をはじめましょう♪」
「今日のお茶菓子は、『さゝき』のきんつばです♪」
「おいしそうね」
「あれ、紅瀬さんが辛いもの以外に興味を持つなんて珍しいな」
「『さゝき』のきんつばは特別よ」
「紅瀬先輩も、お好きなんですか」
「ええ」
「わたしも大好きなんです。ほっぺたがおちてしまいそうです」
「それじゃ、しろちゃんときりきりのオススメのきんつばを、いっただっきまーす♪」
 口の中に、至福の味わいが広がる。



「美味しいわね、やっぱりこの味は特別だわ」
「いくつ食べても、飽きない味ですね♪」
「私は、さすがにいくつも食べられないかな。ダイエットしないといけないから」
「だいじょーぶ。ひなちゃんはそのままでもとーっても魅力的だから! ね、こーへー」
「え、ええ。そうですね」
「あはは、ありがとう。孝平くん」
「……でも、こーへーにはきりきりのほうが魅力的に見えるのだった」
「ちょ、かなでさん! 俺の心を読まないでくださいよ」
「へ、へー……よ、読んでるんだぁ……」
「しまっ……。あの、副会長、今のは言葉の綾というやつで」
「……綾、なの?」
「紅瀬さん? いや、その……」
「ふふふ、孝平くんおもしろい。ね、白ちゃん?」
「はい、支倉先輩、お顔が真っ赤になってます」
 振り回される彼が面白くて、つい私はそっけない態度を取ってしまうのだ。



「それじゃあ、今日のお茶会はこれにて終了♪」
「あ、今日の片付けは俺がやっておくから、そのままでいいよ」
「ありがと、孝平くん。それじゃあ、おやすみなさい」
「また明日ね、支倉くん」
「おやすみなさいです。支倉先輩」
「ああ、みんなおやすみ。……かなでさん、ちゃんと階段から帰ってくださいね。はしご
は禁止です」
「むむ、こーへーがまるちゃんみたいなことを。まあ、いっか。それじゃあお休み~♪」
「……」
「ん、どうかしたか、紅瀬さん」
「私のカップは、これだから」
「……それが、どうかしたのか?」
「……後で何をしようと、貴方の自由よ」
「あの、紅瀬さんの頭の中では、俺はいったいどんなことをしているんだ?」
「……聞きたい?」
「いや、言わなくていいから!」
「ふふ、それじゃ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「……今日は、ありがとう」
 扉を閉じる前に彼の顔を見たら、驚いていたのがおもしろかった。



「おはよう、紅瀬さん。今日は早いな」
「おはよう。私だって、いつも遅いわけではないわ」
「そりゃそうなんだろうけど、最初に付いたイメージって、なかなか払拭できないんだよ
な」
「……そう言えば、貴方は転入早々、女風呂に侵入したのよね」
「すみません、俺が悪かったです」
「あの時のことが、私の心にどれだけの傷を付けたか……」
「会長にはめられたとは言え、なぜここまで言われなきゃならないんだ」
「まあ、貴方にとっては悪いことばかりではなかったのでしょう」
「と、言うと?」
「私の一糸まとわない姿を、目に焼き付けられたのだから」
「ちょっと待ってくれ。俺が見たのは紅瀬さんじゃなくて、副会長の……」
「いい加減に忘れなさい!!」
「ぐはっ!?」
「朝から強烈な回し蹴りね、千堂さん」
 そして、朝から崩れ落ちる支倉君だった。



「お、今日は孝平は遅刻か?」
「違うの、八幡平くん。孝平くん、保健室に行ってるの」
「千堂さんに折檻されたのよ」
「そりゃ、しばらく戻ってこれそうにないな」
「ま、自業自得とも言えるけれど」
「大丈夫かな、孝平くん。ね、紅瀬さん、後で様子を見に行こうね」
「……どうして私が」
「孝平くん。きっと紅瀬さんが来るのを楽しみにしてると思うから」
「そうね。気が向いたら、行く事にするわ」
「うん、ありがとう」
 悠木さんの嬉しそうな笑顔が、やけに眩しかった。



「こーへーだいじょうぶ~♪ って、どうしてまるちゃんとしろちゃんが?」
「今日は保健の先生がいらっしゃらないので、ローレル・リングが代理でお仕事させてい
ただいてるんですよ、かなで先輩」
「そういうことです。それからもう少し静かになさい。それと、まるちゃんと呼ぶのはや
めなさい#」
「はーい。それじゃ、お姉ちゃんはおとなしく帰ろうかな。あ、こーへーに目覚めのキス
をしてもいい?」
「きき、キスですか?」
「……人工呼吸ならともかく、そういう風紀を乱す行為はダメです」
「……なるほどね~。人工呼吸ならいいわけか。それじゃ、しろちゃん、こーへーのこと
よろしくね~」
「……小さな台風がやっと去っていった、というところかしら」
「でも、かなで先輩は、支倉先輩のことを一番に心配しているんだと思います」
「当の本人は、ぐっすりと眠っているようだけど」
 シスター天池の言うとおり、支倉先輩はおだやかな表情をしているように見えました。



「あれ? 保健室の前にいるの、えりちゃんだよね。何やってるんだろ」
「きっと、中で繰り広げられている痴態でも覗いてるんでしょう」
「覗いてな・い・わ・よ! まったく、紅瀬さんたらひどいわ」
「あら、ひどいのは支倉君の現在の状況だと思うけど」
「ぐっ……。それについては言い訳できないけど、支倉くんなら、かなり幸せそうに眠っ
ているみたいよ」
「……貴方、ついに彼を天国へ送ってしまったの?」
「えりちゃん、それはさすがにひどいんじゃないかなぁ」
「陽菜まで!? ううう、いいわよいいわよ。こうなったら、支倉くんになぐさめてもら
うんだから!」
「まあまあ、えりちゃん。みんなで仲良く孝平くんのお見舞いをしようよ、ね?」
「紅瀬さんは?」
「貴方がどうしても、と言うなら、仕方が無いからつきあってあげるわ」
 久しぶりに気持ちよく千堂さんをやりこめることができて、私は機嫌がよかった。



「お疲れ様、白ちゃん。孝平くんの具合はどう?」
「先ほど、かなで先輩もお見舞いに来られましたが、支倉先輩はだいぶ幸せそうなご様子
ですよ」
「そう、それはよかったわ……」
「千堂さんが原因だったのよね、確か」
「ええ。それは認めるわ。今は、支倉くんが無事で、本当によかった……」
「あら、随分殊勝な態度ね」
「私だって、いつも突撃してばかりではないってことね」
「……それ、自分で言う台詞ではないわよ」
「いいのよ。これで私もスタートラインに立つ決心がついたから」
「おもしろいわね」
 相手にとって不足はない、と言うところなのだろうが、私はそれ以上は言葉にしない。



「陽菜に副会長、それに紅瀬さんも来てくれたのか。わざわざありがとう」
「お礼を言われることじゃないよ。でも、孝平くんが元気そうでよかった」
「蹴られる瞬間に、力を逃がす方向に飛んだんだ。だから、見た目ほどダメージは受けて
ないんだよ」
「ふぅん、意外に運動神経はいいのね」
「転校の達人ともなると、何でもそつなくこなさなきゃな」
「そっ、それでも万が一ってこともあるわ。私の責任でもあるのだし、しばらく支倉くん
のサポートは私がやるわ。いいえ、やらせて」
「いや、だから大丈夫だって言ってるんだけど」
「支倉くんは、私が迷惑?」
「……っ、そんなことは、ないけど」
「迷惑ね」
「……どういう、意味かしら。紅瀬さん?」
「言葉通りの意味よ。だって、彼のサポートは私がやると決めているのだから」
 まっすぐに千堂さんの目を見据えて、私は宣言した。



「帰るわよ、支倉君」
「え? いや、俺はこれから生徒会の仕事が」
「油断は禁物、というわ。病気も怪我も治ったと思った時が危ないのよ」
「そうは言っても、昨日も生徒会を休んだわけだし、今日は出ておきたいんだ」
「貴方の仕事なら、千堂さんが代わりにやっておいてくれるそうよ」
「うーん、その気持ちは嬉しいんだけど、副会長には副会長の仕事があるだろ。俺の仕事
を押し付けるわけにはいかないよ」
「意外に頑固ね」
「責任感があると言ってもらえると嬉しいんだけど。それじゃあ、行こうか」
「……一応聞くけど、どこへ」
「監督生棟だよ。俺のサポートをしてくれるんだよな?」
「……ええ。私に二言はないわ」
 どれだけ不向きなことだろうと、ここで引くわけにはいかなかった。



「お、今日も紅瀬ちゃんの登場だね。いらっしゃい♪」
「……会長は、昨日見かけなかったと思うのだけど」
「ちっちっち、会長ともなれば、一生徒の動向ぐらい把握しているものだよ」
「そう言えば、先ほど白から何か聞き出していたようだが」
「おいおい征~、バラしちゃおもしろくないだろう」
「おもしろい必要はないと思うけど。ったく、兄さんはもうっ」
「それで、私は何をしたらいいのかしら」
「支倉くんのサポートに来たんだから、支倉くんの指示に従ったらいいでしょ」
「と、言うことだけど。貴方の言うことに従わないといけないらしいわ。……たとえ、ど
んなに恥辱に満ちた内容であっても、私は貴方に服従しないといけないのね……」
「あの、紅瀬さん。猛烈に人聞きが悪いので、それはやめてくれ。白ちゃんが給湯室にい
て助かった……」
「あら、私だって冗談を言うタイミングぐらいはわきまえているつもりよ」
「みなさん、お茶が入りましたよ~」
「それじゃ、このお茶を飲んだら仕事を始めましょう♪」
「ああ。それじゃ、紅瀬さん。まずはこれからはじめてくれないかな」
「……わかったわ」
 私は、昨日と同じように、パソコンの電源を入れた。



「……ねぇ、もっと動いてもいいのよ」
「そう言われてもなあ」
「ふふ、こんなに固まってしまって、おびえているのかしら」
「多分、そんなことはないと思うんだけど」
「がまんできなくなったら、思い切って出してしまえば楽になるのに」
「そういうわけにはいかないよ、生徒会の備品だからな」
「こら、そこの二人。意味深な会話はやめなさいよね」
「あら、何のことかしら、千堂さん。私たちは動かなくなってしまったパソコンについて
話していただけなのに」
「知ってて言っているでしょ。知ってて言ってるのよね?」
「まあまあ副会長。怒ったってパソコンが直るわけじゃないだろ」
「こういう時に正論を言われると、無性に腹が立つのよね……」
「あれ、なんだか命の危険を感じるんだけど!」
「そう言えば、かなで先輩がおっしゃっていたのですが、今夜、白鳳寮でまたオークショ
ンが開催されるそうです」
「もしかして、そこに使えそうなパソコンが出品されるのかい、白ちゃん?」
「それはわかりませんが、掘り出し物がざっくざく、らしいのです」
「ざっくざく、か。悠木らしい表現だな」
「こうなったら、そのオークションにかけるしかないわね。行くわよ、支倉くん」
「わ、わかった。紅瀬さんもいいか?」
「……ええ。貴方の言うことですもの」
 今夜は、また騒がしい夜になりそうだった。



「やあやあ、えりりんにきりきりにこーへー。三人揃ってどうかしたのかな?」
「こんばんは、悠木先輩。今晩、寮でオークションが開かれるって聞いたんですけど」
「うん、やるよ。よかったら参加してってね。品物を提供してくれても助かるなあ」
「う~ん、あいにくオークションに出せるような物は持ってませんね」
「こーへーの使用済みタオルとか、えりりんの愛用のマグカップとか」
「「出しませんっ!」」
「きりきりは? 何かないかな」
「そうね……読み終わった本なら、何冊か持っているけど」
「私、嫌な予感がするんだけど」
「あら、千堂さんも読んでみたいのかしら。官能小説」
「べ、別に読みたく……ないわよ」
「あの、副会長。もしかして読みたいのか?」
「そんなわけないでしょう。私は副会長よ」
「いや、それ答えになってないって」
「心配しなくても、オークションには出品しないわ」
「ありがとお、とってもとってもうれしいわ♪」
「そんなえりりんには、風紀シールをプレゼント!!」
「なんで私だけっ?」
「じゃあ、こーへーにもオマケ」
「俺とばっちりですか?」
 オークションが始まる前から、大騒ぎだった。



「こんばんは、孝平くん。今日は『両手に花』だね♪」
「まあ、な。どっちかと言うと、『きれいな花にはトゲがある』だと思うけど」
「紅瀬さん、支倉くんこんなこと言ってるけど、どうしようか?」
「そうね、トゲとしては、チクリと刺してあげるのがいいのではないかしら」
「えっと、ふたりとも冗談だってわかってくれてるよな?」
「ダメだよ、孝平くん。女の子には冗談が通じない時もあるんだから」
「次から気をつけるよ。……次があればだけど」
「あはは。それじゃ、私はお姉ちゃんのアシスタントをしなきゃいけないから、行くね」
「ああ、がんばれよ」
「そろそろオークションが始まるみたいね」
「ええ。それじゃ、それまでの間、きれいな花の二人で支倉君を問い詰めることにしましょ
うか」
 囲んでしまえば、獲物は袋の鼠なのだ。



「おっ待たせしました~。クリスマス恒例、大オークション祭りをはじめるよっ!」
「お姉ちゃん、恒例って言ってるけど、今年はじめてだよ」
「大丈夫だよ、ひなちゃん。来年もやればいいじゃない」
「というわけで、早くも来年の開催が決定してしまいました。司会は5年生の悠木陽菜と」
「最上級生の6年生、キング・オブ・寮長にしてキング・オブ・風紀委員長、しかしてそ
の実態はっ!」
「肩書きがやたら多いわね」
「副会長の突撃よりもすごそうだな」
「こらーそこの二人、わたしのじゃまをしないよーに。……えっと、どこまで言ったっけ」
「悠木かなででお送りいたします」
「何事もなかったように進めるのは、さすが悠木さんというところかしら」
「それでは、まずはこの逸品からっ!」
「そしてマイペースで進行するのもかなでさん、なんだよな」
 熱気に包まれたオークションは、夜遅くまで続いた。



「はあ、結局パソコンは手に入らなかったわね」
「まあ、出品自体がなかったんだから仕方ないよな」
「私は、『テラ辛の素』が落札できたから、満足だわ」
「誰が出品したのよ、その劇物を」
「嗜好は人それぞれだから、俺たちが口をはさむことでもないと思うけど」
「支倉君にも、分けてあげるわ」
「前言撤回、ほしいなんて一言も言ってないぞ?」
「ふふふ、言わなくても貴方の気持ちはわかってるわ」
「本当に、本当にわかってるのか?」
「ええ。私の料理が食べてみたいのよね」
「否定はしないけど、肯定もしたくないような気が」
「だ、だめよ。支倉くんは私の料理を食べるんだから」
「ふうん、それは勝負したいということかしら」
「の、のぞむところよ」
 必殺の道具を手に入れた私に、果たして勝てるのかしら。



「というわけで、今日のお茶会は『孝平くんをおもてなし対決』になりました」
「わ、わたしにはどうしてこうなっているのか、さっぱりわからないです……」
「しかたないよ、しろちゃんはその場にいなかったんだから。まあ、えりりんときりきりを
見てればいいよ」
「司会は、なぜか私、悠木陽菜と」
「キング・オブ……以下略、悠木かなででお送りします!」
「やっぱりかなでさんはかなでさんだなあ」
「むむ、なんかこーへーにバカにされてる気がするけど、気にせずにスタート」
「そこは気にしたほうがいいんじゃないかしら」
「珍しく、千堂さんと意見が一致したわ」
「あはは、それじゃあルールを説明するよ。孝平くんをお料理でおもてなししてください。
本来ならお料理を作るところからなんだけど、寮ではいろいろと不便なので、料理は既製
品のみ、ただし、アレンジは可とします」
「それではおもてなし対決~、レディたち、ゴー♪」



「それじゃあ、まずは私からね。支倉くんには、この千堂瑛里華特製のテラ甘スイーツを
食べさせてあげるわ♪」
「えーと、最高の笑顔を向けられててすごく言いにくいんだけど、俺、そんなに甘いものっ
て好きなわけじゃ」
「はい、あ~ん♪」
「……、これ、回避不可能だよな……。ぱくっ」
「どう、美味しい?」
「うん、甘い」
「やったあ♪」
「でも、孝平くん、美味しいって言ってないんだよね」
「それじゃ、今度はきりきりのターン!」
「私は、これよ」
 赤くそびえるそれを、支倉君の目の前に差し出した。



「テラ辛スイーツ(紅瀬仕様)よ。思う存分食べるといいわ」
「……あの、紅瀬さん。この辛苦の、じゃなくて真紅の物体はいったい」
「無知なる貴方に一言で説明してあげるなら、隠し味ね」
「私、隠れてないと思うなあ」
「どーかん。ひなちゃんに同じ」
「わ、私もそう思います」
「支倉くんがどうするのかが、見どころであり、勝負の分かれ目ね」
「あのー、俺、食べないとダメか? 喉がおかしくなりそうなんだが」
「……わかったわ。そこまで言うなら、仕方ないわね」
「……えっと、なぜ俺の顔を押さえるんだ?」
「決まってるでしょう。……、口・移・し、よ」
 私はゆっくりと支倉君に近づいていった。



「………………っぷはっ」
「ななな、なんてことしてんのよっ!」
「だから言ったでしょう、口移しよ。それで支倉君、感想は?」
「……やわらかかった」
「それ、紅瀬さんのくちびるの感想なんじゃないかな」
「は、はわわ~」
「きりきりと、こーへーが、キスしちゃった……」
「何を言ってるのかしら。これは口移しよ?」
「そんなこと言ったって、紅瀬さんと支倉くんが……くちびるを重ねたことに変わりはな
いでしょう」
「ええ。でもキスじゃないわ。それにそんなことは些細なことよ。重要なのは、支倉君の
答えよ。違うかしら」
「……そんなこと……、わかってるわよっ」
「俺の答えは……」
 支倉君の答えが、みんなの耳に届いた。



「……おいしかった。……って、あれ? どうしてみんなずっこけてるんだ」
「いや、こーへーらしいといえば、らしいんだけどさ」
「私はてっきり、紅瀬さんか、えりちゃんのどっちかを選ぶんだとばかり」
「わ、わたしもです~」
「何か変か? 今のが俺の感想であり、答えだよ。桐葉はテラ辛スイーツなんて言ってた
けど、実際はそんなに辛くはなかったんだ。つまり、これは見た目で判断することなく、
味で判断しなきゃいけなかったんだ。なのに俺は見た目で辛いと決め付けていて、口にし
ようとしなかった。副会長のスイーツは食べたのにね。だから、桐葉はああいうやり方を
取ったってわけだ。……そうだろ?」
「……さ、さあ、どうかしらね」
「紅瀬さん、ここは照れるところじゃないでしょ。もうっ、なんだか私が勝手に空回りし
てたみたいじゃない」
「まあまあ、えりりんだって、もうわかってるんでしょ」
「そりゃあね。この勝負は、紅瀬さんの勝ち」
「えっと、なんでそうなるのか俺にはわからないんだが」
「孝平くん、それ本気で言ってるの?」
「支倉先輩、……ちょっと鈍感だと思います」
「え、え?」
「あのね、支倉くん。親切に教えてあげるけど、”桐葉”って呼んでるわよ。だから、紅
瀬さんが照れてるのよ」
「てっ、照れてなんていないわ」
「はいはいごちそーさま。それじゃ、おふたりさんいきなりですが、誓いのキッスをどう
ぞっ!!」
「ええ?」
「キ、キスなんてまだ早すぎるわ」
「あら、さっきあんなに熱烈なのをしてたじゃない。何いまさら恥ずかしがってんのよ」
「だ、だからあれはキスじゃないって言ったでしょう!」
「というわけで、『孝平くんをおもてなし対決』は紅瀬さんの勝ちになりました」
『おめでとうございま~す♪』
 支倉君の顔を見ると、彼は私の手をそっと握ってくれた。